やしお

ふつうの会社員の日記です。

ワクチン4回目接種の感情メモ

 この前(11月初旬)新型コロナウイルスワクチンの4回目接種をして思ったことのメモ。
 自分が結構、世間の空気感に左右されて行動してるんだな、みたいなことを思ったりした。こういう割り切れない感覚みたいなものは、(割り切れるものは論理の積み上げで後からでも再現しやすい一方)後から振り返ろうとしても分からなくなりがちで、それから「一時的な雰囲気」は後から別の雰囲気が支配的になって変わった時に、記憶もオーバーライトされて分からなくなることがよくある。曖昧な感覚や一時的な雰囲気は、忘れないうちに記録しておいた方がいいかと思って。


雰囲気の差

  • 3回目までは割とあった「みんな打つ」ような雰囲気も、4回目は「えっわざわざ打つんだ」みたいな空気感を個人的には感じた。
    • 職場でも(打つ日と翌日は在宅勤務に切り替えて予定を職場内で共有していたこともあり)「なんで打つの?」と聞かれたりした。
    • 非難や馬鹿にしての意味ではなく、理由を聞いて自分の判断材料にしたい、という意味で聞かれた。
    • ただこの「感じ方」は同年代でもかなり個人差があるとも感じた。「4回目も当然」と感じている人もいそうだった。
  • 自分自身も必要性をしっかり腹落ちして4回目を打っていたわけでもなかったなと思った。

 

3回目以前より弱い要素

  • 「4回目はいいかな」の気持ちには以下のような要因があった。
  • テレビやネットニュースで感染者数や接種率の扱いが以前より小さかった(第7波ピーク以降で減った)。
    • 「自分から情報を取りにいかないとわからない話」と「その気がなくても(テレビやネットで)流れ込んでくる話」で大きな差がありそう。
    • 第8波で感染者数増加、医療逼迫、死者数増加すれば、また取扱いも増えて雰囲気が形成されるのかもしれない。
  • 3回目までは会社の職域接種があったが、4回目は(今のところ)ない。
  • 周囲で打つ人の少なさ。(職場やTwitterのタイムライン等)
  • 「基礎疾患のない非高齢世代の4回目接種の必要性」はあまり喧伝されていない。
    • 「時間経過で発症予防効果は下がっても、重症化予防効果はそれなりに維持される」と見聞きしたことが、3回で十分だろうかという気分に繋がっていた。
    • 今年4月に自民党のワクチンPTが「若い健常者は4回目不要」の提言をまとめた、という報道があったりもした。

 

打つ気にさせる要素

  • 逆に打つ気にさせた要因は以下。
  • 8月に出た理論疫学者の西浦博教授の記事を印象深く記憶していた。
  • 後遺症のリスクはそこそこあり得そう。
    • 発症予防効果は短くても打てばあって、発症せずに済むなら、個人の利益としてそれはあるのかなとも思った。
    • 今のところ感染はしていないので、このまませずに行きたい気持ちもある。
  • 会社の制度で給与面でのダメージがない。
    • 接種の中抜けが業務時間に見なされる。
    • 副反応で公休(通常の有給休暇を消化しない有給の休暇)を取れる。
    • 上記の3回目以前からのルールがまだ継続されていた。
  • タダで打てる。
    • 払った税金を回収したい、みたいな貧乏根性が多少あるかもしれない。
    • 最近、財務省が「これ以上タダでは無理」と言ってると報道されていて、そのうちタダじゃなくなりそう。

 

打った経緯

  • 市から接種券はだいぶ前(9月下旬ごろ)に届いていた。
    • 「高齢者や基礎疾患のある人が対象」と書かれていたので(自分は対象じゃないのね)とそのまま放っておいた。
  • 10月下旬くらいに、同年代の同僚が予定表にワクチン接種で在宅勤務にしてるのを見て、(あっ今は全員が対象になったのかな?)と認識した。
    • 打つ予約を入れた時点でも「いつから4回目接種が全員対象に切り替わったのか」はよくわかっていなかった。
    • その時点では具体的に自分が打つ気持ちにまではなっていなかった。
  • 11月に入って妻が4回目接種の予約を入れているのを見て、初めて具体的に自分も打とうかという気になった。
    • 妻も、Twitterで非高齢者・基礎疾患のない人が打ってるのを見かけたのがきっかけとのこと。
  • 11月初旬時点で、感染者数が増えつつあり第8波に入ってきているという報道を見て、先述の西浦教授の「波の手前で打つ」話を思い出した。(その後中旬になって「第8波に入った」と報道された)
  • 出張の予定や「効果は打って2週間後」を加味して今かなと思って市の集団接種会場を予約した。

 

市の集団接種会場

  • 過去3回は職域接種で会社が会場だったので、市の集団接種は初めてだった。
  • 基本的なオペレーションは(当たり前だが)職域接種と変わらない。
  • ただ大きく違うと感じたのは、ものすごく職員の数が多い点だった。
    • 建物内のすべての曲がり角、T字路に必ず案内の人がいる、くらいの感じ。
    • 打ちに来てる人より職員の数の方が多かった。(ピークに比べれば今打ってる人が少ないこともあり)
    • 職域接種だと会社の人(かせいぜいその家族)だけど、集団接種は世代もバックグラウンドも多種多様な人が来るから、これくらい丁寧にしておかないと混乱やトラブルが生まれるだろうなと思った。

 

副反応

  • 3回目以前と変わらず。
  • 当日の夜から発熱、解熱剤も飲んだが翌日は夕方ごろまで38℃程度で推移。
  • 結局翌日は仕事を休んだ。

 

周囲に影響を受ける

  • 普段「情報を取捨選択して合理的に判断してます!」みたいな顔して生きているが、空気感・雰囲気にかなり影響されていると改めて思った。
  • 副反応で1日ふいにした時も、損したような、被害者意識のような気持ちを感じて、自分が随分わがまま・身勝手だと思って嫌になった。
  • 打つ必要性の喧伝や機運醸成を、マスコミや政府がもっとしてくれればいいのに、と責任転嫁するような気持ちに自分がなったのも嫌だった。
  • 「みんながそうしてないのに自分だけやるのが恥ずかしい」感覚が自分にもあると改めて思わされると、それも自分で自分が嫌になる要因だった。
    • 逆に打つことにしたのも、人がツイートしてるのを見かけたり、妻が予約してたのがきっかけになっているので「そうしてる人がいる」に行動が大きく左右されている。
    • テレビの街頭インタビューや、はてなブックマークやヤフーニュースのコメントが存在してるのと同じで、「利害関係のなさそうな人がそうしてる/そう言ってる」を見て安心しようとしている。
  • 報道、職域接種、一般人の接種等、全部が揃って背中を押してくれないと不満に感じるというのは、いくらなんでも甘え過ぎだと思うけど、そう感じた自分の恥ずかしく弱いところは、記録した方がいいかと思った。

 

利得と損失のバランス感覚

  • この曖昧な「打とうかなどうしようかな」の感覚は、ひょっとしたら、若い人たち(接種率が上がらなかった世代)が感じていたものを後から体験してるのかも、とふと思った。
  • 「打たなくても重症化するリスクは少ない」という利得の小ささと、「打つと丸一日副反応でしんどい」という損失の大きさで、個人の損得勘定だとなかなか打つ方向にいかない。
  • 後は利他的な側面に、どれくらいその人が価値を見出すかが作用してくる。
    • 「接種率が高まると波を抑えられる」「感染の絶対数が小さいほど変異の確率が下がる」など
  • こうした全体の利益は(あれば)、政治的に調整すべき話とは思われる。個人の利益に転換したり(例えば実際に旅行支援の条件にされたりした)、意義を広く説明するとか。
  • 個人的には、「発症すれば重症化はしなくても後遺症(自己免疫疾患?)のリスクはそこそこありそう」との見込みで、4回目を打つ意味はそこそこあったかとは(今のところ)思っている。
  • 一方で、人にものすごく強く勧めるほどの気持ちもないと感じた。
  • 新型コロナに限らずインフルエンザも、ワクチンの性質として個人の損得勘定とはあまり馴染まないものかもしれない。
    • 後から振り返って(個人ではなく)全体を眺めて、効果が高かった・低かったとしか言いようがないような性質が、個人の損得勘定と馴染みづらそう。

 

個人と全体を行き来して感情に対処する

 ワクチンに限らず、自分の判断の結果で自分が損した(良かれと思ってわざわざやって損した)と感じると、結構やるせない気持ちになる。この感情を上手に素早く解消させないと、案外危ないんじゃないかと思っている。損した気持ちから、「いや、自分の判断は間違っていない」か「間違えたのは何か/誰かのせいだ」と考えて、「自分は悪くない」に持ち込もうとする機序が自動的に働いてしまう。


 今回で言えば、「いまいち(自分が)4回目の必要性を十分に腹落ちしない状態で副反応で1日ダウンしたこと」が損した気持ちにさせて、「政府やマスコミがもっとちゃんと」と責任転嫁するような気持ちに一瞬なったのがそれだった。
 ここで「自分は間違っていない」で自分を慰めようとすると、その延長線上で強硬なワクチン推進派(打たないやつはおかしい、周りを危険にさらしてる、とか)になるのかもしれない。その逆方向に強硬反対派のコースもあって、マスクも含めて、「単に自分がそうしないこと」を一般化して正当化しようとする過程で、被害者意識から「全体主義の象徴」「製薬会社や政府の陰謀」といった論で攻撃的になったりする。極端に走ると現実とはさらに乖離して、その乖離がますます本人を苦しめて救われることがない。
 個人の単位で言うと、ワクチンは「打つ/打たない」の2値しかなく、「確率的に打つ」「半分打つ」などができないのも、そのまま敷衍した時に極端に走りがちな要因かもしれない。あとマスクも外から見た目でわかるのが極端な主張に行きやすいのかもしれない(「強硬な手洗い反対派」を見かけないのと比較して)。


 自分自身を「代えの利かない個」で見ると、どうしても「それを選んだ自分」を肯定したくて/その選択への不安を解消したくて、苦しくなってきてしまう。同時に自分自身を「全体に含まれる一要素」でも見た方が、気持ちが楽になる。
 一つの判断が究極的には生死に繋がったりもして、それは最大の個の損得なので、本人も周囲も簡単に解消できないやるせなさや恨みが生じるけれど、その時に一度「個を離れて眺める」を意識的に考えるのは、救いになり得る。
 打つ人もいれば、打たない人もいて、個としてはそれぞれ判断(根拠が不明確の「なんとなく」の判断も含めて)した結果、全体の数値(感染数や接種率など)が世の中の雰囲気を反映したものになっていく。その中に自分も回収される、それでいいんだ、みたいな感覚で、一旦客観視して落ち着ける。


 東日本大震災津波被害の時に、ビートたけしが「人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、そこには『1人が死んだ事件が2万件あった』ってことなんだよ」と週刊ポストのインタビュー記事で語った有名な言葉をふと思い出す。これは当時マスコミが死者数を連日報道していたことに対するカウンターだった。あるいは「社会(組織)の歯車じゃない」という通俗的な言い方があったりする。
 全体視点に偏っている時に、個視点を強調してバランスさせるのは重要で、それと同様に、個視点に偏っていそうな時は、全体視点を考えるのが、客観視して精神衛生に寄与するのだと考えている。個で考える方を強調されがちだったりもする(生きた人間を数字で見るな、は反論しようもなく正しく見えてしまうので)けれど、あんまりそこを見すぎるとしんど過ぎておかしくなるので、個と全体を意識的に行き来させた方がやっぱり安全だと思う。

反社カルトが国政に食い込む構造

 政治構造への従来の認識と、最近の統一教会関連の報道を合わせると、だいたいこんな感じだろうかと現時点で思うところのメモ。


ゲームのルール

  • 国政は数のゲーム。多数決による。
    • 多数決は「採決の前に議論が尽くされ(修正が施され)、十分な情報が採決者にインプットされていること」が前提・理念で、本来はただの「数のゲーム」ではないが、多数派が理念を無視することで無化される。
    • 無化する理屈として「多数決で選ばれた=全員が賛成」というすり替えが多い(与党だから国民の意思そのもの、というような)
  • 多数決で勝つための数(議員数)を増やせる人物/集団(政治家/派閥)が力を持つ。
  • 議員の数を増やすには、選挙で票を集める必要がある。

 

  • 選挙の票には組織票と浮動票が(仮に分類すると)ある。
  • 世間の感心が低く投票率が低い時、組織票の相対的な割合が高まる。
    • 組織票の「当落の正確なカウントができる」「組織票の倍が彼我の差になる」性質は、政党・派閥・候補者にとって大きな魅力になる。
    • このため組織票は、規模が小さくても政治家にとって重要になる。
    • 特に支持基盤の弱い候補が、あと少しの票の積み増しで勝てる見込みがある時、「小さな組織票」が大きな力を持つ(ように見える)。
  • 投票率が低い時、浮動票は、マスコミを通した政党のアピールの影響力が低くなる。
    • このため候補者は、選挙区で露出を増やす、有権者への接触を増やすことが重要になる。(電話かけ等)
    • それには金やマンパワーが必要となる。

 

中間団体の生存戦略

  • 中間団体:業界団体、職能団体、労働団体、経済団体、政治団体、宗教団体など。
  • 中間団体は、自身の生存基盤・環境を安定させようと働く。
  • 国政への影響力を持ち、自身に不利な法整備等をさせない/有利な法整備等を進めさせることで、生存基盤の安定化を図る。
    • ※生存基盤に限らず、理念の実現のためや、団体幹部の地位保全のためにそうする場合もある。

 

  • 国政に限らず、地方政治への影響力を強め、地方議会での政策実現を積み重ねて国政に反映させる、という戦略も並行して取られる。
    • 神政連などによる元号法制化もこうした戦略が奏効した実例になっている。
    • 統一教会の地方支部トップもテレビのインタビューで「最終的に中央政界への影響を与えようと地方議会への働きかけをしている」旨を割と素直に語っていた。
  • これは右派/左派は関係なく、基本的な常套手段になる。
  • イデオロギー団体に限らず、NPOなども社会福祉政策をまずは自治体でモデルケースとして成功させて中央で導入させる、といった段階を経る。

 

  • 中間団体が国政への影響力を持つには、直接的手段と間接的手段がある。
  • 直接的手段
  • 間接的手段
    • 選挙時:組織票と浮動票それぞれへの働きかけがある。
      • 組織票:団体所属者に選挙で特定候補者へ投票させる。
      • 浮動票:団体所属者を選挙ボランティアなどのマンパワーとして無償で提供する。
    • 平常時
      • 事務所スタッフや秘書を無償で提供する。
      • 政治献金やパーティー券の購入などで経済的に支援する。
  • 直接的手段は外部からも影響関係が比較的分かり易いが、間接的手段は見えにくい。(綿密な調査報道やルポが必要になる)
  • 以下は主に「間接的に影響力を持とうとする中間団体」に関する話。(旧統一教会がそのタイプのため)

 

中間団体の盛衰

  • 既存の中間団体が組織力を低下させて、相対的に国政への影響力を低下させることはよくある。
    • 例:非正規労働者の割合が増したことで、労働組合の組織率が下がり、連合の集票能力が低下する。
    • 例:全国の特定郵便局のネットワークが有力な集票機構として自民党郵政族議員の権力の源泉になっていたが、小泉政権郵政民営化と「抵抗勢力」のレッテル貼りで弱体化された。
    • ※これは単に「小泉純一郎(清和会)による平成研(経世会)潰し」という政治闘争の側面だけではなく、郵貯簡保財政投融資の巨大な資金源となって、再生産に寄与せず回収の見込みもない投資が国家財政を蝕んでいた状況に対して、その蛇口を締める必要があった、という財政改革の側面があった。
  • 既存の中間団体の影響力が低下することで、相対的に別の団体の影響力が増す。

 

自民党(清和会)内の状況

  • 以前の自民党経世会が最大派閥で、竹下以降実権を握っていた(宇野・海部・宮澤は非経世会だが経世会のお膳立てで成立)。
  • 小泉政権下で、小選挙区制の特性が全面的に展開され、派閥の影響力低下・執行部への権力集中・中間団体の影響力低下が進んだ。(上述の郵政選挙等)
    • ベースとして、小泉純一郎首相のポピュリストとしての資質によるところが大きかった。
    • 既存の集票機構に頼らなくとも、自分自身で争点と敵を作り出してストーリーを構築、世論を喚起し、浮動票を取り込む技術・能力に長けていた。
  • 小泉後も、経世会の弱体化により小泉と同じ清和会出身の首相(安倍・福田)が続いた(麻生は宏池会系)
  • ただし支持率を維持できず、ねじれ国会で苦しめられ1年おきに首相が交代し、政権交代で下野した。
  • 既存の中間団体の影響力低下+ポピュリズム的手法での支持率確保が難しい状況だった。
  • 首相・総裁が自身のポジションを獲得して安定的に維持するには、党内で自派閥の規模を維持・拡大する必要がある。
  • 安倍首相・清和会にとって、以下の点で旧統一教会と距離を近付ける要因があった。
    • 祖父・岸信介以来の関係
    • 国家主義的思想・反左派姿勢の親和性
    • 90年代後半以降のマスコミによる統一教会の被害報道減少・世間の感心低下
    • 派閥トップ・党トップ(安倍元首相)の規律のなさ
  • 利害が一致した旧統一教会の影響力が、自民党内、とりわけ清和会内で、自民党下野後の2009年以降に拡大する。
    • これは「旧統一教会自民党を支配している」といった(陰謀論的な)意味ではない。
    • 票の獲得に対して、庇護・目溢し・便宜供与といったギブアンドテイクの関係。
    • ※国家と国民が、(その起源で)服従に対する保護、貢納に対する再分配の交換関係で成り立つのと似ている。

 


 以前にも、第2次以降の安倍政権が安定しているのは何だろうと思って、以下のようにまとめたりしていた。

 それは選挙構造だったり、世間への見せ方だったり、官僚機構の再構築だったり、様々な要素の重なりで発生した現象だったと理解している。
 今回の旧統一教会の話も、(自分には)見えていなかっただけで、その一つだったんだなと思った。受かるか微妙な候補者に、カルトの力で上乗せして勝って、議員の数を積み増して権力基盤の安定化に役立てていた。
 「確かにそれをやれば権力を手に入れられるが、それをやったら恥知らずでは?(全体の不利益では?)」と思える手段を、気にせず積み重ねた結果で継続していたのが安倍政権だったのだろう、と改めて感じた。「歴史に見られている」感覚が希薄な宰相だった。ハックするには図抜けた凡庸さという一種の才能が必要だったのだと考えている。


反社会的団体の規制

  • 統一教会は、市民の財産や人生を不当に窃取・破壊するような活動をする点で、反社会的な団体と言える。
  • 「反社」と言えば、暴力団(ヤクザ)がいるが、かつては政治家などへトラブル解決などで恩を売り、一方で庇護を得るなど、共存共栄の関係にあった点では似ている。
  • 暴対法が1992年に施行され、暴排条例が2011年に全都道府県で出揃ったこともあり、現在では「暴力団との付き合い=一発アウト」が共通認識になった。
    • ヤクザに対するほぼ人権侵害のような内容になっている。
    • ヤクザが非組織化したり地下化して、より凶悪化したり把握が困難になった、といった副作用はある。
    • あとフィクション作品でヤクザが、任侠的な世界から離れてカジュアル化(善人化・スパダリ化)かソルジャー化(日本刀で襲ってくる)の二極化する遠因にもなってるのかもと漠然と想像している。(身近にいなくなって空想動物化が加速した)
  • カルト(反社宗教団体)も、既に外国で信教の自由と抵触しない形で規制がかけられている実例がある。
    • 最終的には暴力団と似た形で「カルト対策法」のような規制ができるのかもしれない。

 

カルト対策法への道

  • 岸田首相はポピュリストではなく、自分で「風」を作って集票する能力には乏しいように見える。
    • 党内バランスに配慮しながら自身の権力基盤を確保していくほかない。
    • もともと安倍政権下で禅譲狙いだったようでもあるし。
    • 清和会を反社勢力と断罪して(小泉政権経世会にそうしたように)破壊し始めたらすごいけど、無理そう。(清和会以外にも飛び火しそうでもあるし)
  • 本来は、政権交代でしがらみをなくしてカルト対策法ができるのが素直な道筋かもしれない。
    • しかし「政権選択可能な二大政党」の状況からは遠い。
    • 現状で野党第一党立憲民主党の泉代表は、共産党と連合、国民民主党との関係を本気で整理していく意欲がどこまであるのかもいまいちよくわからない。55年体制下の社会党のような立場で満足する気だろうか。
  • そうすると「この問題の対応が中途半端だと支持率が落ち続ける」という恐怖くらいしかないのかもしれない。
    • 長い安倍政権下で「問題は指摘されてもスルーできる」という「成功体験」がすっかり身に付いてしまった。
    • 実際今回もそんな素振りを見せているようにも見える。

 

集票構造の転換

  • 「組織票の提供」や「選挙スタッフや議員秘書の無償供給」が候補者や政党にとって大きなウィークポイントになるのは、健全なんだろうか、という気持ちはある。
  • 投票率が低いことや、選挙時の一般市民のボランティア参加が少ないことが、そこに繋がっている。
    • 以前、立憲民主党の候補者がボランティアを大切にせず感謝しない、せっかくやっても徒労感しか残らない、といった話を見かけたのを急に思い出した。そういうところからちゃんとやれという気持ちある。
    • ポピュリズムも、「政治的に自分を有利にするために問題・争点を利用して解決しない/悪化させる人」は否定されるべきだが、「広く世論を喚起して自己の政策を実現させる」意味では右派/左派関係なく政治家・政治団体としては当然やるべきで、それをしないと組織票に頼ることになってしまう。
    • かつて森元首相無党派層について「関心がないと言って(投票に行かず)寝てしまってくれればいい」と発言して炎上したが、まさにその世界になる。
    • ※森は小泉と異なり失言が多く世論を喚起させる能力は低かった一方、ドン(ネットワーク上のハブ)として機能して政治的な課題解決には秀でた(但し全体最適ではなく膨大なロスコストがかかる)政治家だったので、浮動票より組織票が効く低投票率選挙を望む発言は「ふさわしい」と言えるが、「大衆(有権者)を相手にしない」と公言する人物は、民主主義国家の国会議員・首相の名に値しない。
  • 「3バン(地盤・看板・鞄)」とはよく言われるが、政治家がその構築に多大な労力を払わざるを得ない構造がある。
    • その結果、本来の政治家としての活動が疎かになったり、たとえ反社団体と知っていても手を差し伸べられると誘惑に負けたりする。
    • 以前『小泉進次郎福田達夫』で、世襲議員は地盤・看板の構築をスキップできる(親から引き継いでいる)アドバンテージが大きい、という話を読んだ。
    • 世襲議員はその分、政治家の本業や勉強に時間を費やすことができるため「出世」できるという。

 

  • 今回、世襲でない元市議の萩生田光一議員(元文科相・前経産相・現政調会長)が、清和会の中でも特に旧統一教会と関係が深かったと報じられたのは、象徴的な話だと感じた。
    • 八王子市議時代の90年代から関係があった、特に自民党が下野して自身も落選した2009年以降関係が深まった、今年の参院選でも生稲晃子議員の支援を要請した、といった報道がされている。
    • 萩生田議員について、大臣になる以前(3年半前)に↓のエントリを書いていた。「安倍首相へのお追従の技術がずば抜けている」「高い言論技術でそう見えないようにそうしている」という内容だった。
    • 権力に追従する技術 - やしお
  • 世襲でもタレントでも官僚でもない議員が、党内で「出世」して大臣になるのが、こういう「貢献」のし方によるのだとすると、(国民にとっても政治家本人にとっても)不幸なことだと思う。
  • そこにウィークポイントが残っている限り、暴力団やカルトではない、また別の反社会的団体の食い込みを受けることが繰り返されそう。
  • 世襲制限」は、必ずしも職業選択の自由とは抵触しない。世襲議員率の低い諸外国は、単に「親族が政治家だったことが特にメリットにならない」制度になっているだけで、「親が政治家だと政治家になれない」仕組みなわけではない。
    • 世襲の有利さがなくなる」は「組織票やマンパワーが欲しい」を直接的には解消しないが、少なくとも「構造的に不利な立場の議員を生み出して、危ない橋を渡る強い誘惑を与える」状況は軽減できるのかもしれない。

 

 「世襲のせいで今回のことが起きた!」という話ではなく(短絡し過ぎ)、世襲の有利さや市民の政治参加の希薄さなどがベースで「付け込まれるスキ」に繋がっているのかなと思った次第。
 今回の話で、直接的には「カルト対策法」で政治への侵食や一般への被害拡大を防ぐといった手当てが必要だとしても、もう少し広く眺めると、世襲解消や選挙構造への手入れも必要なのだろうと感じた。

夢と職業と生活のバランスを若者に諭す人

 夢か現実か、という二者択一はよくある話だけど、この前マツコ・デラックスが番組内で高校生に聞かれて、迷う素振りを見せながら答えた内容が、やっぱり誠実な答えだなと思って、大袈裟な言い方だけどちょっと感動した。
 あとそれを見た時にあれこれ思ったことも含めて、忘れないようにメモを残しておく。

  • テレビ番組「マツコの知らない世界」で、「富士山の写真をめちゃくちゃ撮ってる高校生」が出てきた。
  • 年間200日以上撮影しているという。
  • 番組の最後で彼がマツコ・デラックスに、進路で悩んでいると相談した。
  • 写真の専門学校に行くか、海外で色んな写真を撮るか、普通の大学に行くか、の3択で質問していた。
  • デラックスは、「地元で公務員になって写真を続ける」という選択肢を提示した。
  • 言う前に「夢のないことを言っていい」、言った後に「なんてひどいこと言ってるんだあたしは」のような躊躇ないし逡巡のような発言をしていた。
  • とても誠実な答えだなと思った。
  • 夢があって、既に打ち込んでいる若者を目の前にして、それに本気な相手の背中を押してあげたい、意欲を削ぐようなことを言いたくない、とは思っただろうし、それが「夢のないこと、ひどいことを言ってしまった」という言い方に現れているのかと思う。

 

  • 「打ち込んでいること」が、「職業として成立するか」は別問題。
  • 職業になる(=生計が成り立つ収入をそれのみで得られる)かは0/1ではない。
  • 純粋な趣味(完全に成り立たない) → 趣味だが微妙に収入が得られる(売れっ子の同人作家とか) → 趣味と実益を兼ねる → 本業にできる などのグラデーションがある。
  • スポーツでもサッカーや野球のような、競技人口が多くプロスポーツ界が確立されているものもあれば、完全にアマチュアのみが活動しているようなマイナースポーツもある。
  • ボードゲームも日本だと囲碁・将棋はプロが職業として成立しているが、多くは本業にするのが難しい。
  • プロゲーマーやYouTuberなど、旧来は純粋な趣味(もしくは微妙に収入が得られる)だったものが、プレーヤー数や需要の拡大で、後から職業として確立されたりすることもある。

 

  • 昨年の東京オリンピックで、スケートボードの選手がメダルを取ったり活躍した。
  • その日本代表コーチである早川大輔氏を特集した番組(NHKの逆転人生)を、大会後に見かけた。
  • まだ「スケボーは不良の遊び」「公共の迷惑」と思われ、スポーツとしての認知が低かった時代にスケボーにはまった少年が、コーチになったという。
  • 大人になって、周りの仲間がスケボーをやめていく中でもやめずに、場所を見つけて、コースを作って、少年少女を集めてスケボーを教えていた。
  • 父親になったかつての仲間が彼を尋ねて、自分の息子のコーチになってほしいと頼む。それが金メダルを獲得した堀米雄斗選手だった。
  • どうしても経験を積んでレベルを上げるには米国の大会に出る必要がある。自費とカンパで賄って子供達を大会に連れて行く。
  • これらを全て手弁当でやっていたという。トラック運転手などをして費用を稼いでいた。
  • 番組では「苦労がついに報われた話」と扱われていたかと記憶している。
  • ただこれを美談・成功譚としてのみ語るのもなかなか難しい面があるとも感じた。
  • コーチには家族(妻子)もいた。
  • 家族側から見ると、お金をほぼ全て趣味や夢に費やされると、「家庭環境や家庭内経験をより豊かにできたかもしれない」といった「一般家庭ではあり得たがうちにはなかった現実」を考えることもあったのかもしれない。
  • (このコーチの例では家族も納得の上かもしれない。番組内で言及があったか記憶がない)
  • 例えば両親とも元競技者でコーチ、子供も競技者のようなケースでは、「お金を競技に突っ込む」が「家族に費やす」のとニアリーイコールになるというか、方向が一致して多少こうした気持ちは軽減されるのだろうか。
  • 一方で、自分や家族の楽しみなどを犠牲にするレベルでのめり込む人、狂気のような人がいることで、初めて実現されるものは結構あったりする。
  • 後からは「公的な資金を入れるべき」「スポンサーがつくべき」等々色々言えても、現実にはそれは「後からはそう言える」でしかないものの方がはるかに多い。

 

  • 仮に富士山写真の彼が「野球やサッカーでプロが狙える位置にいる高校生」だったら、ひょっとしたら「このまま行け」と言えたかもしれない。
  • しかし「フォトグラファー」よりさらに範囲の限定された「富士山専門の写真家」だと職業として確立できるかは微妙そうだ。
  • 番組内で、「富士山写真家」として食えている人が2人(3人だったかも)いると紹介されていたが、デラックスは懐疑的な反応を示していた。
  • お笑い芸人がバイトしながら諦めずに続けた結果、大ブレイクする(最近だと錦鯉が極端な例かもしれない)ケースなどはあるが、その背後には大量の「そうでなかった人達」がいる。
  • デラックス本人も(本人の意識はともかく)「成功した側」だろうと思う。
  • 一種の生存バイアスで、成功できた側の人が「苦しくても何とかなる」「諦めずに頑張れ」とは言いがちだろうとも思うし、その方がテレビ映えもしたし口当たりがよさそうだ。
  • しかしデラックスはそう言わなかった。

 

  • しばらく前にツイッターで「昔は東京に出て夢破れても、地元で親族友人の伝手で働き口にありつけた、それで夢を追えたが今は難しい」といった話を見かけた。
  • 実際に「昔はそうだった」のか、そういう構造が実在していたのかはいまいち分からない。
  • ただそういう一種のセーフティネット機構がない、という前提だと、夢追い人が夢に全振りするのは、かなりリスキーになる。
  • 失敗した場合のダメージが大きい。
  • もちろんどういう人生を送っても、たとえ「外側から見て成功したように見える」としても、本人が満足するかは別の話(大富豪が満たされない気持ちでいるとか)。
  • そうだとしても、現実問題として「お金の心配があると精神衛生が悪化しがち」で、そこがリカバーできないと生きててつらい状態になり得る。

 

  • マツコの知らない世界」は、マイナーな分野の第一人者を呼んで紹介してもらうコンセプトの番組。
  • なので出てくる大人は「もうそうなっちゃった人」の方が多い。
  • 私生活や人生をかなり「その何か」に振って、その分野を代表する人になったり、存在しなかった職業を結果的に(たぶんその人ひとり限りで)成立させたりした人が出てくる。
  • 「もうそうなっちゃった人」は「結果を見ている」ようなものだとしても、高校生だと「まだ過程を見ている」に近い。
  • ひょっとしたら今後別のことをやりたくなるかもしれないし、その時に長い人生の後半が苦しいものにならないでいてほしい。
  • そういう若者から聞かれて、「どっちにも行ける道」をその場で提示したのは、さすがにすごかったなと思った。
  • 「公務員に」というのも、彼の夢が、場所に縛られる(富士山が見える地域に暮らす必要がある)のと、地方であまり就職先の選択肢が(例えば首都圏に比べれば)少ないと思われる中で、「収入・生活が安定している」「プライベートな時間がある程度確保できる」条件から、選択された職業だろう。
  • 夢だけを追わせるのも無責任なら、夢を断念させるのも無責任で、そのどちらでもなく、それでいて現実的な解を提示するのは、本当に誠実な態度だったと思う。
  • 自分がデラックスをやっぱり好きなのは、そういうところだと思った。

 

  • 自分も、若い人(高専生や大学生で就職活動してる人)とたまたま話す機会に、「絶対にこれをやりたい、というのがない人は新卒に大企業に就職するのもいいんじゃないかと思う」と伝えたことが何度かあった。
  • 自分自身も大手メーカーに勤めている。
  • 大企業だと、人が多いと色んな融通がききやすい(自分の代わりがいる)、教育が手厚い、休みが多かったり給与水準が高い、などの利点があるかと思う。
  • 小さい規模の会社→大企業に行くのは難しくても、大→小は難しくないのなら、行けるなら大企業に入って、選択の幅を持っておくのがいいんじゃないか。
  • ただ「何がなんでもやりたいこと」がある人は、一回きりしか無い人生で後悔にまみれて死んでいくのは非常につらいので、それをやった方がいいのだと思う。
  • と思って言っていたけど、これもデラックスの「地元で公務員に」とベースでは近い考えかもしれない。(住む場所の制約の違いがある)
  • ただ大企業でも、忙しい部署はものすごく忙しかったり、たまたま上司がアレだとしんどいとか、色々あるだろうけど、そこは公務員でも中小企業でも運要素が存在することは変わらない。
  • あと偉くなってしまうと趣味の時間が取りづらくなるとかはあるかもしれない。ただ「偉くなるのを拒絶する」選択もあるし、それで疎まれたり解雇されたりしない。

 

  • 以前に菅谷明子『未来をつくる図書館』というニューヨークの公立図書館を紹介した本を読んだ時に、かなり手厚く市民の再チャレンジを図書館が支援しているのを知って驚いた。

  • 起業したいと思えばオフィスとしての機能さえ図書館が提供する。
  • 日本の図書館は「情報は置いてあるから欲しい人はアクセスしてね」というタイプかと思うが、「情報を届ける」をミッションに設定するとこうなるのねという感じ。
  • この差は、終身雇用制が強かった日本社会だと、そうした「再チャレンジ」を必要とする人が相対的に少なかった点から来ていたりするのだろうか。
  • とはいえ今は必ずしもそうでもないのだし、図書館が担うべきかはともかく、何かしら「後で方向修正したい」人がそうできるようになっている方がありがたいよねとはつくづく思う。
  • 現時点でそういうセーフティネットがそれほど充実していない、という現実を踏まえると、やっぱりデラックスの回答が誠実ということになるんだろうなと感じた。

 



 関係ないけど、3ヶ月ほどこのブログを書いていなかった。カクヨムに創作↓を久々に書いたりしていた。
kakuyomu.jp
 「夢なり趣味なりと生活の両立」といった話だと関係なくもないかもしれない。あとこの中でもデラックスへ言及していて、やっぱり好きなんだろう。



※以前のエントリでマツコ・デラックスを「デラックス」と呼んでいたところ、「呼び方が気になって中身が入ってこない」などと言われたりした。急に妙な呼び方で違和を与えてみようかと思ってそうしていただけだったが、「先生」「社長」「総理」などと呼ぶイメージで、慣れるとだんだんしっくりき始めている。