やしお

ふつうの会社員の日記です。

あたし奇跡。

 会社へ行く途中でリス見た。2年くらい前にもこの辺でリス見たことあるんだよな、とたまたま思って顔を上げたら、リスが電線を走ってくとこ見た。
 これってすっごい奇跡。
 ぼくがリスのことを思ったとき、リスが目の前に現れた。


 そういうこと言うと、みんなニタニタ嗤ってひどいことゆう。
 つよくつよくリスのことを思うと現れる、それって人間の思念が生み出した妖怪だろう、とか。そんなことは問題じゃないって言いたい。ぼくはリスが実在の動物だろうと、妖怪だろうと、かまわない。ただそこにリスがいるってことが確認されればいいだけだ。そういうこと言う人のこころが妖怪だよ?
 それか、いつもうつむいて歩いてるから気づかないだけだ、っていう人もいる。ほんとはいつも電線の上を走り回ってるのに、ぼくが見てないだけだっていう。よく見ると、電線にびっしり、リス! 地面にもびっしり、リス! そんなことあるか。ふざけるな。
 偶然だっていう人もいる。それはその通りだね。ぼくがリスのことをちょうど考えたことと、リスがぼくの上を走り去っていったことは独立な事象だという。それは正しい。だけど正しさというのはあるシステムを(意識/無意識にかかわらず究極的には主観において)採用した場合に立ち上がることなのだ。だからその正しさとは無関係に、まったく同時にぼくは、その瞬間に受け入れた別の体系を並存させて、これは「奇跡」なのだという。


 人類とリスのこころってつながってるってかんじする。もし世界中の人々がリスのことを願ったらどうなる? ひとりひとりのリスのための小さな気もちが一つに集まって、巨大なリスが現れる。そして自重を支えきれずに潰れて死ぬ。
 いったいそのことが人類の何に役立つのか? 何の意味があるのか? 何もない。そう問うことが愚かなのだ。ただ、巨大なリスが現れるだけだ。


 それはともかくWikipediaで調べたら、見たのはタイワンリスという種類のリスで、むかし江の島に観光用に閉じ込められてたのが、台風でオリが壊れて逃げてきたらしい。それで、江の島に帰れ、っておもった。
 ううん。うそうそ。いていいよ。帰れ。