(上巻)http://book.akahoshitakuya.com/cmt/7763700
(少なくとも上巻で)語り手たちが外部にいて違和感を語る形式が反復される。北朝鮮兵士は日本人じゃないから、山際は副長官を罷免されたから、少年たちは生い立ちが普通じゃないから違和感に気づく。この「だから」のスタティックさがやや退屈。もちろんチェ・ヒョイルはエロ本事件で、山際は罷免されなかった自分を想像して違和感に気づかない可能性に自覚的だけれど。そして大人数を出して具体的に紹介しまくるというスタイルは語りを駆動させるこの特権性を希薄化/隠蔽するのに必要なのだろう。とはいえ読み物としてすごいし面白い。
(下巻)http://book.akahoshitakuya.com/cmt/7816322
それまで各章内で統一されていた視点が「美しい時間」でやや定まりを失う。そしてそれまでの語り手たちが外部にいる特権性を維持した中、この章の最後でヒノは死にかけつつ「自分の代わりは他にもいる」と特権性を否定する。安住を捨てた上での、この形式と内容の一致は泣ける。そして「天使の白い翼」で「外側にいるからそういったことがよく見える」と自分の特権性を確認したキム・ヒャンモクが3年後に「この島は十人の兵士で占拠することができますね」と語ることで、与えられた特権性を捨てて主体的に外部にあることを選択する様に感動する。
まあ「視点が定まらない」というのは具体的には本来語り手(とはいえ3人称視点だけど)を据えれば「〜そうだ」「〜ようだ」とか、「〜と思った」とか書かれなければならないところが飛ばされていたりすることだけれど、これは単にアクションシーンに入るとスピードを重視するためと解釈するのが実際のところなんだろうなあとは思う。そしてたぶん他の章でも多かれ少なかれそういう傾向はあるんだろう。でも形式と内容の一致をそこに見たほうが楽しいのでそうすることにした。
そしてぴったり一致させてしまう状態より、ズレてしまってそのズレが小説の限界をはからずも見せちゃってる、という状態のほうがはるかに刺激的だとしても、単に(一致も想起させずに)ずれちゃってるという事態が圧倒的に多いことを思えば「ぴったり一致」の尊さを無視するわけにはいけない。
それで、村上龍はもっと大切にしたほうがいいと思う。日本にこの人がいるありがたさをもっと考えた方がいいのではないかしら。(それは映画界(?)にジェームズ・キャメロンがいることの健全さ、というような意味で。)
それにしても島田雅彦の解説は何も言っていないのと等しかったので本当につまらなかった。別に頭が悪い訳ではないと思っているので、読み手を嘗めてるか自分の仕事を嘗めてるかのいずれかだと思われるけれど、いずれにしても全員(書き手&読み手)が不幸としか言いようがない。
- 作者: 村上龍
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