やしお

ふつうの会社員の日記です。

検査/テストでNGにする気の重さを

 製品検査で検査する人に心理的な負担や圧力があると絶対にダメだ。「NGにするのめんどくさい、つらい」と検査員が思っている状態では、「なんか変だな?」と感じてもスルーされてしまう。むしろNGにするとほめてもらえるくらいの環境を構築しないといけない。


 この前、担当製品の受け入れ検査でNGが出た。検査員は私だった。
 最初は(なんだ? 妙に数値がいいな?)という違和感があっただけだった。いつもと比べてちょっと違う、しかし測定値は仕様をクリアしている。むしろいつもよりいい方向に振れている。
 この「ちょっとした違和感」が何かを確かめるには、検証作業を自分の手でしないといけない。検証の手段を、製品の技術面により詳しい人に聞いたり図面を読んだりして情報を集めないといけない。また営業や生産管理部門の担当者には納期の遅れ、今日中にはもう検収を上げられないことを伝えないといけない(3月の期末、年中で最も営業が納期を気にしている時期に)。さらに製造元(海外メーカー)に不良の内容を伝えないといけない。
 すると「本当にそれは不良なのか」、「確認の仕方に妥当性はあるのか」、「返送せずに国内で修理はできないか」といった疑問が次から次へと出されて、さらに検証をしなければならなくなる。自分がそれをやるものだと全員が当然視している。その間もともと予定されていた仕事が圧迫された分を、同僚へ引き継いでもらう算段をつけたり、上長への報告等々の作業も発生していく。
 そのまま何事もなく良品になった場合に比べると、はるかに多くの業務と調整がふりかかってくる。


 そして結果的に、「これは不良である」、「製造元への返送は不可避」、「納期最短化への最善手は、技術員兼検査員が現地で検査をすること」という結論に至って、私が10日間のアメリカ出張へ3日後に行くことに決まったのだった。「ちょっとした違和感」からその決定まで5日間のことだった。
 ふと、(こんなにめんどくさいなら違和感に目をつぶってしまおうかと誘惑にかられてもおかしくない)、(あとから問題が起きたら「数値的にはOKだったので……」と心底残念そうな顔をして済まそうとしてもおかしくない)と考えた。実際、違和感を覚えたときに一瞬そう思ったのも確かだった。


 今回の話はかなり極端な例かもしれない。毎回不良にした結果アメリカに行くなんてことはない。でも、不良にするとそのあと処理が検査員にのしかかってきてめんどくさいというのはよくある光景だよ。
 むかし別の部署にいたころソフトウェアの半分テスト半分デバッグみたいな作業をしていたことを思い出した。リリース日が近づいてくると(お願いだから致命的なバグが出ないでほしい)と祈るような気持ちになってくるのだ。それで追求の手が緩んでしまう。


 もちろん製品検査の話もデバッグの話も、網が粗かったのが悪いと言えば悪い。検査員の心情とはまったく無関係に、手順を進めれば機械的にOK/NGの判定が出るような検査方法になっていればいいだけだ。
 しかし網の目をどれほど細かくするかには限度がない。どこかでそれを越えたことが起こってしまう。そのときに検査員が違和感を覚えたとして、それをスルーするかどうかは、その人にどういうインセンティブが働いているかにかかっている。スルーせず指摘して何が起こるかを想像したときに、関係者が失望したり自分にめんどうが降りかかってくるイメージがあれば、スルーしてしまうだろう。


 私のいる環境の場合、利害関係者全員が「製品の品質が基準線割ってたらとにかくダメ」という原則をまずは共有しているし、指摘して面倒を引き受けた自分を最後は評価してくれるはずだ、という確信がおよそ持てている。それで、スルーしたい誘惑にかられても踏みとどまれた。
 とはいえ極めて微妙なところで「長期的にはきっとみんな俺を評価してくれる」というのと、「別にスルーしてもマイナス評価は受けない」というのが同時に存在しているから、人によっては価値判断が分かれるかもしれない。


 もしこれが例えば、若手の検査員が製品を不良判定して、隣の職場のベテラン加工者のところまで持っていかなきゃいけないとしたらどうだろう。
「お前がハネるの? ふざけるな!」
「でも、たしかに寸法が出ていないんです……」
「お前の測り方がおかしいんだろ!」
 自分が勤めている会社でも大昔はそういう光景があったらしい。(今は機械加工の職場自体が社内からなくなってしまった。)
 もしこんな環境だったとすれば、検査員の彼は、微妙に入ってない、くらいの数値だったら(あのおっさんにまた怒鳴られるのやだな)と思って手心を加えることだってあるかもしれない。


 検査員がNGを出してうれしくなるような環境を作らないといけない。それが言い過ぎならせめて、気の重さを感じさせない環境をつくらないと検査員が不良をスルーしてしまう。「ちょっと製品の性能が出ない」くらいの話ならともかく、トンネルの内壁の検査だとか人命に直結するような話だととんでもないことになってしまう。
 手心を加える余地が全くないようなテスト、誰が見ても誰がやっても明らかで再現性があるし結果がすぐに共有されるような検査を構築して、迷う余地をなくしていく。あるいはハネる人と、その後のアクションを取る人を分ける仕組みにしていく。ハネるべき人を種々のプレッシャー(納期、心理的圧力その他)から防御する。ハネる人に十分な報酬が与えられている。
 そうやって仕組みをデザインしていかないと、有効性のあるテストを実現するのは難しいなってこと、自分の身に起きてしみじみ感じながらアメリカに行ってくるね。