やしお

ふつうの会社員の日記です。

ご奉仕チキンレースで均衡する出世水準

 出世する、より上位の管理職に上がって行くというのは、マネジャーとしての力量や適正も必要だけれど、「どこまで奉仕できるか(どこで降りるか)」によるところが大きいのだろう。その奉仕水準でどこまで行くか/どの辺で止まるか均衡するのだと、会社で仕事をしながらつくづく感じるこのごろ。


ポジション上昇の基本路線

 新人→中堅社員→係長→課長→部長→……とポジションが上がるに従って、受け取る仕事の粒度が大きくなってくる。

  • 重要度や影響度から正確にリスクを抽出して優先順位を決められる。
  • 大きな仕事を適切に分割して相互関係を理解できる。
  • 期日から逆算して分割した仕事にマイルストーンを割り当てられる。
  • 情報を整理して他者に状況を正確に説明できる。
  • 自分にない力量を持つ他者・他部門に割り振れる。アウトソースできる。

 といった管理能力がより高度に必要になってくる。
 逆に言えば、こうした技術・能力が高い人をより高いポジションに割り当てることになる。


ポジション上昇の他の要素

 上記はマネジャーとしての管理能力の話で、高いポジションに配置される力量は他にも多々考えられる。

  • リーダー:方針を示したり、メンバーを鼓舞して導いたり。トップマネジメントに近付くにつれ、より要求されていく。
  • 専門家:特定領域の技術。専門領域に特化した部門だと、その能力がそのまま管理ポジションに適するケースもある(スペシャリストとしてのコースが用意されている場合もある)
  • 人脈:人治主義的な側面が強い環境だと「どう考えてもあの人じゃないだろ」と周囲が思う奇天烈人事が頻発することもある。
  • 偶然性・運:組織の新設や、ポジションの空きで、たまたま他に人がいなくて就く場合もある。

 挙げればキリがないが、ここでは一旦話を単純化して管理能力の側面で見ている。


力量の見極め

 過大な粒度で仕事を誰かに入力して、低い質での出力がされたり期日を超過したりすれば、仕事を渡した側が巻き取ったりやり直したりする必要が生じる。かえって手間なので、その人の力量から「この人ならここまでは出来そう」と見極めた粒度で渡すことになる。
 出力の質を見ながら「この人ならこれくらい」の認識が形成されていく。
 任せられると信じられる範囲が大きくなれば、より全体を取りまとめるポジションに引き上げて、その人にメンバーを割り当てていく。力量に合わせてポジションが上昇する。


仕事の質・量

 出力される仕事の質・量は、その人の力量だけでなく、投入時間の多寡にも左右される。力量×時間(その他にもあるが)で決まってくる。力量が上がれば単位時間あたりに仕上げられる仕事の質・量も上がるとしても、時間の軛がある点には変わりない。
「この人はできそうだ」となれば、仕事がどんどんインプットされる。忙しくなり、一つの仕事に投入できる時間が不足して仕事の質・量が低下する。
 本当は、自分がやるべき仕事なので自分でやりたい、人に渡すならきちんと仕事の粒度や情報を整理してから渡したい、整理した仕事のデバッグをきちんとやりたいと思っていても、できなくなってくる。
 絶対に進めないとまずいことだけを、最低限の質でこなすだけで精一杯になる。自分の手元で止めないようにとにかく流し、喫緊のものだけをこなさざるを得なくなる。
 そうして仕事の質・量を維持できなくなくなってくる。


時間の投入

 力量があっても、時間が不足すれば質・量を維持できない。質・量が低下すると期待を下回って怒られたり呆れられたりする。ただでさえ必死でやる中で嫌気がさしてくる。「本来やるべきことを自分ができていない」と感じるのは辛い。
 質・量を保とうと時間を捻出するなら、残業や休日出勤をしたり、休憩時間に仕事をしたり、私的な時間を投入したりすることになる。家族や趣味や睡眠に費やす時間が削られる。滅私奉公の様相を呈する。
 しかしそこにも限界がある。「さすがにこの働き方は無理だ」と追従するのを止めたり、精神に不調をきたして強制的にドロップアウトしたりする。


奉仕度とポジションのリンク

 質・量が低下したり、ドロップアウトしたりすれば、「任せられない」となってポジションの引き上げが止まる。その人の技術や能力の高さより、時間投入をその人が許容する度合の高さ(仕事への奉仕)に、ポジションの高さがリンクする。
「長く働ける人が出世する」ないし「奉仕のチキンレースで早めにブレーキを踏んだ人やそのまま激突して走行不能になった人は出世できない」状況が生じる。
 そして力量の天井よりも、時間の天井の方が、「仕事をどこまで任せられるか」に対して先にぶつかってしまうケースが現実には多いのかもしれない。


奉仕度とのリンクの強さ

 奉仕度とポジションのリンクが強くなってしまうのは、上位の管理職が意図的にそうしているというより、(その構造に無自覚なら)仕方なくそうなってしまう。
 人手が足りない中で誰かに仕事を振らないといけない。その時に力量が低いと説明やタスクの分解やサポートする手間がかえって増えるので渡せない。渡せる人が限られてくる。力量と奉仕度(時間投入の許容度)の双方が高い人へ業務が集中していってしまう。
 力量より奉仕度に出世水準がより強くリンクする状況は、リソース(組織の人員×力量×時間の総量)に対して業務量が過大な環境によってもたらされる。人の意図ではなく、構造的に発生する。
※この場合、下位メンバーに業務をどんどん押し付けて、あたかも「自分で全部やりました」という顔をできる人=時間を他者から窃取する人が出世する、といった状況も発生し得る。


リソース-業務量バランス

 リソースに対する業務量が大きくなるほど、出世水準は力量より奉仕度にリンクしていく。このリソースvs業務量のバランスを端から端まで変化させると、以下のようなグラデーションになるのだろうか。

  • 業務量>>リソース →ほぼ出世水準=奉仕度に近くなる。ブラック企業で、プライベートゼロで働いても精神を病まずに生き残った人だけが出世する世界。
  • 業務量>リソース →ブラック企業ほどではないが業務過多でみんな多忙。出世は力量も考慮されるが、長く働ける人がより評価される状態。
  • 業務量=リソース →力量と奉仕度の両者でポジションが引き上げられていく。
  • 業務量<リソース →奉仕度より力量で評価される。育児や介護や病気などで長時間就業できない(時短勤務などの)人でも、管理職に割り当てが可能。
  • 業務量<<リソース →時間投入の度合いと関係なくポジションが設定される。名誉職とか相談役とか?(全く働いていない社長の家族を名目的に役員にする=時間投入ゼロ、とかだともう力量も関係なくなってくる)

 

奉仕度とリンクしない環境

 奉仕度が小さくても出世を許容するかは、そのコミュニティの価値観にも左右される。「やっぱり滅私奉公/自己犠牲した人が評価されないのはひどい」とみんなが思う状況だと、力量のみで評価してポジションを引き上げるのは難しい。この価値観は、リソース-業務量バランスの調整ができて、誰も滅私奉公をしていない環境ができた後に、変化が生じるのであって、人為的に価値観だけを変化させることはできない。


 出世水準が奉仕度(時間投入の許容度)に強くリンクする状態だと、せっかく力量があっても高いポジションに就けられない。力量の獲得(人材育成)にも時間と手間がかかるが、奉仕度によってポジションの自由度が制約されるのは、組織にとっても不利になり得る。「女性は出産・育児・家事があるから出世させられない」と同じになってしまう。
 一方で、リソース-業務量バランスの調整をしたくてもできないケースが現実には多い。人員を増やす、アウトソースや設備導入等によって業務量を減らす余裕がなく、出世水準に対する奉仕度の寄与レベルを下げられない、というのが実情かとも思う。
 リソース不足状態だと、業務の標準化や改善の必要性は現場側でより強く感じられるようになるが、他方で「必要最低限の量を、必要最低限の質でこなすだけで精一杯」の状態なので、改善は進みにくい。


出世のコスパ

 出世にはおよそ以下のような利点と欠点がある。

  • 【利点】
    • 金銭:給与が(退職金や老齢年金も)上がる。
    • やりがい:より大きな粒度の仕事を差配できる。
    • 名誉:自尊心が満たされる。
  • 【欠点】
    • プレッシャー:上・横・下からの「ここまでやって当然」という要求水準が上昇する。
    • プライベートな時間の減少:要求水準を満たそうと残業や休日業務が増加する。
    • 意思決定によるストレス:多種多様な意思決定を迫られるが、判断すること自体が人間にとってストレスになる。

 

 利点が欠点を上回ると信じられれば「やってみたい」「なりたい」という人も増えるし、逆なら「コスパが悪い」と忌避される。
 出世を忌避する人が多い職場だと、そのポジションのなり手が減り、力量によって選べなくなる。組織の持続可能性が低くなる。


力量と奉仕度の依存関係

 ここまであたかも力量と奉仕度が相互に独立しているように扱っていた。しかし現実には、力量が経験によって伸長し、時間投入の多寡に力量も左右される側面がある。
 力量が高い人は、そこそこ奉仕度が高い人になっているケースが多い。


力量と奉仕度の混同

「時間の投入量で仕事の質が左右される」という考えれば当たり前のことが、内側からは明確に意識されるが、外側からはよく見えないという非対称さがあるのではないか。
 ポジションを引き上げる側も、アウトプットの質が高いからこの人を引上げた、それはこの人の力量が高いからだ、と漠然と思っていても、実際には背後で時間投入が他者よりも大きかったりする。
 アウトプットの質だけしか見ていないと、この力量と奉仕度の混同が起きる。単に「優秀な人」としか見ず、力量と奉仕度を弁別できていない人は多い。
 例えば「家事や育児を全て家族に依存している人」と「全て仕事と両立させざるを得ない人」と時間投入の許容度が異なる人がいて、仕事の量や質に差が生じた時に、そのアウトプットの結果だけしか見ないと、前者の奉仕度が高い人を「優秀」と判断することになる。


奉仕度の天井を決める

 奉仕度がポジションにリンクする状況を解消するには、リソース-業務量バランスの適正化が必要になる。しかし奉仕ができてしまう状況だと、リソースに対して業務量が過大だとそもそも認識できない。内部にいる人は肌感覚で「仕事がやりきれていない、本来の質が担保できていない」と分かっているが、外側からは分からない。
 結局は、強制的に奉仕度の天井を決めるしかないのかもしれない。

  • フレックス勤務とし1ヶ月あたりの時間外勤務は5時間以内
  • 有給休暇の8割以上の取得強制(こうしないと「休暇取得せずフレックスで1時間だけ出勤して調整」が発生する)
  • サービス残業」の厳格な禁止(PC起動時間の監視等。こうしないと「休暇取得しながら業務」が発生する)

 とかだろうか。
 強制的に奉仕の程度が制約されれば、コミュニティの価値観として「やっぱり滅私奉公した人が評価されないのはひどい」も消えていく。


奉仕度を最大化したい人

 奉仕度の天井を設定した場合、本当にその仕事が好きでたまらなく、奉仕度を最大化したいと考えている人は不満を抱く。「仕事は金銭を得る手段」の人もいれば、「仕事が趣味」の人もいる。奉仕度と力量は独立変数ではなく、時間投入の大きさによって力量は左右される。アーティストや職人でなく会社員であっても、人生をかけてこの仕事をやりたいと考える人にとって、奉仕度の制約は耐え難いものかもしれない。
 ただ例えば労働基準法によって奉仕度の制約がそもそもあり、最低限過労死はしないように、健康に生きられるようにという天井がある。ちょうど今年度(2024年4月)から運送業・建設業・医師の時間外労働の上限規制が始まっている(正確には2019年からの5年間の適用猶予期間が終わった)。
 法的な天井(過労死防止の天井)から、どこまで下げるか(あるいは複数の天井を設定するのか)は、その組織の方針による。


組織単位の管掌範囲の粒度を揃える

 リソースを適正化するには、組織ごとの管掌範囲の粒度を揃える必要もある。会社の中で「一つの課はこれくらいの人数」というイメージが共有されていると、管掌範囲が広過ぎる課は、業務が過多になっていても人数を増やせない。リソース-業務量バランスの適正化ができない。
 組織を適切に分割・デザインする必要もある。


合理性の範囲

 職場単位で、組織の持続可能性や、力量を中心とした評価、人員の意欲といった側面からは、リソース-業務量バランスをある程度リソース十分に振る方が適切だと思われる。
 しかし固定費(人件費)を増やすのは現実には簡単ではない。長期的な視点/短期的な視点、経済的な視点、意欲や満足度の視点等々が変われば何が「合理的」かは当然変わってくる。あるいは同じ側面で見ていても、課→部→事業部門→会社→業界→社会全体、と粒度が大きくなれば何が「合理的」かは変わってくる。


ファーストステップ

 リソース-業務量バランスを、リソース十分側に振ることが絶対的な正義かは不明だとしても、業務量過多の状況だと、人員の力量より奉仕度がより高く評価されてしまい、組織の自由度は減る。
 この関係を正しく把握するには、まず「あの人は優秀だ」と漠然と見るのではなく、優秀さが力量と奉仕度の両者で成り立っていると認識する必要がある。




 

個人的な気持ち

 以下は個人的な話。こっちが自分自身にとっては本題なのかもしれない。


 1年ちょっと前に未経験の職種に社内で異動となり、忙しくなった。新卒で入社した大企業のメーカーに勤めている。前の職場も今の職場も、係長クラスでポジションの高さは変わりないが、急に苦しくなった。その苦しさを↓に書いていた。
  中年会社員が部署異動してつらかった話 - やしお


 課の中にA、B、C、Dと大きく4種類の業務があり、異動当初はABCを管掌する係長となっていた(メンバー25人)。半年後に、Cが別の係に独立してABが管掌範囲(メンバー20人)、さらに1年後にBも独立してAだけを管掌するようになった(メンバー10人)。非常にありがたい一方で、それでも異動前と比較しても忙しい。
 異動前の感覚と比較すると、A機能で課として独立して、課員があと5人いて、その中で係が2つに分かれて、その一つの係長をやるくらいで、ちょうど異動前の係長をしていた時と忙しさのレベルが近くなりそう。


 1日で平均的に打合せが6時間くらい入って、メールが120通くらい入ると、会議中か夜になってようやくメールを見て、作業をする時間がほとんど取れない。深夜残業や休日出勤を繰返すほどではないが、時間外勤務は1.5~2倍ほどに増えている。
 もう少しメンバーのフォローをしたい、改善業務に時間を割きたいと思ってもやる余裕がない。管理業務や作業の質も落ちる。(ABC管掌時代に比べればAのみ管掌の今は、かなりマシにはなった。)
 係長でこうなので、課長は輪をかけて忙しい。


 業務の質が下がって、ある時部長に何かで自分がまとめた資料に不備があって、メールで「ちゃんとやってほしい」と指摘されて、発作的に「係長としての力量が不足していると自分でも思うので、降ろしていただくことも含めて課長に相談したいと思います」みたいに返事してしまった。直後に対面で部長からは謝られてしまい、何か自分自身を人質に取るみたいな言い方をしたと自分でも嫌になった。
 前の職場だと「よくこの短時間でここまで」と言ってもらえることも多く、自信もそれなりにはあったけれど、あれは時間的な余裕があってできたことで、職場環境がありがたいだけだったのね~と今は思う。


 前の職場で係長だった時は、「一つ上のポジションを担当できる力量が備わるように準備をするのが良い」と思っていて、もし課長をやれと言われても断らずに引き受けられるように準備しようとやっていた。
 管理技術、リスクマネジメントの技術について、自分なりにまとめてみたいと↓を3年前に書いたりもした。
  リスクの洗い出しと判断のコツ - やしお
 もはや懐かしい。
 今は課長どころか係長ももういいかなみたいな気持ちに傾いている。一方でそうは言ってもみたいな気持ちもある。心がふたつある~。

  • 【もういいやの気持ち】
    • 課長になった人達の働き方を自分が望むかというと違うと感じる。※入社時は「8時間/日だけはしっかり頑張る、時間外労働は極力しない」と誓っていたのに、「失望されるのが怖い」「褒められたい」でここまで来てしまった。もともと出世したいという気持ちがあったわけでもない。
    • 30代前半で係長になってもう5年超になるし、「これ以上はもういいかなあ」と思っている人より、若い人にポジションを譲った方がいいはず。
    • 以前の業務の方が自身の興味の度合いとしては高かった。※入社以来15年いた製品の品質管理系の職種から、生産管理部門へ(本人の希望というわけではなく)異動となった。
    • 会社の仕事外だと、せっかく小説を商業出版する機会を得て、もう少し色々書いたり読んだりする方に時間を使いたいという気持ちがある。※八潮久道『生命活動として極めて正常』がKADOKAWAから先々月発売された。
  • 【そうは言ってもまだの気持ち】
    • 30代後半で「もういい」と思ってるのも健全ではないのかもしれない。
    • 管掌範囲を狭めてもらって異動当初よりかなりマシにしてもらった。だいぶ業務の感覚も身についてきた。
    • ここで「降ります」と言われても課長は苦しいだろうなあ。
    • 上のポジションを体験してみたい気持ちもゼロじゃない。※恐らく一度自分から降りたら、もう上がることもなさそう。

 

 他人からは「じゃあやめればいい」と(もちろん自分の人生ではなく責任もないので)気軽に言われて終わりの話だろう。過去を振り返ると、仕事に限らず何につけても「やめる勇気もなく曖昧に続ける」「極端に振らない」スタイルで案外いろいろ身について満足してる面もあるなと思う。どっちつかずいいじゃない論。せいぜい課長との面談で率直にこころが二つある~を伝えた上で、曖昧にずるずるやってこうかしら。


 これは中年会社員の倦みあるあるなだけで、割と気分の問題なのでは、という気もする。
 ただその気分を出発点にして、「組織が人員の力量と奉仕度のどちらを重視するかは、リソースと業務量のバランスという環境に依存する」といった構造の話が出てきたら、ちょっと面白いかもと思って。





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書いた本が読まれて嬉しいということ

 20年ほどネットで小説をほそぼそ書いていたらKADOKAWAから短編集を出してもらった。その経緯は以前↓に書いた。
小説の商業出版にいたる顛末:八潮久道『生命活動として極めて正常』 - やしお
八潮久道『生命活動として極めて正常』


 出版から1ヶ月ほど経って、実際に他人に読んでもらえているのを見ると、不思議な感じがする。驚き、喜び、非現実感がないまぜになって変な感じする。色々と感想等を書いていただいたのを、(宣伝も兼ねつつ)自分用にもまとめておきたい。


レビュー・感想

 直近で目撃した順

小説家 円城塔氏:週刊文春6月13日号(6月6日発売)

「激推しぽよ」本を読まない人も、息をするように本を読む人も楽しめる“とてもマレな本”の内容は… | 文春オンライン
 内容そのものには一切触れないまま、作品の可能性を広げるようなレビューになっていた。びっくりして急いで買って読んだら、胸が熱くなった。「激推しぽよ」とまで言ってもらえて本当に驚いた。
 円城塔氏は発売から2週間ほどの時点で「良かった」とツイートされていた。出版社からの献本はされていないと聞いていて、一体どういうアンテナ感度。



小説家 柞刈湯葉氏:カドブン(6月7日公開)

  https://kadobun.jp/reviews/review/entry-95780.html
「闇属性の短編作家」と書かれていて笑ってしまった。二つ名として使っていきたい。
 指摘された作品の特徴はいずれも著者としてかなり納得感が高く、本当に適切に読んでいただけたと感じた。かなりの部分は、コントローラブルにそうしているというより、

  • 根性がない
  • 会社員としての仕事や、ブログの方で自尊心を満たしてしまい創作に割く時間が減っている中で抗っている
  • ネットだと書籍よりフックが強くないと読んでもらえない(と思っていた)

といった理由に起因しているのではないかと考えている(特にネットにアップした既存作)。

書評家 杉江松恋・香月祥宏両氏:YouTube(5月29日投稿)

www.youtube.com
 とても詳細に各短編の、特に変なところ、おかしなところを取り上げて紹介されていた。紹介の仕方が巧みで、お二人共とても楽しそうに語っていただいて、書いたのは自分なのに(面白そう)と思ってしまった。「コミカライズするならジャンプでもサンデーでもなく、チャンピオン」と締め括られていて笑ってしまった。

シロイ氏 (id:white_cake) :はてなブログ(5月22日投稿)

  八潮久道「生命活動として極めて正常」 - wHite_caKe
「老ホの姫」を中心にとても丁寧な評をいただいた。「ユーモアはとても皮肉っぽくて、どこか悲しい」「滑稽な悲しさ」と表現していただいて嬉しかった。
 必死さや真面目さが滑稽でもある、全部上手くはいかないけどトータルでは良かった、恨んでるけど感謝もしてる等々、単純に一面的でもないのが現実だと認識している。「そう書きたい」というより、「書いているとそうであってほしくなってくる」という感じで、ついつい一辺倒ではなくしてしまう癖があるのだろうと改めて思った。
 シロイ氏は、私がはてなダイアリーで創作していた頃から読んでいただいていて、また氏が著書↓を出された際に献本をいただいたこともあって、出版社にお願いして今回の著書を献本させてもらっていたのだった。

 

SF翻訳家 山岸真氏:ツイート(5月10日投稿)


 発売から時間がそれほど経っていない時期に、カクヨムはてなブログ経由ではなく、プロの文筆業の方から褒められたのを見たのは初めてで、ドキドキしたし本当に嬉しかった。
 自分自身ではSFと思って書いてはいなかったものの、出版前に『SFが読みたい!2024年版』(早川書房)のKADOKAWA新刊コーナーで紹介していただいた時に(これはSFだったのか)と思った。SFって懐が深い。

のら猫探偵氏:アマゾンレビュー(4月28日投稿)

  「いかにもありそうで、でも思いもよらない」世界の完成度が高い
 発売から4日後に、とても読みやすい長さで面白かったと書いてもらえて、本当に救われた気持ちになった。書籍のECサイトとしては最大で、こうしたレビューが一つでもあると、どれどれと見に来た人も買ってもらいやすくなるのかなとも思ってとても有難いことだと思った。
「老ホの姫」について、「おかしみとそこはかとない悲しみがあって、すぐに2度読んだほど。」と書いていただいたのも、上記のシロイ氏の感想と同じく、著者として嬉しかった。

小説家 春海水亭氏:ツイート(4月27日投稿)


 春海水亭氏は、同じくカクヨム初で近い時期に書籍化された縁で、一緒にカクヨムのイベントに参加、対談もしていた。(勝手に同期のような親近感を覚えている。)
 発売前後でもツイート等で紹介していただいたり、本当に義理堅い方でありがたい。
 春海氏の著作『致死率十割怪談』は、近所の本屋でもたくさん並んでいてしっかり評価されていて他人ながら嬉しくなる。インパクトの強いフックで絶対に笑ってしまう表現が散りばめられている作品もあれば、しんみりするもの、ホラーの真髄として理解を拒むようなものまで、とてもバラエティ豊かで楽しい短編集。


 この他にもSNS等で感想を書いてもらっている人を見かけて、本当に有難いの気持ち。


ネットと書籍

 ネットで創作をアップするのと比較して、書籍だと改めて以下のような点が違うなと思った。

  • 長いレビューを書いてもらえる。一つの作品ではなく、短編集として複数作品に言及してもらえる。
  • 執筆から感想・レビューをもらうまでのタイムスパンが長い。
  • リリース直後だけでなくじわじわ読んでもらえる。

 


 他者に「面白かった」と言ってもらえるとほっとする。「あ、ちゃんと大丈夫だったんだ」と安心できる。
 書いている最中も、編集者からは「面白い」と言ってもらえて、それでも不安なので妻に見てもらって「面白い」と言ってもらって一旦安心しても、書き終わってから発売されるまでも結構時間があるので、その間も多少不安になり、発売後も(大丈夫だろうか)となる。
 こうした実感も、「本」という形にならなければ知らなかったなと思うと、出版社に声をかけてもらってとても有難いなとつくづく思う。


物理的な書籍

 前回のエントリ(発売1ヶ月強前の告知)以降、着々と物理的な本として出来上がっていくのを見ていたら、「うわっほんとに本になってる」と実感が湧いてドキドキした。


 前後1ヶ月がどんな感じだったのかも記録に残しておこうと思った。著者としての作業はほとんどない。

  • 装丁・装画ができあがる。
  • 色見本が届く。
  • 本(著者献本)が届く。
  • 書店に並んでいるのを見る。


 ブックデザインはbookwall社、カバーイラストはneni氏が担当された。
  bookwall (株式会社ブックウォール) 書籍の装幀、エディトリアルデザインを中心に活動するデザインオフィス
  Home | neni
 カバーイラストは小説を見て書き下ろしていただいたとのことで、内容ともリンクしていて、全体の雰囲気も「色んな要素を好き放題に詰め込んでみました」という作品とも合っていて嬉しい。
 この短編集自体の作り方が、コラージュ作品ともちょっと似てる気もしている。衝突しそうな別の要素を「ここにあったら楽しいかも」と入れ込みながら、違和感と調和を調整してるような作り方をしていて、その点でもカバーイラストと本編のリンクが感じられて嬉しい。


 色見本の著者チェックは任意で、私からの指摘は全くないものの、見てみたかったので送っていただいた。
 帯がまぶしいくらいの黄色で、TOKA FLASH VIVA DX 610という蛍光色のインクだという。生で見るとものすごい黄色。できれば生で見てほしい。


 発売前に著者献本が届いた。完全に本になっている。「本じゃん」と思った。


 発売までは著者としては単に待っているだけなので(早く出ないかなー)と思っていた。
 実際に発売日を迎えて、書店に行ってみたら置いてあって、なんか不思議な感じがした。流通~。


KADOKAWA訪問

 なかなか出版社に行く機会もないし、ひょっとしたら人生でこれ一度きりかもしれないしと、お願いして飯田橋KADOKAWA本社にお邪魔した。
 お茶をいただいた。
 当たり前だけど業務スペースには入れないので、会議室で担当編集者とお話をしたのと、周辺エリアにあるKADOKAWA関係のビル3棟をご案内いただいた。



 カクヨムの垂れ幕が少し色褪せていて、サービスリリースからの歴史を感じる。


売行き

 正確な数字が著者側にあるわけではなくて分からないけれど、現状で「全然売れてない」わけではなく、初速が悪いわけでもないが、重版が見えている状況でもないようだった。
 現実的にはやはり「重版が一度でもかかる」が、次作が出せそうかどうかの一つのラインということで、まだまだというところかもしれない。そうでなくてもせっかく出してもらったのなら、ちゃんと初版分がはけて商売として出版社が損せずに済むならほっとする。


 感想をネットに書いてもらえれば、きっとそれで目に触れて手に取ってもらえる機会が増えるからありがたい。感想が書かれなくても、買ってくれた人には本当に感謝の気持ち大。
 ただそれは商業作家の側面ではそう思うところで、一方で創作者の立ち位置だと、入手経路(新刊書店、新古書店、図書館、サンプル、立ち読み等々)はどうであれ、読んで面白かったならそれだけで満足。今までネットでも知らなかった人にまで届いたら僥倖。



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読書メモ

吉川洋『高度成長』

https://bookmeter.com/reviews/120643719
1950年代半ばは働き手の半数が農業を中心とした一次産業従事者だったのが、1970年代初頭には3分の2が会社員になっていた、と改めて言われると、高度経済成長による日本の社会構造の変化の大きさに驚く。1951年生まれのマクロ経済学者の著者にとって、幼少期~青年期にあたる高度成長期を、数値だけでなく実感のこもった生活の細部の描写や写真によって、どう変化していったかを描いている。

 

加藤寛監修『図解 日本の漆工』

https://bookmeter.com/reviews/120643783
漆芸品・漆器の多彩な技法を概観すると、このどんな素材にも接着力がよく、硬化後に削るなどの加工性があり、数百年が経過しても質を維持する堅牢性がある漆という素材は、改めてこんな都合の良いことがあるのだろうか、みたいな気持ちになってくる。そして考え得るあらゆる応用的な技法が存在する。陶芸品・陶器は(もちろん種類にもよるが)焼成工程の中で偶然性を活かしながら出来上がる一方で、漆芸品・漆器はより人のコントロール下で出来上がる違いがある。

 

岩瀬利郎『発達障害の人が見ている世界』

https://bookmeter.com/reviews/120643807
ASD的/ADHD的/両者共通の特性を知ると、自分自身にもそうした側面があって無縁ではないと感じる。恐らく「全てのポイントで全くそうした傾向はない」と言い得る人はほとんどいないのだろう。日常生活や社会生活に支障が生じるかどうかは、周囲の理解度・許容度にもより、本書はASDADHDの言動の背景にある内在的なロジックを見せることで、その幅を少しでも広げようとする営みになっている。機序まで含めて体系的に説明はされないため、特性の全体感をまずは知るのには有用な本。

 

森功『地面師』

https://bookmeter.com/reviews/119355743
詐欺で騙される感じは山岳事故(遭難)で死ぬのに似ている。欲をかくと(仕事に間に合うように下山したい/絶対にこの土地を取得したい等)、多くのネガティブな徴候に、都合よく歪んだ解釈をしてしまい正しく判断できなくなる。ニセ地主を仕立てる、書類を偽造するなど、手口は案外前時代的なものなのは、根本的には公共機関側が、前時代的なシステムで証明や取引関係を電子的に確実に紐づけていない点に問題があるのではないかと感じる。本書を読むと、周辺の開発から取り残された荒れた家や駐車場を見かけるとつい「狙い目」と思ってしまう。


 この「ネガティブな徴候を、正常性バイアスみたいな感じでスルーして騙される」というの、大手不動産会社がトップ案件として経営層が自ら進めて誰も止められなかったというし、やっぱり「決まった手続きやチェック・ポイントを誰であってもないがしろにしてはいけない」仕組みになってないとダメなんだなと思う。


 詐欺集団に金を振り込んでしまうと、間髪入れずに多方面へ金がばらまかれてしまって、気付いた後ではもう金の流れが追えずに回収できなくなるという。これは地面師に限らず詐欺一般がそうなんだろう。
 逮捕・起訴されても、口を割らなければ、また出所後に「業界」に復帰できるようだ。あとそもそも、通常の不動産取引と詐欺の線引きが難しく、なかなか逮捕にたどり着かないし、被害者が加害者として警察に疑われたりする。
 一度振り込ませればバレても金はゲットできる、なかなか捕まらない、捕まっても「再就職」できる、といった条件が揃っているなら、地面師はなくならないんだろうなと思った。


 地面師詐欺では「有用な土地を持ちながら、資産管理・運用をきちんとしておらず、子供のいない高齢の資産家」が狙われやすいようだ。親から継いだ土地の収入で生涯働かずに暮らして来られて、次に継ぐべき子供がいなかったり、健康状態が悪化して先が長くなかったりすると、「別に資産なんかどうでもいい、あとは自分が死ぬまでの間、どうにかなればそれでいい」という気持ちになる。
 意欲的に資産管理をしている資産家だと、ニセ地主を仕立てて勝手に契約してもバレるリスクが高いので地面師も手を出しづらくなる。
 近所付き合いがある、交友関係が広い、親類縁者との付き合いがある、と人間関係が維持されていれば、不正に気付く人も多い。
 そのあたりが弱いと、最悪は「この地主に死んでもらった方がトータルで得」と判断されて殺されてしまう。
「資産があること」も規模が大きくなると、その個人の生命と比較する他者が出てくるからリスキーだ。

 

君塚直隆『ヴィクトリア女王

https://bookmeter.com/reviews/119218740
英女王ヴィクトリアの政治的な活動に焦点を当てて生涯を描く。イギリスでは17世紀に議会が立法権を、18世紀に内閣が行政権を掌握し、立憲君主制が確立されているが、19世紀のヴィクトリア女王の時代でも外交や首相任命・組閣といった側面で女王は大きな役割を果たしている。欧州各国の王室に散らばった自身の子供や孫との手紙や面会を通じて意思を伝え、首相・外相にも具体的な指示を与えている。必ずしもバランス感覚に優れていたわけではなく、固定的な対人評価や帝国主義的な価値観に基づいていた様子も本書では詳らかにされる。


 欧州で何度か起きた共和制移行の波の中で、融和的な方針を取ることで王室が維持されたという。本書の範疇の外(ヴィクトリア女王薨去後)だが、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世(ヴィクトリア女王の孫)が第1次大戦末期のドイツ革命で退位し、共和国へ移行した際も、当時の社民党は皇帝と皇太子の退位までを要求していて、皇室廃止までは要求しておらず、ヴィルヘルム2世の孫が継ぐのは容認していたという。しかし自身の退位を拒み続けた結果、なし崩し的に皇室廃止・共和制への移行が進んでしまったという。

 

連城三紀彦『戻り川心中』

https://bookmeter.com/reviews/119356698
人と人、人と事の間の関係性のねじれに巻き込まれる形で人が死ぬ、そのねじれが多重に転倒しながら詳らかにされる。各短編は独立しているがそんな構造が共通する。「桐の棺」が好きで、とりわけ「互いの立場や意地でデッドロックが発生する」状況が先鋭化される。侠客でない舞台や、ミステリでない(種明かしがない)形に換骨奪胎しても楽しそうだ。愛憎と殺害が、粒子と波動みたいな相補的な関係にあるために、全体として暗く耽美な雰囲気になるのかもしれない。

 ミステリや短編の形式上の制約かもしれないが、この「種明かしのフェーズに入ると一気に説明的/人が駒的になる」のが自分はあまり好きではないんだなと改めて思い出した。

 

村上翠亭『「かな」の疑問100』

https://bookmeter.com/reviews/119545932
かな書道の基礎知識を網羅的に知られて有用な本。変体仮名による構造性の補完、墨継ぎのタイミングでの濃淡の表現、連綿/放ち書きの選択、改行位置や散らし書きによる配置の決定、等々によって、紙面空間にリズムを生み出していく営みのようだった。大量の実作を収録して多少乱暴でもランク付けして、どの点を評価しているのか解説していくような(諏訪恭一『品質がわかるジュエリーの見方』のような)本があれば、価値基準を内面化できて楽しそう。

 

津堅信之『日本アニメ史』

https://bookmeter.com/reviews/119568496
主に監督とスタジオから辿る通史。日本のアニメ史全体で(特に業界構造の面で)大きく方向性を決定づけたのが手塚治の『鉄腕アトム』(1963年)と庵野秀明の『エヴァンゲリオン』(1995年)と総括される。『君の名は。』や『鬼滅の刃』は興行収入面で突出しても「方向性を決定づける」とまでは言えないという。30年周期だとちょうど今エポックメイキングな作品が現れる(既に現れた)のだろうか。通史を一気に読むと、黎明期から現在までずいぶん遠くまで来たわ、と感慨深いような気持ちになる。

 

増山雅人『将棋駒の世界』

https://bookmeter.com/reviews/120573172
材質(黄楊)の採取地・部位や、漆の技法によって、将棋駒の高級/普及品の差異や価値観があると知って面白い。ただ例えばスーツなどと比べると細部にわたって厳密なコードがあるというわけではなさそう(自由の幅が広い)で、それは服飾と比較すると身分やシチュエーションを現すわけでもなく、使用者(需要)が限定的である点から来るのかもしれない。最も普及している書体「錦旗」が、後水尾天皇の書をベースに作られたというが、本当に何につけても後水尾天皇の名前は出てくるから、やはり江戸初期において文化的な影響が絶大だったのだろう。


 本書は豊富なカラー写真で解説されていて、実際に使用されてきた駒(タイトル戦の対局場所になった旅館などの所持している駒や、プロ棋士の所有駒など)も紹介されている。「道具」という側面が強いからか、使い込まれて飴色になった駒の方が美しいように思えてくる。
 書体としては「無剣」や「阪田好み」といった隷書・篆書ベースの駒もあり、初めて見た。

 

『なごみ2018年10月号』

https://bookmeter.com/reviews/120541059
江戸中期の公家 近衛家熈(予楽院)の特集があると知って購入した。有職故実漢籍、詩歌管弦、茶、書画に通じ、当時の主に宮廷文化を再整理した人として、近衛家熈の生涯や業績、後代への影響を解説する本が(講談社学術文庫ちくま学芸文庫中公新書あたりで)あれば嬉しいが、現状ではなさそう。ボタニカルアーティストとしての側面での取り上げられ方が面白かった。


 「茶道の雑誌」を初めて手に取ったが、書・画・器・料理と周辺領域が広い。V6の長野博氏が割烹に挑戦する連載なども載っていて面白かった。

 

カレーちゃん、からあげ『面倒なことはChatGPTにやらせよう』

https://bookmeter.com/reviews/120266555
ChatGPTで現状何ができて、何が苦手か具体例を交えて解説される。周辺準備や、つまづきやすいポイント、より上手くいくコツといった、「実際にやろうとする人が実は知りたいこと」を省かずに伝え非常な親切なつくりになっている。ハルシネーション(嘘を自信満々に断言する)や、繰返し聞き返すと違う答えが返ってきたり、「限界を超えろ」などと鼓舞すると成功したり、人間らしいファジーな挙動が面白いし、どのようにそうした挙動が生じるのか今度はそちらが気になってきた。

 

春海水亭『致死率十割怪談』

https://bookmeter.com/reviews/119761222
ホラーというジャンルの幅の広さを感じる短編集。怪異とバトルするもの、怪異に一方的かつ物理的にやられるもの、ただ「ある」もの、怪異ではなく人に一種の縛りを受けるもの、怪異よりも様子がおかしい人が出てくるもの、怪異が妙に人間臭く過ごすもの……強いフックでつい笑ってしまう場面が多いと思いきや、ふいに切なさに満たされるような場面もあり落差が大きい。作家志望者にとって何の参考にもならない出版に至る方法論や、あとがきも含め、最後の最後までふざけ尽くしてすがすがしい。

 

黒川みどり『増補 近代部落史』

https://bookmeter.com/reviews/120541014
明治以降の被差別部落の差別の歴史を概観すると、差別解消が一直線で進んでいったわけでは全く無いことがわかる。政府や自治体は、税収増や国際社会へのアピールに有効なら差別の解消を進めるし、人々の差別感情を利用した方が統治に有利なら差別を増長させる。差別解消を目的とした団体の方向性も、その時々の政府の方針と、それに呼応した世間の感情とも無縁ではなく、一枚岩ではいられない歴史があった。


 差別(の解消)が、経済的その他の構造に起因する(時間が解決する)という側面が確かにあるとしても、解消を10年、20年早めるか遅らせるかは個人の働きによる影響も大きく、「声を上げた誰か」は歴史的な構造の中では「誰でも良かった」と言えたとしても、それを引き受けた人がいて成り立つのだと、一つの差別の歴史を丁寧に追ってみると一層そう考えられる。

 

岩田リョウコ『週末フィンランド

https://bookmeter.com/reviews/120511720
観光業が盛んというより、現地の暮らしの体験が最大の観光資源になっているようだと感じた。ミスやトラブルの体験も包み隠さず書かれていて、フィンランドの人々の親切さや善良さがかえって際立つ。コーヒーの最大の消費国だという話から、以前読んだコーヒーの歴史の本で、第2次大戦で欧州最大の消費地ドイツが枢軸国となり禁輸措置が取られ、行き場を失った良質なコーヒーが北欧へ流れたことでコーヒー文化が根付いた、という話を見たのを思い出した。

 

小林健治『最新 差別語・不快語』

https://bookmeter.com/reviews/120511635
差別語にはニュートラル(本義)/ネガティブ(賤称)/ポジティブ(尊称)の三相が時間経過(や社会的な構造)によって生じてくるが、この三相を同時に見ないと、差別に加担したり、逆に過剰で機械的な抑制で言葉狩りになってしまったりする。本書は広範なジャンルの差別語について、その言葉がどういう経緯で差別語となっていったのか、どういう批判や指摘がなされてきたのかを具体的・網羅的に説明してくれて、この三相をより正確に把握し、言葉のより適切な選択の判断に有用だと感じた。

 

八潮久道『生命活動として極めて正常』

https://bookmeter.com/reviews/120307296
私は著者だが、最初の読者でもあるので、読書感想文を書くことにする。7編を収録した短編集で、人物や世界は作品間で独立しているが「現実と少しズレた世界で、そこに適合したり、しなかったりする人達を描く」点では共通している。あるルールの中で必死に対処する姿は、外部からは滑稽に見えながら愛らしくもある。そうした状況が作者は好きなのだろう(と書いた後で改めて感じた)。書下ろしの「命はダイヤより重い」は、そのズレた世界のルール自体が少し変化していくという点で、より未来に向かって開かれているような印象を抱いた。

 

浜本隆志『紋章が語るヨーロッパ史

https://bookmeter.com/reviews/120572678
日本の家紋と比較して、西欧の紋章の構成(色彩・図案・分割・合成等の規則)が複雑なのは、家単位より個人で継承する側面が強くバリエーションが増えがちなのと、支配・継承関係を表示するために他の紋章を序列をつけてどんどん取り込んでいくからだという。紋章官という存在が、戦場での各騎士の戦果を記録する役割から、平時の騎士同士の試合(トーナメント)の行司役となり、さらに紋章の認定、紛争の裁定、養子の認定など裁判官のような働きもしたというのが面白い。


 本書は「紋章」に限らず、ヨーロッパ史でのシンボルの果たした役目の概観を目指していて、「支配層における権威の表徴としてのシンボル」だけでなく、「被支配層、さらに被差別者に対する表徴」の話も書かれる。紋章にフォーカスして書かれた本として期待すると少し方向が違うのかもしれない。

 

藤沢周平『暗殺の年輪』

https://bookmeter.com/reviews/120571931
43歳でのデビュー作を含む初期短編集。1970年代に書かれた作品でも古さを感じないのは、時代劇だからという以上に、エンタメとしての「型」が今と変わりないからだろう。短編としては登場人物の数が多く、かつ各々に背景や関係が設定されているのは、非常に手間のかかった仕事になっている。ドラマの結末としての意外性はないが、周辺の顛末や動機にかなり捻りがあって、必ずしも全て爽快な読後感には導かないところが、現代のエンタメと方向性が異なりビターな味わい。


「暗殺の年輪」の「仲の良かった道場仲間といつの間にか理由もなく疎遠になる」冒頭はBLっぽかったり、「ただ一撃」は「おいぼれジジイが実は剣の達人で、偉い人から請われてバトルする」話だったりするけど、死ぬはずのないような人物が死に至ったり、いい奴であって欲しい人がそうではなかったり、「読む側を簡単に気持ちよくさせてあげる」方向ではない点がビターで、そういうのを読みたい時に読みたくなるお話。