やしお

ふつうの会社員の日記です。

手先の器用さを身に付ける

 1年前に職場が変わって製品検査とかもやるようになって、手先が前より器用になった気がする。それで「手先が器用になる」って、今まで漠然と「器用な人なんだなー(そういう人なんだな)」と思ってたけど、そうじゃなくてちゃんと理屈と言うか仕組みがいろいろあって、それが統合されて最終的に「器用」になるんだと分かった。
 大雑把に言うと、作業中に「ストップ&ゴーがちゃんとできるようになること」と、作業前に「邪魔な作業をどかすこと」の両方ができると、「器用」が達成できるイメージ。


 ストップ&ゴーっていうのは、ストップが「一旦止まって確認しないと失敗するところ」、ゴーが「ためらわずに一気にやらないと失敗するところ」で、そうした箇所が適切に判断できて、動作に反映されている状態。習熟者の動きにメリハリがある一方で、素人の動きがぬめぬめしている印象はこういうところから来るのかもしれない。
 身体動作は任意のスピードを設定できるかというと、かなり難しい。勢いに乗せれば真っ直ぐ動くのに、ゆっくりにしようとするとブレたりする。また例えばはんだ付けなんかで、「はんだが溶ける/固まるスピード」というのがあったりする。あるいは落下を利用して細かな位置を決めたりだとか。人間の側の特性と、対象物の側の特性のそれぞれで、「ためらわずに一気にやらないと失敗する」可能性が高まるような箇所がある。
 そんな「一気にやる」ための諸条件がきちんとそろっているかどうかを、「一気にやる」手前で確認しないと、それはそれで失敗する。袋詰めの作業とかなら「物が正しい位置に入ったか」とか「袋にしわが無いか」とかを一旦チェックしてからテープ止めするとか。
 こうしたストップとゴーがきちんとできていれば、失敗率を低く抑えて、正確にテキパキやれる。


 一方で「邪魔な作業をどかすこと」は、どうしても人間は多数のことを同時に気にしながらやるのは難しいので、作業を切り分けて難しい作業はそれだけに集中できる環境を作るということだ。
 「竹馬に乗って皮をむいたリンゴを届けろ」って話のときに、不器用な人というのは何かの思い込みからか、竹馬に乗りながらリンゴの皮をむこうとして惨憺たる結果を招く。たしかに同時にこなせれば最高に早いけどそれは、もう完全に無意識に竹馬も果物ナイフも操れるレベルになってからやればいいことだ。普通の人間のうちは、竹馬での移動とリンゴの皮むきを別個にやった方がトータルとして早いし正確だ。
 あと難しい作業を最小化するとか。「茶葉を急須に入れる」という目標があって、大人だったらふつう急須に茶筒を近づけて「さじから茶葉がこぼれるリスク」を最小化させるけど、子供だとさじの先に乗った茶葉を真剣な顔で見つめて、果てしない距離を運ぼうとしてぶちまける。
 それから「手順を決める」というのもある。弓道とか「○○道」とかマナーとかで、後先どっちでもいいことに細かく順番が設定されてるのは、本来的には、工程を抜かさないためだと聞いたことがある。例えばA→B→Cと手順が確定されている場合、C工程の最中に(あと何の工程が残ってるんだっけ?)と気が散らずに済む。手順を先に確定させておけば、「手順を考えること」と「作業を実行すること」とを切り分けて、より作業に集中できる。
 手が震えるなら、脱力できているか、無理な体勢になってないかチェックするとか、肘の固定方法を変えるとか、そもそも手で持たずに済む方法を考えるとか。
 そうやって「そのタイミングでやらなくてもいいこと」を取り除けるだけ取り除いていく。その後に残った作業にだけ集中すれば、達人じゃなくてもそこそこ上手くできる。


 手先が器用っていうのは、手指の可動範囲が広いとか、手指をコントロールする脳の回路がすごいとかより、早く正確にやるための方法をデザインできるということだ。「自分は不器用な人間だから」と決めつけるとそこで終わりだけど、意識的に「作業中&作業前の方法をデザインする」ってことをやれば、自分でも器用風になれると思えば夢がある。
 あと、ものをこぼしたりする子供に向かって「あんたは不器用なんだから!」と言うよりは、こういったポイントから眺めて「こうしたらいい」というのを伝えれば建設的かもしれない。