やしお

ふつうの会社員の日記です。

ダイヤモンドやジュエリーブランドを納得して選ぶ

 急にダイヤモンドの選び方や価値基準に興味が湧いて色々読んだり見たりしたので整理しておく。小学生の自由研究みたいなもの。


4C

  • 4C:ダイヤの品質評価基準の国際的なスタンダード。1950年代にGIA(米国宝石学会)が開発。
  • 【カラット】重さ。1ct=0.2g
  • メインでは使われず集合して装飾に使われる小さな石を「メレダイヤ」と呼ぶが、国内ブランドではおおむね0.1ct以下を呼んでいるよう。(日本ジュエリー協会(JJA)も用語集でそう定義しているという。)ちなみに諏訪貿易会長の諏訪恭一は著書で「0.2ct以下」と書いていたのでSUWAだと(というかガチめのジュエリーブランドでは)0.2ct以下はメレダイヤ扱いなのかもしれない。
  • 【カット】Excellent、Very Good、Good、Fair、Poorの5段階。ラウンドブリリアントカットがどれだけ理想形に近いかの評価で、輝き方に直結する。ラウンドブリリアント以外のシェイプには他の評価基準がある。
  • カットの総合評価=プロポーション要素+フィニッシュ要素
  • プロポーション:主にカットの各部の寸法・角度などから算出される。
  • フィニッシュ要素=シンメトリー(対称性)+ポリッシュ(研磨)
  • シンメトリー:各面の対称性。
  • ポリッシュ:表面の研磨状態。悪いと白く濁って見える。
  • シンメトリー、ポリッシュもそれぞれExcellent~Poorの5段階評価。総合評価、シンメトリー、ポリッシュが3つともEx評価だと3Ex(トリプルエクセレント)と呼ばれる。(逆に言えば総合評価がExcellentだとしても、シンメトリーやポリッシュはExcellentではないことがあり得るということで、そこは必要条件になってない)
  • 【カラー】D(無色)~Z(黄色・茶色)の評価。無色の方が希少性が高く評価が高い。D~Fがカラーレス(無色)、G~Jがニアカラーレス(ほぼ無色)とされる。「D」から始まるのはダイヤの頭文字を取ったため。
  • ダイヤは黄色/茶色以外にも様々な色が産出する。カラーダイヤはD~Zではなくその色が鑑定書に記載される。
  • 【クラリティ】内部の異物や割れ(インクルージョン)と、表面の傷や欠け(ブレミッシュ)の有無。
  • 評価が高い(欠陥がない)順に、FL(flawless)、IF(internally flawless)、VVS1、VVS2(very very slightly included)、VS1、VS2(very slightly included)、SI1、SI2(slightly included)、I1、I2、I3(included)
  • FLは非常にまれで宝飾品業界に勤めていても一度も目にしないこともあるという。IFも少ない。


フルオレッセンス(蛍光性)

  • 4C以外の項目
  • 蛍光:「短波長の光が当たると長波長の光で光る」現象。ブラックライト(紫外光)を当てると白いシャツが光ったりするやつ。
  • ダイヤに含まれる炭素以外の物質が自家蛍光を持っているとダイヤ全体が蛍光を発する。
  • 強い順にVery Strong 〇〇、Strong 〇〇、Medium 〇〇、Faint、None。「○○」には蛍光の色が入る。
  • 色は、Blue(青) Bluish White(青白) Green(緑) Yellowish Green(黄緑) Yellow(黄) Orange(橙) Pink(桃)
  • 色の記載がなく単に「Very Strong」などと書かれていれば青。
  • 上野の国立科学博物館の「特別展 宝石」で、通常の照明とブラックライトを切替えて宝石の蛍光を見せる展示があったが、めちゃかっこ良かった。
  • 「蛍光があると石が太陽光下で白っぽく見えるためNoneが好ましい」とネットの記事で見てしばらく信じていたが、違うらしい。
  • GIAによると、蛍光の有無はダイヤの輝き方に基本的に影響しない(多数の被験者による外観テストで分からなかった)とのこと。
  • むしろ「青い蛍光が石自体の黄色みを打ち消して白く見せてくれる」という(これも多数の被験者で青い蛍光がある方を「白い」と答える傾向にあったという)
  • そういえばTシャツがブラックライトで光るのも、わざと蛍光物質(蛍光増白剤)を衣料の製造段階で使って、青白く光らせることで見た目の白さを増している(洗濯で落ちるので洗濯洗剤にも蛍光増白剤は入っている)からなので、ダイヤも同じということかもしれない。
  • ルビーも赤い蛍光を持つ石の方がより赤がきれいに見えるという。
  • ただダイヤは基本的に蛍光性の有無は外観に影響しないとのこと。
  • 「蛍光があるのは天然の証」とネットの記事で書かれるのをよく見るが、これもGIAは「合成ダイヤでも蛍光を発するものはある、スペクトルも重なる部分がある」と否定している。

 

輝き

  • 表面反射光、内部反射光、分散光のミックスで輝く。
  • 視覚効果を表現するのにブリリアンス・ファイア・シンチレーションの3つが一般に使われる。
  • 装飾品なので「動かした時の視覚効果」が重視される。
  • ブリリアンス:明るさ、ブライトネス。内部・外部の面から反射されて見える白色光。ポリッシュ評価が高いとより明るい。
  • ファイア:分散、ディスパージョン。分散による虹色。シンメトリー評価が高いとより強い。
  • シンチレーション:動かした時の明暗のコントラスト(パターン)や閃光の程度。
  • この辺は視覚効果を言語化する時の要素・項目で、数値化(定量評価)されているわけではないみたい。
  • ブリリアンスとファイアはトレードオフの関係にあり、ブリリアンス重視のカット/ファイア重視のカットがあり得る。両者のバランスが取られるという。
  • 天井の蛍光灯のような拡散光源下だとファイアよりシンチレーションが強く、LED光源などのスポットライトだとシンチレーションは弱くファイアが強く見える。なのでお店だと虹色にキラキラして見える。

 

鑑定機関

  • 4Cが一定以上だと鑑定書がつく(メレダイヤとかにはつかない)。
  • 鑑定書には外形寸法、4C、その他(ポリッシュ、シンメトリー、蛍光性等)が記載される。
  • 「鑑別書」は鑑定書と異なり、グレードの記載はなく天然石かどうか、石への処理の有無などが書かれる。鑑別書はダイヤ以外の宝石にも発行されるが、鑑定書はダイヤのみが対象(他の宝石にはグレーディングの概念がないので)。
  • 国内では主にGIAとCGLの鑑定書がつくことが多い。
  • GIA:米国宝石学会。1931年設立、世界的な権威。各国に宝石学の教育機関を持っていて鑑別士資格を発行している。
  • ちなみに先述の諏訪恭一氏が日本人のGIAの鑑別士取得第1号(1965年)。(なお諏訪氏の祖父と父は第2次大戦で政府が国民の宝飾品買い上げ政策を進めた際にダイヤの鑑定をした人物とのことで、3代に渡るジュエラーだという)
  • CGL:中央宝石研究所。1970年設立、日本国内で最大の鑑定機関。
  • LMHCという世界7つのラボで組織された委員会で日本では唯一加盟している。(米国2、スイス2、イタリア1、タイ1、日本1ラボが参加、GIAも当然入っている)
  • ブリリアンスプラス(ダイヤを選んで購入できる国内ECサイト)だと検索条件に、シェイプ、価格、4C、シンメトリー・ポリッシュ・蛍光性の他に、鑑定機関(GIA/CGL)もある。気にする人がいるらしい。
  • CGLだとハートアンドキューピッド(H&C:対称性が高いと見えるパターン)の写真がつくがGIAはつかない、婚約指輪のダイヤでそこを気にする人もいるので、などの理由だという。

 

価格

  • グレードが同程度のダイヤなら、価格はカラットの2乗に比例する。(大きさのレアリティが指数関数的なので、2倍でかいものは4倍出にくいので価格も4倍になる)
  • 蛍光はNone/Faintは価格が変わらず、Medium以上に強いと下がる傾向。
  • 同等の石でも仕入れ時の為替の影響で価格差が生じる。
  • 貴金属(金・プラチナ)もダイヤも、価値が安定して貨幣価値の下落に対するリスクヘッジになり得るが、価格と重量が比例する貴金属に比べて、2乗に比例するダイヤの方が「持って逃げるのに適した資産」とも言える。
  • ロシア・ウクライナ戦争でロシアの富裕層が宝飾品と高級腕時計を買っている、という報道もあった。
  • 山口遼『ジュエリーの世界史』で、1930~50年代初めは大ぶりなジュエリーが主流になった、それは大不況と2度の世界大戦で動産としての側面が重要視されたため、大陸(特にユダヤ・インド・中国・中近東)の人々が生活水準に比して分不相応なジュエリーを身につける習慣があるのはこの理由による、と書かれていた。

 

価格とグレードのトレードオフ

  • 4Cの中でも視覚効果に影響を与えやすい項目とそうでない項目(素人が見た目に分かるものと分からないもの)がある。全てを最高でそろえるのはオーバースペックかもしれない。
  • カラットは大きさ、カットは輝きに直結するので見た目の影響が大きく、カラーとクラリティは素人目で差の判別が難しい。
  • そのためカットは高いグレードを選び、カラーとクラリティは多少グレードが低い物も許容して、あとは予算内でカラットの大きいものを求める、というのが一般的な選び方になってくる。
  • ルース(ジュエリーにセットされていないカット済みの石)を並べて以前実際に見た時の感想↓
  • カット:EXと3EXは並べて動かすと、3EXの方が繊細でEXはギラギラした輝きだった(好みは分かれるという)。ただ「並べたら差がわかった」なので単品で判別がつくかは分からない。(一般的にはVery Good以上なら十分と言われる)
  • カラー:2段差でも(FとHとか)素人目には区別がつかず白に見えた。ただDをHの隣に置くと「Hは色がついてる(というかDがめちゃくちゃ白い)」とわかる。複数の石を並べて使う場合は2~3段差以内くらい?に揃えて、単体で使うならH~Iくらいは問題なく許容できそう。
  • クラリティ:SI1でも近寄って凝視しないと傷や内包物はよく分からない。欠陥の色や場所にもよる。
  • あと合成ダイヤが出てきていることを考えると、クラリティは多少低い(目立たない程度に内包物がある)方が「自然に生じた鉱物」の証になって嬉しいのでは、と個人的には思っている。

 

各ブランドの4C取扱い範囲

  • じゃあ実際に主要なジュエリーブランドだとダイヤのグレード(4Cのうちカラット以外の)はどの範囲まで許容しているのか? 差や傾向はあるのか? と思って調べてみた。
  • 多くのブランドは店頭やウェブサイトでグレードの取扱い範囲を公開している。


 

  • 「H、Very Good、VS2以上を許容」が標準的と言えそう。
  • 海外ハイブランドも国内中価格帯ブランドも4Cの扱い基準に大きな差はなく、むしろ後者の方が厳しい(高い)場合もある。(ただ4C外の自社基準に差はあるのかもしれない)
  • 無色重視(ハリー、ヴァンクリ等)と「カラーは許容する代わりにカット重視」(ティファニー等)といった方向性はあるかもしれない。
  • カット:特にハイブランドでは独自基準を設けてグレードに言及しないところがある(ハリー等)(そもそもブランドの名前で品質の高い石しか扱っていないと信じてもらえるので顧客に公開する必要がない、ということかもしれない。)
  • クラリティ:内包物は位置や色で許容の可否が決まる(グレードで一律に決まらない)上、IF以上はそもそも数がない(高品質のダイヤの中でも2~3%程度)ので、「広いグレードを許容した上で自社で選別」が多いよう。
  • 客がダイヤを選択できる店はグレードの幅も広く取って価格の選択肢を広げている(ヴァンドーム青山等)

 

ブランドの選択

  • なので、知名度のあるジュエリーブランドであれば扱うダイヤの品質は十分高く大きな差はないので、スペックをユーザーが気にする必要はあまりなさそう。
  • 「ダイヤの質がいいからこのブランド」といった選び方が成り立たないので、ブランドの選択はおおよそ以下のようになりそう。
  • 思い入れや憧れがある、ブランドイメージや方針に共感できる、アイコニックなデザインで好きなものがある→海外ハイブランド
  • 価格バランスも重視しつつ品質が高いもの→国内中価格帯ブランド
  • デザインでこだわりがある、既製品の細かい箇所で「こうあってほしい」といった希望がある、石を持ち込みたい→フルオーダー可能なブランド(ケイウノ等)
  • ラウンドブリリアントカット以外(ファンシーシェイプカット)の石や、細かく4Cを指定して最適な石を探したい、質を維持しつつトータルの価格を抑えたい→ルースで検索できるECメインのブランド(米国のブルーナイルや日本のブリリアンスプラス)
  • 予算に余裕がない→ネット通販など
  • これだけの選択肢がある(それが成立するだけの市場規模がある)環境は、選ぶ側にとっては恵まれているのだと思う。

 

格安ジュエリー

  • 格安商品は、ジュエリーというかアクセサリーとしても品質面でかなり厳しい。
  • 「ダイヤ0.3ctのプラチナネックレスで2万円」の格安商品をネットで見かけて(ブランド商品での相場観は20~30万円)、口コミを見たら「ダイヤが茶色い」「チェーンがすぐ切れる」とあって「後悔している」と書かれているのを見ると悲しくなる。
  • 一方で「値段相応の品質」「この値段で本物のダイヤをつけられて嬉しい」といった口コミもある。本人が納得できるかどうかによる。
  • ニセの写真を出したり、元の値段を割高に設定して「○割引」と値付けしたり、「今だけ」と煽ったり、有料誤認みたいな不誠実なやり方をする業者は避けたい。
  • 他方でダイヤのグレード、地金の量や品位を落とすことで安価にして、「天然ダイヤのアクセサリーを身につけられる」を実現するのは消費者への選択肢の幅の提示としてあり得る。
  • 例えば京セラジュエリーだと、クラリティI1、カラーI~M、カットgoodとグレードを明示した上で、0.3ctペンダント4万円という値付けで、売り方として誠実だと思う。

 

ブランドのランクに振り回されない

  • ハリーウィンストンを頂点とした婚約指輪のランク」でマウント合戦になるとか、「4℃はダサい」とかいう話は苦しい。
  • 苦しいが、「アンパンマンの強さ議論スレ」とか大好きなのでランク付けしたくなる心はわかる。
  • 「結婚式に出席したら友人がハリーの婚約指輪なのに自分は国内ブランドで惨めさを感じた」みたいな経験は自分にはないが、「序列に身をさらされると心がめちゃくちゃになる」のは自然な(避けがたい)ことだと思う。
  • 仙台藩主の伊達重村が薩摩藩主に対抗して官位を上げるために(官位の差は江戸城内での席次として自他に視覚化される)莫大な金額を幕府につぎ込んで藩財政を悪化させた話とか、ホストクラブは他の客との序列を明確に意識させられるからお金をつぎ込んでしまうしホスト側も序列が明示されて注ぎ込ませてしまう構造があるとか、「序列意識でむちゃくちゃになる」実例を色々思い出す。
  • ジュエリーに対する欲望(というか欲求ではない欲望一般)自体がもともとバーチャルなものでも、序列や格といった他人との比較のただの媒介物になると、さらにバーチャルな欲望になる(メタのメタって感じ)。そこに心が振り回されるのは不健全。
  • 自分はサイゼリヤが大好きで、飲食店本来の目的の「味と価格が優れている」大前提の上で、「合理的・やるべきことを正しくやれる」組織の姿勢が好きだからだけど、「サイゼで食事してる自分」を他人と比べて優越感を感じているわけではない(サイゼの食事がステータスにはなり得ないので当たり前だけど)。
  • これと同じような感じで「他者からの評価」と距離を取っていきたい。他者の評価(視線・介入・比較)からの自由度の高さは、苦しみを減らして幸福に直結する。
  • 他者の評価から自由になるには、自分の中で他者によらない評価軸を作って「自分で選択した」と納得できる状態にする必要がある。
  • ブランド・商品の選択なら、実際の品物も広く見て、歴史や姿勢や方針も知った上で、第一に「自分に似合うかどうか」「身につけて嬉しいかどうか」で評価軸を作って選ぶのが一つのやり方になりそう。
  • アイコニックなデザイン(ヴァンクリのアルハンブラティファニーのTスマイル、カルティエのトリニティ、ブシュロンのキャトル、ブルガリのビーゼロワンなど見た瞬間にブランドが分かるアイテム)は、ニセ物や類似品を買うくらいなら、質屋でもいいから本物を買うかすっぱりやめた方がいいと思うのも、ベースでは同じ価値判断からで、「でもこれは本物じゃない」と自分で自分が嫌になると「納得感」が毀損される。
  • 「(人造石・合成石ではなく天然の)宝石を使うこと」自体が「それを選択した自分を、自分が肯定できる」状態のためとも言えそう。
  • これは本物志向一辺倒とか、高価な品物しか許さないといった話ではなく、「自分をきちんと納得させないと、後で自分が苦しくなるから避けるべき」という話。
  • 後悔や劣等感でお金を遣うと際限がなくなって身を滅ぼす上に、満たされることもない。

 

エンゲージリングの「常識」

  • (以下はダイヤの話とはあまり関係ない)
  • 最近「彼女から安くても良いので婚約指輪が欲しいと言われ、2~3万円をイメージしていたら最低でも17万円くらいでびっくりした、半返しでスーツか時計をプレゼントしたいと言われたので、それなら婚約指輪を折半したいと提案したら機嫌を悪くされた」という発言小町への投稿があったりした。
  • また「ポケモンGOきっかけで付き合ってピカチュウグッズが好きな彼女に、ホワイトデーのサプライズでピカチュウデザインの1ct・120万円の婚約指輪を渡したら泣かれた、彼女は0.2ct・27万円の指輪を望んでいた、給料4か月分も出した結果で喜んでもらえず苦しい」というはてな匿名ダイアリーへの投稿もあった。
  • 「どちらが悪い」わけでもない、どちらの内在的な論理や感情も理解できるし、読んだ時にものすごく悲しかった。
  • 「ジュエリーは人の心を嬉しくさせるもの、悲しみを生むなんてダメ!」と思った。(私はジュエリーの何なんだという感じだが実際そう。)
  • 先述の「ブランドのランク」もそうだが、婚約指輪に関する通念には独特な面がある。
  • 以下のような特色(一般的な通念とのズレ)が重なり合って、独特な「常識」が形成されているのだと考えている。
    • 「耐久性のある物理的な商品の購入」ではあっても、消耗品・実用品(衣料品や家電製品など)の買い物より、〇〇祝い・香典などの支出の感覚に近い→折半などが認められない
    • 身に着ける品物は、身に着ける当人の価値判断が最重要視される→「贈る側が決定する」プレゼントの考え方を持ち込んで、一方的に選んでサプライズで贈ると事故が起こる
    • 上記の考え方は「常識」と認識されてしまう→「常識」を共有していない人への説明・共有が疎かにされたり、「分からない方がおかしい」と見なされ、齟齬や衝突が発生しやすい
    • 一般人にとって高額な品物になる→齟齬や衝突が起こると「しょうがないね」で済まずに大きな亀裂を生みかねない
    • 高額さ+身に付ける品という特性がステータス化しやすい→ダイヤの大きさやブランドの序列意識が内面化されたりする
  • この「常識」が無意味・悪いとは思わない(理解できる)ものの、「知ってて当然」「従って当然」になるのは辛い。
  • 最終的には「当事者が納得できるか」が問題なので、盲目的に常識として従うのではなく、客観視した上で「自分達はどうするか」をちゃんと話をして擦り合わせるのが重要になる。「高価なジュエリーを買った結果、辛い思いをする」は悲し過ぎる。
  • 各項目を分解して一部は従うが一部は採用しない、という考えはあり得る。「ダイヤのルースはサプライズでプレゼントするが指輪のデザインはつける本人が選ぶ」とか「経済力と希望商品の兼ね合いで一部費用を着用者が負担する」とか。
  • あんまり結婚情報誌・サイトなどで「これが普通・常識」と流布しないでほしい気持ちもあるが、宝飾品市場全体に占める婚約指輪の割合が無視できないのだとすると、ブライダル業界/宝飾品業界側が積極的にこの「常識」を緩和させようとはならないかもしれない。

 

天然と合成

  • 日本の業界団体では人工の石を「合成石」「人造石」「模造石」と呼び分けている。
  • 「同種の天然石が存在するもの」は合成石、「天然に対応物がない人工結晶」は人造石、ガラスや樹脂は摸造石。なので合成ダイヤモンド、人造キュービックジルコニア、スワロフスキーは模造石となる。
  • 宝石水準のダイヤの合成方法としてはHPHT法とCVD法の2種類がある。
  • 現在では0.2-0.5ctのカット石が生産の主流、1ct以上も製造可能。
  • カット前の石は外観で天然/合成が判別可能だが、カット後は分析装置にかけないと分からない、見た目の差はない。
  • 2018年にはデビアス(ダイヤの卸として世界的な盟主)が宝飾用合成ダイヤを発売すると発表して業界に激震が走る。ダイヤ内部に刻印、シルバーかK10に止めた状態での販売、というスタイル。
  • AGL(日本の宝石鑑別機関の業界団体)では「合成ダイヤには鑑別書は出すが鑑定書は出さない」という方針を2018年に出した。(希望があれば簡易的なグレード表記はする。)GIAでも鑑定書は出すが簡易用語という方針。
  • 「合成ダイヤはアクセサリーであってもジュエリーではない」が基本的なコンセンサスで、「天然ダイヤとの混交は許されない」が基本認識になっているのだと考えると理解できる。
  • アクセサリーは装飾品一般で引き継がれない(廃棄される)もの、ジュエリーは宝石・貴金属(プラチナ950、K18)を使用して引き継がれたり作り替えられたりする(廃棄されない)もの、という棲み分けが前提にある。
  • 合成ダイヤにはシルバーやK10を使ってグレーディングもしないのはアクセサリーとしての位置付けを明確化するもので、刻印を入れたり鑑定書を出さない(出しても天然ダイヤと区別をつける)のは天然ダイヤと混同されないためのものと理解できる。

 

紛争ダイヤモンド

  • 1998年に国連が、ダイヤが紛争の資金源になっていると指摘する。
  • 篠田英朗『紛争解決ってなんだろう』だと、「税の徴収と引き換えの政治」が近代の立憲主義的な国家体制だとしても、一次産品(天然資源など)に国家経済が依存していると、それを直接確保できれば税収をスルーして家産制国家的な体制が作れてしまうので、統治機構が脆弱になる、という指摘がされていた。
  • 特にシエラレオネ内戦は、政府/反政府の両勢力ともダイヤを資金源として利用し、鉱山を巡る争いが激化したり、市民が強制的に採掘に従事させられたりした。
  • 2006年公開のレオナルド・ディカプリオ主演の米映画『ブラッド・ダイヤモンド』はシエラレオネ内戦を描いて有名。(ちなみにDVDだと本編と別に1時間のドキュメンタリーが特典映像についててすごかった。)
  • 2002年にキンバリープロセス認証制度(KPCS)が採択される。輸出されるダイヤの原石が、紛争と無関係だと証明するための国際認証制度。
  • 原石ではなく研磨済みのダイヤには「システム・オブ・ワランティ」という仕組みがある。輸入時にインボイスに紛争ダイヤでない旨の自己宣言が記載されたダイヤのみ扱う制度で、日本も参加。
  • そうした取組みの結果、流通量全体に対する紛争ダイヤの割合が00年4%程度→現在0.2%以下に減少したという。
  • ただ強制労働など紛争以外の問題や、「反政府軍による紛争」以外の資金源の問題はカバーしていない。
  • 最近だとロシア・ウクライナ戦争で、世界のダイヤ産出量の3割を占めるロシアからダイヤを買えば戦争資金になり得るが、ロシアは反政府軍ではないとか。(西側諸国はロシア産ダイヤを輸入・取扱しない方向へ進んでいるのでダイヤ価格が上がっている。)(ロシア産の9割が国家が支援する採掘企業アルロサによる。世界市場シェアトップがアルロサ、2位が先述の英のデビアス

 

ダイヤの今後

  • 科博の宝石展の図録で、諏訪恭一(監修者の一人)は寄稿文で以下のような認識を示していた。
    • 強制労働や紛争につながる乱開発はやめるべきで、宝石は還流する(引き継がれたり、作り替えられたりして次代に受け渡される)のが主流になるのが今後のあり方であるべき。
    • 宝石は「地球の活動に基づく奇跡の産物」であることに価値があり、そこが合成石や人造石との違いになる。合成石はアクセサリーとして使うのはOK。
  • 上記の認識を踏まえると、高い質の合成石が出てきてアクセサリーの幅が広がったとしても、それで天然石が駆逐されるかというと、そうはならなさそう。
  • 腕時計でより正確で安価なクォーツが登場して機械式が駆逐されるかと思ったら、高級腕時計は機械式が主流なままになったのと同じようになっていくんだろうと想像している。
  • 一部ブランドが合成ダイヤのアクセサリーに全面的に切り替えたり、宝飾品業界全体が縮小するのが自然なのかもしれない。(だいたい日本の人口も減ってく一方なんだし)

 

個人的な話

  • 後から振り返ると、子供の頃からキラキラ物体が好きだった。
  • ガンプラ(特にSDガンダム武者頑駄無とか)にたまにあるホログラムのシールだとか、ホログラムの折り紙やキーホルダーやテレカとか、クリスタル(樹脂製)のイルカのキーホルダーとか、そういうものを小学生の頃にかなり気に入っていた。一部はまだ手元にある。
  • 大人になってスワロフスキーの小さい物体を買ってみたりした。
  • ロシアへ旅行した時、モスクワのクレムリン武器庫博物館でティアラなどのジュエリーが大量に展示されているのを見た。動いた時の輝きが圧倒的で「結局ダイヤってすごいんだわ」と思った。
  • ミネラルショーに初めて行った。案外小学生が多いのに驚く。化石とかが目当てなのかと思ったら結構、宝石が好きな子もいるみたい。後でネットで見たら「小学生はヤバい。店の人より詳しかったりする」と書かれているのを見た。自分も小学生でそこに触れていたらのめり込んでいた可能性あると思った。
  • 結婚指輪を作った。石を入れたかったが男性向けでは少なかったのでオーダーメイドの店を利用した。二人でデザイナーと相談しながら決められて楽しかったし、出来上がった品物はとても気に入っている。
  • 妻と一緒だとアクセサリー・ジュエリー屋に行きやすいことに味をしめて色々回った。お願いして一緒に行ってもらったが付き合わせて申し訳ない気持ちほんとある。だいたい行けそうなところには行けて満足できたのでもういいかなと思っている。実物で見た中ではTOMOKO KODERAが本当に美しくて一番感動した。
  • 普通の会社員なので経済的に問題ない(他の趣味や娯楽、将来の貯蓄等に影響を及ぼさない)範囲だとそう所有できるものでもないので、穏やかに楽しもうと思う。「多く所有すること」だけが楽しみの全てではないだろうし。
  • 書いてまとめると自分の中で「一旦片が付いたこと」みたいになるので、ここに書き残しておく。

 

参考文献

 写真もとても綺麗で豊富。それぞれ一冊読むと宝石/宝飾品の価値体系を内面化できる。著者の見識が高く、思考や認識がとてもフラット・フェアなのも読んでいて気持ちがいい。


 網羅性はないが読み物として面白かった。ティファニーハリー・ウィンストンなどの歴史も記載されている。文庫化は2016年だが元の刊行は1987年で情報が古いと思われるところや、著者の思い込み・独断と思われる書きっぷりが散見されて快適な読書体験ではない面もある。

自分自身をニュースサイトにしない

 SNSでもブログでも、時事的な事柄・ホットな話題への反射的な言及が自分自身では減ったと感じている。気を付けてそうしているというより、そうすると自分が嫌になる・苦しくなる、という心理的なハードルが上がって勝手にやらなくなってきている。
 この「気分」は個人的なものだけでなく、全体の風潮の影響も受けていて、一定の一般性があり得るかもしれない。現時点で「どういう気持ちがあるのか」を書き残すといいかもと思ってメモ。

炎上加担の功罪

  • 「ホットな話題への言及」には利点/欠点の両面がある。
  • 「不正義・不条理で苦しめられた」などの案件が、炎上で是正されるケースもよくある。
  • 企業・行政vs個人で、昔なら個人が一方的に不利益を押し付けられて終わりのケースで、個人が救われたりする。
  • 一方で「実は不正義じゃなかった」案件の炎上に参加して、意図せず加害行為に加担してしまうケースもあり得る。
  • 例えば、草津町議が町長からの性被害を訴えた事件も、発生当初は町長を非難する世論が巻き起こったが、その後の状況で(完全に確定的でないとしても)町議の虚偽の可能性が大きいと分かった事件もあった。
  • ※町長vs町議/男性vs女性/年上vs年下という強弱関係があり、相対的に弱い側に立つという態度はあり得る。ただ赤の他人が即座に参戦すべきかは別問題。
  • スマイリーキクチ氏中傷事件でも、中傷した当事者は「自分が正義だ」と認識していた(検挙された19人中18人がキクチ氏が「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の犯人の一人だと信じていたという)。
  • 時事的に不確定な話に飛びついて自分が加害に加担してしまうと、自分がダメージを受ける。信用を失うとか、自分自身がつらくなるとか。
  • 「自分が加害者になった」事実を受け入れられないと、「みんなもやっていた」「あの時点ではしょうがなかった」「自分の方が騙された」と弁解して、自分に自分で嘘をついて、ゆっくり壊れていく。
  • それでも何かを書くなら、時事的・発作的にではなく、情報を丁寧に集めて客観的で自分が心底納得できるようにやる。ワンテンポ遅れるくらいでちょうどいい。

 

「沈黙は加害と同じ」の意味

  • 「中立・沈黙は加害者への加担と同じだ」という言説を見かける。
  • 炎上加担の正義面を重視する立場からは、そう見えるのは理解できる。
  • 例えば、いじめの現場で見て見ぬふりした奴らも同罪、という気持ちはわかる。
  • 「加害と同じ」と言えるかは距離・関与度・影響力の度合いよる。
  • いじめなら、担任教師・校長・加害児童の保護者 > 同級生・被害児童の保護者 > 同学年の生徒・同級生の親…… など距離や力によって「見て見ぬふり」の加害性が変わる。
  • 距離を無視して「知ったのに黙っているのは加害と同罪」と一律に断罪するのは無謀だ。
  • 「沈黙は加害」も全体に適用されるのではなく、距離が近いほど適応度が上がる、グラデーションになっている。
  • 「お客様は神様と思え」が商売人の心得ではあっても、客の側が言い出すとおかしくなるのと同じで、「沈黙は加害者への加担」も自己の行動規範として自分に言うのはともかく、他人へ強いるとおかしくなる。
  • 「状況が不確定な状態で首を突っ込むべきか?」もこの「距離」による。
  • 「立場の弱い側/被害を訴える側に加担した結果、実は無実な人物を攻撃してしまった」も、その人が推定被害者と距離が近ければ(家族や友人など)「しょうがない」と言い得ても、赤の他人が攻撃するのは「やり過ぎ」になる。
  • 「緊急事態では無免許でも医療行為が許される(緊急避難)」に近い感覚。他に手がない、自分が本当にやるしかない時に限定的に許される。

 

作品の感想

  • 「ホットな話題に反応しなくなってきた」は炎上に限らず、アニメ・漫画・映画などの感想でも同じ。
  • 最近は「作者が込めた伏線や意図を先に読んで公言したもん勝ち」ゲームをみんなでやっているようで疲れちゃう。
  • 行き過ぎるともう、制作側をあまりに信用し過ぎて、ほとんど無意味な細部に意味を見出して「こういうことだ!」と言ってしまう。
  • 聖書の引用・解釈バトルみたいな。(これは神学の体系を全然理解せずに勝手なイメージで言っている)
  • はてなブックマークのコメントでも「みんなが同意しそうなことを先に言って星を集めるゲーム」に近いと感じることがある。
  • 無意味とは言わないが「自分が参戦しなくてもいいや」という気持ち。虚しさがある。
  • 仮にやるなら、特にホットではない(他に言う人がいなくて埋もれてしまいそうな)ものに対してやる。
  • もっと素朴に「自分がどう感じたのか」を書き残すだけの方が、かえって価値がある気がしている。「その時のある個人の記録」が蓄積・共有される方が後世には貴重な気がする。
  • 運動会の映像よりもテープが余ったので撮ったいつもの自宅風景とか、録画した番組自体より間に入っていたCMの方が、後からは貴重になるみたいな。
  • もう一歩踏み込んで「そう感じた理由」まで書ければなおいい。
  • あるいは(作者の意図とは無関係に)その作品の持つ位置付けや構造を明らかにするような営みができれば、それはもう感想や分析を超えて批評(一つの別の作品)になり得る(が高い能力が要求される)。

 

素人専門家になる

  • 特定のジャンルでずっと時事的な反応を続けていると、「この人はこれ系の人」と認知されて、フォロワーも増えて権威を帯びていく。
  • 場合によってはメディアに呼ばれたりしてさらに権威性が高まる。
  • その分野の専門家と見なされる。
  • 学問的なバックグラウンドや体系的な理解がなく、ただのウォッチャー/コメンテーターでも、分野を絞ってやり続けると「専門家」になれたりする。
  • 例えばテレビ番組の「マツコの知らない世界」に出てくるゲスト達も割とそうかもしれない。
  • 見ていると「それが好きで仕方がない人」(さかなクンみたいな)と、「評価される自分が好きな人」と大別して2種類ある気がする。(続けていたら専門家枠に入ったのでそのまま続けてる、という人もマイルドな後者かもしれない)
  • MDXがゲストと異なる感想や意見を言った時に、前者は「意見の一つ」と受け入れられるが、後者は「自分を否定された」と感じて反発してしまう。(MDXは後者に対しては比較的厳しい態度で接しているようにも見える)
  • それは素人専門家に限らず、学界や会社でも同じ。
  • 「〇〇が気になる/好きだからやる」ではなく、「〇〇に詳しい自分」にアイデンティティを見出して、それを壊されるのが怖くてやり続ける。
  • 一種の罠かもしれない。「気の利いたこと」「ちょっと詳しいこと」を言うとみんな「すごい」と言ってくれて、気持ちよくなってしまうと抜けられなくなる。
  • 「認められて嬉しい感情」を努力のドライブに利用すること自体は悪くないし、それで努力を継続できるのは素晴らしいが、そこから抜け出せなくなって自己弁護的・攻撃的になるとつらい。
  • 「あくまで自分が好きでやってるだけだ」と言い聞かせて、そういう感情と上手に距離を取る必要がある。

 

ダブスタ批判の危うさ

  • 「〇〇に言及したのに、××には沈黙してるからダブスタ」という非難はよく見かける。
  • しかしその言い方をすると自分が苦しくなるのでは?
  • 発言が矛盾している、文脈や前提を加味しても二枚舌としか言いようがない、といった言説ならともかく、ただ「言及していない」だけで非難するのは苦しい。
  • 現実には仕事や学業や遊びに忙しかったり、単にニュースを見逃していたり、なんか元気がなかったり、考え方が変わったり、理由は様々ある。
  • そうした外側からは見えない可能性の束をいきなり捨象して「言及しないのはダブスタだからだ」と攻撃すると、間違えのもとになる。
  • 個人ではなく、集団がスルーしている場合は、個別事情(私生活)とは無関係になり得るが、その場合でも批判や攻撃の材料にしない。(彼らの内在的なロジックや構造を分析する材料にはしても)
  • ダブスタ批判は「本当にスルーしているのか?」の検証がザルだと、かえって批判した当人が批判を受けるので本当は気軽にやれない。
  • 例えばNHKもよく右派からは「〇〇を報じない、売国奴だ」と言われ、左派からは「××を報じない、政権べったり」と言われたりしても、実際によく見るとどっちもそれなりにニュースで扱われていたりする。(「自分が思う重大性」と「扱いの大きさ」にギャップがあると不当だと感じてしまう)

 

個人のニュースサイト/コメンテーター化

  • ダブスタ批判を真面目に受け取ると「あらゆるニュースをキャッチして実生活の状況にかかわらず反応し続ける」スタイルを強いられる。個人がニュースサイトやワイドショーのコメンテーターになる。
  • この批判を発した当人が真面目だと、自分自身にもそのスタイルを課さざるを得なくなって(「お前こそダブスタだろ」と責められるのが怖いので)、自分で自分の首を絞めることになる。
  • このスタイルは報道機関やメディアが担えばいいことで、個人が背負うと一気にしんどくなる。
  • それで疲れて、いきなりアカウントを消したり極端に振れる。
  • でも「それをやる個人」は前述の通り権威を帯びて「専門家」になれたりして、嬉しくなってしまうのでハマりがち。

 

一貫性を自他に求め過ぎない

  • 「一貫性の欠如=批判すべき」という前提には飛躍・短絡がある。「一貫性がないからダメ」というより「一貫性のなさで議論が成立しなくなる」とか「一貫性のなさが信用を失う」とか。
  • 「一貫性」の縛りを大きくしていくと、前言を撤回するのも難しくなるし柔軟性を失う欠点が大きくなってくる。
  • ※最近は一貫性の要求が強い傾向にある、という状況の中で「一貫性を求め過ぎない」と言ってるだけで、なくなればいいということでは当然ない。一貫性があまりに失われている状況にあれば逆に「一貫性を重視すべし」と言う。利点/欠点のバランスの問題。
  • 一貫性重視の風潮は、インターネットだと新旧関係なく言説が簡単に検索でき、過去発言との矛盾を指摘して相手の信用を落とす攻撃方法が低コストで実現できるようになったことで、防御のために一貫性を重視せざるを得なくなっているため、と想像している。
  • 一貫性や整合性・わかりやすさへの圧力が強まった(疎かにするとすぐ叩かれたり燃やされたりする)のは、根本はネット人口の増大にあると考える。
  • 「個人が気軽・手軽にパブリックへ発信できる」は人口が少ない時、ネットの黎明期に限定的に生じた利点で、もはや成立していない。広く遠くまでリーチすると個人が大手メディアと同等の水準を要求されて気も重ければ手間もかかる。
  • 「前提を共有しない人にも誤解なく伝わる」「本質的でない些事に他人が引っかからないようにする」は手間がかかるし技術がいる。
  • 「一貫性の欠如」自体は、攻撃材料ではなく分析材料にとどめておくのが、全体にとってハッピーなやり方だと思っている。

 

精神衛生を守る

  • 「ちゃんと怒ることが大事」とは最近よく言われる。
  • しかし「怒ることが大事」を「タイムリーに・正確に抗議できる技術を身に着けよう」ではなく「感情を爆発させよう(感情に振り回されることの肯定)」と取り違えると、おかしなことになる。(が、誤解されがちな気がする)
  • ※その意味で「怒ることが大事」と「アンガーマネジメント」は矛盾しないし根本精神は同じはず。アンガーマネジメントも「感情を抑圧しろ」ではない。
  • 「怒ることが大事」と「一貫性が大事」の両方を真面目に(表面的に)受け取って、全部に怒っていると心がしんどくなる。
  • 精神衛生を守ることがまず重要。

 

この気分の背景

  • ネットユーザーの数もとても増えて、炎上した時のダメージも大きいし、リスクが大きくなってきてる、それで失敗してる人も見てるとか、それでそういう気分が出てきている。
  • 後はホットな話題を追う気力や時間がなくなってるからかもしれない。老化だったり、仕事や他にやりたいことがあったり。
  • 同居人がいて、ちょっとした話題や何かの感想を話す相手が日常的にいる、というのが結局一番大きいかもしれない。ツイートしなくても満足して終わる。
  • 逆に言えば、同居家族も友人もいなくても、ツイートとかで反応もらえて、そこで救われる人も多い(自分も一人暮らししてた時はそうだった)。でもそれはクローズドじゃないから「全体の数」になってしまう。

 

適当にやっても平均化するから大丈夫

  • 正義感による炎上も、作品解釈バトルも、利点/欠点があるので、「全部やめろ」と「参戦し続けろ」の二択で極端に考えてはいけない。バランスするポイントを見出す。
  • 個人的には「やりたくなったらやればいいし、やる気がなければやらない」「本当に興味があることだけ反応する」「他人の自分への反応や文句は(受け入れはしても)直接的に反応しない」という方針。
  • 一貫性至上主義者からは「ズルい」「都合がいい」と見えても、私はニュースサイトではないから気にしない。
  • 炎上も作品解釈バトルも、自分が参加してもしなくても、マスで見れば変わらず存在するので変に義務感を背負わない。そこにアイデンティティを見出したりしない。
  • 全員が妙に背負ったりせず適当にやっていても、ネットイナゴは消滅せず一定規模あって、不正義はちゃんと炎上するし、人気作品はちゃんと解釈されるのでお前がいなくても大丈夫。と思って(そもそも存在しない)肩の荷はおろす。
  • 「不正義を見逃す自分が許せない」と感じたとしても、例えば「寄付は自分の経済力の範囲で(自分の生活を破壊しない範囲で)やる」のと同じことで、「精神的なキャパシティの範囲で(自分の精神を破壊しない範囲で)やる」で良いのだが、まだ人間がネットに慣れてないからやり過ぎる。
  • 先鋭化したり熱心な人が界隈で評価されてるのを見ても、羨ましがる必要はない。でもやりたければその覚悟でやればいい。

横田増生『ユニクロ潜入一年』

https://bookmeter.com/reviews/105569944
「商品は良いが会社はevil」という印象通りの報告。国際NGOから東南アジアの下請け工場の労働環境の悪さを指摘されて、全く同じ工場なのにH&Mが「指摘の問題が確認されたから改善する」と回答してユニクロが「ご指摘の問題はありませんでした」と回答するのもすごい。昨年のセルフレジの特許潰し訴訟も最悪だった。柳井家で4割超の株式を保有し、社内取締役4名中3名が柳井社長と息子2人、経営と資本の分離はなく、社長の価値観が「批判は攻撃と受け取る」「利益に繋がらない改善は不要」だからどうしようもない。


 最近のウクライナ侵攻で、ロシアが権威主義的・独裁的な体制なのも非常にリスキーなんだ、民主主義体制はミクロ的に見ると損しているようでも、マクロ的にはやっぱり得というか安全なんだ、という気持ちになって、本書でファストリユニクロ内部で柳井社長が絶対的な権威としてその立場を保持している結果、グローバル企業の姿勢としては極めてリスキーな状態にあって、さらに解説で蒲田慧が「経営者が社内民主主義を自己点検する志向が弱まっている」と指摘しているのを見ると、国に限らず会社でも一定程度の民主制が定着していないと(たとえ創業経営者でも経営から排除できるようになっていないと)危険なんだなと改めて思った。
 「潜入取材」という手法も面白いしすごいけれど、最も下層のアルバイトとしての潜入なので、本社内部の内在的なロジックや状況は、周辺的な取材や類推に留まっている。その辺をもっと見てみたいとか、あるいは渥美俊一のチェーンストア組織理論と照合した時に、ユニクロはその規模に対してどの程度組織システムが成熟しているのかといった観点で見てみたいとか、色々思ったりはするけれど、それはもう第三者委員会報告書のようなもので、著者に言う筋合いじゃない、ないものねだりだなという気もした。