やしお

ふつうの会社員の日記です。

池澤夏樹『キップをなくして』

http://book.akahoshitakuya.com/cmt/39218930

このお話が感動的なのは、ミンちゃんの宙吊り状態が解決へ向かうからでも、少年たちが成長するからでもなく、ゲームのルールに対して一途に忠実だからだ。この一編を読む生理的な快楽はそれで、小説というよりお話の快楽だ。フクシマケンとキミタケさんを会話させたい、各人の抱える事情を明かしたい、超能力を色々有効に使わせてみたい、ルールをメタレベルで解明したいといった逸脱を完全に抑圧して、ルールの穴になっているミンちゃんを解決し、ルールの絶対性を突き崩すフクシマケンを曖昧に取り込むことで、ルールを回復させる、そんな忠実さ。


 人が知らず知らずのうちに適応しているルールを、ふいに露呈させる、転倒させる運動、その瞬間こそが小説なのだと言ってしまうと、この一編は小説ではなくお話ということになるが、そのことはこの一編を貶めることにはまるでならない。小説にもお話にもなりきれない「小説」ばかりの中で、お話を全うすることがどれだけ困難かと考えれば、やっぱりこれは優れた一編だ。
 ゲームのルールやフィールドを順番に立ち上げ、見せていく。そしてゲームに危機をもたらして活性化させて、解決して安定化させる。それを適切に実行するのが難しい。その過程で、このお話を逸脱させない範囲で「魅力的な細部」を入れていくという職人としての振る舞いが要求されていく。
 私にとっての愉しみが小説の方により大きく見いだされ得るとしても、お話がもたらす生理的な快楽、脂肪分を摂取するような快楽も肯定しているし、小説家とお話職人のどちらも同じくらい尊敬している。
 この一編がどのような順序でゲームを起動させ、危機を導入して安定化させたか、忘れないうちにメモ。

  • 日常とは別のゲームのルール、フィールドの中に放り込まれる。守勢のプレイヤーになる(切符をなくしたイタルがフタバコさんに連れられて行く)
  • 体験を通じて少しずつゲームのルールが明らかになっていく。適応していく(ユータから駅の子の仕事を教わる)
  • 当初とは逆の立場、攻勢のプレイヤーとなることでゲームのルール全体がはっきりする(タカギタミオを駅の子供として回収する)
  • ルールの穴、例外が見つかる(ミンちゃんが切符や定期をなくして駅の子になったわけではないと知る)(ちなみにイタルはここで正式に駅の子になる)
  • ルールの絶対性が失われる(フクシマケンが駅の子に故意に加入し、任意で脱退可能だと指摘する)
  • ルールの設定者に会ってルールの成立過程を聞く(全員で駅長さんから話を聞く)
  • ルールの穴を解決することを決意する(ミンちゃんをみんなで天国に見送る)
  • ルールに疑いを持っていた者を、よりメタレベルのルールに触れさせて納得させる(フクシマケンがミンちゃんのおばあちゃんにコロッコの話を聞く)
  • ルール外の行動から帰還し、プレイヤーであることを再確認する(イタルが2学期の始めに参加することを決意する)