やしお

ふつうの会社員の日記です。

新自由主義の自己責任・競争社会が生み出す景色

 新自由主義経済が進むと格差社会になる、苦しい社会になる、とはよく聞く話だけど、金敬哲(キム・キョンチョル)著『韓国 行き過ぎた資本主義』はそれが具体的にどういう世界なのかを見せてくれる。



 海を隔てた隣国でこんなことになっているのかとかなり驚いた。(そういう面を抽出して紹介しているから特にそう見える、という点はあるとしても。)
 ソウルには行ったこともあるし映画も色々見ていても、社会の仕組みや実情、人々の価値観まではなかなか分からない。日本と韓国は同じ東アジア圏の西側諸国で、生活水準・物価水準も同程度という共通点があるから、この格差社会の進行具合の差がより際立って(他人事じゃないという怖さを伴って)感じられる。


 つい最近も、人材派遣会社会長・経済学者・元国務大臣竹中平蔵がテレビ番組で「正規雇用は守られ過ぎてる」「首を切れない社員なんて雇えないですよ普通」と発言して少し話題になった。竹中会長はかつて大臣として新自由主義的な政策を日本で推進した立場にあったこともあって、一種の「元凶」のように見なされて話題にもなるのだった。
 本書は「それを実際やるとどうなるか」の一種の回答になっている。一つの貴重な実例として、忘れないように自分なりに整理しておきたいと思った。


 

近代化のスピードとIMF通貨危機

 ためしに「新自由主義」をWikipediaで見てみると

自己責任を基本に小さな政府を推進し、均衡財政、福祉・公共サービスなどの縮小、公営事業の民営化、グローバル化を前提とした経済政策、規制緩和による競争促進、労働者保護廃止などの経済政策の体系。競争志向を正統化するための市場原理主義からなる、資本主義経済体制

だという。


 本書では韓国が新自由主義的な政策を進めてきた背景や、様々な歪みが社会に生じた要因として、急速な近代化とIMF通貨危機を主要なものとして捉えているようだった。
 西欧が300年かけて達成した近代化(産業資本主義社会化)を、日本は100年に圧縮して辿り、韓国はさらに30年に圧縮して辿ったという。効率最優先で資金・資源を財閥に集中して分配した結果、中小企業が育たなかったという。
 また1997年に通貨危機がタイから東アジア圏全体に波及し、韓国で最も深刻化した。韓国はデフォルト寸前の状況に達しIMFの緊急支援を受けた結果、IMFの厳しい監視下に置かれた。これはかつて日本に主権を奪われたことに続いて、IMFに経済的主権を奪われたとして「第二の国辱」と呼ばれるという。
 IMF構造改革として金融・貿易の保護政策を全て撤廃した。韓国側も通貨危機直後に就任した金大中が左派だったにもかかわらず新自由主義的な経済を推進し、アメリカから「IMFソウル支店長」と呼ばれたという。その結果、IMFからの借入資金は早期完済できたものの、格差が拡大し、整理解雇制・労働者派遣制など労働市場の柔軟化政策が中間層を破壊した。
 また金大中政権以降も新自由主義政策は継続された。李明博政権は「落水効果」を謳ったがこれはトリクルダウン理論そのものになっている。


 現在の文在寅政権では「大きな政府」への転換が図られたものの、転換が性急・過激だったこともあり、かえって雇用状況を悪化させ格差拡大に繋がってしまっている。2年間で最低賃金3割引上げを実行した結果、大企業は人件費高騰を嫌って海外移転(生産拠点だけでなく本社まで移転する企業が出ている)し、自営業者は廃業に追い込まれた。その結果、経済指標が「IMF危機以降最悪」になり、低所得者層の所得が意図とは逆に低下してしまった。
 また文政権では「財閥改革」が掲げられた。財閥・大企業が成長の果実を独占したせいで中小企業が育たなかったとして財閥を断罪している。財閥が家宅捜索を受けたり幹部が逮捕されたりするのが日常茶飯事になった。財閥の締め付けの結果、大企業の研究開発が縮小し、また国民にも財閥ヘイト感情もたまっているという。


 2019年公開の映画『82年生まれ、キム・ジヨン』は、女性(娘・妻・母親)への蔑視・差別を主要なテーマとして描いている(それは日本社会にもかなり共通する問題だった)。その蔑視や差別には世代間の価値観の差も大きく影響している。それは韓国がかなりの短期間で近代化を遂げたこととも関係しているのかもしれないと感じた。
 社会構造に応じてそこに生きる人々にはある種の生存戦略が発生する。「こうするのが有利」が「こうすべき」と常識などの形で転化する。社会構造の変化が緩やかであれば、数世代かけて常識も変化していく。
 親世代との価値観のギャップ(例えば女はこう生きるのが当然といった)が、日本社会でも同種に見られるものだとしても、程度としては韓国の方が大きいように見えるとしたら、それは「アップデートが後れている」と単純化するより、「日本と韓国で近代化にかけた時間の差が現れている」と考えた方が正確なのではないか。日本では祖父母あたりの世代との価値観・常識の差が、韓国では親世代との間で現れていて、そのために摩擦・衝突がより大きく生じているのかもしれない、と漠然と想像している。


 それからIMF通貨危機を描いた映画『国家が破産する日』が2018年に公開されて韓国でそれなりにヒットしたという。このエントリを書く中で通貨危機を調べていたらこの映画の存在を知って、実際に見てみたら面白かった。

  • IMF介入を回避しようと奮闘する中央銀行の通貨政策担当の職員
  • 経済危機を予測して儲けようと勝負に出る元金融マンの個人投資家
  • 発注元が破産し資金繰りに苦闘する町工場の社長

という3つの話が並行して進んでいく。97年11月の株価大暴落の直前から、98年2月の金大中就任前までを扱っている。
 史実としてIMFによる融資と厳しい構造改革という結末が既にあるため、物語として観客をスカっとさせる結末には至り得ない。それでも立場や階層の異なる三者とその周りの状況が描かれて、通貨危機に影響を受けた人々が多面的に見えて、厚みがあって面白かった。
 従来、韓国国内では「IMF危機は日本のせい」という認識が支配的だったそうだが、この映画では日本の存在感はほぼゼロで(IMF支援の対案として主人公が日米支援を持ち出したシーンくらい)、むしろ「米国がIMFに指示して韓国市場を外国資本が利用できるように市場開放させた」と米国黒幕説になっている。


 『キム・ジヨン』でもIMF通貨危機が会話の中で少し言及されていた。割と最近見た他の韓国映画(タイトルを忘れた)でも確か登場人物が言及している場面があった。今まで意識していなかったけれど改めて見てみると、韓国社会・市民にとってIMF危機は大きな影響がはっきりと生活に与えられていて、今でも自然に口の端に上る出来事なのだろう。
 『国家が破産する日』のラスト近くで、IMF介入が決まった後に小学校で質素倹約を教育するビデオをみんなで視聴する場面が映っていた。自分が小学生だった時に「米不足でインディカ米を食べた(93年)」とか、「O-157の食中毒が流行した(96年)」とか、世間で大騒ぎして学校でも何か対応したイベントは記憶に残っていて、それに近い感じなのかもしれない。今の韓国の30代あたりにとって「そういえば子供の頃にあった大きな出来事」だろうし、50~70代にとってはもっとダイレクトに仕事に影響があって記憶されている。韓国の人にとってIMF通貨危機はそういう距離と大きさで意識される出来事なのだろうと思った。


【教育】教育政策

 受験シーズンになると白バイが学生を運んだりするニュース映像を何度か見たことがあって、漠然と「韓国は教育熱がすごい」とは思っていた。けれど本書を見るとはるかに大変なことになってるんだと教えられる。
 通貨危機をきっかけに就労状況が悪化したことで、「信じられるのは自分の能力だけだ」という価値観になる。子供が苦しい人生を生きずに済むよう幸せに生きてほしいと望むのは、親としての極めて自然な願いだとして、それが「とことん能力をつけさせる」という過剰な競争に陥ってしまう状況がここにはある。


 金泳三政権で新自由主義的な、競争原理、市場原理に基づく教育政策への転換が図られ、続く金大中政権も(左派政権だったが)さらに推進した。盧武鉉李明博朴槿恵政権ではその弊害を是正するために、それぞれ公教育の強化/私教育の抑制を教育政策として進めようとしたが、結果的にはかえって私教育を加熱させてしまう。


 「そこそこの努力で、そこそこの生活を送れて、それなりに幸せに生きられる」という安心感のある社会であれば、「そこそこの努力」で済ませる、「やれる範囲で頑張ればよし」という判断ができる。しかし「優秀でないと塗炭の苦しみを舐めます」という社会では、無理をしてでも優秀になろうとするしかなくなる。
 「そこそこ」という中間層の存在が許されない格差社会では、教育熱が加熱するのは止められない。盧政権以降で私教育抑制が失敗してきたという事実は、この構造自体が解消されない限り、教育制度だけを変えようとしても結局はその新制度に適用した別の過剰な競争が始まってしまうのだ、ということを教えてくれる。


【教育】教育格差

 富裕層と貧困層で教育費に27倍の差があり、韓国トップのソウル大の合格者は富裕層出身者に傾いているという(本書の中でもう少し細かいデータが紹介されている)。
 また地方と首都での教育格差もある。首都ソウルの江南(カンナム)地区に名門中高が集中、その中の大峙洞(テチドン)エリアは3.55平方キロメートル(北大札幌キャンパスの2倍、外苑含んだ皇居の1.4倍ほど)に1000以上の学習塾や予備校がある。そうしたエリアに行けるかどうかが「いい大学に入れるか」ひいては「将来十分な収入を得て楽に生きられるか」の大きなファクターになってしまう。


 韓国には入試がなく近距離から生徒を抽選で選ぶ「一般高校」がある。ただし地域ごとに学力差があり、学力の高い一般高校はそれだけレベルの高い大学へ生徒を入学させられる。高レベルの一般高校に入るには、その地域の中学校に入る必要があるが、そのエリアの中学校は(競争が激化しているため)中途転入を認めていないため、小学生のうちに引っ越す必要がある。このためその中学校に入ることが確定しているマンションは高額になるという。わずかにエリア外の新しくて設備の良いマンションよりも、手狭で古くても高くなる。
 名門大学へ入るには、名門高校に入る必要があり、名門高校のエリアにある中学校に入る必要があり、小学校のうちにその中学校のエリアに引っ越さないといけなくて、マンションを割高で買わないといけない、というシステムになっている。
 住民登録だけをそのエリアに移して実際には別の場所に住む「偽装転入」は刑事罰の対象だが、政府高官もたびたび発覚してスキャンダルになる(李明博元大統領や、文政権の康京和外交部長官など)。


【教育】塾の進化

 学校のカリキュラムより進んだ勉強をやるのは、日本の塾や進学校でも普通に見られる。韓国では「先行学習」と呼ばれる。(日本より激しいかどうかは分からない。)小5が高1の数学を勉強する、学校の授業中は塾の宿題をしたり寝たりして他の生徒の学習意欲に悪影響をもたらす、教師も丁寧に教えなくなる、といった実情が紹介されていた。また子供の発達過程と乖離して、問題を機械的に解く癖がついてしまう弊害があるという。
 また有名塾の入塾試験対策のための塾や、塾の先行学習についていけない子をフォローするための塾といった、「塾のための塾」もあるという。
 塾の人気講師は数億~数十億円の年俸を得ていて、独自コンテンツ開発のために修士・博士を集めたシンクタンクを抱えたり、数十人の秘書を雇っている。一方で大多数の講師は月20万円弱程度の収入で社会保障も退職金もない。


 昔、自分は公文でバイトしてたことがあって(小中学生の時には生徒として通っていた)、小5で中3や高1レベルの数学をやっている子は数人いたので「進める子」がいるのはさほど珍しくはないけれど、それはあくまで「進める子は勝手に進む」だった。
 「集団で無理してでも小学生が高校生の数学を学習する」「ついていけないので他の塾でフォローする」というのは子供にとってもかなり苦しいだろうなと思う。幼児から高校生までメンタル・クリニックに通っている事例も紹介されていた。


 それから、教育熱が高まる→弊害が出てくる→教育熱を抑えるよう規制をかける→規制をかいくぐってさらに教育熱が高まる、といういたちごっこが様々な面で起きているようだった。
 英語教育に関しては、93年に政府が小3以上で英語を科目に加えてから教育熱が加熱しているという。英語幼稚園や小学生の海外英語キャンプが流行っているという。
 08年には李明博政権が、英語教育熱を抑えるために公教育の充実=全授業を英語で行う方針を出したものの、かえって私教育の加熱を招いたという。精神的に追い詰められた学生が4名自殺する事件が起きた。
 13年に朴槿恵政権では、英語教育熱を抑えるために私立小の英語教育を制限したものの、今度はインターナショナルスクールが人気になったという。


 韓国では以前は日本と同様に高校入試があったが、受験戦争の緩和のためにペーパーテストがなくなった結果、難関高校への入学には内申点が重要になったため、体育や音楽、美術の塾が出てきた。
 深夜まで塾で勉強することが問題になったので、深夜営業を規制した。するとその代わりに深夜にスポーツ塾をやるようになったという。スポーツ塾は規制対象の学習塾ではなく「体育施設」という名目で規制を免れている。また学習塾も明かりが漏れないように窓を塞いで深夜に営業することもあり、たまに摘発される(しかし全体としては放置されている)という。


 塾が複雑化・高度化して教育費の増大が問題になると、当局は塾の受講料を規制した。しかし受講料の一部を「テキスト代」などの名目に変えて規制逃れをしているという。


 規制が追加されたり教育政策が頻繁に変わると、どんな教育政策でも対応できるよう公教育に頼らず、私教育に依存せざるを得なくなる。教育熱を抑えようとすると教育熱が高まるというジレンマに陥ってしまう。
 頻繁に変わる教育政策に親がついていくのは難しいが、子供のために無関心でもいられない。そこで進学コンサルというサービスが出てくる。さらに「入試代理母」という子供を難関大に入れた経験のある母親が学生のパーソナルトレーナーになり必要があれば寝食をともにするサービスも出てくる。


【教育】大学入試:修能と随時

 大学入試には、日本でいうセンター試験のような「修能」と、推薦入試にあたる「随時」があるらしい。


 修能は94年に導入され、毎年11月に実施される。それ以前の大学入試は科目が多く暗記重視だったため、学生の負担軽減のために科目を減らして思考力重視にしたら、教科書の範囲だけを勉強しても解けない問題が増えたことで私教育に依存してかえって学生の負担が増したという。
 韓国国内では一大イベントで、修能の試験日には、受験生の邪魔にならないよう役所や多くの会社が出勤時間を1時間遅らせたり、警察は白バイで受験生を送り届けたり、英語のヒアリング試験中は韓国全域で全航空機の離着陸が禁止されたり、修能・受験生最優先で国民全体が協力するという。


 一方の随時は97年に導入された。修能偏重を改めるために、高校の校長推薦による入試が始まり現在まで拡大を続けていて、大学入試全体に占める割合が7割を超えている。
 随時では、ボランティアや部活、受賞実績などが評価される。それで海外ボランティアを斡旋する塾や、部活やサークルの立ち上げ方を指導する塾もある。ゴーストライターを雇って子供の名前で自費出版させる例もある。大学教授が自分の子供を、実態を伴わないのに論文の執筆者に加えるといった不正も起こっているという。


 文在虎政権で法務部長官になった曹国も、娘の不正入試疑惑が持ち上がって日本でもそこそこ大きなニュースになった。高校在学中に医学論文や鳥類学論文の筆者として名前を連ねたり、本来応募資格がないはずの国連のインターンシップに参加してスペックを積んで随時で名門大に入ったという。曹は(娘の不正入試だけが理由ではないが)1ヶ月で長官辞任に追い込まれ、さらに在宅起訴された。曹の妻(大学教授)も逮捕される。
 朴槿恵前大統領が辞任に追い込まれたきっかけは、一民間人に過ぎない崔順実(チェ・スンシル)への利益供与疑惑だった。崔の娘が、本来「個人競技で国際大会3位以上の入賞」という名門大学の入学基準を満たしていなかった(アジア大会団体4位の実績)にもかかわらず随時で名門大に入学した、というのが疑惑の一つだった。
 朴政権・文政権ともに教育格差是正を掲げていたのに、側近にこうした入試スキャンダルが発覚したため韓国国民の怒りを買った。


 先述の偽装転入にしてもこの随時の不正にしても、教育にまつわる政府高官の不正が大きな国民の怒りを買うのは、それだけみんなが本気で教育の過剰な競争に巻き込まれていることの裏返しなのだろう。これだけ苦しい思いをして経済的・時間的・精神的に身を削って競争している以上、せめてその競争がフェアであってほしいと願うのは自然なことだし、それをルールメイカーの側が踏みにじるなら深い怒りを抱くことになる。
 本書では、複数の調査で「随時より修能の方が公正」と8~9割が回答していることが紹介されていた。


【労働】就職活動

 大学を卒業しても必ずしも就職できるとは限らない。就職浪人になって履歴書に空白があると、「実力不足」や「怠けている」といったネガティブなイメージを企業に持たれ、既卒は新卒より不利になるという。そのため全体の5割(就職に不利な人文系は7割)の学生が卒業を猶予して大学にとどまる。しかし大学生の身分を維持しようとすると、大学からは様々な名目で費用を徴収されてしまうため、学生の生活が厳しくなってしまうという。


 就職に必要な「8大スペック」があり、出身大学、大学の成績、海外語学研修、TOEICのスコア、大手企業の公募展、資格、インターン、ボランティアの8つ。大手企業の採用だとTOEICスコアは900以上ないと安心できないという。スペックを積んでも出身大学で落とされてしまい、トップ5大学でないと大企業に入れないという。(ソウル、延世ヨンセ、高麗コリョ西江ソガン、成均館ソンギュングァンの5大学で、全てソウルに所在。)
 このスペックづくりに学生は平均で年130万ウォン(12万円程度)をかけている。整形やダイエット、自費出版やオンラインメディアの創刊なども就活のためにやるケースもあり、月額20万円の就職コンサルもあるという。


 インターンシップは就職に有利なため競争が加熱する。大手企業は倍率が数百倍にもなる。一方で中小企業は学生の不利な立場や意欲を利用して無給や低賃金で単純作業をさせることがあり、「情熱ペイ」と呼ばれるという。(日本の「やりがい搾取」とよく似た言葉だなと思った。)


【労働】大企業指向

 韓国では、中小企業が企業数全体の99.9%を占め、雇用市場でも9割を占めている。しかし0.1%しかない大企業が韓国経済の半分以上を独占している。その結果、大企業と中小企業での賃金格差が大きくなっている。
 年収で言えば、大卒1年目では、中小企業で平均2500万ウォン(230万円)、大手企業は3800万ウォン(350万円)と100万円以上の開きがある。特に財閥企業は1年目でも400~500万円ほどで、中小企業の課長クラスより高くなる。福利厚生やサービス残業・休日出勤といった待遇面でも中小企業は大企業より厳しい。
 大企業に入れるか中小企業に就職するかでその後の生涯年収も余暇の時間の差も格段の開きがあるため、就活生たちは当然、なんとか大企業に入れるよう努力することになる。


 文政権は中小企業と大企業の賃金格差を是正するために、中小企業に就職した人に3年間、年1000万ウォン(90万円強)の支援金を出す政策を進めた。しかし4年目以降は元通りなので就活生の大企業指向は変わらないという。


【労働】公務員人気

 IMF危機で雇用の安定した公務員の人気が高まり、さらに高卒者救済のため公務員試験の内容を大学入試に近付ける制度が李明博政権で通過・朴槿恵政権で施行された結果、(本来ターゲットだった高卒者より)一流大の学生に有利になったことでさらに人気が加熱し、就活生の4割が公務員志望で倍率41倍になった。
 文政権では公務員の増員が進められている。


 ソウル中心部に公務員試験の塾が集中する街があり、受験生のための「公試テル(コシテル)」と呼ばれる宿泊所(ベッドと机だけのワンルーム)もある。塾の授業がない時は塾が運営する「読書室」と呼ばれる自習スペースで過ごすが、お互い神経質になっているせいでシャーペンのノック音やページをめくる音さえ注意を受けたり、果ては「スタバを毎日飲んでるのは贅沢だ」と附箋を貼られて文句を言われたりもするというエピソードが『韓国 行き過ぎた資本主義』で紹介されていた。


 調査では公務員志望者の7割が自殺予備軍と診断され、実際に試験に落ちて自殺する人が出ている。


【労働】就職後の生き残り競争

 苦労して就職した後も、解雇が容易な制度になっているため、さらに生き残るために競争していかないといけない。会社員の自己啓発費用は月額平均17万ウォン(1万6千円)で週に平均5時間をかけているという。なお日本では総務省の2016年調査で「1日平均6分」という結果が出ているようなので、大雑把には「韓国の社会人は日本の約7倍プライベートで勉強している」ということだろうか。


 管理職になると部下の評価も受けることになるが、ここでもスペックを積んでいかないと生き残れない。外見もスペックの一つなので、中年男性も整形や美容を重視するようになってきている。見た目で若くないと切り捨てられる恐怖があるという。語学に関しては若者の方が能力が高いため中年世代も語学学習に励んでいる。


 ちなみに自分は日本の割と古い大企業(メーカー)に勤めていて、同じ部門の管理職(課長や部長)がプライベートで自己啓発に勤しんでいるとはあまり思えない。新聞は読んでいる、自己啓発書も多少は読んでいるかもしれない、くらいだろうか。お金をかけて語学学習や資格試験の取得に励んでいるとか勉強会に参加しているといった話はほとんど聞かない。40代後半あたりの比較的若い課長(と書いて別に若くないけど「相対的に若い管理職」なところが古い会社なのかなと思った)だと、課長になる前から英会話学校には通っていて継続しているくらいの人はいる。
 仕事の技能として、組織特殊的か一般的かにかりそめに分けられるとして、雇用の流動性が高ければ一般的な、終身雇用に近ければ特殊的な業務の量や重要性の割合が増える(長く働くことが前提であるほど組織特殊的な業務・技術・技能を一般化するインセンティブが働きにくい)。「組織特殊的な技能」は人間関係や自社製品の知識だったりその会社でしか通用しない(潰しが効かない)方法や技術のことをいう。こうした組織特殊的な仕事は会社の中で学習することになる。この辺の話は経済学者 岩井克人の『会社はこれからどうなるのか』を参照するのがいいかもしれない。(この本は「株式会社」がどういう性質を有するかを明らかにした上で、日本の会社組織に他国と比較して特殊性があるとしたらどういう機序でそうなるのかを論じている。)


会社はこれからどうなるのか

会社はこれからどうなるのか


 「1日6分」を取り出して単に「日本の会社員は勉強しない」と言ってしまうのはたぶん皮相な見方で、会社の中で勉強するか、外で勉強するかの違いがあるのだろうと思う。特に終身雇用は「会社で人を育てる」意識や前提が強くなる。
 業界と職層によりけりだとは思うけれど、自分の見える範囲の実例で言えば、たとえ管理職を降ろされても解雇されるわけでも給料が極端に下がるわけでもなければ、英語ができたり資格があっても管理職としての評価に直結しない(マネジメント能力やロジックの構築力や、組織特殊的な技能があればこなせる)のであまり会社の外で勉強するインセンティブが働かないのだろう。


 韓国では大企業であっても40代後半~50代はリストラ対象になる。実力社会なので30代で大企業の取締役になる人もいる一方で、競争が激しいため役員の入れ替りも激しく、役員の平均在職年数は約2年となっている。大企業の役員を勤めていても、子供が2人いれば教育費や結婚費用で蓄えがなく、厳しい生活を送らざるを得ない事例が本書では紹介されていた。
 法的な定年は60歳だが、ソウル在住男性の平均退職年齢は53歳だという。会社を辞めさせられた後の再就職率は5割程度に留まる。そうした状況なので、50代以上で技術系資格(フォークリフト運転、掘削機運転、調理師、バリスタ、ペット美容師など)の取得が増加している。


 映画『国家が破産する日』でも、ラスト近く、IMF支援を受け入れた後に、会社員が早期退職か非正規雇用かを会社に選ばせられるシーンがちらっと出てくる。
 また映画の『82年生まれ、キム・ジヨン』では、キム・ジヨンの夫(中堅IT企業の会社員)が、出産を機に退職した妻の再就職を後押しするために、育児休暇を取得するか大きく悩む場面がある。またそのことで夫の母親(姑)がジヨンに「夫に育児休暇を取らせるような嫁があるか」と激しく詰る場面もあった。作中でも夫が同僚との会話で「育児休暇を取った後に仕事をほされた人」の話が出てくる。これを「価値観が日本より古い」とだけ見なすのは、ここまで見てきた事情からするとちょっと単純化し過ぎだと思えてくる。
 恐らく今の会社に入るために当人も相当の努力を払い、親も相当の経済的な負担を負ってきている。就職した後も簡単に解雇に追い込まれ正社員としての復帰が難しい。そこから外れてしまうと経済的にかなり苦しい生活になってしまう。どうしても経済面だけの合理性を考えてしまうと「このまま夫が育児休暇を取らずに働き続ける」が最適解になってしまうが、それは現状の社会構造の中での最適解でしかなく、女性(妻・母)の犠牲を暗黙のうちに前提しない限り成り立たない「最適解」になっている。そうした文脈だと「会社員の夫が育児休暇を取得する」が、きっと現在の日本よりもずっと大きな決断になっているのだろうと思えてくる。


【労働】退職後の20年に渡る非正規労働

 労働からの引退年齢が、韓国は男女とも平均73歳で、OECD加盟37ヶ国中で最も遅い。(OECD平均は2017年データで男性65歳、女性63歳なので、約10年長く働いている。)平均退職年齢が53歳なので、会社を辞めてから約20年間を非正規で働くのが韓国での「平均的な労働」となっている。


 韓国男性の人生を表す言葉に「起承転チキン」があるという。学歴が高卒でも名門大卒でも、キャリアが中小企業の平社員でも大企業役員でも、最後はチキン店になる、という自嘲ないし揶揄だという。韓国は全国にチキン店が9万店弱あり、これはマクドナルドの全世界の店舗数の2.4倍だという。(本書で初めて知ってびっくりした。韓国に旅行した時にガイドブックかネットで「韓国はチキンがソウルフードだ」とは読んだ気もするけど、それほどとは知らなかった。)退職した中年男性にとってフランチャイズのチキン店は取っ付きやすいとされる。年に約7千店がオープンして9千店が閉店しているという。
 韓国映画『パラサイト』は半地下住居で暮らす貧困家庭が、高級住宅街で暮らす超富裕層の家庭に上手く入り込んでパラサイトするというストーリーだが、その貧困家庭の父親はかつていくつか店をやっては潰していて、その一つがチキン屋という設定だった。
 また別の韓国映画の『エクストリーム・ジョブ』は、痲薬捜査チームが張り込みのためにチキン店に扮していたら店が繁盛してしまい、捜査と店舗運営の板挾みに合うというアクションコメディ映画だった。その中で捜査チームのリーダーが「本当に退職してチキン屋になろうか」と嘆息する場面がある。これも「退職してチキン屋になる中年男性が本当に多い」という背景を知っているとその見え方が少し変わるし、韓国人が見るともっと切実な話として何か実感を伴って見える場面なのだろうと思う。


 韓国では自営業者の割合がアメリカの4倍、日本の2倍で、一人あたりGDPが高いほど自営業者の割合が低くなる国が一般的だが、韓国ではそうなってない。以下のような複数の要因があるという。

  • 韓国は首を切られやすいが再就職は難しく、労働市場が一方通行になっている。
  • 資本主義化が急速に進行したため、宿泊業や飲食業といった分野で企業化が追いつかず自営業が多いままになっている。
  • 社会保障が充実しておらず、退職後に働く必要がある。
  • 雇用全体に占める大企業の割合が1割強しかなく、日本や米国の5分の1程度に留まっている。

 自営業者の平均所得は賃金労働者の5割程度しかないため、経済的にも厳しい。文政権で最低賃金を3割も急に上げたことで人件費が昂騰し、アルバイトを解雇せざるを得なくなり、休みもなく夫婦で一日中チキンを揚げ続けているという事例が紹介されていた。(日本のコンビニフランチャイズオーナーの苦況とも似ているが、それがより大規模に起こっているのかもしれない。)


 高齢世代では、地下鉄宅配が人気だという。65歳以上は地下鉄の乗車料金が無料なので、それを活かして宅配をするが、月に3~40万ウォン(3万円前後くらい)しか稼げないし体力的に大変だという。他にリサイクルゴミ(段ボールやペットボトル、アルミなど)の収集もあり(日本でも空缶を集めている高齢者を見る)一日中リヤカーを引いて1~2千円程度。


デジタル格差

 競争社会で経済合理性を追求すると、効率化のためにデジタル化・省人化が積極的に進められることになる。デジタル化についていける人とそうでない人の間に生活の質に差が出てくる。
 公共交通機関のオンライン予約が普及した結果、若者が座っていて高齢者は席を取れずに立っている、という光景が現れる。ファストフード店の自動注文機が使えずに上手く注文できない。オンラインバンキングが普及して銀行の実店舗が減ってしまい、高齢者が長時間並んで手数料も3倍かかる。「年寄り手数料」と呼ばれる。以前の記事で、もう少し詳しく言及している↓
  合理的な選択の末に、いつの間にか世の中に取り残される感覚 - やしお


 デジタル化に限らず「新しいやり方」がある程度普及して旧方式の利用者が減ってくると、旧方式を維持するメリットが失われていき、ある時いきなり旧方式が消滅する。新方式に適応してこなかった人達は大きな不利益をその時に被ることになり、それがインフラに近いものであれば生活自体が一気に苦しくなってしまう。ある方式やサービスは、登場する時はゆっくり浸透していくけれど、退場する時はいきなり消えるという非対称性がある。
 この「どれくらい旧方式を維持するか」の程度が、競争圧力の違いで左右される。新自由主義的というか競争が厳しい社会であるほど、旧方式の受益者を早く切り捨てないと競争に勝てないために、こうした面でのバリアフリーから社会が遠のくのだろう。


貧困

 日本で昨年「夫婦2人で老後資金2千万円が必要」と金融庁が報告書を出して話題になり、麻生太郎金融相が「表現が不適切」などと報告書の受け取りを拒否する、という騒動があった。韓国の新聞社が日本の金融庁の計算法を用いて試算したところ「3千万円ほど必要」との結果になった。日本より高い結果になったのは、韓国では受け取れる年金額が日本の3分の1程度しかないためだという。
 韓国では老人の貧困率が46%で、OECD平均の13%よりはるかに高く、加盟国中最下位となっている。高齢者の自殺率も突出している。


 自殺率(指標としては「10万人あたりの自殺者数」が使われる)はOECD加盟国の中で韓国は03年以降ほぼトップを維持し続けている。13年調査では国民の約5%が希死念慮を抱いているという結果が出ている。一般的には60代以降で自殺率は横這いか低下する傾向があるが、韓国の場合は年齢の上昇とともに右肩上がりに自殺率も上昇していて、50~60代に比べて80代は自殺率が倍以上になっている。
  参考→https://jssc.ncnp.go.jp/file/pdf/SPRJ2018_1_5.pdf


 また教育費を平均以上に支出したせいで貧困に陥ることを「エデュプア」と呼び、子供のいる世帯の1割以上を占める。財産を残せないならせめて教育を通じて子供の成功基盤を作ってあげたいという親の願いが、貧困に陥らせてしまう。本書の中では、大学の受験勉強に月200万ウォン(18万円)がかかり、中小企業の課長の夫と、昼は塾・夜は居酒屋でバイトする妻の共働きでも生活がギリギリだという事例が紹介されている。老後資金が形成できないため、老後の貧困にも繋がってしまう。
 子供と老親の両者を経済的に支えないといけない状態を「ダブルケア」と呼び、中年世帯の3分の1を占める。親も経済的に困窮し、子供も就活に失敗すると両方を扶養せざるを得なくなり、その結果やはり本人も蓄えがなくなって老後に貧困に陥ってしまう。
 こうした状況で、従来は儒教思想などもあり「子供が親の面倒を見るのは当然」という価値観が支配的だったのが、ここ10年で急速に薄らいでいるという調査結果も紹介されていた。


 こうした状況下では、経済的な面だけを見ると「働けるだけ働いたらさっさと死ぬ」が最適解になってしまうのだろうか。今年、日本でALS患者の嘱託殺人で医師が逮捕される事件が起きて、安楽死について思うところを自分なりにまとめてみたことがあった。
  尊厳死・安楽死の制約のありか - やしお
 自分の母親を自殺で亡くしたという個人的な体験とも結びついている。母はずいぶん以前から子供(私や姉)に世話をかけたくないといったことを言っていて、必ずしもそれ「だけ」が理由ではないと思われるものの、恐らく一端にはなっていた。自分の両親がどちらも64歳で死んで(父が急死し、4年後に母が自死した)、それは突然だったこともあって大きなショックを受けた一方で、介護などの不安がなくなってほっとした気持ちも正直あったのだった。以前は漠然と介護が必要になれば転職して田舎に戻るしかないのかなと考えていた。その「安堵してしまう」気持ちや罪悪感がなければいいのにとつくづく思う。
 経済的な合理性だけを考えてしまうと自死がベストチョイスになってしまう。それを選ばないと人生の苦痛があまりに大きい(場合によっては周囲がそれを望んで圧力になってしまう)。そうした状況が韓国ではもっと広く、厳しく起こっているのかと想像すると、自分の母親が自死した際の感情がよみがえりもしてつらい。


格差・分断の拡大と固定化

 世代・収入・性別などで不平等・格差が発生すると、層間の嫌悪や蔑視に繋がっていく。
 社会福祉システムが不十分なまま高齢化社会へ突入したことと、経済成長の鈍化が重なったことで、若年世代の負担が高まって高齢者への嫌悪が拡大しているという。地下鉄無料乗車を65歳から70歳以上に引き上げるという記事が出た際には高齢者を「年金虫」「老人虫」と呼んで非難するコメントが殺到したという。(『82年生まれ、キム・ジヨン』でも幼児を連れたジヨンに向かって赤の他人が「ママ虫」と蔑称で呼ぶシーンがあり、「〇〇虫」という言い方があるらしい。)
 統計資料でも韓国の青年層(2~30代)の8割が老人への偏見を持っているという結果が出ている。「若者は老人の福祉で割りを食っている」「老人の雇用で若者の雇用が減っている」という憎しみが溜まっているし、そうした意識を利用して政治家も老人バッシングをして支持を集めているという。(分断を利用したポピュリズム政治家が表れてさらに分断を深めてしまう、という構造は本当に世界中でよく見られる。)


 また富裕層/貧困層の階層固定化が起こっている。お金持ちの家に生まれて十分な教育費を費やしていい大学に入らないと大企業で十分な収入が得られない。18年調査で韓国人の8割が「人生で成功するには裕福な家庭に生まれることが重要」と回答しているという。
 仮想通貨が世界的に流行した2017年に、韓国が取引量で世界1位になった。仮想通貨の人気過熱は、税法その他の制度整備で韓国が後手に回ったといった要因もあるが、階層の固定化も一つの背景になっているという。生まれで決まってしまい階層移動が難しいのなら、仮想通貨で人生逆転を夢見るしかない。就職を諦めて時間と資金をすべて仮想通貨に投入する若者を「ビットコインゾンビ」と呼ぶという。「人生逆転」ほどでなくとも、結婚やマイホームを諦めざるを得ない人々が、何とか仮想通貨で資金を捻出したいと殺到した。


 貧困層と富裕層の格差という文脈で映画『パラサイト』に言及しようかと思ったけれど(そうした紹介のされ方もよく見かけるけれど)、あれはリアルな貧富の格差というよりまずはエンタメの高度な実現が主眼になっていて、「社会風刺」で評価するのは違うような気もしている。半地下という住居形態も年々減少していて、必ずしも韓国社会の貧困層を象徴するものではないという指摘もある。(ポン・ジュノ監督は空間を描く感覚に優れていて、例えば『グエムル』の漢江から怪物が現れて人々が逃げていく長い横移動のシーンとかも本当に美しいと感じるけれど、『パラサイト』の半地下と高級邸宅も単に「格差の象徴」というより、それ以上に「坂の上と下」といった上下移動や空間の面白さ・気持ちよさがまずあるんじゃないかという気がする。)


家族関係・人間関係の喪失

 経済的に苦しくなれば、その分何かを諦めなければならなくなる。失業率と非正規労働者の増加で恋愛・結婚・出産を諦める「三放(サンポ)世代」(「放」は諦めるの意味)が2011年の流行語になった。さらに就職とマイホームを足して「五放」、人間関係と夢も加えて「七放」、全てを諦めて「N放(エヌポ)世代」と言葉が変わってきているという。
 就活や公務員試験の勉強に忙しすぎてお金もかかるので、親・友人・恋人と過ごす時間もお金も作れなくなっている。30代男性の未婚率が44%と急上昇している(なお日本は30代前半で47%、後半で35%なのでこの点では同程度かもしれない)。合計特殊出生率も韓国は0.98人で世界最下位で、0代は世界で韓国が唯一となっている(日本は1.42人でワースト18位)。


 教育競争の過熱も家族関係にダメージを与えている。英語の早期教育が流行し、幼い子供の海外留学に母親が付き添い、父親は国内に留まって教育費や生活費を送る。たまに妻子のいる海外へ渡る姿を渡り鳥になぞらえて「雁パパ(キロギアッパ)」と呼ぶ。90年代初めに富裕層に広がり、90年代半ばから中流層にも拡大したという。さらに以下のバージョンに派生しているという。

  • ローカル雁パパ:ソウルに妻子を送り、地方で働く父親。
  • 鷲パパ:いつでも海外の妻子に会いに行ける経済力のある父親。
  • ペンギンパパ:経済的に厳しく海外の妻子に会いに行けない父親。(ペンギンは飛べない鳥なのと子育てに熱心なため)

 父親が自分の生活費を極端に切り詰めるため、全体の8割が栄養不良という調査結果がある。また家族とのコミュニケーションが十分に取れず、精神的にも疲弊して離婚や自殺につながる。そうした父親が女性を指名して飲む「雁バー」もあるという。






 ひとつひとつの現象自体は、日本や他国でもそれなりに見られるものかと思う。東大に入れるのは家が裕福な人の方が多い、退職後も非正規で働かないといけない、格差が広がっている、少子化が進んでいる、といった現象そのものはあまり変わらない。しかしその程度の差が「生きることがどれくらい苦しくなるか」に直結していて、こうした現象がより広く・深く起こっているのが韓国の現状なのだと『韓国 行き過ぎた資本主義』は教えてくれる。


 過剰な競争で全員が疲弊していく不毛さを、みんな分かっていながらそれでもレースから下りられない。そうした苦しみの構造は、そのまま国家間にも当てはまるのかもしれない。そしてそれは究極的には産業資本主義の進展に伴う構造的な問題に帰結する。後期産業資本主義に至って価値体系の差分を得るよりどころが減っていくと、国家間で疲弊しながらレースをやらざるを得ない、それが内在化した結果として新自由主義的な政策を取らざるを得なくなっていく。
 新自由主義政策の肯定派は、そうしなければ国家間競争から脱落して国民が大きな苦しみを味わうのだ、という理屈から肯定しているのだろうと想像している。ただ本書を読む限りでは「国が負ける→国民が苦しむ」機序よりも先行して「国民が苦しむ」が来てしまうのが、新自由主義のもたらす光景なのではないかと思えてくる。


 産業革命の起こった当初は1日10~16時間の労働だったという。1817年に「8時間の労働、8時間の余暇、8時間の休息」をスローガンに労働運動が展開され、各国で少しずつ労働者の待遇改善が進み、1919年のILOの第1回総会で「1日8時間・週48時間」が国際基準として確立された。(なお日本はこの国際労働条約を批准していないが、1947年施行の労働基準法で8時間労働を規定している。)純粋に人道的な観点で労働時間が短縮されたというより、産業資本主義にとっても無理やり人間を働かせるよりは、その生物としての条件を勘案して労働時間を制約した方が総合的に有利だったからなのだと思う。
 実は大きな歴史の流れで見れば、新自由主義的な政策への抵抗というのは、かつての労働運動の一つのバリエーションなのかもしれない。人間が幸福に人生を全うするためには、自分の人生を自分で(ある程度)デザインできる自由が必要になる。安心して人生設計をするためには、雇用(収入)の継続性が担保されていることが死活的に重要になる。正規雇用を守る、非正規雇用を拡大させない、簡単に首を切れないように一定の歯止めをかけておくというのは、資本家の視点に立てば労働力の硬直性だとしても、労働者の視点ではそのおかげで安心して(人生に展望や計画性を持って)生きていける。これも一見すると資本主義にとっての足枷のように思えても、実は8時間労働性と同様にトータルで見ると有利に働くのではないかと想像している。


 「8時間労働制」が短期的な人間の摩滅の防止なのだとしたら、「反・新自由主義」は長期的な人間の摩滅の防止に位置付けられる。8時間労働制も恐らく散々「そんなことをしたら競争に勝てない」と言われたのだろうが、結局は(実態としてどれだけ実現されているかはともかく、少なくとも最低限の建前として)実現されるに至った。反・新自由主義も最終的には同じ結果になるのではないかと想像している。結局は生物としての人間がそれに耐えられないのだから。
 ただ、8時間労働制が国際基準として確立されるまで100年かかったように、反・新自由主義が確立されるのも相当な時間がかかるだろうし、その過程で生きていく人達は苦しむことになる。100年後かもしれないし、50年後かもしれないとしても、それをどれだけ短くできるかでどれだけ苦しむ人(世代)を減らせるかが大きく左右されてくる。どんなスピードで「新自由主義は人間には無理」という合意が形成されるかは、現実にそれを進めた結果がどういう光景になるのかという具体例を見つめることが必要で、現在の韓国の状況を知ることはその意味で重要なのだろうと、『韓国 行き過ぎた資本主義』を読んでいて思った。