やしお

ふつうの会社員の日記です。

今をもっと野蛮な世界にしていく

 未来から見たら、現在はずいぶん野蛮な世界に見えているのだろう。現代から中世・近世を見ると(怖すぎる)(生きていけない)と感じるのと同じなのだと思う。「野蛮」は、「そういう世界が存在する(した)のは理解できるが、この世界を知った上でそっちの世界に行くのは厳しいと感じる」ような気持ちをさしあたり言っている。
 野蛮になりそうなポイントや、野蛮になってほしい物事をぱっと思い付く範囲で挙げる遊びも楽しいかなと思って。


ポイント・クーポン

  • ダンピング同様、消費者が品質・価格によって商品やサービスを正当に評価・選択する環境を壊している。独禁法などでいつか規制されたりするのかもしれない。
  • 調べる力や余裕がない人、スマホを持っていない人、たまたま利用した人を相対的に損させてしまう。
  • この損得を考える時間は人類の損失だろう。
  • 〇〇経済圏などの囲い込みも似た歪みを生じさせる。
  • AIが複雑なお得ルールも最適解をさっさと出してくれるようになったら、より複雑化に拍車がかかるのか、無化されて消滅していくのか、どっちなんだろう。

 

割引

  • 閉店間際のスーパーのお惣菜のような純粋な在庫処理ならともかく、○○スーパーセールやブラックフライデーは、その分のマージンを別で取ることで実現していて、セールでないタイミングで買った消費者を相対的に損させる。
  • サイゼリヤが理想に近い。クーポン・ポイント・割引もなく、誰もがおなじ物を食べたらおなじお金を払うだけ。客を平等に扱ってくれていると感じる。

 

リボ払い

  • フールペナルティの一種。
  • リボ払いで巻き上げた利息が消滅すると、クレジットカードの「年会費無料」や「ポイント」もなくなるかもしれないが、その方が正常な世界だろう。

 

経済を回す

  • あるものを長く使う(修理やリユース、還流)方が環境負荷も低減される。
  • 「消費して経済を回す」という価値観も、産業資本主義の枠組みで導出されるだけで、「そうでないシステム」の中では「野蛮」と見えるのだろう。(柄谷行人の言う交換様式Dの世界とか)

 

大きな経済格差

  • 「上位1%が世界全体の個人資産の4割を持つ」経済格差、「人間ひとりが豊かに生きること」に必要な量をはるかに超えて資本を占有し、一方で貧困に喘ぐ人々が大勢いる状況はいびつだろう。
  • 職業の種類で金が集まりやすいかの差があっても、その差を再分配で埋めないのは、奇妙な社会かもしれない。
  • 冷戦時代の方が(東西でお互いをユートピアとしてアピールする圧力で)現在より福祉国家だった。その意味で「未来から見ると」というより「少し過去から見ても」野蛮な現状かもしれない。余裕を失って新自由主義社会へ移行した以上、福祉国家に戻るのは簡単ではないのだろうとも思う。
  • 再分配の一種である日本の国民皆保険制度も維持できなくなっていくなら、「逆に過去から見て野蛮」が生じ得る。

 

ネット広告

  • スマホでのコンテンツ視聴時のデータ転送量の約4割が広告」という調査結果もあったが、これがみんながハッピーな状況、全体最適とはちょっと信じられない気持ちある。
  • 質の低い広告を見せられると苦痛なので、積極的にハイブランド(ジュエリーやファッション)の広告をクリックして、なるべくそういう広告が出てくるようにする、というバッドノウハウみたいなことしてる。
  • YouTubeは広告をなくしたくてサブスクに入っているが、個別ではなく「インターネット全体に対するサブスク」があると便利なのになとちょっと思っている。例えばプロバイダにプラスで払った月額の大きさに応じて広告の表示量が減る、閲覧したコンテンツに応じてコンテンツの作成側・プラットフォーム側に支払われるみたいな。
  • 「個別のプラットフォームごとのサブスク契約」がなくなってくると、プラットフォームにとっては「優良なコンテンツを囲い込む」より「クリエイター側/消費者側にとって利便性が高いプラットフォームを構築する」方にインセンティブが働いてくれるのだとしたら嬉しい。

 

秘書・執事・外商

  • 旅行の計画や家電の選択など、条件や選択肢が多いと本当に疲れちゃう。
  • AIが代行してくれて、セレブリティやエグゼクティブだけが秘書・執事・外商を利用できた時代も「野蛮」になりつつあるのかも。
  • 「そうして自力で考えることをやめて久しい人間は、AIに決められた方向性を疑うこともなく……」みたいな近未来お話の導入にありそう。
  • 会社の仕事でも、情報のソースはあって形を整えたい時に(エクセルやパワーポイントにまとめるとか)、誰かやってくんないかなあの場面も、代わりにやってもらえると嬉しい。
  • 予算申請とか確定申告とかも、楽になるといい。
  • 一方で全てがAIに代替はされず、囲碁や将棋、小説(特に純文学)や詩歌など、「AIの学習の結果ではなく、過程を人間がやる、その中身を見ること自体に意味がある」みたいな(AIを参考にしても)AIに代替させる意味がない営みは、そのまま残っていくのだろう。「人間がやりたいわけでもなく、仕方なくやっている作業」を代替してほしい。

 

外科手術

  • 非侵襲な治療や再生医療の発達で、外科治療や臓器移植などは「当時は仕方がなかった」ように見える日が来るのかも。
  • 瀉血を現在の目で見る感じ。
  • 医療漫画の『K2』なども、長期で連載するうちにどんどん低侵襲な外科治療にシフトしていっている。

 

献血

  • 血液を低コストで量産できる体制が整えられるといいよね。
  • 白血球は代替できる薬があるが、赤血球と血小板の代替技術がまだ開発の途上なので、現状では献血に頼るしかないとのこと。

 

実験動物・臨床試験

  • 既に細胞培養やコンピュータシミュレーション等で代替が進められつつある。
  • 臓器提供・献血・治験がなくなると、「人体を医療目的で提供する」という概念自体が過去のものになるのかもしれない。

 

妊娠・出産

  • 対外受精+人工子宮が低コストかつ高安定性で実現されれば、女性の身体に大きな負荷をかける妊娠・出産も「過去のもの」となるのだろうか。一定の少数割合で(宗教的なコミュニティなどで)残り続けるのかもしれない。
  • 例えば「麻酔技術がなかった時代」が過去になったような感じ。
  • 人間は直立歩行(=脳の発達)と引き換えに産道が狭くなり未熟児状態で出産せざるを得なくなった(その方向で進化した)と聞くと、人口子宮でその縛りがなくなると、もう少し大きくなってから「出産」するように変化したりするのかもしれない。
  • そうした状況下では「男性が同意を得ず女性を妊娠させようとする行為」は今よりさらに危険で許されざる行為として、より大きな刑事的な責任を問われたり、パイプカットが当たり前になったり(精巣からの採取による体外受精)男性側にも変化が生じるのだろう。

 

サウナで整う

  • サウナと水風呂を交互に入った後、体を外気に曝すことで深い快感を得る行為を「整う」という。
  • 既に極端な入り方は身体への負担が高く危険と指摘されていて、もう「野蛮」と見なされつつあるようだ。
  • 「急激な血圧変化をわざと起こして快感を得る」のだとすると、「ドカ食い気絶部」(空腹状態で高カロリー食を大量に摂取して血糖値を急上昇させ、強い眠気を生じさせる)に近いものを感じる。
  • もちろん自分の身体をどう傷つけようが本人の自由だ、というのはその通りかとは思うが……

 

ホームドアのないプラットホーム

  • JR横須賀線で15両編成の湘南新宿ラインが猛スピードで通過するのを、(この質量と速度で移動している物体に、後ろから押されるか、意識がなくなって倒れて接触したら、絶対に死ぬ)と思いながら眺めている。高い崖の上から下を覗くような感覚。
  • ホームドアが「常識」になった状態からだと、「よくあんな恐ろしい状態で運用してたな」とはなりそう。

 

モンスタークレーマー

  • 客が店を評価する(食べログGoogleマップ)ように、店が客を評価する仕組みが当たり前になっていくのかもしれない。
  • 既にネットオークションや、Uber(配車サービス)なんかは双方向評価になっている。「ユーザー同士」の場合だと「おかしな客」のリスクが許容できないので導入が早い。
  • 評価情報が集約されて、レートが低いと「最初から出禁」になる店が増え、そうなりたくないから客側も自重していったら、モンスタークレーマーはだいぶ減るのだろうか。管理社会って感じ。

 

天然素材

  • ダイヤモンドも、ラボグロウン(人工)が既に装飾用途で実用化されている。採掘にかかる労働問題がクリアされている。
  • 牛肉も環境負荷が高い(鶏肉に比べて)とも言われていて、おいそれと食べられなくなるのかもしれない。
  • それで天然ダイヤや牛肉の消費が完全に消滅するわけではなく、ダイヤは還流するとか、牛肉はハレの食べ物に戻るとか、立ち位置がシフトする(好き放題な消費は「野蛮」という価値観にシフトする)のかも。食器もプラスチック素材が出てきても、陶磁器や漆器も消滅はしなかった。

 

旅行

  • 経済的な平等性や環境負荷低減、リモート技術向上などが進むと、将来的に「一般人が海外旅行に行くなんておかしい」みたいになったりするんだろうか。
  • 個人的には国内旅行も海外旅行も好き(特に言語や「常識」が通じないヒリヒリ感・異世界感をたまに感じたい)なのでそうなったら少し悲しい。
  • 逆に技術革新によってコストと環境負荷が劇的に下がった長距離移動が実現されてもっと気軽になったりするのだろうか。
  • 一方で国をまたいだ移住などは、国内の文化的な衝突を回避したいという方向で各国がクローズドになりつつあるのかもしれない。

 

戦争・紛争

  • 10歳くらいの頃に「都道府県間で戦争が起きないのだから、国の間もそれと同じになって戦争って将来的にはなくなるんだろうか」と素朴に考えていたのを覚えている。21世紀も4分の1が過ぎてこの状況なのは現時点で「野蛮」だと言うほかない。
  • 安定した国の内部で武力紛争が発生しないのは、大きな暴力装置(軍・警察)が一元的に管理できている状態が維持できているからだとすると、国家間/世界全体で一元管理できている状態が実現されることが「なくなる」の前提条件なのだろうか。各国が自国の軍組織の運営権を一斉に(雪崩を打って)国際機関(国連?)に贈与するような状況にならないと難しいのかもしれない。
  • そこに至らない現状で、マクロ・ミクロで発生防止や事後の復興・安定性確保に人生をかけて取り組む人々がいる。

 


 挙げればキリがない。あと専門家(その分野での先端技術を見ている人)からすると「もうやっとるやん」みたいな話も結構ありそう。
 だんだん「肉体などという物に生命が縛られていた時代とは、なんと野蛮だったことか」みたいな話になりそうだけど、そこまで遠過ぎない範囲で、50年くらいの間にそうなってもおかしくないかも、くらいの範囲を色々考えるとちょっと楽しい。
 逆にトゲトゲの鎧を着た人に恐怖で支配されて、世紀末覇者が出てきて、未来の方が野蛮になるかもしれないし。




↓は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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読書メモ

徳成旨亮『CFO思考』

人を元気にさせるような内容だった。単に「CFOの役目」の話に留まらず、グローバルな視点で日本や日本企業がどう見えるのかを含めて語る点が本書を面白くしている。それは著者が三菱UFJニコンCFOとして、海外の投資家・機関と相対する中で意識せざるを得なかったという。例えば日本の「事業の多角化や転換で会社を永続させる」スタイルは、米国の「会社はタイムリーに清算して社員を労働市場にリリースすべき」方針とは異なるが、社会の安定には資する。そうした特質を「グローバルな常識と違う」と否定せず、両立を考える。


 CFOの役目は、「どこまでリスクをとり得るか」の範囲を正確に理解して、リスクの取り過ぎを戒める金庫番としての役目と、リスクの取らな過ぎを監視する役目の双方が必要だという。前者の「金庫番」の役目は従来からよく認識されていたが、後者の経営層へ投資を後押しする役目は軽視(ないしそもそも認識されていない)されがちだったという。
 単に「利益さえ生めばいい」ではなく、根本としては「世の中にこれを実現させたい」という情熱がないとダメなんだといったことが語られていたのが、読んでいて元気になるところ。

 

更谷富造『漆芸』

https://bookmeter.com/reviews/118756181
欧米に存在する日本の古い漆芸品の数に対して、復元家の数が極めて少なかったという。漆器産業では工程別の分業制の一方、修復は全工程をこなす技量が必要となる。修復を生業にした著者は、オーストリアの美術館→公爵家おかかえ→独立してロンドン→米国と実績を積んで帰国。世界中から依頼がひっきりなしに来るという。「ブルーオーシャンを上手く開拓した」とも言い得るが、根本は「漆芸品はすごい、自分も漆器の職人ではなく本物の漆芸家になる」という情熱だろう。最近あらためて漆器・漆芸品に興味が出てきたので13年ぶりに再読した。

 

細川重男『執権』

https://bookmeter.com/reviews/118686145
鎌倉時代の将軍-執権関係が、古代の「天皇を輔弼する武内宿禰」のコピーとして正統化されているという。その場合、天皇-将軍、将軍-執権と宿儺構図の多重化が生じるが、そうした点が「将軍がダイレクトな統治者」スタイル(室町・江戸)に比べて体制が安定しない要因になり得るのだろうかと思った。権力と体制がどう形成されたかが、丁寧に解説されて、大胆に図式化されて面白かった。

 

旦部幸博『珈琲の世界史』

https://bookmeter.com/reviews/118703078
世界的な一次産品にまつわるエピソードの数々が面白い。エチオピアでは日本の茶道のようにコーヒーセレモニーという文化がある。ヨーロッパの他の国では「男性がカフェで飲むもの」だったがドイツでは「女性が指摘空間で淹れて飲むもの」だった。アメリカがコーヒー消費国になったのはボストン茶会事件がきっかけ。北欧が消費国になったのは第一次大戦中南米産のドイツ輸出が滞った分が流入したのがきっかけ。キューバ革命アメリカが高品質のコーヒーをソ連から買う状況を生んだ。等々。

キューバが革命で社会主義国になる。
中南米での革命の連鎖を米国が恐れる。
→経済・政情の安定化のため国際商品協定(コーヒーを含む)の枠組をつくる。
→加盟国を輸出国/輸入国に分けて受給調整・価格調整をはかる。
→協定向けのコーヒーは、品質を向上しても販売量・価格に反映されないため、協定向けコーヒーは品質が低下し、余剰分/高品質品は協定外(東側諸国)へ低価格で横流しされる。
→加盟国消費者(特に米国)にとって「東側のコーヒー消費を自分達で支えている」形になる。さらに高品質品をソ連に中間マージンを払って入手することになる。

 

林秀樹『ジリ貧パチンコホール復活プロジェクト』

https://bookmeter.com/reviews/118721338
パチンコ屋の経営改善は「数字と実感には乖離がある」が全ての施策のベースにあるようだ。客の実感(出玉感)と店の数字(利益)は完全なトレードオフにはならず、出玉感の最大化と利益の追求が矛盾しない。例えばS値が0.2変化しても客は気付かないが利益には大きな影響がある等。大手ホールのように人気の新台はタイムリーに手に入らない。ハンデを背負った中小ホールは、愚直にデータを見て、店の環境を整え、組織を効率化するほかない。知らない業界の話、それも「斜陽産業で中小がどう振る舞うか」の話は面白い。


 途中、パチンコは単に数字ではなくて、玉の動きが面白いはずで、予測できない複雑な動きが、視界にいくつも同時にあることが刺激になっていて、それがなくデジタルの画面が動くだけなら玉である意味がない、中古機種を選ぶにも調整するにも、そういう面白さをきちんと考慮しないとダメ、みたいな話をしていたのが、なんか良かった。こう、ギャンブルとしての刺激というより、プリミティブな快楽って感じで。


 パチンコは自分では全くやらないけど、ある種の思い入れがある。
 子供の頃に両親がパチンコ屋に勤めていた。岐阜市内の繁華街(柳ケ瀬)にあった非チェーン店で、父が店長、母がカウンタースタッフだった。
 当時幼稚園児~小学生だった自分は「店長の子供」として店にもよく遊びに行っていた。両親は土日休みではなく不定休で、早番と遅番もあったから、家に置いておくのが難しかったのかもしれない。開店前や、時々は締めの時間にも店にいた。早朝に柳ヶ瀬のミスドでハムタマゴパイを食べたり、喫茶店でモーニングを食べたりするのも好きだった。
 今はそのパチンコ屋は別のパチンコ屋に変わっているようだ。もう四半世紀以上前の話。

 

仲里成章『パル判事』

https://bookmeter.com/reviews/118897980
東京裁判A級戦犯全員無罪を主張したインド出身の判事ラダビノド・パルの評伝。所得税法の専門家が、一種の手違いで判事に任命され、事後的に国際法の勉強を始める。インドの知識人層、特にナショナリストには中国を侵略した日本への反感があった一方、パルらベンガルの郷紳は力への信仰から弱小国を軽蔑する価値観があり、そのことがインド本国に反する形で日本の帝国主義を擁護した素地となったという。戦後、日本の国粋主義者から、日本無罪論の根拠として利用されていく経緯を実証的に描く。

 

我妻俊樹、平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』

https://bookmeter.com/reviews/118908390
現代の歌人が、どういった内在的なロジックや価値観で短歌をつくったり鑑賞しているのか、その一端に触れられて非常に面白かった。言葉とそれによって喚起される感覚や記憶を、際の際まで突き詰めていくような営み。実作を解説されることで、日常的な言葉の運用や価値観のみからは見えない、その歌の持つ凄さを知られる一方で、このベースをとっかかりだけでも共有しないと理解が難しいというハードルがあり、本書はその橋渡し役を果たそうという試みなのだろうと思った。

 

五十嵐太郎新宗教と巨大建築』

https://bookmeter.com/reviews/118999114
宗教建築は、その宗教の教義や形成過程と不可分なはずで、建築物のスタイルだけを云々するだけでは不十分なはずだという問題意識から出発する。特に明治期以降の新興宗教は(仏教やキリスト教建築と異なり)「いかがわしい」「怪しい」という先入観で建築も評価されがちだという。天理教は、単に本部の建築だけでなく、まちづくりまで発展していくのがやはり特異だ。各宗教建築が、寺や神社など既存宗教の建築の要素・モチーフをどういう経緯や意図で取り込んでいるのか、あるいはズラしているのかといった解説も面白かった。

 

谷知子『和歌文学の基礎知識』

https://bookmeter.com/reviews/118999750
「意味を担わない枕詞が和歌に存在する」ことについて、その後の歴史的過程での衰退も踏まえ、成立期においてはそもそも日常会話と隔絶していることが和歌の存在意義であって、「これは歌だ」と明示するような効果があったのではないか(土地にかかる枕詞が「土地褒め」という呪術的な意義を持つことも含め)といった考察が展開される。31のトピックについて、単に「和歌はこういうもの」と紹介するだけでなく、「和歌という営みが当時の人々にとってどういうものだったのか」を伝えてくれる本になっている。

 

鬼龍院翔『超!簡単なステージ論』

https://bookmeter.com/reviews/118924614
「徹底的に客を平等に扱う」という点で、サイゼリヤに近い精神だと感じた。内輪ネタで初見の客を置き去りにしない。曲紹介を入れてファンでない客も理解できるようにする。ノリ慣れていない客も楽しめるよう振りを強要しない。ステージが見辛い客に配慮する。「困った客」の相手をして他の客の時間を奪わない。それらを「客に優しい」と言われると違和感があると著者は言う。アーティストとして良い作品を提供するだけでは足りない、同時にサービスの提供者としての側面にも当然意識が必要なはずだ、という認識があるのだろう。

 

藤田達生『江戸時代の設計者』

https://bookmeter.com/reviews/118986533
藤堂高虎の業績を見ると、とりわけ築城に関して卓越した技術を発揮した人だと分かる。面白いのは、戦国時代~江戸時代初頭だと、純粋なテクノクラートではなく、戦闘集団の指揮官、紛争や利害対立の調整者・交渉役、地域の統治者といった役目でも活躍しているという多面性があるところ。豊臣恩顧大名ながら家康側近という特異なポジションは、この多面性に由来し、かつこの多面性を実現させているのだろう。さらに江戸時代に入り、藩が形成されてくると、地域運営のコンサルタントとして各地の指導にも入っている。

 

前田鎌利『教養としての書道』

https://bookmeter.com/reviews/118986145
ビジネス書の体裁を取っているが、「ビジネスに役立つ」といった観点には囚われず、書の歴史、道具、書体・書風、書家等について基礎的なトピックを幅広く取り上げて、書に関して何も知らない人でも一般知識を得られるような本になっている。踏み込んだ内容や、著者個人の価値観や思考の展開はほとんど含まれないのは、自分で書かない人にも一つの窓口として機能してほしいという著者の願いが込められているような本なのかと思った。


 全然内容と関係ないが、本書の副題?の「世界のビジネスエリートを唸らせる」って、いなば食品の「世界の猫を喜ばす」をちょっと思い出した。

 

大河内薫、若林杏樹『お金のこと何もわからないままフリーランスになっちゃいましたが税金で損しない方法を教えてください!』

https://bookmeter.com/reviews/118765226
書名の「損しない方法」という言い方は正しい。「節税」はあたかも「税金を(ずる賢く)節約している」と思われがちだが、本書を読むと「何もしなければフリーランス(事業所得)は会社員(給与所得)と比較して損な状態」にデフォルトで置かれている。例えば会社員は収入に応じて自動で最大195万円の給与所得控除を受けられるが、フリーランスは自力で申告し、大量のレシートを7年保管し説明可能な状態を維持しなければならない。フールペナルティ的なシステムだと感じた。私自身ずっと会社員を続けているが、仕組みを知るのは重要だと感じた。

 

野村克也『野村ノート』

https://bookmeter.com/reviews/118971105
選手は褒めておだてて気持ちよくプレーさせるという風潮に対して、短期的に結果は出ても、長期的には続かないと指摘する。チームとの協調や貢献の意味から、社会常識やマナーまで「人間教育」を根気強くやる/叱る必要性を強調している。私自身は「教育機会の提供はしても学ぶかは本人次第」「本人の価値観のベースには踏み込まない」(相手は大人でもあり)という考え方でいたが、組織の持続可能性という観点だとそこまで踏み込まないと、組織力向上が運任せになってしまうということなのだろう。


 人間教育の必要性が強調されるのは、プロ野球チームと一般企業(特に大企業)との採用時のフィルタリングの方向性の違い(野球の技術を優先して採用するのと、その会社のカラーに合っていそう・社会常識が身についていそうな人物を採用する違い)もあるのかもしれない。
 実力と模範的な態度(身勝手ではないチームへの献身的な態度)を備えたエースが必要で、そうした人物がいることで、周囲が「自分もやらないと」と思って全体がいい方向に向くという話もあり、自分自身も会社の中のことを考えると確かに納得できるところもある。そうした人物が運任せで出現するのを待つより、教育によってその出現率を上げないといけないという話なのかと理解している。

 

市井豊『予告状ブラック・オア・ホワイト』

https://bookmeter.com/reviews/118894529
川崎市南東部(川崎区・幸区)が舞台の探偵ミステリ。市内の夢見ヶ崎動物公園を訪れたら、事務所に「当園が舞台です」と紹介されていて本書の存在を知った。怠惰な探偵と生真面目な秘書の二人組の掛け合いで、殺人もなく、人情味のある話が展開される。TVKで実写ドラマ化したら楽しそう。『川崎ご当地探偵 九条清春』などの書名の方がしっかりリーチしたのでは……という気持ちにちょっとなった。

 

編集の学校、文章の学校監修『編集者・ライターのための必修基礎知識』

https://bookmeter.com/reviews/118965013
出版社の編集者は、プロデューサー、ディレクター、アシスタントディレクター、アートディレクターの4つの役目を兼ねるという。本書で紹介される広範な仕事を見ると、確かにそうなっている。装丁や校正・校閲、営業など専門部署や他社にアウトソースする業務であっても、委託元の編集者にも一定の基礎知識が必要になる。これだけ幅広い業務を丁寧にやろうとすれば、極めて多忙になるのだろう。本書は企画から流通まで、基本的だがある程度の詳細さで事例も交えて解説されていて、よくある解説書より読み応えがあった。

 

慢性人員不足の負のスパイラルあるある

 少し前にテレビ番組の「カンブリア宮殿」で、医師1名のクリニックで、高い水準で患者ファーストを実現できている、結局それは人員の大幅増で実現できた、と紹介しているのを見た。
  2023年9月21日 放送 おおこうち内科クリニック 院長 大河内 昌弘 (おおこうち まさひろ)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京


 その後で、財務省文科省に「人員不足はどの業界も共通課題なのだから、教員も数のみに頼らず学校運営を効率化すべし」と指摘したという話を見かけて、並べると趣深さがあるなと思った。
  「数に頼らない学校運営を」 教員不足への対応で財務省が注文


 クリニックは、当初はどんどん人が辞めていく状況にあったと紹介されていて、今の自分の職場もそれに近いところがあるなと身につまされた。


クリニックの取組み

 患者ファーストは、

  • 待ち時間が短い
  • 専門外の症状も断らずに見てくれる
  • 先生がきちんと話を聞いてくれる
  • 診断書や検診結果を即日で出してくれる
  • 家族が手術を見学できる
  • 患者が暑そうなら冷たいおしぼりを出すし、足が悪い患者なら駐車場まで出迎えて見送る

といった、普段患者側も「病院ってこんなもんだよね」と若干諦めているような諸々が解消されている。


 それらは、一般的なクリニックよりもはるかに多いスタッフによって実現されている。

  • 問診表の電子カルテへの記入は医師ではなくスタッフが事前に済ませる。
  • 診察中の内容(薬の指示等)は医師の後ろにいるスタッフが入力する。
  • 「医師でなくてもできる作業」を全てアウトソースすることで、医師が本来の業務に集中できる=パソコンばかり見ずに患者を見て、診察時間の短縮と患者を診る時間の確保を両立させる。
  • 患者の回転数、処理能力を上げて、人件費を賄う。

 

 院長は、大学病院勤務をしていたが、患者がないがしろにされていると感じて、20年ほど前に独立して今のクリニックを開業したという。しかし当初は、待ち時間の長さやサービスの質の低下でクレームが頻発し、疲弊したスタッフが次々に辞めてしまい、何とか補充してやりくりしながら回している状況だった。新規で補充しても練度が低いから、どんどん辞めてしまうと現場はとてもつらい。
 開業当初から在籍しているスタッフが「あれは地獄だった」と振り返っていた。確かに医療現場ってそういう職場環境のイメージがあるよね、と思った。


 開業から4~5年が経って、これではダメだということで、少しずつ人を増やしていったという。
 村上龍(番組の司会役)が院長に「人を増やせば人件費がかかるのでは」と問うと、「収支はトントン」とのことだった。
 少しずつスタッフを増やしながら、患者の回転率を上げて、また人を増やして……とゆっくり変えていったという。いきなり大きなコスト増では破綻するので、コスト増と増収を連動させてゆっくり増やしていった結果らしい。


 スタッフの定着を図るにはスタッフを大事にするしかないとのことで、持病のあるスタッフの治療費はクリニックが負担し(自身が病気を体験した人は患者に寄り添えるという理由から、持病のあるスタッフを積極的に採用しているという)、外部セミナーの受講費用等も負担するという。


財務省の教員不足への認識

 記事による限り、文科省の教員不足の対策要求に対する財務省側の見解は以下のようなものだった。

  • 人手不足は教員に限らない。効率化の対応が民間企業に比べて弱い。
  • 教員になった人の奨学金返済を免除する制度は、不公平だし、効果も分からず疑問。
  • 教員不足は一過性。近年の大量退職+大量採用の結果で、若手教員が産休・育休を取ったことによる。
  • この10年間で教員採用試験の受験者も減っていないから教員不足ではない。
  • 時間外手当も含めると、地方公務員の年収より教員の方が高いから待遇は悪くない。
  • 外部人材(教員業務支援員)を拡充しても勤務時間が30分/日(在校等時間)しか減っていないから効果が出ていない。

 

 正確には財務省というより「財務相の諮問機関の部会(財政制度等審議会の歳出改革部会)」での意見であることと、記事の媒体(教育新聞)が教員や学校行政寄りの立場でまとめられているのだとしても、「財政規律派の財務省であれば自然にそう言うだろう」とつい思ってしまう内容になっている。


人員不足あるある

 費用を出す側、管理側から

  • 本当は数足りてるんじゃないのか?
  • 不足というならデータを出せ。
  • 人不足じゃなく業務に無駄が多いんじゃないか?
  • 人を増やしたのに業務時間が減っていないのはおかしい。

と言われるのはあるあるだなと思った。
 自分が管理側だったら(そして費用抑制の圧力や指針があったら)同じようなことを言うかもしれない。
 クリニックの場合は、組織規模が小さく、院長がプレーヤーとマネージャーを兼ねていたから、要求側と管理側の乖離がなかった。


 クリニックのケースからすると、単純に教員の数を増やすというより、スタッフとスペシャリストの役割分担を明確化して、スタッフを増やしてスペシャリストが本業に完全に集中できる状況を作る、という話なんだろうと思う。


 人員増やしたのに業務時間減ってないのおかしい、と言われるのもめっちゃよくある。「1人が2人に増えたら、1人あたり業務量が半分になる」とはならない。
 人員不足下の環境は、「本来やるべきだけど時間なさすぎてやってなかった業務」が存在する。人が増えれば当然、その「本来やるべき業務」にようやく手をつける。院長だって、スタッフ増やしてそのまま自分の業務時間は減っていなくて、その分を患者対応に振り向けてるわけだし。
 コップから水があふれてびしょびしょになってます。もう1つコップを用意したら、あふれた水を無視してびしょびしょにしたまま分配してめでたしなわけないでしょ、という感じ。


職場の話

 今自分がいる職場も、ここ数年で結構人が辞めていってる。若手社員が転職したり別部門への異動を希望したり、派遣社員が遺留されても辞めてしまったり、ベテラン社員も健康問題などで退職している。この1~2年で5,6人がいなくなっていて、一つの課としてはかなり多い。
 その都度、新しい派遣社員が来たり、中途採用の社員を入れたり、他の部署から異動するなどして補充されている。自分も半年前に別部署から移ってきているので、そうした補充の一環かと思う。(最初は自分のキャリア形成のための異動かと思ったけど全然違った。)


 補充して数合わせをしても、当たり前だけどフルで能力が発揮できはしない。その間苦しい状況が続く。
 人員不足だと教育に割く余力も小さい。いつまでも補充した人の力を引き出せない。元いたメンバーもあまり楽にならず、補充された人自身も「自分の力が十分に発揮できていない」と感じて辛くなる。


 人員不足だとひたすら目前の締切りに追われてタスクをこなすだけになる。自分が成長できているという実感も湧かないし、本当にやるべきことをやれていないという感覚はストレスになっていく。
 よくあるマズローの5段階説でいう自己実現欲求が満たされない。「このままここに居ても未来がない」という気持ちになってくる。
 私自身も、「ちゃんと業務を理解して(技術力を上げて)、高い水準でやりたい」という気持ちがあっても、目の間にどんどん積み上がっていくタスクをちぎっては投げちぎっては投げしてると毎日10時間とかがいつの間にか消えていて、学習する時間がまるで取れない(それでも週にわずかに無理やり捻出している)。正直うんざりしている。前の職場に戻してほしいという気持ちがそこそこある。
 「世の中仕事なんてそんなもん、前の環境が甘かっただけ」と言われると(財務省の「人不足は教育現場だけじゃない」に通じるものがある)「そうスね……」としか言いようがない。


 業務の効率化・標準化を進めるべし、と言われても余裕がないと取り組めない。
 「しっかり効率化できていれば今の人数でも十分なはず」「しっかり標準化できていれば人の入れ替わりがあっても短期間で対応できるし業務をアウトソースできるはず」はその通りだけど、それができるには、

  1. やるべきことすらできていない状態
  2. ギリやるべきことまで手が回せている状態
  3. 手一杯だけど改善に思いを馳せる余裕がある状態
  4. 通常業務に加えて改善も取り組めている状態

の4段階目まで余裕が生まれるくらいに一旦人を入れないと現実には難しいのかもしれない。
 けれど、1と2の間で「人を入れたのに労働時間が減ってないのは改善への取り組みが足りない」と判断して、「人を増やさない理由」を作ってしまうと、永遠に4には辿り着けない。(実際にはきれいに上記のようにシーケンシャルにはならなくて、1の状態で、無理やり効率化・標準化の活動を組み込んで、蝸牛の歩みで進めるような感じ。)


 それでまた人が辞めると、本当にパズルみたいなやり方で人充てをしないといけなくなる。飲食店でバイトをやりくりするのと同じ感じだけど、そこまで業務が標準化もされていなくてスキルが十分かどうかで選ぶ余裕もない。スキルが不足した人のカバーに優秀な人が入ったり、結局はスキルのある人にしか振れなかったりで、優秀な人が疲弊する。
 本人の思うキャリア形成との擦り合わせをする余裕も全くなくなる。そうするとその人も辞めたくなってくる。


 そんな慢性的な負のスパイラルがある。


 今の職場は

  1. コロナ禍や寒波でかなり大きな混乱(部材の調達困難)が起きた際に、トラブル対応で職場が疲弊した。
  2. 一つの課で業務分掌・組織機能が広範なために、外部から見てブラックボックスになりがちだったり、マネージャーが管理しきれない。
  3. 本社共有部門やトップマネジメントから人的リソースを度外視した改善要望や対応要望が大量に期限を切って下りてくる。

といった要因でこうなっているのかと思う。
 1つ目の混乱は収束しつつあり、2つ目も課の分割までは行かなくても多少課内の体制分けができたりもしているが、一度負のスパイラルが発生すると、その発生要因が除去されても、回転運動自体は慣性力で止まらなくなる。3つ目はどうしたらいいのかはわからない。



 いっぺん入ってしまったスパイラルを断ち切るには、一旦人を増やすのが結局は近道なんだろうかという気持ちに、クリニックを特集した「カンブリア宮殿」を見ながら思っていたところに、財務省が教育現場の単純な増員を牽制してるといった話を見て、(そうそう、管理部門が許しちゃくれねえのよねえー)という気持ちになったのだった。
 世の中いろんな職場でありふれた話なのだろうとは思う。



以下は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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