やしお

ふつうの会社員の日記です。

疑う前提と疑わない前提

 自分で決めた前提は信じる、他人が決めた前提は疑う、という習慣が心の平穏にはいいと思ってる。
 本当にこの結婚相手で良かったのかな、本当にこの会社に入って良かったのかな、と自分が決めた前提を疑ってずっと不安に思い続けるのはしんどい。それよりもう前提条件として受け入れてしまった方が、じゃあその上で最適解を決めようと前向きな気分になれる。一旦自分で決めたことをいつまでも確定させずに調整できるパラメーターを増やしていると、最適解を決定するのがとたんに難しくなる。そして「本当に最適解なんだろうか」といつまでも不安になる。毎日疑い続けると精神衛生によくないので、年に一回くらい真剣に前提を疑って、次の手段を決めればいい。
 逆に、上司や先輩から指示された仕事、子供のとき学校や親から社会から教えられた価値観、学校の勉強といった他人が決めた前提は一旦しっかり疑った方がいい。検討し直してみると案外、やっぱりやる必要のない仕事だったとか、本当は別の結果を求められてたとか、実はその思い込みをはずした方が楽だとか、もっと単純な原理があって把握しやすいとか、いろいろはっきりする。公式を信用せずに、一度はちゃんと手計算を自分でやってみるということだ。検討した上で納得して「他人が決めた前提」が「自分で決めた前提」に切り替わったら信じればいい。自分が他人にコントロールされていると感じるより、自分が自分をコントロールしていると感じて生きてる方が、精神衛生にいい。
 まるっきり逆の習慣でいる人が無益に苦しんでいるのを見るのはつらい。自分で決めた前提はすでによく把握しているし、自分で変更できるせいで、パワポのレイアウトみたいにいつまでも無為にいじり続けてしまう。他人が決めた前提は、中身を把握するのが面倒だし、変更するには他人を説得しなければいけなかったりするから、つい検討するのを放棄してしまう。けれど自分で決めた前提をずっと迷い続けて、他人が決めた前提を信じ込んで、振り回され続けるのは苦しい。急がば回れのような感じで、面倒をあえて引き入れた方がかえって楽になる。