やしお

ふつうの会社員の日記です。

2000万円が偶然ある

 老後に2千万だか3千万円が必要だという。もちろん退職金と個人年金はある前提で。とても簡単なことだ。


 まず男に生まれること。これは大前提だ。女性が安定して高い給与を得られる社会になっていない。男が稼いで女は子育てと家事というモデルは国家の経済的な後退によってすでに終了しながら、その価値観だけはいびつに残存し、「結婚や出産で退職する可能性が高いから」と最初からキャリアを捨てさせ給与水準を抑え込まれる。
 さらに逆算して「だから学業もそこそこでいい」という価値観も押し付けられる。医者の大学が入学試験で男に下駄をはかせて、「だって女はキャリア積めないでしょ」と公然と言い放つような社会なのだ。「女はコミュ力があるからその分点数さっ引かないとフェアじゃないから」と平気な顔で言う。コミュ力を高くしなきゃ生きていけない、周囲から「女は気を遣えて当然」という理不尽な期待を押し付けられ、それで能力を伸ばしたら今度は「能力が高すぎるのであらかじめ評価を下げておきました」という。
 自力で稼ぐには最初からハードルを上げられていて、じゃあ収入の高い男性を捕まえろなどと主体性を奪われる。だから、まず自力で男として生まれてくることが大前提になる。


 生まれ年もきちんと選ぶ必要がある。
 就職氷河期に新卒になるなんてもってのほかだ。例えば2010年に新卒になるように生まれてはいけない。リーマンショックの影響で新卒採用が絞られている。2009年も内定辞退が社会問題化した。きちんと2008年入社になるように生まれないといけない。それが新卒一括採用・終身雇用制という労働市場流動性の低い社会で生まれた者の当然の作法だ。


 親を選ぶのも当然だ。
 奨学金というハンデを負っていたら金は貯まらない。家が金持ちならラッキーだけど、貧しくてもいい。ちょうどいい貧しさを選べばいい。例えば高専に入って授業料免除を受けられる程度に、親が離婚していて家計が苦しいといい。免除が受けられる程度には貧しくて、奨学金を借りずに生活できる程度には余裕がある、ちょうどいい貧しさの家を選ぶ。貧し過ぎてもいけないし、貧しくなさ過ぎてもいけない。
 そして親は60代前半くらいに突然死するといい。なにせ介護も自助努力が求められる世界だから、経済的な負担を減らすにはそうでないといけない。
 そんな親を選んで生まれてこないといけない。


 金の新陳代謝を低くする。筋肉があったり運動をしていたりすると代謝が高く太りにくい。金も同じことで、代謝が下がれば太る=金が貯まる。衣食住へのこだわりを捨てる。家賃の安いアパートに住み、酒を飲み歩いたりせず、服も「人におかしく思われない程度」で満足する。趣味も映画や読書がいい。山や海へ行ってはいけないしバイクや車を買ってもいけない。場所も金もかかるからコレクターになってはいけない。他人にケチだとかつまらない奴と言われても無視しないといけない。快楽を自主的に断念しないといけない。
 子供の時に貧しくて我慢を重ねていると、就職して手元に金できた途端にタガが外れる恐れがある。子供の頃は我慢せずに暮らせる程度の余裕があり、大学生くらいの時には授業料免除を受けられる程度に貧しくて、そのまま親への罪悪感から贅沢を自分に禁じる体質になれればいいだろう。そういう意味でも生まれる家をちょうど選ぶ必要がある。


 こつこつ貯める、こつこつ努力する、といった行為には、一定程度の自己肯定感がないといけない。自分の手で自分の未来をコントロールできるという信頼は、他人からの肯定や成功体験の積み上げが必要になる。そこそこの学校をそれなりの成績で出たり、会社内である程度の立場を確保するには「こつこつやれる」という性質がどうしても必要になってくる。「お前はバカだ」と否定し続ける親を選んではいけないし、主体性を根こそぎ奪って全てを指図するような親を選んでもいけない。


 住むのは首都圏がいい。「地方住みの方が家賃も物価も安くて得」と言われるがまやかしだ。家賃は間違いなく地方の方が安い。だが地方は車がないと生きられない。家賃の差が吹き飛ぶ。そして物価なんて日本全国で言うほど差はない。物価の差より給与水準の差の方がはるかに大きい。仕事の選択肢も狭くなる。首都圏、せめて大都市圏でボーナスの出る大企業にでも就職していればいい。
 首都圏には人が集中しているという絶対的なメリットがある。公共交通機関は発達し、イベントなども充実している。空路だって日本の国際線のほとんどが羽田と成田に集中している。関空セントレアとの格差がはっきり存在する。地方からイベントや海外に行こうとすれば、交通費は余計にかかるし前泊だって必要になる。


 そして結婚したり子供をつくるなんてもってのほかだ。子育ては自己負担で何とかしろという社会では経済的に不利に決まっている。その上、女性は社会的に給与水準を低く抑えられている。パートナーを作れば自分の持ち出しが増えるだろう。一人で生きてろ。寂しいなどと言っていては2千万円は作れない。
 逆に言えば、子供を諦めればちょうど2千万円ができるかもしれない。


 株やFX、住宅投資なんてバカなことをしてはいけない。戦うだけの知識も時間も持ち合わせていない鴨がネギを背負っていくのは愚かだ。お前には本業があるはずだ。「今これがアツい!」とニュースでやっているのを見て知る時点でもう遅い。
 しかし全てを預金に回すと実質的には目減りしていく。投信のインデックスでも組み合わせて世界全体の市場を小さく再現して、そこに時間的に分散して投資していく。
 近くで見るとギザギザしているグラフも、遠くから見るとなだらかな右肩上がりになっている、というのが基本原則だ。これは産業資本主義を続けている以上は変わらない。資本の全体はゆっくり増大していく、そのレールに金を乗せておくのが重要で、細かなノイズに賭けるのは無謀だ。「細かなノイズ」と言っても人間の時間スケールでは無視できない大きさで、数年単位になる。だから、投入するときも時間的に分散し、取り出す時も時間的に分散する必要がある。毎月少額を投入していき、折り返しの40代半ばから少しずつ引き出して債権など低リスクなものへ移していく。
 濡れ手で粟の大もうけなんて夢を見ずに、得もしないが損もしないし時間も手間もかけない方法と言えば、せいぜいこれくらいしかない。
 少し古いが、例えば橘玲の著作がこの原則をコンパクトにまとめている。

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 ただしこの資産形成は、一定程度の収入がコンスタントにあることが前提だから結局、先に挙げた性別と親と生まれ年を事前に適切に選んでおかないといけない。
 その上で欲望も子供も親も捨てれば、60代を待たなくても30代前半には2千万円ができるだろう。実に簡単なことだ。




 子育ても介護も自己負担でやれ、でも税も社会保険料も上げる、あと自力で2、3千万円ほど用意しておけ、と平気な顔で言う。「平気な顔で言う」ならまだしも「そんなこと言ってない。俺は言ってないからな」と政府が真顔で嘘をつく。
 そんな無茶振りに応えるのは難しい。


 独身男性で2008年入社で奨学金の返済もなく首都圏で大企業に勤めていて両親が早死にしている。それが自分の場合で、2千万円のニュースを見たとき(ああ、もうある……)と思った。安堵感と罪悪感がないまぜになった。戦争でたまたま自分が戦死せずに済んで安堵感と罪悪感を覚える、みたいな感じかもしれない。でも怖くて手放せない。両親と同じ64歳で死んで8割寄付して2割甥っ子にあげれば罪悪感の帳尻が合う気もするけど、そんな上手く踏ん切りつけられないだろうとも思う。子供がいたらもっと感覚が違ったんだろうか。


 そんな無茶振りに応えられるわけないだろう、とみんなが怒って、自分もそりゃそうだと思いながら、(でも自分はもうある……)という後ろめたさがあった。黙っていた方が叩かれずに済むとも思ったけど、どういう「たまたま」が重なって「2, 3千万円」ができるのか事例を残した方が、どういう意味でそれが「無茶振り」なのかはっきりするかもしれないと思って。言うまでもなく別にこれが唯一の達成条件でも何でもないし、子育てしつつ夫婦2人で退職までにマイルドに資産を形成してくって理想形もあるだろうけど、それももう「典型例」ではなくて似たり寄ったりの偶然の重ね合わせでしか得がたいケースなんじゃないかと思う。
 条件が偶然重なれば生き残れます、その生き方が幸せかどうかは知りませんけど。じゃあ後は頑張って下さい、と国から言われている様子がよりはっきりするかもしれない。