日本の大手メーカー、いわゆるJTCで課長になって4ヶ月が過ぎた。世の中でよく言われる中間管理職みは確かにあるって実感と、それを生じさせる要素や機序も少しは見えてきて面白いなって気持ちもあり、忘れないようにメモしておこうと思って。
基本情報
新卒で入社(22歳)→品質管理系の部署で係長クラス(33歳)→別の生産管理系の部署で係長クラス(37歳)→前の部署に戻って課長(39歳)、という流れ。
課の人数は自分を含めず20名いる。課には機能別ではなく、担当製品で分けた2つのグループがある。
巷間で言われる中間管理職み
よく世の中で語られる中間管理職のつらさは以下のようなものがあるだろうか。
- 板挟みの立場:経営層と現場の間での板挟み、裁量が小さい割に責任が大きい。
- 心身への負担:労働時間の長さや業務負荷の高さ、プレッシャーの大きさ。
- 報酬面での不満:残業代のなさ、業務量や責任に対する報酬の低さ。
- 人間関係上のストレス:メンバーのモチベーション維持。組織内・組織間のコンフリクトの調整。
それぞれ実際にそういう面はあるなと実際なってみて感じた。
労働時間
労働時間はかなり増えている。9年前から毎月の時間外労働と、6ヶ月移動平均の推移を記録していた↓
※課長になるちょっと前に60h超の月があったのは突発的なビッグトラブル対応のためでイレギュラーだった。
「月に40~50時間の時間外労働」だと「月に5~6日余計に働いている」のと同じで、日々のプライベートの可処分時間がかなり減っている。
昨年に小説が出版され、プロの作家業も始めた。次の本の企画と、さらにその次の企画と2冊が待ち行列に入っているのに、執筆ペースがめちゃくちゃ遅くなっている。このブログやカクヨムにも書きたいことがあっても全然書けていない。この課長になったよ記事も、当初は2ヶ月目くらいに書こうとしていたのに、もう4ヶ月が経ってしまった。10年ほど前、30歳くらいの時はほぼゼロに抑えていた時期があった。あの頃はブログ記事を2日おきに結構な長さで書いていてびっくりする。
絶対に睡眠時間を削りたくない(早死にしたくない)。帰ったら夕食→洗い物→入浴→歯磨きを「途中でうだうだする時間」を挟まずにすみやかにして23時くらいに寝て、朝6時~6時半に起きて、朝に会議が入っていない日は9時くらいに家を出て、その朝の時間に書き物をしている。
夕食の用意がいつも妻側の作業になってしまって申し訳ない。
通勤中にホームの待ち時間や電車内、昼休みの一部なんかの数分~5分のこま切れの時間を読書に充てている。
日々の働き方
平均的には1日あたり、
- 会議・打合せ:3〜5時間
- メール:80~100通=2~3時間
- 承認関係:30分~1時間
- 打合せではない課員との会話や進捗確認:1~2時間
- 自分でやらないといけない作業:1~2時間
くらいのイメージ。
夕方になると会議やメール受信も減ってきて、その日に溜まった仕事を片付けていき、だいたい2〜3時間/日の残業、日々でやりきれない分、土日のどっちか半日に在宅で業務、というパターン。
イレギュラーに大きなトラブルが発生したら、担当者と一緒に入って軌道に乗るまで/十分に担当者のみで対応可能な粒度になるまで伴走するので、突発的にはそうした業務が発生するが、その突発がそれなりの頻度である。
前の部署で係長クラスをやっていた時は、平均で会議6時間、メール120通くらいだったので、その点はむしろ減っている。以前にそれを一度体験しているので「大量に情報が流入してきて、どんどん判断して人に振る」のに慣れたことで耐えられている気もする。
※なお前の部署で結構きつかった時の記事↓
中年会社員が部署異動してつらかった話 - やしお
一方で「最終的に課のケツ持ちは自分」があると、今まではざっと横目で見ておけばよかったのが、しっかり「これって大丈夫だっけ?」と見ることになるので時間がかかる。
「自分でやらないといけない作業」というのが、目標管理や予算管理だったり、業務やプロジェクトの(途中で誰かに引き渡すとしても)端緒で自分自身がまとめたり、といった誰かに振るわけではない業務が一定程度ある。
組織規模
20名という課の組織規模が少し大きいことも、労働量が増える要因にはなっている。「一通りの課のインプット/アウトプットを課長が知ろうとする」、「課員と一定のコミュニケーションを取ろうとする」と残業が非常に増えてしまう。
課を分けて規模感としては半分ぐらいの方が良いのかもという気がする一方で、課で分けてしまえるほど業務内容が分離しておらず、横串の活動も多いし、両グループのメンバーで対応している製品群もあって一体的・機動的に動けた方が良い気もしていて悩ましい。
管理職向けの研修で、外部の講師からも「一般的にはせいぜい10名程度が良いとされています」という話もあった。実際、課員が3~5名しかいない課もあり、「それで同じ給料か~」という気持ちもあるはある。20人もいると四半期ごとの課員の評価や面接だけでも大変。
ただ人数が少ないと課長がプレイヤー寄りになったり、課員間での複線化が困難だったり、また別の忙しさもあって、実は労働時間自体はそう減りもしなかったりするのかな? とも思う。
給与
課長になると労働基準法上の「管理監督者」となることで、残業代(時間外給与)がなくなる。なので時間外労働が増えていくと、どこかのポイントで課長より課員だった頃の月給が高くなる逆転が発生する。その分水嶺をざっくり計算して、課長になる前の水準で今の時間外労働だと、課長就任前ととんとんか逆転してるのが実状。これは「しっかり自分自身の業務もマネジメントして課長の時間外を減らせ」という意味合いでもあるのかと思う。
今の給与体系だと「課長でも係長クラスでもなく一般社員として働く」のが「コスパ」としては一番いい気もする。
ただし賞与を含めて年収で考えれば逆転は起きていない。
(それが事実かは不明だが)「日産がホンダとの統合(子会社化)を拒んだのは、日産の役員報酬が高く、その報酬の維持を望む判断が役員に働いた結果」といった噂を思い出すと、「報酬が高過ぎると、組織の利益よりも自己の利益の確保を優先してしまう」ような機序があり得る。その意味では、むやみに課員と課長の報酬差を広げる弊害もありそう。
課長の給与水準をぐんと高くすると、「課長の座」を無理やり維持しようとする人が出てきたり、また人事権者の側も生活影響やモチベーション維持を考えて交代に躊躇してしまったりする。課長側も後継者育成のインセンティブが働きにくくなったり、カジュアルな交代が起きにくくなったりする。組織の健全化という意味では、ある程度、管理職が循環していく方が良かったとしても、給与の大きな差がそれを阻害するような方向に働き得る。
あまり報酬面での旨味がないと課長を目指す人が少なくなるし、あまり旨味を増やし過ぎると課長にしがみつく人が増えて適正な循環や後継者育成が起きなくなる、というバランスでの設定があるのかもしれない。
管理職の流動性をもっと高めている会社だと、ほぼ報酬差をなくして、課としての単位も緩めて、「ただの役割分担」としての管理職で都度都度変わっていくみたいな人事制度・組織体制を取っている事例をテレビでしばらく前に見た気がする。
従来の大企業らしい会社組織と、そうしたフラットな組織体制とのあわいにいるのだろうか。
ただもっと俯瞰して見ると、肉体的・精神的にはるかに大変なのに薄給な仕事は世の中にたくさんあって、今の会社は給与水準がそもそも高いので、文句を言う筋合いにはない気もしている。会社の中だけで見ると相対的にコスパが良い/悪いみたいに見えたとしても、そもそもお前ら恵まれてる側じゃん、というのを忘れるとおかしくなってくる。
業務①:人事評価・成績評価
この領域は課長になって初めて発生して、かつ最も中間管理職みのある業務だと感じた。
自分でコントロールできる範囲がかなり限定されているのに、あたかも自分が決めたかのような言い方をしないといけない、というところに「中間管理職み」を強く感じている。
被評価者(課員)に対して、毎半期ごとに人事評価(成績)を伝える。この時、「自分は決めてない」「上が決めたから」といった言い方は禁じられている。自分が課員の立場で上司からそんな言われ方されても納得できないし困るし意欲は下がるから、そんな説明が許されないのは当然だ。
他方で、現実には課長が決められる領域は限られる。労務費の総量がコントロールされる以上、課長たちが好き放題に課員の評価を上げて給与が上がっていくのを、そのまま認められるはずはない。そのため部門間の調整が入る。課長としてはマネジメントとリーダシップを通じて課全体/課員個々のアウトプットをしっかり高めて、それで部門間調整でパイをしっかり取ってくるようにしなさい、という話ではある。自分を売り込んだりアピールする行動様式に慣れていないのでちょっとつらい。
さらに、たとえ課長本人の中で課員の評価が低かったとしても、簡単に下げることはできない。本人のモチベーションへの影響、給与減による生活影響を考慮すると、部門間調整の中でも頑張ってアピールして維持または上げられるようにしていかないといけない。
というわけで、好きに上げることも、好きに下げることもできないが、あくまで「私があなたを評価して決めた」と納得性の高い理由を示した説明が求められる。
そうした制約の中で、課長は以下のような作業を通じて、評価者/被評価者の納得感を醸成していく。
- 課の半期ごとの活動とその目標を具体的に設定する。
- 職責(役割)の領域とレベルのマトリクス(評価軸)を、具体的に納得のある形で設定する。
- それらと課員個人のアウトプットをきちんと繋げて、客観性のある「だからあなたの成績がこうなる」を作る。
これをしっかりやれば、「自分が決めたわけじゃないけど、自分が決めたみたいな言い方をしないといけない」という課長の内部で心が分裂する状況も低減され、課長と課員の双方にとって苦痛な状態はかなり避けられる。
まだそれを融通無碍にやれるレベルに自分は至っていない。技術を上げる必要がある。
その昔(10~15年前)は、ほとんど年功序列的な賃金体系で、成績評価と給与の紐付きが薄い仕組みだった。若手もベテランも業務量ないし価値創出の水準の差分以上に、ベテラン側に賃金が傾斜配分されていた。それだと「長くいた方が得」となり、終身雇用制と表裏一体の仕組みだった。
それと比較すると、納得感という点で今の人事制度の方が健全だとも感じる。
ただその納得感の構築が課長に大きく依存していて、作業負担がかなり大きいのも事実ではある。(こういうのこそ生成AIがそれらしい叩き台を作ってサポートするのが得意な領域だとも思う。)
業務②:承認行為
課長になると担う承認行為がたくさんあり、これも中間管理職っぽい。担当者や係長の時は触れていなかった予算や勤怠管理に関するものも多い。通常業務の技術書類等々への承認も含めると日々かなりの量になる。自分でなくてもいいような承認を下位者へ代行するよう振り分けて、少し自分の負荷を分散させようとしている。
明示的な承認行為でない、暗黙の承認もたくさんある。
担当者間のメールのCCに課長が入っていて、特に容喙されずに進行している場合、それは「暗黙的に課長が承認している」と見なされる。なので目を通して、「ん?」と思ったことはきちんと確認を入れていく必要が生じる。
明示的/暗黙のどちらも、中身を見てチェックする作業を丁寧にやるほど膨大な時間がかかる。現実問題としてやり切れないし、マイクロマネジメント的になる。一方でいざという時に「お前がケツモチだろう」にはなるので無視もできない。というバランスの中でやっている。これも管理職によって「ほぼ見てなくて担当者任せ」の人から、「ほぼ全部自分で入り込んでる」人までバランスのとり方は人それぞれになっている。
業務③:予算管理
これも担当者~係長の頃は全体像を知らなかった領域なので新鮮だった。
正社員の時間外給与、派遣社員の給与、出張の宿泊費・交通費、備品など少額の物品購入、設備の取得やメンテ費用など、四半期ごとの予算を年度で立てて、実績を管理して、必要に応じて増減などのコントロールして、といった作業が発生する。これは会社によっては「そんなことまで課長がしてるの?」かもしれない。
例えば時間外勤務も、昨年度の実績がこれくらい、管理部門からの削減要求がこれくらい、みんなの業務がこれくらい、なので○時間を目安に抑えてね、みたいな感じでやってる。
とりあえず自分が何も知らないのは気持ち悪いなと思って、勉強のために自分で中身の精査などはやってみたものの、今後は標準化してそれぞれ担当を決めてやってもらうように仕組み化していこうと思っている。(正直、チェックは課長がやった方が良いが、細かい調整まで自分の手でやる必然性は薄いとも感じる。)
業務④:環境整備
職場環境に関して課員からのクレームはまずは課長に来るんだなと改めて思った。例えば職場レイアウト上の文句や、他のメンバーに対する疑問が投げかけられると一瞬「よろしく周りで解決してくれ~」と思うんだけど(態度には一切出さずに真剣に受け止めるけど)、よく考えると言う相手は課長しかいないな、担当者間で対立するより一旦上げてクッションにしてもらった方が何十倍もありがたいかと思い直す。
自分で対応すると停滞するので、きちんと必要性と方向性を伝えつつ粒度を落としてパッケージングして、課のメンバーに作業を渡してやってもらう。そこまでの業務負荷も無視できない程度は発生するけど、それくらいは必要かと今のところ思っている。
よく世の中の中間管理職が、「部下に仕事を渡したくても拒否されるので上司が自分でやっていて疲弊する」という話を聞く。そういうことがあまりないので、本当に恵まれている。
こちらも「やる意味がそもそもない」ということならお願いしない(し、やる意味ないと言われて納得すれば取り下げる)けれど、「いや、それ私の仕事じゃないんで嫌です」みたいなことはあまり言われないのでありがたい。
環境整備を広く捉えれば、課内の人間関係を良好に保つこともその一つになる。
これも本当にありがたいことに、課の中で感情的な対立があって業務を一緒にできない人がいる、といった特殊対応がない。社会人なんだから好き嫌いは別にして仕事するのは当たり前だろ、と言われればそうだけど、現実にはそれが難しい人もいるだろうし、そうしたメンバー間の対立を抱えてかじ取りする課長だと非常に気苦労が多いだろうとも思う。
課長になる以前に担当者~係長として過ごしていた部署で、ほぼ全員お互い知っている人なので、一から人間関係を構築していく必要がなかったのもありがたかった。あぐらをかかないように、雑談がてらでもなるべく課員の話を聞くようにしている。自分が担当者だった時は「自分が何やってるかを課長が理解してくれている」と感じられるだけでも気持ちが楽だったのを思い出しながら。
課員が業務をむやみに拒否しない、課内の人間関係が良好であるのは、会社が長年構築してきた雰囲気だったり、一定以上の給与水準によってそうした人材を確保してきたおかげで享受できているベースの環境なので、それはイージーモードでやらせてもらっているんだと思う。
世の中には、そもそも社員が時間通りに出社してくれない、黙っていなくなる、備品を盗むといった水準で苦労している職場もたくさんあるのだろうし。
機械みたいな感じ
よく日本の会社だと「学生時代や若手社員時代に専門分野で活躍していたのに出世したら非創造的な雑務で使い潰している」みたいな話がされることがある。ここまでの中間管理職みのある業務を並べてみると、確かにって感じではある。
日々大きな戦略を考えている、などということはなく、ほぼメールや打合せで「反応」しているだけに過ぎないとも感じる。自分が言っているというより、立場と状況が自動的にそう言っているみたいな時もあって、それは担当者や係長でもそういう時はあるけど、課長の方がよりそういう範囲が大きくなっている。生成AIが喋ってるみたいだなと自分で自分の発言に感じる時もある。人間というより一種の機械というか機関とも感じる。
ただ、結局「反応の癖」みたいなものはにじみ出ていて、それが無視できない程度に組織の雰囲気や価値観の形成に効いているんだろうとも思う。管理職の仕事は判断することともよく言われるけれど、判断を通じて組織に価値観を浸透させる機能の方が重要なのだろう。
課長からツッコミや否決、修正要望が来ると、担当者にとっては手間なので、「あの人だとこの辺に引っかかるだろう」と先回りして最初からアクションを取るようになる。上司の価値判断が部下に内面化されていく。
ただしこの価値観の浸透が起こるためには以下の条件が必要になる。
- 決定権者の判断に予見性がある。考え方、理屈、判断のベースが一貫していて説明可能である。(結論に固執するという意味ではない)
- 下位者の側に決定権者の判断を内面化できる能力がある。「あの人だったらこう言うだろうな」をある程度正確に考えられる。
その意味ではころころ課長が変わると大変。
そう考えると「反応してるだけで虚しい」ともあまり思わない。
私自身は「専門領域で卓越した創造性を発揮していた」とは言い難いのと、こういう仕事を嫌いではないと感じているので良いけれど、それが苦痛な人/専門領域で活躍させないといけない人に対しては、課長人事の流動性と、マネジメントとは別にプロフェッショナルとしてのキャリアパス(給与水準)を用意することで、人事制度としてはカバーされている仕組みになっている。
人員の流動性
ここまで所々で人事的な面での流動性が高くなっているといった話を書いていた。
入社した16年前の時点では、年功序列的な性格が強い賃金体系だった。それは「早く退職すると損」を意味するので終身雇用とセットになる。
管理職に至るまでに職層がいくつか分かれていて、職層が上がるには昇格試験に合格する必要があった。年数の経過によって貯まるポイントがあり、一つの職層の中でもそのポイントの多寡によって給与が増加するため年功序列的な賃金体系となっていて、また昇格試験の受験資格として一定のポイントが必要な仕組みだった。ポイントの溜まり方に若干の速度差があっても、おおよその年齢に至らないと受験資格が得られない。
普段の評価が高く、ポイントの配点が多かったり、途中の昇格試験に一発で合格し続けたりすることで、よほど早いと40代前半で管理職になり、多くは40代中盤~50歳前後で昇格といった感じだったと記憶している。その差にやや実力主義が存在していても、大きくは年功序列となっていた。
試験の合格と、管理職としての適正は必ずしもイコールではない一方で、管理職試験合格者でなければ課長には就けられない制約があり、「若くて適性があっても管理職には就けられない」「周囲から見て(あの人は課長はちょっと難しくないか)と思われていても他に有資格者がいなければ課長になる」という状況だった。もちろん部長や課長として優秀で相応しい人もいっぱいいたけれど。
現在は、実際に割り当てられた職責に応じて職層が定まり、その職層に就くには試験が必要ではない、といった人事体系になっている。管理職人事もそこに縛られずに、課長も比較的若い人がなるケースもあれば、50代のベテランがなるケースもあり、年齢のファクターに左右されなくなってきた。現実的には30代後半でかなり若いという感じで、まだ20代後半で課長という事例は近辺で見かけないが、仕組み上は可能なのでそのうち出てくるのかも。
以前は5年、10年と課長を続ける人もざらにいて、若いうちに辞めると不適格の烙印っぽさもあった気がする。今は数年で課長を辞めて担当者に戻ってまた別の部署の課長になって、といった事例も普通に見られるようになってきて、「降格人事」ではなく「役割分担」という雰囲気になっている。
管理職人事の流動性が上がっていると感じる。
管理職の流動性だけでなく、全体としての流動性も上がっている。事業部間の人事異動も中途入社も昔は珍しかったのが今はとても増えている。自分の課のメンバーも4割が他の事業部の出身、1割がキャリア入社。5割が生え抜きは多いようにも見えるが、そのほとんどが若手社員という構成。
これは外部要因としての少子化影響や、会社自体の業績影響、要求スキルの流動性上昇(リスキリング要求の高まり)などが起因しているのかもと想像している。社会全体の労働市場の流動性が上がる中で、新卒を大量に確保して終身雇用を維持するという昔の大企業ムーブがもう不可能になっている。
キャリアに魅力を持ってもらえるように、社内でも違う業務にチャレンジできるようにするし、社外に出ていく人もいれば入ってくる人もいる。
個人的には選択肢が増えて良いかなと感じている。
昔のように「ゆっくり一つの仕事を極めていって40年を過ごす」スタイルが許されづらくなっているのは、人によっては苦しいかもしれない。ただ流動性が低くて閉塞感が強い組織よりは過ごしやすくなったなと感じている。
それでいて「会社側が簡単に労働者のクビを切れない」という安心感が一定程度はあるのもありがたい。(会社側が人員を縮小させたい時は早期退職の優遇策を出す。)
これも別の大手メーカー、JTCの事例を報道などで見ると、今も昇格試験に縛られていたり、流動性の低さによるつらさがまだまだ大きい会社もあるようだ。今いる会社は国内では大手とは言え、世界的に見れば中小企業といった規模感なので、そうせざるを得ずにいるということかもしれない。
やりがい
これが結構楽しい。
最初はひょっとして何かテンションが上がっていて後から嫌だ嫌だになったりするのかなと思っていたけれど、4ヶ月経った現在でも面白い、楽しいと感じている。
- 一つポジションが上がってアクセスできる情報が増えたり、「そうなってたのね」と仕組みが知られて面白い。
- 課の単位でやるべきこと・やりたいことの方向性を自分で(完全に自由ではなく制約はあっても)決められる。
- 課内の業務の改善ができる。改善が進む気持ちよさがある。
- 変な案件をしっかり整理してパッケージングして人に渡す繰り返しの快楽がある。(作業パズルゲームみたいな)
- 相談を受けて頼ってもらえている感がある。(頼りがいがあるかは不明だがそういうポジションなので)
たぶんそもそも、ある程度指示を出せる相手がいて、どんどん指示を出していく作業そのものに、一定の中毒性があるんだろうと感じている。
そういえばゼルダ無双を遊んだ時に「最初は大量のザコ敵をばんばん倒せて楽しい」だけだったのが、だんだん「あっちはこいつに担当させて、その間に自分はこれをやって、終わったら今度は自分がそっち行って、あいつにはこれを指示して……」みたいになってかなり忙しかった。これでゲームとして成立する=楽しいと思わせられるんだから、指示出しにはゲーム性があるのかもしれない。
ゲームでも自分のレベルに対して「簡単にやれること」ばかりだと飽きてくるので、「少しチャレンジングだけどやればクリアできること」だとちょうど楽しめるのと同じで、今の自分にとってこの部署の課長業がそのレベル感で合っているんだと思う。
これが前の部署だと、そもそも担当者として経験のない分野で係長レベルで精一杯だったし、グリップ感が十分に得られなかったし、課長やれと言われても絶対に無理って断ってた(しそもそも任せられるわけない)から、「この部署だったから」はある。
期初に、課の方針・ミッション・注力領域などの説明をした。過去こうで、この数年で内外の環境変化がこうで、将来こうある必要があって、だから今期はこの領域に注力したい、それで今期の課の目標はあれやこれや、という話をした。「ちゃんと未来に向かって進んでる」感がないと仕事しててもつらいよねとも思って。
もともとこういう改善をしたいと思っていたこともあって充実感を覚えた。
一方で、課を超えたプロジェクトを企画したり主導したりしないといけないと、やや気が重くなるのも分かった。あるいは組織の役割そのものを変えていくような議論を進めるような時にも少し気の重さを感じた。
こうした領域は今まで体験していなかったので、「まあだいたい自分ならできるだろ」という成功体験の積み重ねで生じる安心感がまだないので、ちょっとナーバスになるんだなと思う。
20代前半の時に、品質問題で客先へ訪問して原因や対策の説明しないといけなくなると、前日にはもう本当に食事がしんどいくらいに気が重かった。今ならもちろん緊張はしても、「これくらいしっかり準備をしていけば、後は何とかなる」という気持ちで大丈夫なので、そうやって慣れていくのだろう。
中間管理職み
課長になってから、残業がすごく増えて、責任も増えて、専門領域と関係ない管理業務も増えて、それでいて給与面がものすごく上回っているわけではない、という状況を見ると、世の中で言われる「中間管理職のつらさ」そのものになっている。ただその中身、どう発生しているのかを見てみると、ある種のバランスで成立してるんだなとも思った。
ここまで書いたように、この記事で最初に上げていた中間管理職のつらさについて、「そうそう」という面と「そうでもない」という面がそれぞれある。
- 板挟みの立場
- そうそうの面:自分で決めていない・決める裁量のないことを、あたかも自分が決めたかのように言わないといけない。特に人事評価で感じる。
- そうでもない面:そこを調和させて納得感のあるストーリーを建築する営みの余地は案外あって、面白みややりがいを感じる。
- 心身への負担
- そうそうの面:労働時間がかなり伸びている。より上位への説明責任や課のケツモチ責任が課せられるプレッシャーはある。
- そうでもない面:プライベートの可処分時間は0ではない。40時間超という時間外水準は業種によっては大した事ないかもしれない。(私は週休3日・1日6時間労働くらいにしてほしいと望んでいるので週休2日+1日8時間+月40時間超の時間外の労働は長過ぎると感じるが……)
- 報酬面での不満
- そうそうの面:残業代がなくなる+労働時間が伸びることで課長になる前と月収で逆転が起きる。大変さとのバランスだと一般社員の方が「コスパ」が良いと感じる。
- そうでもない面:そもそも年収で考えればいい収入を貰っている。一般社員と管理職の給与差も大き過ぎると管理職のしがみつきを生んで不都合もある。
- 人間関係上のストレス
- そうそうの面:メンバーのモチベーションの維持や不満の解消を気に掛ける必要がある。
- そうでもない面:ある程度みんな自分でコントロールしてくれている。
古い大企業ではありながらさほど大きくもないため、旧態依然とし過ぎずに(古さを維持できるほどの余裕はなく)、かつ人や給与面の水準が高く維持できているおかげで、この環境が享受できているのだと思う。この「そうでもない面」がなくて「そうそうの面」しかなければ、かなり苦しみに満ちた中間管理職を過ごすことになったのだろう。
1年でころころ課長が変わると課員としてはやりづらいので、せめて2年、業務改善の効果などもある程度見えてくるところまでだと3年くらいはやった方が良さそう。5年は長過ぎる。
もちろん私の能力が不十分と見なされて1年で降格だってあり得るかもしれないし、先のことは分からないけれど、2~3年くらいで、できれば内部昇格で課長を誰かに引き渡したいといった気持ちがある。「そうそうの面」しかないと辛過ぎるが、「そうでもない面」もあるし、一定の楽しさもあるので、その辺をちゃんと伝えていきたい。
いろいろ他に思ったこと
ここまでが、主に「世の中で言われる中間管理職みと、実体験の話」で、他にも色々課長になってみて面白かったことのメモ。
- 【内示】てっきり「課長になってほしいが、どうか」と打診されるのかと思ったら、組織変更+部課長人事を示されて「こうなっているのでよろしく」という説明で意外だった。
- 「はあ、わかりました」みたいな返事になってしまった。
- 確かに各種の調整が済んだ状態でないと本人に開示できないから、そういう言い方になるのかも。
- 【開示前】内示(2月末)から全体への開示(3月中旬)まで2週間ほどのタイムラグがあった。
- 現+新任の課長以上には先に共有されていたが、一般の社員への公開との間にタイムラグがあった。
- 別の部署の課長がすっと寄ってきて小声で「がんばってね」と言われたり、すれ違いざまににやにやしていたり、なんとなく「こっち側へようこそ」みたいな感じがあった。少し面映ゆかった。
- 【全体開示後】祝賀ムード感があって面白かった。
- 課内外の人から「おめでとうございます」とにこにこ言って貰えて、なんか恥ずかしかったけど嬉しかった。
- 組織変更と部課長人事が割と大きかったからか「決起集会」が開催された。新任部課長の決意表明? コーナーで観客が囃し立てたりしていて「祝ってる」感があって良かった。
- 【引継ぎ】ポジションが上がると引継ぎ完了ポイントが後ろに倒れていく構造があるのかもしれない。
- 昔、担当者として異動した時は、早々に引継ぎを済ませて、異動前はむしろ暇になっていた。
- 今回、係長クラスで異動した時は、自分で最後まで係長業もしつつ、いなくなる前に完結させたい業務に取り組んで、新任課長になる前準備もして、とやっていたらかなり土日出勤もしつつ最後まで多忙だった。
- 前任の課長は、前下半期の課員の成績評価業務があって、退任後も前職の業務をする形になっていた。
- 異動日をゼロとすると、引き継ぎ完了ポイントが担当者はマイナスだったのが、ポジションが上がるにつれてゼロに近付き、課長になるとプラスになる、みたいなシフトしていく構造があったりするのかも。
- 引継ぎの難易度が高く伴走が必要な業務が増えていくからだろうか。
- 【1ヶ月目】いきなり突入した感があり多忙だった。
- 【研修】課長は経営層の入口になっているのだと研修の内容を通じて改めて感じた。
- 3ヶ月目から管理職向けの必須研修がいくつか始まった。最初は「なる前に教えてよ」と思ったが、一定程度経験して苦しんでからの方が「これがあれか」と実感を持って受けられる面はあるのかもしれない。
- 実務的な研修だけでなく、会計やコーポレートガバナンスなど教養的な研修もあった。
- 経営層からの発信を咀嚼して課員に伝える役目だから、課長に身に着けさせる意図があるのだろう。
- それ以外に、プロ経営者ではなく内部昇格で社長が交代していく日本的大企業だと、課長が経営層への入口になっていて、一部の人はさらに上に行くからこの時点で身につけさせる必要があるという意図があるのかもしれない。
- こういう研修プログラムにそれが垣間見えるのは面白いなと思った。
課長の技能
自分が抜群に何か優れているのか? と自問すると特にない。過去の上司や他の部課長を思い返してみても、色々な領域で自分よりもはるかに優れている人がたくさんいる。
- 技術・専門領域に長けた人
- 組織特殊的な知識に長けた人(人を知っている、組織独自の事務やルールに詳しい、過去の経緯を知っているなど)
- ロジックの構築力に長けた人
- QCDにこだわり切れる人
- 根性がある人(時間的な奉仕度が高い)
- 課員のエンゲージメントを高めるのに長けた人
- 人の感情の機微を把握して話の通し方や手順の組み立て方が上手い人
- 部下を叱るのが上手い人
- 口八丁で身を躱すのが上手い人
その一方で自分がそこそこできているかなと思うところもある。
- 他人の優れた領域を認識できる。プライドに阻害されて妙な嫉妬心で受け入れないなどがあまりない。
- 人のことを「すごいな」「あれはいいな」と思ったら少し近付けるように時々頑張る。
- その結果で上記のそれぞれで苦手すぎるものがない。どれもそこそこはできる。昔は不得手だったのが、むしろ人から「よくできている」と言われて驚くこともあるし、そこまで達していなくても昔より改善されていると思う領域もある。
- 全然怒らない、優しいと言われて「そう見えるのか」と思った。昔はすぐ苛立つのが自分の欠点だと悩んでいた。相手の立場考える、罪を憎んで人を憎まずを続けたらそうなった。
- ストレス耐性がないと思って頑張り過ぎないようにしてきた。業務量やプレッシャーの増大に十数年かけて慣れていった結果、無理せず耐えられる範囲(時間)が増えた。(過信しないように気をつけ続けないといけない)
- トラブルが起こると「ああいやだ」というより「よっしゃ」となるのも、この品質管理系の部署には合ってるのかもしれない。
- あまり人に興味のないタイプだと思っていた。メンバーのエンゲージメント向上というか、話を聞いてもらって「分かってもらえている」と思えるだけで救われることも実体験として分かったので話を聞くようになった。
- 一般的にはリーダーシップとマネジメントの両輪と言われる。係長の時はマネジメント、特にリスクマネジメントを重要視して考え方をまとめつつやってある程度身についたと感じる。
- 4年前に「考え方をまとめてた」もの→リスクの洗い出しと判断のコツ - やしお
- 一方のリーダーシップ側も必要性を感じて、あれこれしている。内外の環境変化がこうあって、ゴールとしてここを目指して、現状がこうで、なので今これをやっていくといった課の方針の話や、それがメンバーのおかげで着実に進んでいるのを可視化して定期的に伝えていくようにしている。進んでいる感じがないと苦しくなるし。
- 4年前に「考え方をまとめてた」もの→リスクの洗い出しと判断のコツ - やしお
そんな感じで、すごいなと思う人達もたくさんいて、自分ができてないなと思うことも多々ありつつ、見習いながら自分を改善させていきもするけれど、結局のところ人間なので「やれるようにしかやれない」と割り切っている。
愚直にやるしか結局はないよねと思って愚直にやっている。
気持ち的な部分
- 工業高専出身で、学校では「お前らはエンジニアになるんだ」という教育を受けていたけど、だいぶエンジニアではなくなっちゃったという気持ちもある。自分がそういう方向での努力はしていないから残念とは思わないけれど、学生の時の自分は自分がこうなってくとは想像もしなかったなって。
- 執筆業、作家業との両立にはちょっと悩むところもある。ただ少なくとも2年は(降格にならなければ)続けたい。きちんとメンバーが「より良い方向に進んだ」と実感が持てるように、また実際に組織全体が無理なく成果が出せる状態にしたいが、それには一定の時間が必要だろうし。
- ポジションが上がることでの名誉欲の満足は実際にある。自分の能力や技術が一定程度は評価されて、それが他者から見える形で認められると自己顕示欲が満たされる。ただこれは役割分担で、とりわけ自分が優れているわけでもないと考える。
- 両親はいずれもだいぶ前に死んだけれど、生きていて私の昇進を知ったら、彼らの喜びにもなっただろうかと思う時はある。
以下は宣伝。
拙著、八潮久道『生命活動として極めて正常』が、第1回 北上次郎「面白小説」大賞を受賞しました(2025年8月8日)。
KADOKAWAからのお知らせ↓
【デビュー作で文学賞受賞!】 第1回北上次郎「面白小説」大賞を八潮久道『生命活動として極めて正常』が受賞! 著者よりコメント到着 | カドブン
本当に嬉しいしありがたいことです。
まじめにふざけた楽しい短編集なので読んどくれ〜。
↓は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。