やしお

ふつうの会社員の日記です。

サシ礼讚と感情面でのGET EVEN

 3人以上で話をするより2人での方が自分にとって会話の快楽が概して大きい。2人だと相手と自分の関係にのみ全力を注いで会話の愉楽を得られる一方で3人以上だと薄まるよう。
 乱暴に言えば、
 Aさんと自分の部分集合⊇AさんとBさんと自分の部分集合
ということで表象し得るものの選択の制限が大きくなるから、というところかもしれない。選べる話題というだけでなく、Aさんに対する自分のキャラクターとBさんに対するそれとを妥協した自分をしか選択し得ない。
 もちろんそんなモデル化は有効性をずいぶん欠いているだろうが。


 ちょうど今日、ある同期の人と1年ぶりくらいに食事の約束をこちらから取り付けていたのだけれど、その彼から昨晩、別の同期も誘ったと知らされて大いに落胆したのだった。端から3人だとわかっていたら(その「別の同期」を好もしくも思っているし)この金曜を楽しみにしていたに違いない。だのに2人だと思っていたところへ3人になってしまったのでつらい。基準からの損得感情でしか判断できない。何もなかったところへ線引けばそれでも楽しみな事態なのだと理性的には判じ得ても、感情的には未だ落胆を免れ得ない。ホモエコノミクスというわけにはいかない。
 結局、飼っている金魚の具合が悪いと言って欠席した。その理由は嘘ではなくて1週間ほど前から松かさ病の治療中の金魚が昨晩は妙な動きをしていたから、念のため早く帰りたかったのだ。とは言え2人だったらそちらを優先していたかもしれない。相手が見せた2から3への運動に対して、こちらも逆の運動が可能だと誇示して感情面でのget evenを図るというのは全く不毛だ。何せ損でしかない。


 せめて金魚を生かしたい。