やしお

ふつうの会社員の日記です。

ふいに「イン・ザ・ヒーロー」自身が立ち上がって人を戸惑わせる

 「イン・ザ・ヒーロー」は一見感動モノの顔をしている。「日本で名前も顔も出ないスーツアクターとして長年活動していた中年の役者が、ハリウッドの著名な監督のアクション映画に抜擢されて大役を見事に果たす」という大筋に、「態度の悪い人気の若手アイドル俳優の心を開かせてアクション俳優として大成させる」、「別れた妻と娘の尊敬をかちえて家族を取り戻す」といった筋が付加されて構成される。
 しかし感動するよう要求する映画だと高をくくって見ている観客を、メタ的な相貌をふいに露わにして困惑させ、しかもそれが、メタ的な形式の表現が目的ではなく、倫理的であろうとして結果的にそうなっただけだという点でさらに困惑させるような映画になっている。
 「ハリウッドの著名な監督」はワイヤーアクション無し、CG無しで2階相当の高さから受け身無しで落下した後、炎上しながら殺陣を続ける様をワンカットで納めるという非現実的な演出を要求する。周囲が危険だと止めるなか、唐沢寿明演ずる本城はその仕事を引き受ける。その決意を尊重して仲間たちが彼を現場へと送り出す。死に行く者としての雰囲気をまとってセットの上に立ち、ついにスタートの声とカチンコの音が響く。次に私たちが目にするのは、ワイヤーアクションもCGも使用し、カットをいくつも割って演じられる殺陣だ。しかし「ラストブレイド」なる作中劇の監督は満足気な表情を浮かべて納得しており、私達を困惑させる。作中ではあの非現実的な要求が確かに遂行されているものとして推移する一方で、現実に私達が目にしているスクリーンの上では現実的な演出が遂行されている。この齟齬によって私達は突然、これが「ラストブレイド」なる作中劇を見ているのではなく、「イン・ザ・ヒーロー」という作品が演じられたものを見ているのだという現実を意識させられる。これは、冒頭でもう一つの作中劇である「神龍戦士ドラゴンフォー」というテレビ番組の特撮ヒーロー劇を完成された状態で見せたことと対照をなしている。
 その上この齟齬によってメタ的な視点を導入するという行為はおそらく、スーツアクターの安全性を顧慮しないような撮影など認められていいはずがない、という倫理的な主張のために生じた結果に過ぎない。それで、上手く糊塗することもせず目に見えてわかりやすくワイヤーアクションやCGを取り入れているのだし、その後本城がまるで漫画表現のように全身をギブス・包帯に包まれながら平気そうに腕を動かしてみせる。あくまで感動ものに仕上げるという商業的な要求を満たしつつ、なおスーツアクターという職業に対して倫理的であろうとした結果、「イン・ザ・ヒーロー」という作品自身を意識に立ち上らせるというメタ視点で観客をふいに困惑させる、「イン・ザ・ヒーロー」はそんな映画だった。