やしお

ふつうの会社員の日記です。

リスクの洗い出しと判断のコツ

 会社で係長的なポジションになって3年近くが経った。先日、副係長というか職長的なポジションが新たに設けられ、30歳前後のメンバーが就いた。折を見て彼らに伝える機会があるかもしれないし、3年やってみた知見を自分の中で一度整理しておきたいと思った。(大手メーカーの製造側に近い部門で働いている、という前提がある。)


自分が苦しくならないようにする

  • 究極的には本人が自分でスタイルを確立するしかない。
  • 「こうした方がより良い」と思って行動変容しても、それで自分が苦しくなるなら続けられない。
  • どうせ正解の型が一意に決まるわけではないし、仮に正解の型があっても自分を完全にはめ込むこともできない。
  • 「自分がやれるようにやるだけ」くらいに思っている方が精神衛生に良い。それで不適格ならしょうがない。
  • 一方で「より良い方法」に寄せる努力も必要で、その間のバランスが必要になる。
  • 例えば自分自身は、人付き合いがすごく好きなわけではないけれど、職務で必要な水準との兼合いはある。必要性をはっきり見出すことでそのギャップを埋める、などの工夫をしたりしている。
  • 逆に対人関係の構築に長けた人でも、物事の整理が苦手なら、要求水準とのギャップを埋めてかつ自分が苦しくならない方法や技術を自分で見出さないといけない。

 


ロールの学習

  • 役割の学習には、一般論や概念を理解する(座学)、実例を研究する(観察)、背伸びしてやってみて成功/失敗体験から修正する(実践)、を組み合わせて続けていく。

 


ロールの学習:座学

  • 「係長 役目」とかでググれば係長クラスの仕事の一般的な解説がたくさんある。一度読んでみるのも参考になり得る。
  • 完全な管理者でも、完全な担当者でもない、その中間に位置して、両者をどうバランスさせるかという解説がされる。
  • プレーヤーのスキルは身につけているはずなので、マネジメントスキルに関する解説が主になる。

 


ロールの学習:観察

  • 周囲の人(課長とか部長とか他の係長とか)を観察して学習していく。
  • 「なるほどそう考える/判断する/振る舞うのか」と感心したら、もし自分がその立場ならどうできるかを考えてみる。日常的にその思考を繰り返す。
  • ファッションが好きなら雑誌のモデルや道行く人を観察したり、料理が好きならレストランの料理などを観察して、自分でもやってみて修正して、を繰り返すのと同じ。
  • ファッションで体格に似合う似合わない、料理で味の好みに合う合わないがあるように、マネジメントのスタイルにも自分に合う合わないがどうしてもある。試行錯誤しながら確認する。

 


ロールの学習:実践

  • 「自分より一つ上の役職」で考えると練習になる。
  • 自分が職長なら係長、係長なら課長のように考えて判断する。
  • 課長不在時は、周囲は係長に課長レベルの判断の代行を当然期待するので、日常的に練習した方がいい。
  • 「自分はあくまで職長/係長だから」と役割を限定した振る舞いをしていると、非常事態で役に立たないと思われたり、もし上のポジションに上げようと思っても選びにくい。
  • ※逆に現ポジションで留まりたい場合、役割を限定するのは一つの方法であり得る。
  • ただこれは「越権行為をする」「上司をないがしろにする」を意味しない。
  • 勝手に進めない、上司に判断は仰ぐ。ただし手ぶらではなく「こうだからこうしようと思う」をセットで提示する、担当者間の相談でも管理者の水準で判断を提供する、といった話。
  • そこを勘違いすると当然「なんで事前に相談しないんだ/勝手にやるんだ」と怒られる。
  • 上司に限らず人のメンツを潰すと、一瞬自分が気持ちよくなる以外の良いことは基本ない。

 


係長になって気にしていること

  • 実際やってみたら、あらかじめ頭で考えていた役目との大きな齟齬はなかった。しかし感覚的な側面は実際にやってみないとちょっと分からなかった。
  • 特に、日々の情報量の多さと判断の回数が、担当者の時より一気に増えて、この「増えた状態で過ごす」感覚が、体験してみないとよく分からなかった。
  • 「係長として気にしていること」は色々ある。メンバーの心理的安全性を確保して担当業務に専念できる環境を築きたいとか、業務負荷を分散・平準化したいとか、持続可能な組織にしたいとか。
  • ここではその中で、リスク管理を特出しして考える。外部からの要求圧力が特に高かったり、失敗すると特にしんどい分野と思われるため。

 


リスク管理

  • 流入する情報量が増大する」は、「リスクを察知できる機会が増大する」ということ。
  • 裏を返すと「リスクを察知して手当することが期待される」「リスクをスルーしてトラブルに発展すれば責められる」立場にある。
  • リスクの察知・手当は、「勘がいい人」「よく気付く人」といった言い方で片付けられがち。
  • それだと「できない人はいつまでもできない」「自分ができる人かどうかは運次第」という話になってしまう。
  • 言語化・標準化して、「才能」ではなく「技術」に落とし込む。

 


怒られの回避

  • 他人から怒られたり失望されると、心が摩滅する。人生の時間の無視できない割合を仕事に費やす以上、精神を良好に保つ必要がある。
  • それは担当者でも同じだが、職長→係長→課長と管掌範囲が広がるにつれて怒られポイントが増える。「プレッシャーが大きくなる」の源泉がこれ。
  • 相手がされて嫌なこと・困ることが生じ、その原因ないし防止の主体(責任)が自分にある時、「怒られる」が発生する。
  • なので「①相手にとっての嫌なことが起きない」「②起きる可能性を相手が事前に知っている」「③起きても自分のせいじゃないと相手が理解できる」が達成できれば、怒られは発生しないか、軽く済む。
  • トラブルの芽を摘む①の方が、トラブルの花がもう咲いてる③より望ましいのでまずそれを目指す。

 


①相手の困ることを発生させない:相手の困ることを知る

  • 「①相手の困ることを発生させない」には、前提として「相手の困ること」を正しく把握できている必要がある。
  • 相手がされて困ることを知るには、相手の仕事を知る必要があるが、全てを知ることは非効率だし困難。そもそも会社組織は役割分担、「餅は餅屋」で成り立っている。
  • 全部が無理なので、自分の仕事と紐づいている他人の仕事(前工程や後工程、管掌と被管掌など)を把握していく。
  • 「自分の仕事」は、担当者であれば自分自身の、グループリーダーならグループやメンバーの、課長なら課全体の業務範囲を意味する。
  • 面倒でも機会を見つけて自分の周辺の把握を日常的に進めることで、非常時に対応できる。

 


①相手の困ることを発生させない:リスクを検出する

  • たくさん入ってくる情報や状況の中から、誰かの困ることに繋がりかねない(もう繋がっている)リスクを洗い出す。
  • 漠然と眺めても「そうなのね~そういうことが起きているのね~」という気持ちになるだけで意味がない(自分の存在意義がない)。
  • 入ってきた情報・把握した現状を、大きな目的と照合して、達成を危うくする要素がないかをチェックする。
  • 「大きな目的」は、製品のリリース日程、営業の生産要求、原価低減、ロスコストの削減など。
  • 特に組織の数値目標(KPI)と紐付いているものは、事業部門のトップから部課長に至るまで気にしていて、そこに紐づくリスクのスルーは大怒られの源泉となる。
  • 日付や台数などの数字の達成が、黄/赤信号になり得るかは特に気を付ける。
  • 勝手に入ってきた情報だけでなく、そうした目的・目標から考えて足りない情報は自分で集めてくる。
  • 「便りがないのは元気な証拠」と思って放っておくと、実は全然元気じゃなくて激ヤバだった(誰かが抱え込んでいたり放置していた)は、よくある。
  • 新製品の立上げや品質問題の対応など、管理すべき項目+目標のリストを作って、グループの進陟定例などで共有と更新を続けるのも、(非常に基礎的だけど)リスク検出の一つの方法になる。

 


①相手の困ることを発生させない:リスクの芽を摘む

  • リスクを検出したら、解消する努力をする。
  • 目標達成を阻む要素を特定する→それを除外する手段を考える→その手段に必要な道具(設備、人の手や知恵、費用、時間など)を特定する→その道具を調達する、という流れ。
  • 実際には個別具体的に考えることになる。
  • 「ゴールの方を移動させてリスクを解消する」方法もよくある。
  • 「○日までに○台を在庫しろ」というゴールがあっても、「1週間後でもユーザーへの納品には間に合うので大丈夫」とか「生産数量は○台だが直近で必要なのは実は1台だけ」みたいな話はよくある。
  • これも「○日までに○台!」に向かって頑張っていると、所与の条件、固定的・絶対的なものと思い込んで、ゴールを動かす発想が失われがちなので注意する。

 


①相手の困ることを発生させない:手当の優先順位

  • リスクを把握して手当てするにも、時間や手間やお金がかかる。
  • 全てができないなら、優先順位を決める必要がある。
  • リスクマネジメントだと「影響度と確率のかけ算」でリスクの大きさを見積もるという手法が取られる。
  • 厳密に計算するわけではないが、「何を/どう/いつするか」を判断する目安になる。
  • 例えば「その業務をできるメンバーが1人しかいない」状況があると「異動や怪我で離脱する可能性」のリスクが内在する。
  • リスクを低減させるには「複線化する」「標準書・手順書を作っておく」「状況共有だけする」と方法に濃淡が考えられ、「手間はかかるし非効率(冗長性が高い)だが安全」⇔「手間は少ないがリスク低減効果も低い」といったトレードオフの関係にある。
  • どのくらい強い手当てをするかといったバランスの判断の目安として、影響度×確率の掛け算を思い浮かべたりする。

 


怒られと目的の一致度

  • ここまで「怒られの発生」を「目的からの逸脱」と曖昧に等価なものとして扱ってきた。
  • しかし怒られと目的が乖離する場合=上司や組織全体が合目的的でない場合もあり得る。どう考えても無意味で、世の中の役に立たない判断や指示を強要される場合があり得る。
  • 「上司・同僚の判断が愚かだ」と思われる場合、相手の立場や内在的な論理への理解が不足していたり、相手が正しい判断を導けるだけの前提のインプットが不足しているなど、自分の側の問題もあったりする。
  • そうした余地を差っ引いても「おかしい」場合がある。組織の大目標が規模拡大や自己保存のみに終始していたり、組織文化として理屈より感情を重視している(能力より人間関係で上司が引き上げられたり、パワハラが横行する)と、合目的的でない(理不尽な)怒られが発生する。
  • 正しいと信じられない・納得できないことを続けさせられると、心が蝕まれる。正当化するいびつな論理を内部に構築して過剰適応したり、精神を病んだりして、最悪は自死に至ってしまう。(3年前に公文書改竄を強要された近畿財務局の職員が自殺した事件を思い出す)
  • 生活するにはお金を稼ぐ必要があり、退職という選択肢を取るのは簡単ではないが、状況が進行して心が摩滅しすぎると「脱出する」気力さえなくなってしまう。ブラックホールで光が脱出できなくなる距離(シュヴァルツシルト半径)みたいなイメージだけれど、厳密に計算したり見極めたりするのが難しくても、早めに逃げるとか逃げられる先を作っておくとかしないと危ない。
  • ※うちの会社は幸いそうした乖離が少ないと感じている。昔(10年ほど前)はおかしな上司や判断もよく見かけたけれどほぼいなくなった。(外部環境の変化で会社全体が危機的な状況に陥ったことで、不合理を許している余裕がなくなったということかもしれない。)

 


②相手に起きる可能性を知らせる

  • リスクを検出した時点で「それが現実になると困る相手」に伝えておくと、起きてもショックが小さくて済む。
  • 相手を巻き込むことで取り得る対応の幅も広がる。課長に伝えれば部長や他の課長に広げてくれたり、別部署の担当者ならそっちの職務で対処してくれたり。
  • リスク回避が上手くいっても、誰も知らなければ「何もなかった」のと同じになる。事前に共有して、対処が奏功した後に報告すれば、正しく評価したり感謝してもらえる。自分の精神衛生にとっても重要。
  • 逆に上司の立場でリスクを共有して貰えないととても困る。発生後に知らされると、他の部課長からは「リスクをキャッチできなかった人」と見なされてしまう。(そのため上司に黙って自力で対処を試みて失敗すると怒られが発生する)
  • なのでその間にいる係長としてはキャッチしたリスクはこまめに課長と共有するし、メンバーにはこまめにヒアリングして情報を吸い上げてリスクの洗い出しをする。
  • リスクを察知した場合に、どの範囲で誰に伝えるかは匙加減が必要になる。部課長の性格によって、かえって話を広げることで動きづらくなる場合もある。ここでも「影響度と確率のかけ算」のリスクの大きさでバランスを取るのも一つの方法。

 


③相手に責任の所在を誤認させない

  • これは主に「起こってしまったこと」への対処。
  • 自分の責任でないことで怒られるのは精神衛生上よくない。
  • また「自分が悪くないことで怒られる」は、「自分でコントロールできない範囲に問題の原因がある」ということで、結局「再発防止を取れない」ことになって、自分が怒られ損なだけでなく、繰り返し発生させて全員にとって不幸になる。
  • 上司が愚かでなかったとしても、正しく前提を共有できなければ、間違った結論にたどり着かせてしまう。
  • そこが上手くなく、怒られなくていいことで怒られてしまう/謝る必要のないことで謝ってしまう人は、無視できないほど多いと感じる。
  • ほとんどの事象は、突き詰めれば「誰かが悪い、というわけでもない」話になっている。
  • 「一個人の怠慢やうっかりミス」でも、それを防ぐ仕組みが不十分とか、その人の特性と仕事の特性のマッチングが不十分、といった話になる。
  • そうなると「担当者個人の問題」と「上司の仕組みや運用の問題」の両者に問題の所在が分散され、「怒られ」の強度も分散される。
  • 提示する情報を取捨選択して、責任の所在を(本当は自分にあるのに)他者にあるように見せかけることは、人倫に悖るため許されないが、この政治的技術に溺れて常態化すると、本人も悪意ではなく無意識にやって自分で自分の欺瞞を信じてしまうようになるから、内省が必要になる。また一人が常態化させると周囲も自己防衛のために同じ技術を身につける必要に迫られ、組織全体が腐敗する。

 


③相手に責任の所在を誤認させない:責任の層状構造

  • 責任は玉ねぎみたいに幾層もある。
  • 「直接的に自分のせいで起きたもの」→「防げる立場にはいたもの」→「防げないが形式的には責任の一端があるもの」→「関係者ではあるが責任はないもの」→「完全に無関係」のように中心から周縁に向かってある。
  • 本来、責任は決定権の範囲でしか生じない(自分が左右できないことに責任は負わない)、という明確なラインが決まっているが、その決定権の境界が現実には曖昧なため、層状の構造が現れる。
  • 案件と自分とのこうした距離を意識するのは、自分の責任の大きさを把握するために必要となる。
  • 役職が上の人は、その筋道を辿るのが早いので、責任の所在と大きさの程度をすぐに見抜かれる。距離を見誤って他人事みたいな言い方をすると怒られる。

 


③相手に責任の所在を誤認させない:謝罪

  • 報告する際に、自身の責任の大きさに応じて、謝罪のトーンも変化する。
  • 謝罪は原因と対策がセットで必要。「こういうミスがありました」だけだとボコられる(一担当者や新人なら許容される)。何が悪いと思っていて、どうすれば次は起こさずに済むか、がなく単に形だけ謝ると「適当に謝れば済むと思ってる人」が成立して火に油を注ぐ結果になる。
  • 自力で原因と対策を見つけられなければ、少なくとも「考える必要があると自分は思っている」と示して、相談する形を取る。
  • 原因と対策があれば本質的には謝罪そのものは不要だが、人間には感情が存在するので、困ったことを発生させたら謝る。
  • 「原因と対策を明確にする」プロセスは、「自分はそれを直接引き起こしたのかどうか」「自分はそれを防げたのかどうか」を明らかにすることでもあるので、責任の距離感を把握する行為そのものになっている。

 


経験を積む

  • 原則は上記の通りでも、日常的に素早く正確に続けるのが大変。
  • 風が吹けば桶屋が儲かる」式に、意外なところでリスクに繋がっていることもある。
  • 判断も「論理的に一意に結論が導ける」ものは現実には少ない。前提(情報)の不確定さや、手間と安全性のトレードオフなどによる。
  • 連鎖をどれほど広く・深く読めるか、優先順位やトレードオフのバランスが適切か、それらを素早く決定できるかは、どうしても経験が必要になってくる。
  • スポーツでもゲームでも、ルールを知っていて観戦経験が豊富でも優れたプレーヤーにはなれない、どうしても練習と試合の経験が必要なのと同じ。
  • 他人のプレーを見て真似して修正点を考えて、を繰り返すしか無いのかもしれない。
  • 経験を重ねて結論を見出すスピードが上がってくると、妙な万能感が出てくる。不足した情報で妥当性を欠いた判断をしても「情報が不足しているかもしれない」と考えてみる慎重さがなくなってくるので注意する。
  • 人に状況を話すと、相手から追加情報・アイデア・ヒントが貰えるだけでなく、説明しているうちに「あ、そういうことか」と本人の考えがまとまったりして、より適切な判断に辿り着けたりする。上司や同僚に共有すること自体がリスク低減に繋がるので一石三鳥。

 


慣れる

  • 判断すること自体が、人間にとってストレスになる。
  • 役職が上がるほど判断の影響範囲も大きくなり、判断の影響範囲が大きくなるほどプレッシャーやストレスも大きくなる。
  • (業務命令上で)何か良くないことが発生した際、そのショックは上から順に(部長→課長→係長)吸収されていき、一担当者にショックはあまり及ばない。
  • ※逆にショックを下に下に繰り延べて担当者に最大の責めを負わせる組織は不健全である。
  • 判断の量と大きさに伴うストレスや、ショックによるストレスは、職長や係長の比較的小さいうちに慣れていけば、だんだん大きなショックにも耐えられる。
  • 「耐えられる」は、「精神が頑丈になる」という意味ではなくて、大きなショックを生まないようにリスク回避できる技術や、起こっても対処できる技術が身について、ある程度の自信が形成されている状態、という意味。
  • そこを勘違いして、技術ではなく根性で「耐える」「慣れる」と精神が壊れるので危ない。

 


業務技術の一般体系

 ここまで「リスクの洗い出しと判断」という領域に絞って、現時点で考えていることを書き出してみたけれど、じゃあ自分が完璧にできているかと言うと到底そうじゃない。「もっとこうした方が良かった」「あの人の水準でこなすにはこうした面を強化する必要がある」と思うところが日々あって、少しずつでも改善できればいいなと思っている。


 以前に、業務上の一般技術の全体を、自分なりに体系化したいと思って↓を書いた。
  組織のなかで働く技術 - やしお
 今回の話も、基本的な考えは大きく変わっていないため、そこに包含される内容になっている。ただ時々、その時点で気にしてること/考えていることを書き出しておいた方が頭の中が整理されたり、後から見て記録にもなって良いかと思って。


マネージャーの再生産

 係長クラスのポジションは3年程度で交代していくのが良いのではないかと思っていた。色んな人が経験して教育機会を得た方が良さそうという意味でそう考えていた。管理できる人が組織の中で再生産されていかないのは、長期的に組織にとってのリスクになるので、これもリスク管理の一つに位置付けられる。「たまたまできる人が現れるのを待つ」のではなく「できる人を育てる」仕組みがある方が、組織として健全だろうと思っている。


 それで実際に自分がなって3年近く経ってみると、自分から交代を申し出るのはかなり難しいんだと実感として分かった。

  • ポジションと給与が紐づいているため、自分で自分の給与を下げる働きかけが難しい。
  • より上位のポジションを機会があれば経験してみたいと思っても、自分から降りるとその機会を手放すことになりかねない。
  • (世の中全体で見れば大したポジションではないと理解していても)当人にとっては一種の名誉感情と紐づいている。
  • 業務にある程度やりがいを見出していて、技能も伸ばしたいと感じている。

などの理由による。


 一方で自分(30代半ば)が居座ることで自分より若い人(30歳前後)の教育・訓練機会を奪うのはどうなのという葛藤というか罪悪感があって、副係長というか職長的なポジションに若手2名に就いてもらうことになった。
 数年前からこの2人かなと思って、1名(自分のグループ内のメンバー)には一定程度権限を委譲して一つの製品群の取りまとめを担当してもらって、もう1名(自分のグループじゃない)にはだいぶ以前から「(現在の課の状況からすれば)次に背負っていくのは当然君なんだよ」「既にそういう実力があるんだよ」と機会を見つけて伝えたりしていた。
 それが奏功したというより、当人の努力や素質の結果が主だけれど、課長や他の係長と課内の役割分担の話になった時に「その2人をそのポジションに」と提案しても自然に納得してもらえたのはとても良かったかなと思っている。もちろん単に「名前だけ」のポジションでは意味がないので、権限の委譲範囲の設計、係長との役割分担をより明確にするとかの課題はある。


 「自分から降りるのが難しい」という課題はあるものの、そうして若い人が育ったり、よそから良い人が入ったりして自分より能力が高いからとか、自分が異動でいなくなるとかで、素直に交代になればそれはそれでいい。