やしお

ふつうの会社員の日記です。

英会話と読書と書くこと

 先週からスカイプの英会話(レアジョブ)はじめた。先々週とつぜんアメリカに出張して、また3月末まで2週ずつ2回アメリカに出張する予定があって、もう少し英語を喋るのに慣れておきたいとつよく思ったから。とりあえず向こうの会社にいったときのランチタイムのショートトークをもう少し何とかしたい。お仕事は通訳をしてくれる日本人スタッフが向こうの会社にいるからなんとかなるけど、それでも頑張って直接話をしたい。スカイプを利用した英会話は、お教室に通うより気軽だし安いし、5年位前からやりたいなやりたいなと思ってたけど本当に必要に迫られないとやれなかったやっぱり。
 英語能力の問題より、焦りをいかに抑えるかが問題だ。余裕がゼロになると頭の中が荒野になって、どれだけ探しても何の言葉も見つからなくなる。考えてみたら日本語で親しくない、よく知らない人とでも雑談が昔からできていたわけでもなかったんだから、拘束の多い言語でならなおさらだ。


 入浴中や歩いてるときに英語でどう喋ろうか考えたりしてる。出張先のスタッフとか英会話の先生とかを思い浮かべながら口に出したり出さなかったりして考えてる。もともと英語とか関係なく、具体的な誰かを考えながら想定問答みたいなのをいつの間にか始めている癖があったけれど、それが英語になっただけだ。ただ日本語と違って表現の幅がかなり狭いので、その幅にあわせた貧しい内容しか考えられない。というより言語で構築する方に大きくリソースを割いているために内容に力をまわす余裕がない。複雑なことを話せないので、複雑なことを考えなくなっている。


 英語で想定問答する割合が増えたせいかどうか、あれこれきちんと考えてそれを日本語で形にしようという欲求が減っている。以前はあれこれ思いついて、これもきちんと形にしておブログにでも残しておこうとメモしたり書くことに着手したりできていたのが、ここ最近はそうしたメモを見返しても(おっしゃ書くか)という気持ちにならないし、無理に書こうとしてもいたずらにお文章をいじり回した挙句、無意味なものに思えて放擲している。意欲が減退しているというのとは違って、他の面(仕事上なりなんなり)では維持できている。
 読書量が減っていることも影響しているのかもしれない。昨年末あたりからせっせと読むのはやめて、一冊をきちんと読み込んでいこうと思ったところが、実際にはたんに減っただけだった。それなりに数を読むこと、一冊を丹念に読むこと、自分で何かを書くことは不可分になっていてどれかを疎かにすると連動して疎かになるのかもしれない。そもそもがどうして「書こう」と思えるのかといえば、やっぱり「読んだから」としか言いようがないのではないか。


 きちんと読み直したいと思っているのが柳父章の『比較日本語論』で、アウトラインを捉えるだけでなく個別具体的な論をどう展開しているのか把握しておきたい。日本語は状況を語り、西欧語は対象を語る言語になっているという認識で、そうした日本語の特性をかなり推し進めて実践されているのが古井由吉の小説である、という大雑把な認識を持っているが、本当にそれがそうなっているのか実証的に確認していきたい。
 それから渡辺照宏の『日本の仏教』を通読した上で、既に読んでいる『仏教』、『お経の話』と含めてまとめていきたい。さしあたって用語の整理と各書・各章のアウトラインの把握までできればいいと思っている。森敦の『マンダラ紀行』を読んだ際に仏教用語・概念の基礎知識があまりに不足していることを実感したため。
 あと小説では中上健次をまとめて読んでみたいなと思っている。ここ数年小説についてはどちらかというとお話や要素がどう組み立てられているか、それが内容とどう関係を取り結んでいるかという面ばかり見すぎていたように思えるので、具体的に言葉がどのように実行されているか正確に見ていく訓練をしたいと思うようになった。中上健次は言葉の上手さという点で現代で紛れもなく最高峰なので最適だと思う。


 とりとめもなく思ったところを久々に書いてみて、そういえばここってはてな「ダイアリー」だったんだと思い出した。