やしお

ふつうの会社員の日記です。

浦賀和宏『殺人都市川崎』

https://bookmeter.com/reviews/98946429
気付いたら人生の3分の1以上を川崎市で暮らしていて、土地へのご挨拶みたいな気持ちで本作を手に取った。この小説でいう「川崎」は、川崎市ではなく川崎駅以東ないし川崎区で、武蔵小杉が対局に位置付けられる、という比較的単純な枠組みで進む。荒唐無稽なお話は、アンリアルなコンセプトとリアルなディテールの調和が重要だとして、本作は両者ともに強度が低く、一種の下書きのような印象を持った。それが欠点と言いたいわけではなく、恐らくシリーズにしてそこを重ねていく予定だったのが、作者の死によって本作が遺作になってしまった。

富岡多恵子『漫才作者 秋田實』

https://bookmeter.com/reviews/99999763
現代の漫才が形成されてきた過程の中で、漫才師ではなく漫才作者として大きな役割を果たした秋田實を、詩人の富岡多恵子が描く本。(富岡は上方お笑い大賞の審査員を務めていて、審査員長が秋田實、という縁がきっかけだという。)東京帝大で左翼活動家だった秋田が、満州事変の起こった年にエンタツと出会い、戦時中も漫才作家として活動していく。戦後は散り散りになっていた漫才師たちをまとめている。それ以前の、粗雑・卑猥・低級というイメージだった漫才が更新されていく。鎌倉時代以降の漫才(萬歳)の歴史も概観していて面白かった。


 現在は、漫才作者が漫才師に台本を提供するというより、漫才師が自分の手でネタを作るのが一般的だと思うけど、秋田實が活躍していた時期からどうしてそう変わったんだろう、と思って調べたら、↓の記事が見つかった。
  「しゃべくり」を生み出す漫才作家 令和になり需要減っても「続けたい」キャリア45年作家の言葉(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース
 以前は10~15分のネタが主流で、売れっ子漫才師が自力で毎回作るのは難しく、そこで漫才作家の需要があったのが、80年代の漫才ブームから長尺ネタより10分以内のネタが要求されるようになり、現在はさらに短くなっているのが要因だという。放送作家などが漫才師にネタを提供したり書くことはあっても、完全に専業で漫才作者としてやっている人はほぼいなくなっている。

小倉磐夫『カメラと戦争』

https://bookmeter.com/reviews/99999725
単純な国産カメラの戦後発展史というより、色んなアイデアが現れて、消えるものもあれば残ったものもあるし、商品化されなかったものもある、そんな歴史の幅を具体的に見せてくれる本だった。話題も開発者・設計者ばかりではなく、経営者や工場側の人間の話もあって多彩。成熟期より黎明期のエピソードは大胆で面白い。カメラの品質基準が法律で定められ、政府系検査機関で合格しないと輸出できなかった時代があった、という話も新鮮だった。そうした品質安定化策を経て、国産カメラは64年に西ドイツを抜いて世界1位になったという。


 「『大和』15メートル測距儀とニコン」に収められていた青木大佐のエピソードが印象的だった。
 青木小三郎は、東京帝大理学部を卒業し、海軍の技術将校になる(最後は技術大佐になる)。ドイツに3年滞在し、潤沢な軍の調査研究費を背景に、光学兵器の研究する。太平洋戦争では、日本光学ニコン)の監督官(軍需工場は軍人によって管理されていて社長や工場長もその指揮下にあった)になり、戦艦 大和・武蔵に搭載された「15メートル測距儀」の開発を進める。戦後、日本光学に再就職しようとするが、25,000人いた従業員の94%をリストラして1,500人にまで縮小しており余裕がなかったためか断られてしまう。海軍時代の部下が興した「日本真空工学」に技術部長として入社する。
 年齢を重ねて、技術部長を退き、監査役も退くと、会社では居眠りしたりケーキを買ってきてパートのおばちゃんたちと談笑するおじいちゃんになる。誰も東大卒の海軍大佐だったという話を信じない。ある時、おばちゃんの一人が買ってきた外国製の缶詰を見て、そこに書かれたドイツ語を青木さんがスラスラと読んで聞かせ、おばちゃんたちも「本当にそうかも」と思うようになったという。94歳で亡くなり、棺には終生会員だった日本物理学会の会誌の最新号が入れられた。「本当は学者になりたかった」と生前は語っていたという。


 「会社で暇そうにしてるジジイが実はすごい人だった」の実話じゃん、と思って、なんか笑ってしまった。