やしお

ふつうの会社員の日記です。

リアルゾンビワールドが近い

 iPS細胞はじめ再生医療が発達していくとして、それで病や衰えによる苦しみが軽減される明るい未来が待っているかと言えば、そう単純な話とは思えない。平均寿命が延びたことで癌などの病気が顕在化したように、今まで潜在的にあった問題が新たにスポットライトを浴びることになってゆくのだろう。
 例えば肉体を健康に維持できる一方、脳の衰えがそのままならば、認知症患者の徘徊などがもっと多くなると想像できる。
 体がしんどいのは苦しい。痛みや苦しみのない元気なまま最期に楽に死にたい。ピンピンコロリを実現してくれる技術として、再生医療に期待をかけたい。ところがそうしたせっかくの技術が、新たな苦しみを生むのだ。


 延命・長命の技術が進歩するのなら、それと両輪で死期を主体的に設定できる体制も整わなければ新たな苦しみが生まれるばかりだ。自分が誰かもわからない状態でゾンビのように生きたくはないという願いを、容易に叶えられる制度がほしい。
 もし身体的に耐え難い苦痛を抱えることになったら、苦しくもなく眠るように死ねる機会を与えてほしい。あるいは親しい知人や家族を忘れてしまう程度に認知機能が低下したら死なせてほしい。それから例えば、70〜75歳といった5年くらいの幅で死期を指定して、ランダムにある夜寝ている間にそのまま死ぬようにしてほしい。等々。
 もちろん制度設計は山ほどの課題と困難を含むだろう。経済的な問題が死の選択を後押ししないようにするとか、ゾンビのようになって生き続けたいという要求も十分に守っていくとか、挙げればきりがない。特に日本のような「人に迷惑をかけたくない」という指向の強い社会においては、そうした強大な世間力からいかに個人の意思を保護できるかが難しそうだ。
 とは言え、自殺がタブー視されているキリスト教社会に比較すれば、まだしも実現は容易ではないかと思うのだ。


 再生医療の技術が人に応用され始めている今から、死ぬ技術と制度の検討も同時に始めないと間に合わない。しかしいつだって制度は間に合わないに決まっているのだから、ちょうど今30代手前の私たちがゾンビファーストジェネレーションになりそうだ。リアルゾンビワールドが立ち現れて始めて、社会は手を打ち始める。
 それは恐ろしくて不安で、でもちょっと楽しみだ。他人の迷惑など関係ない、自意識が消えようと関係ない、ただ元気に体が動いて生きている、恥も尊厳もなく、そうして街を徘徊している自分がいるかもしれないと思うと、ちょっとだけわくわくするんだ。老醜をさらしてこそ生命だとでも言いたいような気分になっている。