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ぴったり呼吸が嵌る会話や自分の全存在が許されたと思えるようなセックスによって、(同じ相手でも)極稀に絶望的に深い満足感を得られるコミュニケーションがある。この「極稀」をコントロールして発生させるという見果てぬ夢の一つが「茶」のメソッドなのかもしれないと思った。この若い著者の、あと2,30年後の茶への考えを読んでみたい。これだけ真剣な人ならさらに深化させて私達に見せてくれるはず。でも著作ではなくその実践=茶事を体験しなければ本当は分からないんだろうと思いつつやっぱり敷居は高いんだよなあ。きっかけが……
三千家の一つ、武者小路千家の次期家元・千宗屋による茶の話。
本書のかなり序盤(p.20)で「茶の湯について講演するときには、こうした比喩を使った説明が聴衆の理解を助けてくれますが、残念ながらやはりそれは補助線に過ぎません。」とアナロジーの効果と限界への自覚を示されて、この著者は信用できると安心して読み進めることができた。ありがとう千。
ところで途中で「民放の二時間ドラマを見ていると、「京都のお茶(お花だったりお能だったり)の家元」では、(略)やたら骨肉の争いで人が殺されてばかりいるように描かれていますが、実態はいたって常識的です。」と急に言い出したときはちょっと笑ってしまった。
- 作者: 千宗屋
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2010/11/01
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