やしお

ふつうの会社員の日記です。

読書メモ

徳成旨亮『CFO思考』

人を元気にさせるような内容だった。単に「CFOの役目」の話に留まらず、グローバルな視点で日本や日本企業がどう見えるのかを含めて語る点が本書を面白くしている。それは著者が三菱UFJニコンCFOとして、海外の投資家・機関と相対する中で意識せざるを得なかったという。例えば日本の「事業の多角化や転換で会社を永続させる」スタイルは、米国の「会社はタイムリーに清算して社員を労働市場にリリースすべき」方針とは異なるが、社会の安定には資する。そうした特質を「グローバルな常識と違う」と否定せず、両立を考える。


 CFOの役目は、「どこまでリスクをとり得るか」の範囲を正確に理解して、リスクの取り過ぎを戒める金庫番としての役目と、リスクの取らな過ぎを監視する役目の双方が必要だという。前者の「金庫番」の役目は従来からよく認識されていたが、後者の経営層へ投資を後押しする役目は軽視(ないしそもそも認識されていない)されがちだったという。
 単に「利益さえ生めばいい」ではなく、根本としては「世の中にこれを実現させたい」という情熱がないとダメなんだといったことが語られていたのが、読んでいて元気になるところ。

 

更谷富造『漆芸』

https://bookmeter.com/reviews/118756181
欧米に存在する日本の古い漆芸品の数に対して、復元家の数が極めて少なかったという。漆器産業では工程別の分業制の一方、修復は全工程をこなす技量が必要となる。修復を生業にした著者は、オーストリアの美術館→公爵家おかかえ→独立してロンドン→米国と実績を積んで帰国。世界中から依頼がひっきりなしに来るという。「ブルーオーシャンを上手く開拓した」とも言い得るが、根本は「漆芸品はすごい、自分も漆器の職人ではなく本物の漆芸家になる」という情熱だろう。最近あらためて漆器・漆芸品に興味が出てきたので13年ぶりに再読した。

 

細川重男『執権』

https://bookmeter.com/reviews/118686145
鎌倉時代の将軍-執権関係が、古代の「天皇を輔弼する武内宿禰」のコピーとして正統化されているという。その場合、天皇-将軍、将軍-執権と宿儺構図の多重化が生じるが、そうした点が「将軍がダイレクトな統治者」スタイル(室町・江戸)に比べて体制が安定しない要因になり得るのだろうかと思った。権力と体制がどう形成されたかが、丁寧に解説されて、大胆に図式化されて面白かった。

 

旦部幸博『珈琲の世界史』

https://bookmeter.com/reviews/118703078
世界的な一次産品にまつわるエピソードの数々が面白い。エチオピアでは日本の茶道のようにコーヒーセレモニーという文化がある。ヨーロッパの他の国では「男性がカフェで飲むもの」だったがドイツでは「女性が指摘空間で淹れて飲むもの」だった。アメリカがコーヒー消費国になったのはボストン茶会事件がきっかけ。北欧が消費国になったのは第一次大戦中南米産のドイツ輸出が滞った分が流入したのがきっかけ。キューバ革命アメリカが高品質のコーヒーをソ連から買う状況を生んだ。等々。

キューバが革命で社会主義国になる。
中南米での革命の連鎖を米国が恐れる。
→経済・政情の安定化のため国際商品協定(コーヒーを含む)の枠組をつくる。
→加盟国を輸出国/輸入国に分けて受給調整・価格調整をはかる。
→協定向けのコーヒーは、品質を向上しても販売量・価格に反映されないため、協定向けコーヒーは品質が低下し、余剰分/高品質品は協定外(東側諸国)へ低価格で横流しされる。
→加盟国消費者(特に米国)にとって「東側のコーヒー消費を自分達で支えている」形になる。さらに高品質品をソ連に中間マージンを払って入手することになる。

 

林秀樹『ジリ貧パチンコホール復活プロジェクト』

https://bookmeter.com/reviews/118721338
パチンコ屋の経営改善は「数字と実感には乖離がある」が全ての施策のベースにあるようだ。客の実感(出玉感)と店の数字(利益)は完全なトレードオフにはならず、出玉感の最大化と利益の追求が矛盾しない。例えばS値が0.2変化しても客は気付かないが利益には大きな影響がある等。大手ホールのように人気の新台はタイムリーに手に入らない。ハンデを背負った中小ホールは、愚直にデータを見て、店の環境を整え、組織を効率化するほかない。知らない業界の話、それも「斜陽産業で中小がどう振る舞うか」の話は面白い。


 途中、パチンコは単に数字ではなくて、玉の動きが面白いはずで、予測できない複雑な動きが、視界にいくつも同時にあることが刺激になっていて、それがなくデジタルの画面が動くだけなら玉である意味がない、中古機種を選ぶにも調整するにも、そういう面白さをきちんと考慮しないとダメ、みたいな話をしていたのが、なんか良かった。こう、ギャンブルとしての刺激というより、プリミティブな快楽って感じで。


 パチンコは自分では全くやらないけど、ある種の思い入れがある。
 子供の頃に両親がパチンコ屋に勤めていた。岐阜市内の繁華街(柳ケ瀬)にあった非チェーン店で、父が店長、母がカウンタースタッフだった。
 当時幼稚園児~小学生だった自分は「店長の子供」として店にもよく遊びに行っていた。両親は土日休みではなく不定休で、早番と遅番もあったから、家に置いておくのが難しかったのかもしれない。開店前や、時々は締めの時間にも店にいた。早朝に柳ヶ瀬のミスドでハムタマゴパイを食べたり、喫茶店でモーニングを食べたりするのも好きだった。
 今はそのパチンコ屋は別のパチンコ屋に変わっているようだ。もう四半世紀以上前の話。

 

仲里成章『パル判事』

https://bookmeter.com/reviews/118897980
東京裁判A級戦犯全員無罪を主張したインド出身の判事ラダビノド・パルの評伝。所得税法の専門家が、一種の手違いで判事に任命され、事後的に国際法の勉強を始める。インドの知識人層、特にナショナリストには中国を侵略した日本への反感があった一方、パルらベンガルの郷紳は力への信仰から弱小国を軽蔑する価値観があり、そのことがインド本国に反する形で日本の帝国主義を擁護した素地となったという。戦後、日本の国粋主義者から、日本無罪論の根拠として利用されていく経緯を実証的に描く。

 

我妻俊樹、平岡直子『起きられない朝のための短歌入門』

https://bookmeter.com/reviews/118908390
現代の歌人が、どういった内在的なロジックや価値観で短歌をつくったり鑑賞しているのか、その一端に触れられて非常に面白かった。言葉とそれによって喚起される感覚や記憶を、際の際まで突き詰めていくような営み。実作を解説されることで、日常的な言葉の運用や価値観のみからは見えない、その歌の持つ凄さを知られる一方で、このベースをとっかかりだけでも共有しないと理解が難しいというハードルがあり、本書はその橋渡し役を果たそうという試みなのだろうと思った。

 

五十嵐太郎新宗教と巨大建築』

https://bookmeter.com/reviews/118999114
宗教建築は、その宗教の教義や形成過程と不可分なはずで、建築物のスタイルだけを云々するだけでは不十分なはずだという問題意識から出発する。特に明治期以降の新興宗教は(仏教やキリスト教建築と異なり)「いかがわしい」「怪しい」という先入観で建築も評価されがちだという。天理教は、単に本部の建築だけでなく、まちづくりまで発展していくのがやはり特異だ。各宗教建築が、寺や神社など既存宗教の建築の要素・モチーフをどういう経緯や意図で取り込んでいるのか、あるいはズラしているのかといった解説も面白かった。

 

谷知子『和歌文学の基礎知識』

https://bookmeter.com/reviews/118999750
「意味を担わない枕詞が和歌に存在する」ことについて、その後の歴史的過程での衰退も踏まえ、成立期においてはそもそも日常会話と隔絶していることが和歌の存在意義であって、「これは歌だ」と明示するような効果があったのではないか(土地にかかる枕詞が「土地褒め」という呪術的な意義を持つことも含め)といった考察が展開される。31のトピックについて、単に「和歌はこういうもの」と紹介するだけでなく、「和歌という営みが当時の人々にとってどういうものだったのか」を伝えてくれる本になっている。

 

鬼龍院翔『超!簡単なステージ論』

https://bookmeter.com/reviews/118924614
「徹底的に客を平等に扱う」という点で、サイゼリヤに近い精神だと感じた。内輪ネタで初見の客を置き去りにしない。曲紹介を入れてファンでない客も理解できるようにする。ノリ慣れていない客も楽しめるよう振りを強要しない。ステージが見辛い客に配慮する。「困った客」の相手をして他の客の時間を奪わない。それらを「客に優しい」と言われると違和感があると著者は言う。アーティストとして良い作品を提供するだけでは足りない、同時にサービスの提供者としての側面にも当然意識が必要なはずだ、という認識があるのだろう。

 

藤田達生『江戸時代の設計者』

https://bookmeter.com/reviews/118986533
藤堂高虎の業績を見ると、とりわけ築城に関して卓越した技術を発揮した人だと分かる。面白いのは、戦国時代~江戸時代初頭だと、純粋なテクノクラートではなく、戦闘集団の指揮官、紛争や利害対立の調整者・交渉役、地域の統治者といった役目でも活躍しているという多面性があるところ。豊臣恩顧大名ながら家康側近という特異なポジションは、この多面性に由来し、かつこの多面性を実現させているのだろう。さらに江戸時代に入り、藩が形成されてくると、地域運営のコンサルタントとして各地の指導にも入っている。

 

前田鎌利『教養としての書道』

https://bookmeter.com/reviews/118986145
ビジネス書の体裁を取っているが、「ビジネスに役立つ」といった観点には囚われず、書の歴史、道具、書体・書風、書家等について基礎的なトピックを幅広く取り上げて、書に関して何も知らない人でも一般知識を得られるような本になっている。踏み込んだ内容や、著者個人の価値観や思考の展開はほとんど含まれないのは、自分で書かない人にも一つの窓口として機能してほしいという著者の願いが込められているような本なのかと思った。


 全然内容と関係ないが、本書の副題?の「世界のビジネスエリートを唸らせる」って、いなば食品の「世界の猫を喜ばす」をちょっと思い出した。

 

大河内薫、若林杏樹『お金のこと何もわからないままフリーランスになっちゃいましたが税金で損しない方法を教えてください!』

https://bookmeter.com/reviews/118765226
書名の「損しない方法」という言い方は正しい。「節税」はあたかも「税金を(ずる賢く)節約している」と思われがちだが、本書を読むと「何もしなければフリーランス(事業所得)は会社員(給与所得)と比較して損な状態」にデフォルトで置かれている。例えば会社員は収入に応じて自動で最大195万円の給与所得控除を受けられるが、フリーランスは自力で申告し、大量のレシートを7年保管し説明可能な状態を維持しなければならない。フールペナルティ的なシステムだと感じた。私自身ずっと会社員を続けているが、仕組みを知るのは重要だと感じた。

 

野村克也『野村ノート』

https://bookmeter.com/reviews/118971105
選手は褒めておだてて気持ちよくプレーさせるという風潮に対して、短期的に結果は出ても、長期的には続かないと指摘する。チームとの協調や貢献の意味から、社会常識やマナーまで「人間教育」を根気強くやる/叱る必要性を強調している。私自身は「教育機会の提供はしても学ぶかは本人次第」「本人の価値観のベースには踏み込まない」(相手は大人でもあり)という考え方でいたが、組織の持続可能性という観点だとそこまで踏み込まないと、組織力向上が運任せになってしまうということなのだろう。


 人間教育の必要性が強調されるのは、プロ野球チームと一般企業(特に大企業)との採用時のフィルタリングの方向性の違い(野球の技術を優先して採用するのと、その会社のカラーに合っていそう・社会常識が身についていそうな人物を採用する違い)もあるのかもしれない。
 実力と模範的な態度(身勝手ではないチームへの献身的な態度)を備えたエースが必要で、そうした人物がいることで、周囲が「自分もやらないと」と思って全体がいい方向に向くという話もあり、自分自身も会社の中のことを考えると確かに納得できるところもある。そうした人物が運任せで出現するのを待つより、教育によってその出現率を上げないといけないという話なのかと理解している。

 

市井豊『予告状ブラック・オア・ホワイト』

https://bookmeter.com/reviews/118894529
川崎市南東部(川崎区・幸区)が舞台の探偵ミステリ。市内の夢見ヶ崎動物公園を訪れたら、事務所に「当園が舞台です」と紹介されていて本書の存在を知った。怠惰な探偵と生真面目な秘書の二人組の掛け合いで、殺人もなく、人情味のある話が展開される。TVKで実写ドラマ化したら楽しそう。『川崎ご当地探偵 九条清春』などの書名の方がしっかりリーチしたのでは……という気持ちにちょっとなった。

 

編集の学校、文章の学校監修『編集者・ライターのための必修基礎知識』

https://bookmeter.com/reviews/118965013
出版社の編集者は、プロデューサー、ディレクター、アシスタントディレクター、アートディレクターの4つの役目を兼ねるという。本書で紹介される広範な仕事を見ると、確かにそうなっている。装丁や校正・校閲、営業など専門部署や他社にアウトソースする業務であっても、委託元の編集者にも一定の基礎知識が必要になる。これだけ幅広い業務を丁寧にやろうとすれば、極めて多忙になるのだろう。本書は企画から流通まで、基本的だがある程度の詳細さで事例も交えて解説されていて、よくある解説書より読み応えがあった。

 

慢性人員不足の負のスパイラルあるある

 少し前にテレビ番組の「カンブリア宮殿」で、医師1名のクリニックで、高い水準で患者ファーストを実現できている、結局それは人員の大幅増で実現できた、と紹介しているのを見た。
  2023年9月21日 放送 おおこうち内科クリニック 院長 大河内 昌弘 (おおこうち まさひろ)氏 |カンブリア宮殿: テレビ東京


 その後で、財務省文科省に「人員不足はどの業界も共通課題なのだから、教員も数のみに頼らず学校運営を効率化すべし」と指摘したという話を見かけて、並べると趣深さがあるなと思った。
  「数に頼らない学校運営を」 教員不足への対応で財務省が注文


 クリニックは、当初はどんどん人が辞めていく状況にあったと紹介されていて、今の自分の職場もそれに近いところがあるなと身につまされた。


クリニックの取組み

 患者ファーストは、

  • 待ち時間が短い
  • 専門外の症状も断らずに見てくれる
  • 先生がきちんと話を聞いてくれる
  • 診断書や検診結果を即日で出してくれる
  • 家族が手術を見学できる
  • 患者が暑そうなら冷たいおしぼりを出すし、足が悪い患者なら駐車場まで出迎えて見送る

といった、普段患者側も「病院ってこんなもんだよね」と若干諦めているような諸々が解消されている。


 それらは、一般的なクリニックよりもはるかに多いスタッフによって実現されている。

  • 問診表の電子カルテへの記入は医師ではなくスタッフが事前に済ませる。
  • 診察中の内容(薬の指示等)は医師の後ろにいるスタッフが入力する。
  • 「医師でなくてもできる作業」を全てアウトソースすることで、医師が本来の業務に集中できる=パソコンばかり見ずに患者を見て、診察時間の短縮と患者を診る時間の確保を両立させる。
  • 患者の回転数、処理能力を上げて、人件費を賄う。

 

 院長は、大学病院勤務をしていたが、患者がないがしろにされていると感じて、20年ほど前に独立して今のクリニックを開業したという。しかし当初は、待ち時間の長さやサービスの質の低下でクレームが頻発し、疲弊したスタッフが次々に辞めてしまい、何とか補充してやりくりしながら回している状況だった。新規で補充しても練度が低いから、どんどん辞めてしまうと現場はとてもつらい。
 開業当初から在籍しているスタッフが「あれは地獄だった」と振り返っていた。確かに医療現場ってそういう職場環境のイメージがあるよね、と思った。


 開業から4~5年が経って、これではダメだということで、少しずつ人を増やしていったという。
 村上龍(番組の司会役)が院長に「人を増やせば人件費がかかるのでは」と問うと、「収支はトントン」とのことだった。
 少しずつスタッフを増やしながら、患者の回転率を上げて、また人を増やして……とゆっくり変えていったという。いきなり大きなコスト増では破綻するので、コスト増と増収を連動させてゆっくり増やしていった結果らしい。


 スタッフの定着を図るにはスタッフを大事にするしかないとのことで、持病のあるスタッフの治療費はクリニックが負担し(自身が病気を体験した人は患者に寄り添えるという理由から、持病のあるスタッフを積極的に採用しているという)、外部セミナーの受講費用等も負担するという。


財務省の教員不足への認識

 記事による限り、文科省の教員不足の対策要求に対する財務省側の見解は以下のようなものだった。

  • 人手不足は教員に限らない。効率化の対応が民間企業に比べて弱い。
  • 教員になった人の奨学金返済を免除する制度は、不公平だし、効果も分からず疑問。
  • 教員不足は一過性。近年の大量退職+大量採用の結果で、若手教員が産休・育休を取ったことによる。
  • この10年間で教員採用試験の受験者も減っていないから教員不足ではない。
  • 時間外手当も含めると、地方公務員の年収より教員の方が高いから待遇は悪くない。
  • 外部人材(教員業務支援員)を拡充しても勤務時間が30分/日(在校等時間)しか減っていないから効果が出ていない。

 

 正確には財務省というより「財務相の諮問機関の部会(財政制度等審議会の歳出改革部会)」での意見であることと、記事の媒体(教育新聞)が教員や学校行政寄りの立場でまとめられているのだとしても、「財政規律派の財務省であれば自然にそう言うだろう」とつい思ってしまう内容になっている。


人員不足あるある

 費用を出す側、管理側から

  • 本当は数足りてるんじゃないのか?
  • 不足というならデータを出せ。
  • 人不足じゃなく業務に無駄が多いんじゃないか?
  • 人を増やしたのに業務時間が減っていないのはおかしい。

と言われるのはあるあるだなと思った。
 自分が管理側だったら(そして費用抑制の圧力や指針があったら)同じようなことを言うかもしれない。
 クリニックの場合は、組織規模が小さく、院長がプレーヤーとマネージャーを兼ねていたから、要求側と管理側の乖離がなかった。


 クリニックのケースからすると、単純に教員の数を増やすというより、スタッフとスペシャリストの役割分担を明確化して、スタッフを増やしてスペシャリストが本業に完全に集中できる状況を作る、という話なんだろうと思う。


 人員増やしたのに業務時間減ってないのおかしい、と言われるのもめっちゃよくある。「1人が2人に増えたら、1人あたり業務量が半分になる」とはならない。
 人員不足下の環境は、「本来やるべきだけど時間なさすぎてやってなかった業務」が存在する。人が増えれば当然、その「本来やるべき業務」にようやく手をつける。院長だって、スタッフ増やしてそのまま自分の業務時間は減っていなくて、その分を患者対応に振り向けてるわけだし。
 コップから水があふれてびしょびしょになってます。もう1つコップを用意したら、あふれた水を無視してびしょびしょにしたまま分配してめでたしなわけないでしょ、という感じ。


職場の話

 今自分がいる職場も、ここ数年で結構人が辞めていってる。若手社員が転職したり別部門への異動を希望したり、派遣社員が遺留されても辞めてしまったり、ベテラン社員も健康問題などで退職している。この1~2年で5,6人がいなくなっていて、一つの課としてはかなり多い。
 その都度、新しい派遣社員が来たり、中途採用の社員を入れたり、他の部署から異動するなどして補充されている。自分も半年前に別部署から移ってきているので、そうした補充の一環かと思う。(最初は自分のキャリア形成のための異動かと思ったけど全然違った。)


 補充して数合わせをしても、当たり前だけどフルで能力が発揮できはしない。その間苦しい状況が続く。
 人員不足だと教育に割く余力も小さい。いつまでも補充した人の力を引き出せない。元いたメンバーもあまり楽にならず、補充された人自身も「自分の力が十分に発揮できていない」と感じて辛くなる。


 人員不足だとひたすら目前の締切りに追われてタスクをこなすだけになる。自分が成長できているという実感も湧かないし、本当にやるべきことをやれていないという感覚はストレスになっていく。
 よくあるマズローの5段階説でいう自己実現欲求が満たされない。「このままここに居ても未来がない」という気持ちになってくる。
 私自身も、「ちゃんと業務を理解して(技術力を上げて)、高い水準でやりたい」という気持ちがあっても、目の間にどんどん積み上がっていくタスクをちぎっては投げちぎっては投げしてると毎日10時間とかがいつの間にか消えていて、学習する時間がまるで取れない(それでも週にわずかに無理やり捻出している)。正直うんざりしている。前の職場に戻してほしいという気持ちがそこそこある。
 「世の中仕事なんてそんなもん、前の環境が甘かっただけ」と言われると(財務省の「人不足は教育現場だけじゃない」に通じるものがある)「そうスね……」としか言いようがない。


 業務の効率化・標準化を進めるべし、と言われても余裕がないと取り組めない。
 「しっかり効率化できていれば今の人数でも十分なはず」「しっかり標準化できていれば人の入れ替わりがあっても短期間で対応できるし業務をアウトソースできるはず」はその通りだけど、それができるには、

  1. やるべきことすらできていない状態
  2. ギリやるべきことまで手が回せている状態
  3. 手一杯だけど改善に思いを馳せる余裕がある状態
  4. 通常業務に加えて改善も取り組めている状態

の4段階目まで余裕が生まれるくらいに一旦人を入れないと現実には難しいのかもしれない。
 けれど、1と2の間で「人を入れたのに労働時間が減ってないのは改善への取り組みが足りない」と判断して、「人を増やさない理由」を作ってしまうと、永遠に4には辿り着けない。(実際にはきれいに上記のようにシーケンシャルにはならなくて、1の状態で、無理やり効率化・標準化の活動を組み込んで、蝸牛の歩みで進めるような感じ。)


 それでまた人が辞めると、本当にパズルみたいなやり方で人充てをしないといけなくなる。飲食店でバイトをやりくりするのと同じ感じだけど、そこまで業務が標準化もされていなくてスキルが十分かどうかで選ぶ余裕もない。スキルが不足した人のカバーに優秀な人が入ったり、結局はスキルのある人にしか振れなかったりで、優秀な人が疲弊する。
 本人の思うキャリア形成との擦り合わせをする余裕も全くなくなる。そうするとその人も辞めたくなってくる。


 そんな慢性的な負のスパイラルがある。


 今の職場は

  1. コロナ禍や寒波でかなり大きな混乱(部材の調達困難)が起きた際に、トラブル対応で職場が疲弊した。
  2. 一つの課で業務分掌・組織機能が広範なために、外部から見てブラックボックスになりがちだったり、マネージャーが管理しきれない。
  3. 本社共有部門やトップマネジメントから人的リソースを度外視した改善要望や対応要望が大量に期限を切って下りてくる。

といった要因でこうなっているのかと思う。
 1つ目の混乱は収束しつつあり、2つ目も課の分割までは行かなくても多少課内の体制分けができたりもしているが、一度負のスパイラルが発生すると、その発生要因が除去されても、回転運動自体は慣性力で止まらなくなる。3つ目はどうしたらいいのかはわからない。



 いっぺん入ってしまったスパイラルを断ち切るには、一旦人を増やすのが結局は近道なんだろうかという気持ちに、クリニックを特集した「カンブリア宮殿」を見ながら思っていたところに、財務省が教育現場の単純な増員を牽制してるといった話を見て、(そうそう、管理部門が許しちゃくれねえのよねえー)という気持ちになったのだった。
 世の中いろんな職場でありふれた話なのだろうとは思う。



以下は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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中年会社員が部署異動してつらかった話

 会社で部署異動になって5ヶ月超が経った。経験のない業務分野で係長クラスになっている。
 今まで会社勤めをしていて、業務内容に特にこだわりもなく、それなりにやれてきたから、まあ大丈夫かと思っていたけど、あまり大丈夫じゃなかった。結構つらかったし、割と嫌な気分になっていた。(今は割と大丈夫。)
 どの辺が辛かったかとかメモに残しておこうと思って。


異動前

 大手メーカーに新卒で入社して15年ほど勤めている。
 前の職場(比較的製造現場に近い技術系職場)では、4年ほど担当者として働いた後、係長ポジションになって4年ほど働いた(係のメンバーは10名弱)。


異動

 同じ事業部門の中で別の課に異動した。異動先の課の業務内容は、漠然とした理解しかなかった。
 30名程度の課で、25名の係の係長をしろとのことだった。もともと課の管掌範囲が広いこともあり、十分にマネジメントが機能しておらず、その辺りを助けてほしいみたいな話だった。
 係の中に5つチームが存在し、チームリーダーがいる(自分の異動と同時にそのように再編される)という説明だった。


個人的な係長感

 「係の中のリスク管理」が係長に基礎的に要求される仕事という認識で、前の職場ではやっていた。およそ以下のような感じ。

  • 係内部で起こっていること(メンバー全員の状況)を正確に把握する。
  • 上位レベル(課・部・事業部門)の目標を、担当者レベルの粒度に分解する。
  • トラブル時等、必要があれば担当者に変わって対処する。
  • 上記のために係長は実務を理解する必要がある。
  • メンバーがムリ・ムラ・ムダなく働ける状態を実現させる。(複線化や省力化)
  • リスク管理は、リスクを取る(それ以上やらない/完成度を捨てる)ことも含む。リスク低減で「念のため」の業務を増やすとメンバーが疲弊し、トータルでのリスクが増大するため。

 

 よく「リーダーは組織の方向性を明示してメンバーを導くものだ」と言われる。リスク管理が仕事と言うと「リーディングをやれ」と言われそうだけど、係長レベルだと結局は↑のリスク管理でほぼイコールになるから、いいんだと思っている。
 どっちみち組織全体の方向性は上位目標で定められていて、その上位目標との調和がリスク管理の大前提になるし、かつ長期的なリスク低減を目指せば組織の持続可能性の維持(メンバーのキャリアやグループの成長を考えること)とイコールになる。
 あとリーディングとマネジメントの両者が必要だとして、そもそもマネジメント(リスク管理)ができた上でリーディング云々の話だろう、という理解。(管理者ならふわふわしたこと言ってないでまず足元をしっかり管理しろ、という気持ち。)


 基本的には↑の認識から、前の職場ではある程度それが維持できていたかなと思っている。


やりにくさ

 上記の係長感を持ちながら、異動後は以下のような要因で十分に実現できていない、やりにくいと感じている。

  • 実務能力のなさ
  • 管掌範囲と組織体制の不一致(リポートラインの不明確さ)
  • 裁量の狭さ

 

実務能力のなさ

 異動前に、異動先の課長との面談で「2~3ヶ月程、実務を経験させてほしい」とお願いしたが否定された。「実務を担当するとそれに忙殺されて、マネジメントができなくなってしまうから」という理由だった。
 これは現状のマネジメント層が、個別事案に忙殺されてマネジメントができなくなっているという実情・課題認識から来ているのかと思う。


 異動後に「とりあえず出てみて」とのことで色んな会議にせっせと出席してみたものの、当初は本当に「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットにします」って聞こえるみたいな感じ。入社したての頃を思い出してちょっと懐かしかった。
 分からない用語をひたすらメモして、前後の文脈や他の場面で聞いた内容から意味を推測したり、わかりそうな人に後で聞いて、という(新人のときと同じ)作業を繰返して多少は理解が進んだ。
 あとは課内業務の説明や、個別テーマの教育もあった。


 ただOJTの指導者(質問する相手)が設定されておらず、その代わりに課長本人が「わからないことは聞いてね」という感じだったが課長も多忙で気軽に聞けない環境なのは、少しやりづらさがあった。担当者としての異動でない辛さかと思う。
 マニュアルが細かく整備されているわけではなく、基本的には「やって覚える」「見て覚える」の世界なので、実務を経験しない+指導者が明示的にいない中だと、用語を理解しても自家薬籠中の物にするのが難しいと感じた。
 実務が分からないと潜在リスクを正確に取り出すのが難しい。


管掌範囲と組織体制の不一致(リポートラインの不明確さ)

 課内の業務種別として、A業務、B業務、C業務、D業務(Dは改善・仕組み・インフラ整備系)とおよそ4種類ある。
 係1がABC業務を担当(25名)、係2がD業務を担当(5名)という構成で、自分は係1の係長になっている。
 係1の中に5つチームがあり、C業務は1つのチームとして独立しているが、残り4チームはAB業務が混在している。またAB業務には国内担当/海外担当という区分もあるが、それでチームが分かれているわけでもない。


 チームリーダーがA業務担当で、チームメンバーにB担当の人がいて、その業務管理をしようにも、リーダーはA業務しか詳しくないので、ただヒアリングするしかなく判断ができない、といった状況が生じている(文句が出ている)。(これはちょうど自分の「実務がわからない」話とも近い)
 課長は「以前は業務別に分かれていたが、縦割りで課内のコミュニケーションに課題があった」とごちゃ混ぜスタイルにした意図を説明している。


 課と係1の規模がほぼ同じで、課長と係長1(私)の管掌範囲がほぼ重なっている。さらに課長と係長の間に課長補佐のポジションも存在しているので、リポートラインが不明確だった。
 3ヶ月ほど経って、課長が管理者4名(課長・課長補佐・係長2名)の分担を再定義してくれた。AB業務の海外分は課長、ABの国内分は係長1(私)、Cは課長補佐、Dは係長2という割り振りで、管掌範囲が明確になり、重複が解消されてやりやすくなった。
 ただ組織体制はそのまま据え置かれているので、係長1(私)は「ABの国内分が管掌範囲だが、形式的にはABC全てを管掌している」矛盾状態にある。


裁量のなさ

 これは課長のスタイルと、上記2つの課題に起因するところ。


 異同後、課内の複数の人から「課長に相談しても解決しなくて相談するのをやめた」という話を聞いた。異動前にその課長を外から見てる分にはそういうタイプに見えなかったから意外だった。
 実際に異動して確かに、と思った。ある程度結論まで固めて課長に相談を持ち込んでも、急激にふわーっとして結論が曖昧になって終わるケースが多い。「それだけじゃなくてこういう課題もあって何とかしたいよね(ちょっと考えてみてくれない?)」と言われて、確かにそれはそうだとは思いつつ、アクションを取るのに時間がかかる。
 「暫定策を取った後、恒久策を取ればいい」価値観より、「どうせなら一石三鳥をやりたい」価値観のようだった。「完成度3割でも0よりマシ」ではなく「これだと全体の7割ができてない」という価値観のように私からは見えている。


 完全にコントロールするか、指定範囲をフリーハンドでやらせてくれればいいけれど、「自分で考えてほしい、でも方法には口を出す」だとつらい。
 「マイクロマネジメントは良くない」という認識と、適切な粒度に分解する能力の不足が同時に存在すると、「手順に口を出すがどうするかは言わない」行動様式になるのかもしれない。
 整理整頓があまり得意なタイプではなさそうで、そのことが、適切な粒度でタスクを分解するのが不得手なことともリンクしているのかもしれない。粒度が適切でないタスクを相手に渡してしまうと、出力された結果が不十分なので、口を出さざるを得なくなってしまう。


 これも、私自身の実務能力が十分にあれば、課長の「気になる点」を先回りして潰してある程度解消できる。あるいは管掌範囲と組織体制が一致していて、課長とのすみ分けがきちんとできていれば「口を出さずに任せる」ができる。課長の個人的スタイル(価値判断)の問題だけではなく、先の2つの課題とも関連する。


課長に対する思い

 とは言え、課長が「こうしたい」というときは(自分の価値観と多少違っても)、なるべくそれを実現させたいと思っている。逆に自分が課長だったら、係長が支えてくれずに、ひたすら方針に反対するだけならめちゃしんどいだろうし。


 あと今の課長は、コロナ禍等で生産が非常に混乱し業務量が激増して、前の課長がメンタル不調で離脱した後、課長を引き受けてくれた人で、その点はみんな感謝すべきだろうとも思っている。「火中の栗を拾ってくれた人」にリスペクトもせず文句しか言わないのは、あんまりだ。


 よく「仕組み化までしたいよね」「人に依存せず回したいよね」と言われる。個人的には(泥臭くてもいいからまず今あるヤバいもんをキレイにしてからの話では)と思うが、そうして暫定策を積み重ねてきた結果、今の課がバタバタし続けてきたので、それを何とかしたい、というのは理解できる。「暫定策より恒久策に目が行く」のも、こうした苦しみから来ているのかもしれない。


 この辺の自身の特性や課題を本人も認識されていて、でもできない(ジレンマがある)と感じている様子なので、少し同情的な気持ちでいる。
 上司とかって、そりゃ完璧にこなしてくれれば最高だし、下の人達は「そのポジションである以上はちゃんとやれ」って突き上げがちだけど、結局は本人のやれるようにやるしかないんだと思っている。
 給料だって突き抜けて高いわけでもないのに、業務量は多いわ、矢面に立たされるわ、本当に大変だと思う。


根本的・構造的な課題

 より根本的には、課の管掌範囲がそもそも広過ぎるのが問題だと異動してつくづく思った。ABC業務それぞれで別の課でもおかしくない。事業部門の中には5名程度の課もある中で、30名いるのも多い。
 管掌範囲が広くても、課長は一人しかいない。何かあった時に上位から求められる「課長が把握してる深さレベル」は変わらない。振ってくる案件を振り分けて、結果を確認する作業だけでも幅が広ければ負荷が高いし、会議やメールも多くなる。


 一人の人間が見られる「体積」は多少の個人差はあってもおよそ一定なのだと思う。見ている面積が広ければ浅くしか見られない(管理者)し、見る面積が狭ければ深くまで見られる(担当者)。
 管掌範囲が(他の部署と比べて相対的に)広過ぎれば、より浅くしか見られないはずなのに、一定の(他の課長と同程度の)深さレベルまで見ることが要求されるので課長は疲弊する。何かトラブルや炎上が起きて、課長が担当者に近いレベルの深さで対処している間は、どうしても他のエリアへの手が回らなくなる。
 課長は「課長・課長補佐・係長×2の4人を横並びにしたい」と言っていたが、他の人に課長レベルで見てもらわない限り回せないという認識も当然だと思う。


 課の管掌範囲が広過ぎるので、一部業務を別の課に移管するか、課を分けるかしたい、とは課長も言っていて、部長にも相談はしているらしい。
 そうだとすると、やはりABC業務(特にAB業務)がまぜこぜになった組織体制よりかは、分業して「いつでも独立できます」の形にしておく方がいい気もする。特に担当者個人の業務範囲がまたがっていると「そうは言っても今すぐは分けられない」と分離のハードルが上がってしまう。


 前の課にいた時は「課長をやれと言われても引き受けられるように準備をしておきたい」と思ってやっていた。しかし今の課だと断りたいと思っている。一度断ると、もう機会が得られなくなる恐れがあっても、精神衛生の方が大事だし。
 休日もメールの処理に追われ、あまりに広い範囲を面倒見なくちゃいけなくて、見切れないせいで課員の不満は溜まり、事業部門のトップからは厳しいことを言われて、しかも残業代がなくなってさして収入が上がるわけでもない。
 「大変そうだけどやりがいがありそう」のバランスが取れておらず、係長クラスの人が「課長になるのは断りたい」と思っているのは、健全じゃないなとは思う。


過ごし方

 さすがに「仕事してない」「役に立ってない」だとあまりに心がつらいので何かしてる。
 自分の現スキルでやれそうな(かつみんな拾わないけど放置すると危ない)業務をとりあえず引き取ったりしていた。ABC業務がメイン業務、D業務が改善・仕組み・インフラ整備系(突然トップダウンや共用部門から降りてくる改善対応など)で、自ずとD業務を引き取る感じになった。ABがらみの業務も、全体の進捗整理や特定のトラブル対応はしていても、比率としてはD業務が大きい。数か月経つとそれだけでひどく忙殺されている。
 自分はABC業務の係長だけど、管掌範囲はAB業務(国内)で、でも実際にやってる業務はD業務、という齟齬だらけになってしまった。(逆にD業務の係長がAB業務の範囲をカバーしていたりする。いっそ自分はD業務の係の一担当者にでもなった方がいいのではと思うこともある。)


 「課長に報告しても差し戻される」があるとしても、自分のところに上げられた課題を改善しないと、メンバーも「言っても無駄」になってしまうので、担当の割り振りを変えたり、ニーズがない業務を廃止してみたり、業務を他部門へ移管したり、細かいところで勝手にやったりはした。(課長には事後報告で伝えたりしつつ)


つらかったポイント

  • アドバイスができない
    • メンバーに相談を受けても具体的なアドバイスができない。(実務能力不足による)
    • その場でヒアリングして妥当なアクションを一緒に決めるくらい。
  • 係内の情報が係長に集約されない
    • メンバーが相談を自分ではなく課長に直接する。(実務能力不足+リポートライン不明確による)
    • 「係長なのに係の人の相談相手になれていない」「起こってることを知らない」のはつらかった。
    • 特に異動前までは「グリップできてる」「自分の判断でやれてる」感があったのが、急にこの状態になってギャップが大きかったのもつらかった。
    • 自分なりに情報収集・整理して報告しても、課長の方が最新情報を握っていて、その場で否定される。自分の存在意義がないと感じる。
    • 係長として本来やるべきことを放っておいて、他業務に油を売ってるのは、背信行為みたいだと思うと、つらくなってくる。
  • 自分の適応スピードが遅い
    • 既に30代後半で業務経験も積んでいるので、新環境にも早く適応できるか試したいと思っていた。
    • 別部署から横滑りで課長になる例も多々あるし。
    • しかし実務能力の不足や、管掌範囲の齟齬などの(とそれを乗り越えて強引にやる根性までは自分にはなかった)ために、思っていたレベルでできず、自分で自分が「たいしたことない」と感じて悲しくなる。
  • 会議・メールが多い
    • 会議や打合せが平均的に6時間以上毎日入る。メールも100~200通/日くらい。十分な作業時間が取れない。
    • 今の部署が調達先や他部署から情報収集して対応するのが基本業務なのと、管掌範囲が広いため。
    • 残業が増えるとしんどくなる。
  • 製品を触る機会がない
    • 入社以来、品証部門や技術部門にいて、1週間のうち1度も製品に触れずに過ごすことがなかった。今は完全に事務作業。
    • なんか地味に嫌なんだなと気付いた。物理的に何かをやってると心が和む面もあったんだなと思った。
    • あと工業高専出身で、「エンジニアになるべし」みたいな学校だったのに、「ついに自分はエンジニアでは完全になくなってしまった」と思うと感慨深い。

 

 「自分は大丈夫」と思える日と、「ああ本当に嫌だ、しんどい」という日との落差が大きかった。会社に行くのもだいぶ嫌になっていた。特に異動から1ヶ月後くらいは、別の部署か元の部署への異動をお願いするか、会社を変えたいとさえ思っていた。自分でも「ちょっと危ない」と感じた。


心の慰め方

 自分の能力や努力が足りないと思うとつらいので、「この自分を上手く使ってくれない方が悪いんだ」と思って自責と他責のバランスを取った。両方事実で、組織デザインが悪くて動きづらいのは上司のせいだし、それを乗り越えてでもやれないのは自分のせいだし。
 関係ないけど、享保の改革で有名な徳川吉宗だって、自分を引き立ててくれた老中が全員死ぬのを待ってから改革を始めてるし(倹約令だけ進めつつ老中の権力を削いだりしてた)、吉宗でさえ好きにやりたければそのタイミングを待ってたんだから、まして将軍ではない自分が「自分が思うあるべき形」とのギャップをそんなに気にしたってしょうがないじゃん、と思うようにした。


 他の色んな係長や課長ポジションの人達を見てきた限りでも、マネジメントをしっかりやってる人ばかりでもないしとも思って、まあいっか、と心を慰めている。
 あとプロパーじゃなく外から横滑りで係長になるのも、元からいる人にしてみれば「なんだ」感はあるだろうし、ちょっと居心地の悪さはあったけど、数ヶ月経つとお互い慣れてきたのも、多少心が落ち着いている要因になっている。


改善のきざし

 異動から3ヶ月ほど経って課長から「実務を理解した方がいいと思うので、B業務の比較的負担の大きくない領域を担当するように」との指示があった。(それ異動前に私がお願いしたやつ!)とはちょっと思った。
 既に自分の抱えている業務に追われて、実務の引継ぎ・学習に十分時間が取れない。とはいえ実務を理解する必要があるとはずっと思っていたところなので、その指示があって良かったし、ようやくその理解が進みつつあるところ。
 あと自分自身が抱えているD業務も、Dの係に移せそうな気配もあり、ようやくAB業務に集中できそう。


 管理者4人(課長・課長補佐・係長2名)の管掌範囲が再定義されたタイミングで、再定義に合わせた係の再編も課長にお願いしていた。検討には同意してもらえたが、「せめて1年間はこのままで」とのことで絶望的な気持ちになったが、朝令暮改が嫌だという気持ちも理解できた。
 ただ最近になって課長から近いうちに変えたい、機能別でなく混ぜこぜにしたのは欲張り過ぎた面があった、とのことで、管理者4名で相談を始めることになってよかった。
 課長も「どうするのがいいんだろう」と本当に悩みながら、当初の自分の考えに固執せずにやってもらっていて、ありがたい。


 やりづらさの要因3つのうち、「実務能力のなさ」と「管掌範囲と組織体制の不一致」に解消のきざしが見えつつあり、前者2つに起因する「裁量のなさ」も改善されるかもと思っていて、今はそれなりに希望を持っているところ。





 ライフイベント法(ホームズの社会的再適応評定尺度)という、ストレス度を評価する手法がある。「仕事上の責任の変化」は、転職より低いが、就職よりは高い。「1万ドル以上の借金」(これは住宅ローンとかではない借金だと思うが)や「親戚とのトラブル」と同程度だという。

https://www.niph.go.jp/journal/data/42-3/199342030005.pdf


 これは、「中年の会社員が、職務が変わってストレスを受けた」という非常にありふれた話かと思う。
 ただ自分自身がなってみたら、結構しんどい、これメンタルやられるやつだ、と思ってなんか新鮮だった。危なかった。
 もう本当に、自分の心身の安全を第一に考えて、残業を増やさない、ちゃんと睡眠を取る、読書・映画鑑賞などの時間を取る、適度に他責思考にする、そうは言っても自分はまあまあやれてると思うことにする、など気をつけてぼちぼちやって行きたい。



 ↓は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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