やしお

ふつうの会社員の日記です。

人の人格が成長するのを見たのかもしれない

 小学生の甥っ子の兄弟のうち、弟の方が大変になっているという話を以前に書いた。


甥っ子が承認欲求のおばけになっていく - やしお
ゴネ得の人はそれ以外の方法を知らないのかもしれない - やしお

 自分の願望を実現しようとする時に、他人を気持ちよくする(他人にとってのメリットを勘案する)ことで実現しようとする方法と、他人を虐げる(他人にとってのデメリットを突きつける)ことで実現しようとする方法があるとすると、兄の方は前者で、弟の方は後者の戦略を採用しているように見える。後者の方法は、たとえば「○○してくれないと泣き止まない、うるさくする」とか、「○○してくれないといじわるする」とか、あるいは明らかにフェアでない自分だけが有利な選択肢を提示するとか。
 後者のやり方だと、当然その利害関係者は反発することになる。そんなのはずるいじゃないか、相手の迷惑も考えようよ、となってしまってその願望が実現されない。「お前が悪い」と言われてしまう。それで怒ってますます強硬に要求するし、でも実現しないしで悪循環になっていく。


 去年の1月と7月に姉の家に泊まって甥っ子と遊んだりした。1月の時にひどかったので一つ目の記事を書いて、7月の時にさらに悪化していて二つ目の記事を書いたのだった。一つ目の記事では「承認欲求」、二つ目の記事では「ゴネ得」という言い方で見ているが、根本的には上で引用したメカニズムが働いているように見えた。

  • 交渉の仕方には2種類ある。相手のメリットを提示する方法と、デメリットを突きつける方法。
  • 甥っ子の弟は後者の方針を取っているように見える。
  • 「ゴネ得」は後者の一種である。相手を疲弊させることで自己の要求を満たす方法。
  • 後者は、周囲を不幸にさせるため、周囲の理解を得られない。
  • 周囲から肯定されないことで、承認欲求が満たされず、ますます求めるようになっていく。
  • 「今自分が何をしているのか」や「いかに自分が凄いか」を周囲に無理やり認めさせようと要求する。
  • 承認欲求が満足されない→「自分の願望を周囲の人間が叶えること」でそれを満たそうとする→「ゴネ得」の方法で要求を実現しようとする→周囲の反発を受ける→承認欲求が満足されない→……というサイクルに陥り悪化していく


 今年も年始に姉の家に泊まった。甥っ子の弟のことは心配だったし、7月の帰り際に怒ってしまって(二つ目の記事に書いた)、それ以降電話もしていないしどうかな? と思っていた。もっと悪化していたらどうしようと思った。でも半年ぶりに会ったら、だいぶ改善されているように見えて、ちょっとびっくりした。もちろん3日程度しか一緒にいないのだから、全部が分かるわけではないけれど、それでも以前に比べれば随分穏やかになっていた。
 無茶苦茶な理屈をどんどん立てて無理やり自分の要求を押し通そうとする場面が随分減っていた。たぶん知らない人が見れば、それでもかなり我儘に見えるし大声でうるさいのは変わっていないけど、以前はもうギャン泣きしたり殴ったり大声で喚いたり凄かった。そういう激しさが落ち着いていたようだった。以前よりもあっさり自分の要求を取り下げている。特にゲームしている時がひどかったりしたけど、だいぶ良くなっている。


 年2回くらい、数日会うだけの叔父だから、具体的に何が彼に作用して変わったのかは分からない。単にその数日だけ良くなっている(あるいは僕がいたから遠慮している)だけだった可能性だってある。姉とそのことを話す機会が今回は無かったから、普段も以前より良くなっているのかは分からない。
 もしかしたら彼の中で、自分のプライドを担保できる何かが見出されたのかもしれない。何かしら「自分はすごい」と信じられるものがあれば、自己顕示欲を無闇に振り回さなくても安心できる。もしそれで落ち着いているのだとしたら、彼自身も周囲も幸福だと思う。
 あと弟は前まで家の中でずっと全裸だった。(真冬でもそう。)兄の方はちゃんと服を着ている。兄は小5で30kg、弟は小4で60kgあって、その体格の違いで体感温度も違うのもあると思うけど、パンツすら履かないでいた。姉(母親)も「服を着ろ」と言うのだけど履かない。それが今回はちゃんとパンツを履いていた! 人間に近付いている。もともと「パンツを履かない」というのも、ある種の抗議に近いものだったのかもしれない。自己顕示欲の満たされなさから来ていたりもするんだろうか。あと「太っている」というのもきっと、周囲からそのことで揶揄されたりして、プライドを傷つけられる要因になっていたりするんだろうなと思うと悲しい。


 甥っ子の弟は、大人になってもこのまま「ゴネ得」でゴリ押しするタイプの人になるんだろうか、承認欲求のお化けみたいになってしまうのだろうか、と不安な気持ちを持っていた。子育てに参加しているわけでもなく、遠くに住んでいてたまに会って遊んだりプレゼントあげたりしてるだけの親戚が、どうこう言う立場にはないとは思うけど、でも赤ちゃんの頃から知ってる人のことなので、心配はそりゃするよ。
 いきなり180°別人になるわけではないから、まだゴリ押しのゴネ得みたいなところは無くはない。より「一般的な状態」に近付いた、というだけだ。でも、ああ、こうやって人の人格って形成されるんだなあ、他者とのより良い関係を構築できるように変わっていくのかなあ、と思って、うれしかった。
 自分自身を振り返っても、学生の頃はかなり性格がひどかったような気がするし、ちゃんと「他者を他者として扱う」ということができていなかった。「他者を満足させることで自己を満足させる」という基本方針ができていなかった。20歳を過ぎてもそうやって変わるんだから、子供は半年くらいでふっと変わったって別に不思議なことじゃない。


 あと関係ないけど、甥っ子の兄と一緒に映画を見に行った。弟の方は興味がないから行かないとのことで二人で行ってきた。レンタカーの助手席にいたお兄ちゃんが急に「気持ち悪い。吐きそう」と言ったかと思うと、急にしゃーっと吐いて、(えっ)と思ってびっくりしたけど、なんか懐かしい気持ちになった。そういえば自分も小学生の頃はよく車酔いして吐いたりしていたなあって記憶が一気に蘇ってきて懐かしかった。隣で吐いてる本人にしたら(懐かしがってんじゃねーよ!)という状況だろうけど。「レンタカーの新車っぽい匂いが苦手」と言っていて(わかる!)と思った。
 お兄ちゃんは吐いたらすっきりしたらしく、その後はぴんぴんしていた。映画を見ている間も平気そうだった。車はマットを洗って消毒したら臭いもなくきれいになったから大丈夫だった。
 帰宅した直後、お兄ちゃんは母親(僕の姉)に「車で吐いた」と自己申告していた。僕は姉に「レンタカー大丈夫だった?」と心配されたり申し訳なく思われるのも嫌だなと思って(そんな大した話じゃないし)、姉には言っていなかった。そうした「自分にとって都合の悪いこと」を先回りして報告できるのはすごいなと思った。テンションが上がってて嬉々として報告してただけかもしれないけど。


 あと勉強はどうも弟の方ができるっぽい。今回姉に言われて二人とも冬休みの宿題を見てあげたけど、弟の方が理解しながら解いているという感じだった。お兄ちゃんは漢字のテストが20点だったという。ただ字がすごくきれいなので「でも字が上手」と言ったら、別に嬉しそうな顔をするわけでも照れるわけでもなかったけど、その後で弟に勝手に書かれた回答を消しながら「もうー、こんな字じゃ汚いもんねえー」と言いながら書き直していたから、(あ、やっぱり誉められるとそこに誇りを置くんだな)と思った。誰だってそうだし大人だってそう。
 この「弟の方が勉強ができる」というのはたぶん今の時点でももう兄にとってコンプレックスになっているのかなと思う。弟の方は他人からデブとか言われて傷ついたりしてる。一撃の致命傷じゃなくても、じわじわ毒みたいに効いてくる。それはもう誰もが多かれ少なかれ持つことだけど、上手に「まあ良くないところもあるけどそれも含めてトータルで自分に満足してる」と自分を肯定できる状態になっていってくれればいいなあと願っている。年に数日しか会わない叔父ができるのはせいぜい、彼らのいいところを見つけたら積極的に「あんたはここがええがね」「よーできとるがね」と言ってあげるくらいしかない。
 姉とは標準語で喋るのに、どういうわけか甥っ子たちには昔から岐阜弁むきだしで喋っていて習慣化してしまった。最初小さい子供とどう接していいか分からなくて、たぶん照れ隠しかキャラを作るかして喋っていたら(方言の方がババア感が出て遠慮なく喋れて)、そのまま定着してしまってもう今さら直せない。

やる気をギガドレインみたいに吸い取るタイプの人

 会社で最近、課をまたいだプロジェクトグループに参加した。メンバーの他に元部長がアドバイザーとして参加していた。元部長はアドバイザーの枠を越えてほとんど活動を主導していた。リーダーを含めたメンバーの意見はアドバイザーによって修正され、アドバイザーの「こうすべき」という方向に必ず帰着する。(その結論自体は合理的でとても納得性の高いものになっている。)
 アドバイザーの考えから外れた意見をメンバーが出した場合、「なぜそれが間違っているか」を全員の前でダメ出しされる。メンバーは「自分の考え」ではなく「アドバイザーが思う『こうすべき』に合致する考え」を言うようになっていく。


 僕は最初、メンバーに割り当ててもらったことは嬉しかったし、きちんと成果を出して意義のある活動にしたいと思っていた。しかし参加して一回目の会合でもう、「元部長の考えを先回りして当てるゲーム」を自分がしていることに気付いた。僕や他のメンバーが存在する意味がなくて、元部長が一人でやっているのと変わりがない。活動への意欲が一気に減退してしまった。
 ずっと黙っていると「積極性がない」「考えてない」「貢献していない」と見なされて責められる。しかし無闇に意見を言って邪魔をすればそれも攻撃対象になる。「たぶんこういう方向に持っていきたいのだろう」と正確に推定して、議論を進めている風なタイミングで発言して、しかし最後は元部長が示した結論に乗っかる。そんな、生産性の高いすてきなゲームです。


 元部長と直接一緒に何か仕事をするのは初めてだった。ものすごく優秀な人だと思っていたし、一方でみんなから嫌われていたのも知っていたけど、なるほどこういうことなんだと思った。
 議論するコスト > 得られるリターン
がはっきり予見できている状況だと、自動的にみんなあのゲームに突入してしまう。その方が全体にとってトータルで得だと分かっているから、そうせざるを得なくなる。
 誰だって大人で自己決定権を持っているのだから、それが否定されるのは耐え難い。上手くゲームをこなせる人は「そういうゲームをプレイしてるだけ」と自嘲気味に言うし、上手くできずに怒られる人は「あの人ムカつく」と文句を言うことになる。


 このタイプの人は初めてじゃない。昔、自分の上司(課長)で全く同じタイプの人がいた。ただその人はこの元部長よりもずっと激しく、より直接的に相手を否定して押さえつける人だったから、その人のことを思い出すと元部長はまだ全然大丈夫という気もする。
 二人ともよく似ている。本当にロジックを構築する力は優れていたし、物事のどこが肝心なポイントか押さえるのは的確だ。判断が紛れもなく優れている。圧倒的に優秀なのは間違いない。そして「自分が組織をより良くする」「自分がこいつらを育ててやる」という気持ちも強いのも似ている。


 これは一種の「キャラの呪い」なんじゃないかと思っている。
 ロジックを正確に・素早く構築する能力の高い人にとって、周りと話していて「どうしてそんなことが分からないんだ」「この前提からその結論にはならないだろ」「判断材料のここが足りないんだから集めろよ」という気持ちになるのは仕方のない面がある。そしてそう指摘すると相手は「そうですね。そうします」となる。その環境が何年も、何十年も続けば、「自分はここにいる誰よりも分かっている」「自分がこいつらを指導してやる」という感覚が固定されても不思議じゃない。
 そうやって一度キャラが設定されると、自分自身でもその一貫性を裏切れなくなってくる。もうあらゆる場面で「自分の方が正しい」をやり続けることになる。本人のやり方に任せればいいじゃん、と思われるような細かいところ、例えばパワーポイントの資料の作り方とか、電話の受け答えの仕方とかにまで口を出し始めてしまう。
 時々抜けてて他の人に間違いや忘れを指摘されて、自分にそこまで自信を持てないでいる方が、かえって恵まれているのかもしれない。


 そういえば二人とも雑談が下手というのも似ている。雑談って、特に結論を求めることを目的とせずに、興味・関心のポイントをお互いに譲り合いながら、「相手がどう思っているのか知りたい」を原動力にして連想ゲームみたいに話題を変えながら進めていく営みなのだと思う。雑談はたぶん「無意味であること」に意味がある営みで、それを通じてお互いを了解可能な存在にしていって「この人とは話をしても大丈夫、許してくれる」という安心感を作っていく。でも「合理的な結論を見いだすこと」や「自分の方が相手より認識が正しいと示すこと」に目的を見出す習慣が強いと、そもそも「雑談」が成立しようがない。多少「自分はそうじゃないと思うな」と思っても、「でもあなたがそう考えるというのは理解できる」でスルーしないと雑談は成り立たない。それがたぶん上手くできないのだと思う。


 元日に書く話じゃない気もするけど、まあいいや。割と最近そんなことがあったので、忘れないように記録しておこうと思って。

山内昌之『イスラームと国際政治』

https://bookmeter.com/reviews/77454839

中東だけでなく、アジア・アフリカのイスラム国家や、アメリカのブラックムスリム(黒人のイスラム教徒)も解説されている。雑誌連載をまとめたもので、全体で大きな解説というより各トピックに関して歴史的な経緯や現状がコンパクトに解説される。98年の本で、20年前の時点ではどう見えていたのかが知られて面白い。特に中央アジア旧ソ連の一部や国境を接していた国々(カザフスタンウズベキスタントルクメニスタンタジキスタンキルギスタン)の当時のロシアとの関係性や、日本がどう関わっていたか解説している本は珍しい気もする。

イスラームと国際政治―歴史から読む (岩波新書)

イスラームと国際政治―歴史から読む (岩波新書)