やしお

ふつうの会社員の日記です。

神は9日目に、神に似せたカレーを作りたもうた

 昨日まで8日連続でカレーを食べた。ルー一箱、11皿分を一度に作ったからだ。それでわかったのは、ぼくはカレーが好きだけど、8日連続で同じカレーを食べて無条件の喜びを感じられるほど好きではなかったということだ。
 これまでぼくは、ぼくがカレーを愛しているほどにはカレーはぼくを愛していないという不満を抱いていた。しかし違った。まだぼくの側の愛が足りなかったんだ。何を言っているかよくわからないだろうね? ぼくもわからないんだ。
 今日の昼は会社の食堂でカレーを食べたが――これは前日までの8日間カレーを食べ続けていたこととは全く無関係に、あらかじめ決まっていたことだが――やはりある枠内でカテゴライズしたときにカレーと呼ばれるだけであって、それはほとんど別の食べ物だった。それは、身体全体にいつの間にか被せられていた緞帳が、突然引き剥がされて、光の白さに目が眩んでしまうような体験だった。日々煮詰めるごとに泥のように重みをましてゆく家のカレーが、カレーの全てのような顔をしてぼくを包んでいたのが、洗い流された。
 ぼくがそうしためくるめく体験をしているとは、この食堂にこれほどの人がいながら、誰も知らない。外から見れば、ただカレーを一人で食べている社員なのだ。「いやあ、カレーって、振れ幅広いっすね?」例えばそう目の前の知らないおっさんに話しかけるか? そんなことしたって無駄だ。安易に言葉に還元しても無駄なのだ。美しいものをただ「美しい」と言って何になる? もはや目の前のおっさんに8日間連続でカレーを食べさせるか、まるで別のやり方で言葉を重ねてこの体験を体験させるしかない。それをするには昼休みは短すぎる。
 伝えるには、あまりに短すぎるのだ。