やしお

ふつうの会社員の日記です。

とうめいな会話になっていく

 会話ができなくて苦しいのはたぶん、会話が成立する条件を強くしすぎてるからだ。条件が厳しくて成立する範囲を狭めてる。もっと緩めても大丈夫なんだってことが上手くわからない。学生の頃そのへんダメダメだったのが、就職してリハビリ続けてようやくわかってきた。
 どんな「こうじゃないといけない」という条件や制約を設定してるのか、思いつくところをメモする。

しゃべる番の人がしゃべらないといけない

 二人きりなら喋るのに、人数が増えると黙る。二人なら会話のボールの所在地もよくわかって「ここは自分がしゃべっていいところ」と安心してお話できるのに、人がたくさんになると自分がしゃべっていいかわからなくなる。
 そして黙ってる時間がたてばたつほど(自分はみんなに「しゃべらない人」と思われている)(そのキャラを裏切れない)ってますますしゃべらなくなる。この悪循環。
 ほんとはそんなにきっちりした条件なんてない。ちょっとくらい割り込んだって、黙ってたのに急にしゃべりはじめたってみんな、(おっ)と思ってもうんうんって聞いてくれたりする。だけど昔、無視された、なんでお前が喋るんだって態度をとられた、そんな失敗体験があったりするとその恐怖で大丈夫だという確信が持てなかったりする。
 さらに遠慮が過ぎて(まあ私ごときがお話しするなどおこがましいことですがねフヒヒ)みたいな感じで喋るとかえって相手に不信感を抱かせて、ほとんどの人間が不信感と嫌悪感を混同していることもあり(こいつなんだ)と思われることになってリカバーが難しくなる
 どれも「バカだと思われたくない」「嫌われたくない」という欲求が根本にある。それをある程度あきらめられるようになっていけば、この条件を緩和できる。

意味のあることを言わないといけない

 ちゃんと意味のあることを言わないとダメ、と思って何も言えなくなる。遠慮のある相手だと特にそうなる。でも気のあう友達との会話を思い出してみれば、意味のないことで時空間を埋めているってことに気づく。
 それで特にまだ信頼関係がない(これくらい言っても大丈夫って安心がない)相手に対しては、9割以上の人が答えられるような質問、肯定的に返せるような質問をとにかくしていくのがいい。「何線沿いに住んでるんですか?」とか「今日は寒いですよね」とかで、「いや、いいじゃないですかそんなこと……」とか返す人はあまりいないし、いたとしたら話しかけちゃダメな人だってことがわかる。昔は意味のないことなんか喋ってもしょうがないし、重要性がないと思ってた。でもそれは意味内容なんかどうでもよくて、お互いに安心を作っていく作業として意味があるんだと大人になってからわかった。
 結局リラックスできていないと話題は何も思い浮かばないので、ある程度「この人は話しても大丈夫な人だ」と両者納得できる状態をつくれないと会話をするのが難しいし、会話だけじゃなく関係構築が難しい。
 相手が手をさしのべてくれるのを待っているだけより、こちらからも手をさしのべていけば、その分会話関係構築の確率が高まる。

連続性がないといけない

 話題や論理がちゃんとつながってないといけない、ちゃんと話に整合性がないといけないと思ってしゃべれなくなる。雑談だからなにしゃべっても大丈夫と頭でわかってても(この話の流れだと……)と考え続けて黙ってる。
 これもやっぱり友達との楽しかった会話思い出すと、そのときはちゃんと流れがあると感じていても、実際にはほとんど脈絡なんてなかったりする。「でも」「それで」と接続詞が挟まれていても、逆接や順接にきちんとなってなかったりする。
 逆に言えば、ほとんどつながりのない話題でも(しかしどっかでちょっとでも引っ掛かっていれば)とりあえず接続詞でつないでおけば案外不自然じゃない。
 もちろん仕事の話なんかを本気で正確に説明しようとするときなんかは、きちんとつながりや構成を考えないとダメだけど、ただ時空間を満たすためなら条件を緩めておけばいい。




 ここまで「条件を緩和する」って話をしてるけど、これは会話を楽しもうっていうだけじゃなくて、逃げたりかわしたりするために有効だと思ってる。不都合な話題をかわすそうとして黙るのは最悪で、無言は無意味じゃなくかなり強い意味を生じさせてしまう。「怒ってる」「この話題は不都合なんだ」と相手に印象づけてしまう。条件を緩和して身軽にしておけば、なるべく自然に、相手に違和感をもたせずに会話をいなしていける。
 とにかく当たり障りなくやり過ごしたい、自分の深いところには踏み込んでほしくないという時に、とうめいな会話で埋めていく。話をそらしているなとわかる人にはわかる、鈍感な人は気づかない、そんなレベルでなめらかに滑っていく。