やしお

ふつうの会社員の日記です。

「ドン」がネットワークのくびれで機能する

 森喜朗元首相の女性蔑視の価値観・言動が問題視され、五輪組織委の会長辞任のニュースが流れている時に、たまたま森功『同和と銀行』を読んでいた。森喜朗はこれに近いと考えると分かりやすいのかもしれない、とふと思った。


 20年前に数々の舌禍で内閣支持率7%で退陣したのに、再び公的な要職に就けるのは何なんだろう。再びその言動が批判されても、理事会からは退任させられることもなく、「余人をもって代えがたい」と擁護される。
 普通に考えれば「余人」は絶対にいる。もっと若くて能力が高く、価値観や言動もふさわしい人物は確実に存在する。本人の意思による辞任ではなく、理事会が解任することで「この組織の価値観ではない」と示した方が良いだろうと思える。しかし周囲は森喜朗を高く評価して固執しているように見える。そのズレがどうして生じるのか、と不思議な気持ちになっていた。
 「調整力」「影響力」「人脈」などが評価されるのだとして、それは具体的にはどういうものなのか、と疑問だった。


 『同和と銀行』は元暴力団員で同和団体のボス・小西邦彦について描いている。小西は関西地域で反社勢力、行政機関、金融機関、不動産業、土建業、捜査当局、税務当局などの間で大きな影響力を有した。(三和銀行(現三菱UFJ銀行)で小西とのパイプ役を勤めた岡野義市へのインタビューを基に描かれている。)
 単純に暴力を背景にして行政や金融機関を喰いものにしてきたという話ではなく、本人のキャラクターや周囲の利害関係によって、あるポジションにすぽっと収まると、利害調整の要として機能していく、というような光景になっていた。


 以下は、小西邦彦の具体的な影響力の内容を整理して、そこから「ドン」のあり方をもう少し一般化しつつ、森喜朗を当てはめて眺めてみる、という営み。



同和団体支部長になる経緯

 小西は、大阪の被差別部落で1933年に生まれ、闇市で喧嘩に明け暮れて少年院や刑務所を行き来するうち暴力団員になる。その後部落解放同盟支部長となり、最後は「飛鳥会事件」で2006年に逮捕され地裁で懲役6年の実刑判決を受け、控訴審の最中の2007年に病没する。


 小西が解放同盟の飛鳥支部長に就任したのは、社会党衆院議員で解放同盟の大阪府連委員長、中央本部執行委員長を歴任した上田卓三の要請だったとされる。当時、社会党系の解放同盟は、共産党系の全解連と対立しており、その共産党対策だったという。戦闘服を着た強面の組織「部落解放同盟行動隊」を結成して、隊長に西成支部長(元暴力団組員)、副隊長に飛鳥支部長の小西を据えた。


銀行

 もともと三和銀行(現三菱UFJ銀行)とは、単に個人の預金口座を持っていただけの関係だった。ある時、窓口の職員が同和地区の地域住民の職業を確認した(当時タブーだった)ことがトラブルになり、小西が激怒したことがきっかけで関係が始まったという。


 三和銀行は小西へ様々な便宜を図っている。

  • 三菱東京UFJ銀行三和銀行時代から20年間、淡路支店の課長を小西の事務所に常駐させ、そこで勤務させていた。職員の給与明細の作成から資金管理、電話番までこなし、融資の申込書なども本人に代わって銀行が書いていた。
  • 淡路支店の地下金庫には小西の印鑑や通帳も管理されていた。小西個人の口座だけでなく、知人の口座も小西名義で保管されるなど複雑で数も多い。出勤すると10冊程度の通帳の出入金記録を頭に入れてから小西の事務所に向かう。
  • (課長常駐以前は)小西は支店に電話で、「ワシやけどな」「シモちゃんに1000万、しといて」などと一方的に要件を伝えて切る。電話を受けた行員が小西担当の課長に取り次ぎ、意味を解読する(聞き返すのは御法度)。この場合は「地元の下村建設に1000万円を振り込む」の意味。
  • 小西が貸出し明細書に赤字で引き下げた金利を書き加える。その紙を銀行の本部審査に回してもノーチェックで通る。
  • 85年、いきなり支店に現れた小西が「今日の午後3時までに20億振り込んでくれや」と告げる。三和銀行は通常10日かかる常務決裁を当日中に済ませて融資している。(イトマン事件など経済事件に関与した許永中の会社の資金繰りに遣われたという。)


 銀行が一方的に小西へ便宜を図っていたわけではなく、銀行も小西を活用している。

  • もともと大阪府には大和銀行が入り込んでいた。府立柴島高校(75年に開校)の設立にあたって三和銀行が府への口利きを小西に頼んだことで、三和は府の公金を扱えるようになり大きなリターンを得た。
  • 銀行は小西を窓口として、反社勢力への転貸し・迂回融資をしている。また小西を経由しない暴力団からの直接取引の持ちかけを、小西を間に挟むことで阻止し、防波堤として利用していた。
  • JR東西線(京橋-尼崎駅間の地下路線、97年開業)の用地買収問題で三和銀行大阪府警の捜査を受けた際は、小西の持つ警察へのパイプを使い、捜査情報を得ていた。

 

土建業・不動産業・行政

 69年に同特法(同和対策事業特別措置法)が成立、02年まで法改正・改称しながら存続し、同和対策事業には総額15兆円が投入される。
 同特法により公共事業が急増したことで、同和関係者が次々に建設会社を立ち上げ、業界団体ができる。大阪では同建協(大阪府同和建設協会)を通さないと入札に参加できない。小西は同建協を仕切った。


 大阪をはじめ関西圏のトラブルを抱えた不動産開発案件が小西のもとへ持ち込まれるようになる。

  • 70年代前半の大阪駅前開発では、土地の権利関係が複雑で開発が進まず、困った大阪市が小西を頼り、小西が地上げで市に協力したことで市との関係ができる。大阪駅前第1〜4ビルがこれ。
  • 83年、ミナミの一等地(権利関係が複雑で立退き・再開発が困難)を10億円で地上げに成功、イトマンが40億円で購入、30億円近くが無税で売却益になる。現在のナンバヒップス。
  • 83年、西梅田で地元のプロパンガス業者がビルの建替えを計画するが、高速道路の整備計画とバッティングする。業者のバックに山口組系の元武闘派組長がついており、困った大阪市の課長が小西に相談。5年ほど揉めた後、小西と元組長が和解して決着。高速道路がビルに貫通しているゲートタワービルができる。

 

 75年前後にキタ新地の一等地に「あすか」というサウナ屋を開く。同和関係者、府や市の幹部、土建業者、警察幹部が集まり、社交場として機能する。建設業者の談合担当者同士の相談の場にもなったという。


税務当局

 68年に大阪国税局と解放同盟傘下の大企連(大阪府企業連合会)の間で「七項目の確認事項」が非公式に結ばれる。同和対策には控除が必要だが特措法ができるまでの処置として、大企連が窓口になった場合は青色・白色問わず自己申告は全面的に受け入れる、同和事業は課税対象にしない、などの優遇措置が確認されている。
 小西は大企連を取り仕切っており、小西がOKしないと大企連のメンバーには入れないようになっていた。


 確定申告の時期になると、大阪国税局の職員チームが解放会館を訪れ、大企連の加入企業の申告書類を書いてくれて、格段に税金が少ないまたは無税で済む。大企連への加入は、単に業界団体に入るだけでなく、税金対策というメリットも得られる。


 小西の口座は預金利息が最初から非課税になっていた。本来は犯罪だが税務当局が黙認していたのもこうした理由から。
 84年に三和銀行の淡路支店に大阪国税局のマルサの査察が入った際、行員は誰もその場を動けないが、小西の担当課長が「小西のところへ行かないといけない」と告げると、査察官は当初許さなかったが、その後上に確認すると態度を一転させ快く送り出してくれたという。
 3年に1度の大蔵省による銀行の検査でも、小西への融資は「要注意先債権」には分類されなかった。


政治家

 自民党衆院議員で蔵相・外相などを歴任した渡辺美智雄と親しく、新地で飲み歩く仲だった。
 小西の側近が渡辺美智雄の秘書になろうとするが、空きがなかったため、渡辺の元秘書で大蔵省出身の衆院議員東力の秘書になる。東の大蔵省の後輩で当時大阪国税局の調査部長の村田吉隆を引き合わせる。
 ある宴席で村田は小西に「飛鳥会に関する脱税の告発がよく来ているが、処理している」と語っていたという。小西も村田を「先生」と呼んで立てていた。こうしたラインでも税務当局への影響力を有していた。
 この小西の側近は、同和団体職員、建設会社(同建協の有力企業)オーナー、衆院議員秘書の3役をこなしていた。
 村田はその後、自民党衆院議員になり、小泉内閣国家公安委員長・防災担当大臣に就任している。村田の大阪での事務所は「飛鳥会事件」の前まで、この小西の側近の建設会社と同じビルに入っており社員は行き来して一体感があったという。またこの建設会社のグループ企業の社員が一時期村田の秘書を務めていた。


警察

 飛鳥地区を所管する警察署に幹部が着任すると、前任者・後任者などを呼んで小西がパーティーを開く。2次会でソファーに腰を下ろすか下ろさないかくらいのタイミングで小西が前任者のポケットに「封筒」をねじ込むという。
 また小西は、定年を迎える警部補クラスの再就職の斡旋をしていた。
 大阪府警の有力な暴力団担当刑事と飲仲間になり、刑事はその後警察署長になる。そこから警察の捜査情報を仕入れて、銀行などへ流していた。


検察

 元検察の顧問弁護士を通して、検察の情報は得ていたが、それほど大きなパイプではなかったよう。
 木津信用組合の事件で三和銀行へも捜査のメスが入りそうになった際は、中岡信栄のルートを使う。三和銀行が自分で融資できない案件を木津信に紹介していたが、木津信の融資債権の8割が不良資産だと判明し、取付騒ぎに発展、整理回収銀行に営業を譲渡し木津信は消滅、木津信の理事長は特別背任容疑で大阪地検特捜部に逮捕される。
 中岡は焼き鳥チェーン「五えんや」のオーナーで検察のタニマチであり、現役を含めて検察へのパイプは小西より太かったという。小西が中岡の事務所を訪ねると、事前に話がついていたので「支部長に言われたら、しゃあないな」と、すぐに電話をかけて「木津信の件でっけど、よろしゅうに頼みますわ」と言って、後は普通の世間話に戻ったという。(結局、三和銀行は捜査を受けずに済んだのかどうかは本書で明言されていないが。)


小西の人柄

 小西邦彦の人柄などその他のエピソード。

  • 解放運動・地域の生活改善には熱心に取り組み、地域住民から慕われていた。
  • 気に入った相手はとことん面倒を見る。
  • 稼いだ金をかなり老人ホーム運営につぎ込んだ。慰安旅行にも同行して盛り上げ役を買って出ていた。
  • 「老人と子供相手の金儲けはするな」とよく言っていた。
  • 「利用価値があるうちはいくらでも俺を利用しろ」と周囲によく言っていた。
  • 凝り性で神経質な面もあった。
  • 芸能人のタニマチ的な存在でもあった。知り合った相手のコンサートチケットは最低500万円分は買う。笑福亭仁鶴勝新太郎五木ひろしなどと親交があり、西城秀樹の結婚式でも主賓挨拶をしている。

 

ドンの資質

 小西邦彦自身は、積極的に何かを企画しているというより、ただ媒介しているというのに近い。金融取引でも不動産売買でも、自らスキームを構築して金を稼いでいるというより、外から持ち込まれた企画を適切に取り次ぐことで中間マージンを得ている。
 「間に入ってくれる」存在があると、「コストがかかる」という欠点と引き替えに、「面倒くさいことを考えなくて済む」という利点が得られる。出版社と書店の間に取次があるのと似ているかもしれない。取次があることで、出版社は流通や売掛金回収のことを考えずに済むし、書店は在庫を直接抱えるリスクから解放される。その代わり中間マージンがかかる。
 インターフェースとしてそこに案件とお金をぽんと投げ込めば、そこから先はブラックボックスになっていて何がどう行われたのかはよくわからないけど、しばらくするとぽんと望んだ結果が返ってくる。便利だ。


 また小西は、気に入った相手、庇護しようとした相手への世話や手間は惜しまない。周囲の要職に配置する。そうした相手が困難に陥れば、自分から積極的に情報を取りに行って、相手へ提供する。「親分肌」とも言える。


 元文科省次官 前川喜平がインタビューで語っている森喜朗の特徴ともよく似ている。

森さんという人は、面倒見がいいのです。陳情されたことを実現してあげるし、要職にも就けてあげるのですから。そういう「親分―子分」の関係を文教行政の中に張り巡らし、森さんがひとこと言えばみんな黙っちゃう、という体制を作り上げていました。

  #五輪をどうする:失言恐れ「メモ嫌がる」「話は長い」 近くで見た森喜朗氏 | 毎日新聞


 あるいは組織委会長の後任に橋本聖子五輪相が就任した経緯でも、こうした森喜朗の「親分−子分関係」の一例を示すような報道が出ている。

 前日17日午前中の段階でも「五輪相の職を全うしたい」としていた橋本氏だが、同日夜までに軟化。最後の最後で口説き落としたのは“大混乱の震源地”である森氏だった。組織委関係者によると、森氏が「後任を務めることができるのは君しかいないんだ」などと熱い口調で説得。その際、将来の閣僚ポストが提示されたという。

 ポスト欲しさの受諾ではなく“父娘の絆”が決意させたものだった。橋本氏が参院選で初当選し政界入りした1995年当時の自民党幹事長は森氏。橋本氏が「森氏に導かれて政界入りした」と公言するだけあって、互いに「父なんです」「娘と思っている」と言う強い父娘関係で結ばれていた。

 一昨年9月に五輪相として初入閣を果たした背景の一つが“森推し”。五輪開催都市の東京都はこれまでトップ交代劇が相次ぎ、現在の小池百合子知事も国際オリンピック委員会IOC)のバッハ会長との信頼関係構築には至っていない。そうした中、政府内の五輪担当トップとして同会長らとの調整を進めるなど重責を果たすことができたのも森氏に与えられたポジションがあればこそ。こうした恩義も受諾の側面としてありそうだ。

  「橋本新会長」誕生後押し、森氏から“閣僚手形” 自民最大「細田派」名門「清和会」ゆえの復帰約束― スポニチ Sponichi Annex スポーツ


 作家の佐藤勝は、外交官時代に日本・ロシアの政治家・官僚と幅広く付き合いを持ったが、自著の中でもたびたび森喜朗の外交面での功績を高く評価している。ネット上で見られる記事でも同様に森について語っている。

【佐藤】森喜朗というとサメの脳みそ、ノミの心臓というイメージで語られますが、実際は非常に精緻な思考をする人で常に温厚、そしてとてもよく勉強している。会談でも条約文や事実関係の日付、統計上の数字、固有名詞のカードを作る。基本的にはアドリブですが、大事な部分はカードで確認するから絶対に間違えない。

実はプーチンもこのスタイルとまったく同じなんです。我々外交官にとっては、森さんのやり方がベストでした。事実、森内閣では様々な交渉が動いた。

  森首相の外交が"ベスト"だった具体的理由 発言は過激だが、事実は間違えない | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)


 必要なデータを正確にインプットして間違えないというのは、取次の役目を果たすのに最低限必要な要件になっている。
 外交官にとっても、状況や要望をきちんとインプットすれば、カウンターパートと話をつけて要望通りの結果をアウトプットしてくれる首相は「いい首相」になるだろう。なお森は首相を退いた後も、小泉・安倍・福田政権下でも外交活動を担っている。
 ここでは「勉強熱心」「温厚」といった森の人物評があるが、その他の直接森と接点のあった人物からも、偉ぶらない、骨身を惜しまない、といった評価は共通して聞かれる。


面倒見のよさ

 「間に入る」特質と、「親分肌である」特質は、どちらも「面倒見がいい」に集約されるのかもしれない。単に誰かを紹介するだけではなく、また単にアドバイスを与えるだけでもなく、自分自身が動いて相手の便宜を図り、相手の利益を守る。
 この「面倒見のよさ」は、一般にイメージされる「優秀さ」「聡明さ」とは全く異なるため、外側から見れば何が優れているのか分かりにくい。「もっと優秀な人材はいるはずだ」と思えてしまう。


 「面倒見のいい人」は別に珍しくない。もちろん小西邦彦や森喜朗が図抜けて面倒見のいい人間だった、だから広い影響力のある「ドン」になり得た、と考えることもできる。しかしむしろ、面倒見のいい人は世の中にたくさんいる、そうした人がたまたまあるポジションにすぽっと収まると、「面倒見のよさ」が連鎖的に発揮される機序が働いて「ドン」になっていく、と考えた方がより自然ではないか。個人の資質に一切を帰着させて理解を停止させるより、システムの働き方の結果として見た方が楽しいし、無理がないのではないかと考える。(偏差値80の人間が偶然そこにいた、というより、偏差値60の人でも条件が整うとそうなる、という話の方が蓋然性が高そう、みたいな。)


 面倒見のいい人が持つインターフェイスとしての利便性が評価されると、それをさらに別の集団も利用したいと考える。別の集団からも依頼を受けて応えていくうちに、いくつものネットワークのインターフェースを一人で受け持つような、複数のネットワークを接続する結節点(ハブ)になっていく。
 「親分肌である」は、「自分を飛び越えて勝手に繋がることは許可しない」ということで、それは本人が「ドン」としてのアイデンティティや中間マージンを守るために許さない、という側面だけでなく、同時にドンの利用者である周囲も許さないということかもしれない。ドンを省いて勝手に繋がれば、その者(集団)は中間マージンの節約が可能で得をするし、相対的に従来のドンの利用者は損をする。それを許さないように周囲も働く。
 誰か一人が「この人はふさわしくない」とドンを排除しようとしても、そして(場合によっては本人を含めた)全員が「確かにふさわしくない」と考えても、一旦ドン化してそのハブの位置に収まってしまうと、排除は困難になる。そうしたネットワーク総体としての反発が予想されるから、ドン個人が優しくて温厚だったとしても、ドンを排除する側に回る人間は、とても恐ろしく感じる。


 グラフ理論/ネットワーク分析だと、「ドンは媒介中心性が高くなっていく」し、「ドンの媒介中心性を高く保つように働く」というイメージかもしれない。「媒介中心性」は、「グラフ上の2ノード間の最短経路のうち対象ノードが含まれる割合を、全ての最短経路について計算して合計したもの」で、この値が高いノードほど「そのグラフ(ネットワーク)の中でハブとして機能している度合い」が高いという指標になっている。
  Betweenness centrality - Wikipedia
※日本語版のウィキペディア記事がなかった。


利権との近接性

 「ドン」化が始まるには、単に「面倒見がいい」という個人の資質だけでは足りず、「大きな利権に近接している」というきっかけが必要になる。面倒見のよさによってインターフェースの利便性が発揮できても、「それをみんなで寄ってたかって利用するか」はそこで得られる利益の規模や魅力による。
 利益があっても利便性が悪ければ別の窓口が利用されるし、利便性があっても利益がなければそもそも利用されない。その両者が必要になる。


 小西邦彦の場合、同和団体支部長だったことは恐らく「たまたま」だった。「被差別部落の出身者」と「武闘派の暴力団員」という2つの属性を持っていたことが、「共産党に対抗するため武闘派の同和団体支部長が必要だった」という一時的に発生した条件に合致したことで、支部長の地位に就いている。しかし同特法の成立とバブル経済によって、巨大な利権が小西に近接して発生した。
 森喜朗の場合、国政の政治家・与党議員でありパイを分配する立場にいた、ということがそれに該当するのかもしれない。(ちなみに政治家になり得たのは、森家が江戸時代から続く豪農で、祖父は戦前に根上村長を務め、父も戦後に根上町長を35年以上も務めていたことが地盤となり、自民党の公認を得られず当初は泡沫候補と見られながらも当選を果たした、といった状況があり、全てが当人の能力や意思に基づくものではない。)
 二人とも「大きな利権に近接している」条件を満たしたとして、小西に比べると森の方がより自発的に接近したとは言えるかもしれない。


余人をもって代えがたい

 一旦「ドン」化すると、肩書そのものはあまり関係なくなっていくのかもしれない。「同和団体支部長」や「与党の代議士」はドン化のきっかけや大義名分として必要ではあっても、ドンになればむしろ「この人がハブである」事実の方が重要になる。小西邦彦は同建協や大企連を仕切っていたとされるが、会長/理事長には直接就いていないし、森喜朗も首相を辞任し衆院議員を引退した後も影響力を保持していた。


 自民党参院幹事長 世耕弘成が2/5の記者会見で下記のように森喜朗を擁護した。

森氏について「余人をもって代えがたい。IOC(国際オリンピック委員会)との人脈、五輪に関する知見などを考えたら、この(開催)直前のタイミングで、森氏以外に誰か五輪開催を推進できる方はいるのだろうか」と述べ、会長職を続投するよう求めた。

  自民・世耕氏「余人をもって代えがたい」 森氏発言めぐり - 産経ニュース


 この「余人をもって代えがたい」は、一般的には「組織委の会長職として必要な人格・価値観・能力を持つ人間が他には存在しない」と解釈されるので、「そんなわけがないだろう」(女性蔑視の価値観を持ち、ふさわしさからかけ離れた人物だけがふさわしいと言うのは何なんだ)というツッコミを当然受けることになる。
 しかし発言者の感覚としては、「現状でドンの位置を占める人間が他にはいないため、余人をもって代えがたい」といった意味で発言しているのではないか。ドン(ハブ)を交換すれば良いかというと、ドンは「ドンになっていく過程」を経過(転化)することでしかドンにはなり得ないため、「代替が現状で存在しない」という感覚になる。ドンが森喜朗という人物である必然性も必要性もないが、「ドンという位置に一旦はまって機能している人物」が現状で森喜朗なので、森喜朗が必要になる、という感覚。


 こうした「無根拠に存在しているが、存在していることで媒介として機能する」という存在は、貨幣にも似ている。
 岩井克人は『貨幣論』の中で、「貨幣が流通するのは、貨幣として流通しているから」という循環論法によってのみ貨幣の存在が支えられる(外部的な実体のある根拠を必要とせずに貨幣が成立する)構造を確認している。
 その上で、貨幣の起源に関して、古来から存在し対立する2つの学説を紹介する。

  • 貨幣商品説:「それ自体に価値がある商品」が貨幣になる。人々の交換活動の中で、自然発生的に一般的な交換手段へ転化した。
  • 貨幣法制説:貨幣自体に商品としての価値はなく、共同体の申し合わせ・勅令・律法などにより一般的な交換手段になった。

 しかしこのどちらも、貨幣に実体的な根拠を求める点では同じだとして退ける。(前者は商品所有者の欲望を根拠に求め、後者は交換過程の外部の人為的な権威で根拠づける。)循環論法により支えられる構造からすれば、実体的な根拠を措定する形で起源を考えることはできない。ある商品がみんなの欲望の対象になっていること(商品起源)も、申し合わせや勅令で貨幣として指定されたこと(法制起源)も、きっかけではあっても、貨幣の誕生を保証しない。


 あるいは柄谷行人も『世界史の構造』の中で、貨幣の誕生について現実的・歴史的には、「等価物になりやすい素材」というものが存在し、その中から一般的な等価物になるものが生まれ、さらにその中から貨幣になるものが現れる、という経過をたどることを確認する。「分割できる」「部分が一様である」「耐久的である」といった「一般的な等価物になりやすい」条件を満たすから金や銀が貨幣になっていく。
 しかしそこを強調して「金や銀には貨幣になる必然がある」と把握するのは間違いで、「貨幣が生ずるメカニズムにとって金や銀が適した性質を持っていた」と見ないといけない。


 同じような話で、「面倒見がいい(親分肌である)」「利権に近接している」といったドンの条件はあったとしても、それを備えていた「から」小西邦彦や森喜朗がドンになったのだ、と必然として見るのは、結果から過程を確定的に見るような転倒なのだろう。ドンという「位置」が、それ自体は外在的・実体的な根拠も必要とせずに存在してしまう、という形を見る必要がある。


 それから、貨幣は「商品を手に入れるための媒介」でしかないはずが、未来への不確実性(いつ何を買うか分からない)への備えとして、商品に対するのと同じように欲望の対象になる。この欲望をケインズは「流動性選好」と呼ぶ。
 ドンも、ドンそれ自体が目的ではなく、あくまでドンを媒介して得られる利益や結果が目的のはずである。しかし未来に生じ得る媒介の機会への備えを考えると、ドンそのものをキープしておきたいという欲望が生じる。そうして「余人をもって代えがたい」と擁護したり、内輪で排除せずキープしようとする。
 「ドンの媒介中心性を高く保つように(当人だけでなく)周囲も働く」と先述し、それは周囲にとってドン外しが中間マージンの省略による相対的な損得勘定に基づくものとして一旦は考えたが、むしろ「流動性選好」に似た欲望によるものとして見た方がいいのかもしれない。


(関係ないけど『貨幣論』は、流動性選好の存在によって恐慌やハイパーインフレ(不均衡累積過程の下方と上方の展開)が可能になるが、経済が破滅的に不安定にはならずほどほどに安定する(累積過程が全面的に展開されない)のは、「労働者の賃金が(労組なり国家の規制なりで)簡単に引き下げられない」という賃金の下方への粘着性があるから、という話をその後に展開していて面白い。)


貨幣論 (ちくま学芸文庫)

貨幣論 (ちくま学芸文庫)

世界史の構造 (岩波現代文庫)

世界史の構造 (岩波現代文庫)


価値観のアップデート

 森喜朗が、女性蔑視・強いジェンダーバイアスの価値観を内在させているのは、当人の発言からも明らかだとして、それを「老人だから」という理由へ全面的に帰着させることは誤っている。何歳だろうと「その言説は誰を犠牲にすることで成り立っているか」を疑いながら価値観の修正を重ねている人はそうしている。
 本来、公人は、自身の言動が外部から強いチェックを受けるという意味で、そうした価値観のアップデートの契機や圧力は大きいはずだ。しかしドンは、そういう意味での本来の公人ではない。内外に価値観や方針を提示して前進させるようなリーダーでもない。基本的にローカルなネットワークとネットワークの間を媒介することがドンの役目であり、公人であるという自覚は必要ない。
 むしろそうした公人としての意識は、「子分(認めた周囲)を徹底的に世話する」というドンのあり方に制約を加えるように働く。そのためドンであろうとすれば、公人としての意識は後退する。


 劇作家の鴻上尚史はコラムの中で、森元首相との個人的な体験から「偉ぶらない誠実な人だった」と回想しつつ、失言を繰り返す体質を「リップサービス」と指摘している。
  失言のオンパレード…森喜朗元首相という人【鴻上尚史】 | 日刊SPA!
 自分をよく見せようとせず、率先して見知らぬ他人のために雑務を厭わない美点と、その場にいる周囲の人を楽しませようと軽口を叩いてしまう欠点は、実のところ一体である、という指摘だった。


 その場にいる周囲の人間しか見えていない、自身の発言が広がる範囲を正確に見えていない、というのは「公人という意識が希薄である」ことの裏返しで、あくまでドンでしかないのだろうと思う。






というわけで、『同和と銀行』を手がかりに、「ドン」という存在について考えてみた。

  • ドンはネットワーク間を媒介するハブとして機能する。
  • ドンの媒介には中間コストがかかる欠点があるが、面倒をブラックボックス化できる利点がある。
  • ドンは「面倒見がいい(親分肌である)」という個人の資質が必要。
  • ドンは「利権に近接している」条件が(本人の意思であってもなくても)必要。
  • この資質や条件は、その人を必然的にドンにするわけではない。
  • ドンは「その人である必然性」はないが、一旦ドンとして機能し始めると「ドン化」が進行し、さらに固定化される。
  • このため外部から見ると、関係者がその人物に固執する意味がわからなくなる。

 別にドンという機能自体に良いも悪いもなく、大なり小なり(職場とかでも)ありふれて見られる構造なんだろうと思う。


 ちなみに「ドンが入ると中間マージンがかかる」という特性が、東京五輪の経費が立候補時3千億円から「少なくとも」5倍超の1.6兆円かかって史上最高額を更新する、という話にも寄与しているのでは、とちょっと思っている。森喜朗が中間マージンをかすめ取っているという意味ではなくて、ドンとしての媒介・調整機能をそのまま使うと「費用や効率を最適化する」方向には働かないのではないか、という意味。


 小西邦彦は1933年生まれ、森喜朗は1937年生まれで同世代。日本の高度経済成長は54~73年で、二人にとって20~30代にあたる。その後の安定成長期~バブル崩壊が73~91年で、40~50代にあたる。ドンの利権への近接とも関連するけれど、ちょうど日本の経済のパイが拡大している時期だったからこそ、ドンになり得ているのだろう。
 「ドン」が大なり小なりありふれているとしても、かなり大きなドンは、そうした経済的な背景がないと出てこないのかもしれない。逆にパイが小さくなり存在意義がなくなる(中間コストの大きさが問題になる)と廃棄される。
 小西は飛鳥会事件で2006年にドンとしての地位を喪失する。一方で森は01年に内閣総辞職した後も政治的な影響力を保持し続けた。これは、小西にとって主な利権は不動産業・土建業であり、経済成長が終了すれば一緒に失われる一方、森の政治的な利権はそうした部分に限定されないため、ドンとして温存されたのかもしれない。


 森喜朗も、「ドンである」という観点で見れば理解しやすいのではないか、という漠然としたアイデアを持ってみたのだった。それが実証的に妥当性があるのかを知るには、もう少しまとまった「森喜朗」という人物を総括するような本が、力のあるノンフィクション作家から出るといいなと思っている。