やしお

ふつうの会社員の日記です。

山崎豊子『沈まぬ太陽(1)』

https://bookmeter.com/reviews/90594927

御巣鷹山日航機墜落事故をモチーフにした小説という漠然とした理解で読み始めたら、いきなり主人公がアフリカのサバンナでゾウを狙撃していたので驚いた。現在の感覚では、企業による懲罰人事(内部告発やリストラへの抵抗などに対する)は、狭い部屋へ閉じ込めPCも与えず空虚な作業に従事させるといったイメージだが、1960年代末の大手航空会社の懲罰人事は中東やアフリカの僻地に飛ばしてとりあえず疫病に感染させるスタイルで、ダイナミックだった。


 60年代後半の労組・労使交渉・労働争議の様子が描かれていて面白い。50年代末に三池闘争が既にあり、60年代には労使協調型へ基本的に移っていたが、高度経済成長期に入ったことで経済成長に対して労働者の賃金の伸びが遅れたことから労働争議が再び起こるようになった、という文脈のことのようだ。
 主人公である恩地元は一種の義侠心と論理構築力を持ち合わせた人物で「長いものに巻かれる」ことを自分自身に許せないために、不遇を強いられることになるが、大西巨人の『神聖喜劇』の主人公・東堂太郎のキャラとちょっと似てるなと思った。

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

沈まぬ太陽〈1〉アフリカ篇(上) (新潮文庫)

立川吉笑『現在落語論』

https://bookmeter.com/reviews/90594901

落語が伝統性と大衆性に引き裂かれるという話は、例えば小説が純文学とエンタメに二分されるのと同じで、恐らくジャンルやメディアに関係なく芸術一般が過去の成果に対してより微細な差異を追求して高度化していくと「玄人にしか分からない(前提知識がないと楽しめない)」が出てしまう。落語では記録媒体によるアーカイブ化がその蓄積に寄与してきたという。


 30歳前後で、一旦自分の仕事を自分なりに整理・体系化する作業は(しかもそれを自分だけにではなく他者に向けてするのは)この先に進んで自分をアップデートしていくためには不可欠な営みで、本書は立川吉笑にとってそういう書物になっている。
 どうして自分は落語を選ぶのか、という問いは、落語という形式の特質は何かを明らかにする作業だから、なぜ着物を着るのか、なぜ座って演じるのか、なぜ江戸や明治を舞台にした噺をするのか、といった落語の「当たり前」に一つ一つ(暫定的な)回答を与えていくことになる。そうした前提を疑い直す作業を見るのは楽しい。

現在落語論

現在落語論

岩田健太郎『「感染症パニック」を防げ!』

https://bookmeter.com/reviews/90529582

国谷裕子が『キャスターという仕事』の中で、テレビというメディアが視聴者の感情を一体化するように働き、さらに強化する特質があると指摘していた。国谷氏がキャスターとしてその特質に抗うように仕事をしていた姿勢は、岩田医師が本書で示した感染症専門家の医師としてのマスメディアとの距離の取り方と通底している。事実であるかどうかより耳目を集めやすいものを求めがちなマスメディアに対して、専門家の側が疲弊しないように、都合良く使われないようにする技術が実体験として書かれている。

 アメリカのリスクコミュニケーションはエビデンス依存主義的であるという指摘が本書でされている。2001年の炭疽菌を入れた郵便物によるバイオテロの際に、CDCが「郵便局員炭疽菌に感染することはないから通常通り業務をしてよい」と繰り返しメッセージを発出したが、結果として郵便局員に発症者・死亡者が発生した。「事象として現時点で報告されていないこと」をそのまま「起きないこと」に直結させてしまう傾向があるという。著者は「現時点で感染リスクはほとんどないが、念の為マスクはしておこう」というダブルメッセージを流した方が良かっただろうと指摘する。そうした傾向は2009年の新型インフルエンザでも見られたという。現在の新型コロナウイルスにてWHOその他が当初「マスクは意味がないからしなくていい」というメッセージを繰り返し発出し、その後結果的には「した方が良い」と修正したことも、この指摘の文脈で捉えられるのかもしれない。(ただ特に必要な医療従事者に届かなくなるのを抑制するためという事情もあったかもしれない。)