やしお

ふつうの会社員の日記です。

出張で「予定は平気?」って最後に聞くのやめてほしい

 海外出張不可避、来週早々出発という結論に上司とさんざん検討した末に至って、その最後の最後のタイミングで
「個人的な予定とかは大丈夫?」
と聞かれてつい(ムッ)としてしまって、
「もう全キャンセルしなきゃしょうがないですよね」
と口走って嫌な空気にしてしまった。精進が足りない。「平気ですよ」ってにっこり笑えるように精進しないといけない。


 でも(ムッ)としてしまうのもしょうがないんだよ。
 言われた瞬間、(大丈夫じゃなかったら最初にそう言ってるよ!)とか(俺がいやです、って言えばじゃあなしになんの? 違うでしょ??)と思ってしまう。
 いや、上司は「急な出張で申し訳ないなあ」という気持ちから気を遣ってそう言ってくれてるんだと理解はできるけど、その瞬間は(ええ!? 何ゆってんの!?)という感情が先立ってしまう。


 じゃあ上司が何も言わなければいいかというと、それもまた失着で、それだとプレーヤーは(ちゃんと俺の苦労を理解してくれているのか!?)って気持ちになって、「俺大変なんですよね〜」ってめんどくさいアピールで変な確かめ方をして、「わかってるよ!」って上司に言われてお互い反発心を生んでよくない結果になる。


 じゃあどう言うのがいいんだろうって考えてた。
 急な出張を引き受けてくれて課としてもとても助かっている、ベストな人選だと思ってる、たぶん個人的な予定とかもあっただろうに文句も言わずに前向きに返事をしてくれてとても感謝している、うちの課にきてくれてラッキーだと思ってる、そう言ってくれれば、いえいえとんでもない! ってこっちも素直に言える。
 本心はどうであれ嘘でいいからそんな風に言ってほしい。どうせ言うのはタダなんだから。
 そうやって相手の自尊心を満足させてる自分、に満足する方針でいるのが全体でハッピーなんだ。


 今の上司のことは基本的に好きだ。頭もいいし、ちゃんと筋もわかってくれるし、プレーヤーになるべく任せようとしてくれる。プレーヤーにすごく気も遣ってる。
 でも表現が下手だと思ってる。
 急に我々に対して皮肉っぽいことや当て擦りみたいなことを言ったりする。たぶん正面きって褒めたり感謝を伝えることに慣れていなくて、照れ隠しに近いようなものだと思う。でもプレーヤー側にしたら(はああ!? なんでそこでそれ言うかなあ!?)とか(え、あんたは俺の味方じゃないの??)となってしまう。
 自分の考えを積極的に開示しようとしてくれない。以前、年二回の個人面談の場で、この組織の目的(存在意義や方針)をどう考えてるのか聞いてみたら、かなりクリアーで、他の組織との相対的な整合性も正確な答えがかえってきた。そのとき(どうしてそれを課員にはっきり伝えないんだろう)と思った。


 それで他の課員のおじさんたちが陰でその上司のことを悪く言ってるのに遭遇することがよくある。「でも課長は何も考えてないでしょ」とか。
 とりあえず「うーん、そうですねえ」とさわりで同調したふりして、「でもこの前こんなこと言ってましたよ」とか「あ、でもそこはもうやってるっぽいですよ」とか言って、なるべく印象を底支えしようとしてる。(自分の印象も悪くならないように。)
 その上司のこと、ちゃんと頭いいのに、ちゃんと考えてるのに、損してるなあ、もう言い方だけで誤解されてるなあと悲しくなる。




 ひるがえって、じゃあ自分が後輩に対してきちんと表現できているんだろうかと考えてしまう。
 はじめのうちは(よくやってくれてるなあ)(がんばってくれてるなあ)と思ってても、だんだんそれが当たり前になってきて、(もっとこうしてほしいなあ)(ここが弱いなあ)と悪いところが目についてしまう。でも相手からしてみたら、(自分は昔より悪くなってないし、むしろ成長もしてるのに、なんでダメだしが増えてくるんだよ!?)という感じになってしまう。


 今回3週間の海外出張のあいだ、もし私が職場にいれば私が処理してたはずの仕事を後輩がやってくれた。
 この前その仕事について質問のメールがその後輩から来た。(それ事前に伝えておいたじゃん)とか(いや見たらわかるでしょ)とか思ったりする点がないでもなかった。でもそれ以上に、ちゃんと自分で調べられる範囲のことは調べた上で質問してくれたとか、こっちの時差のことも考慮して朝一で対応してくれたとか、そもそもほったらかしにせずに処理してくれたとか、ありがたい点なんていくらでもある。
 アバウトに「出張期間中、かわりに処理してくれてありがとうね」じゃなくて、具体的に正確に、相手がプラスアルファでやってくれた点を指摘して、それが確かに役に立っていると伝えないといけない。


 行為を受けた側は感謝より文句の方が意識に上りやすい。感謝すべき点はあまりに滑らかにことが進んでしまう一方で、文句を言いたくなる点はひっかかって進行を止めるから記憶に残る。しかし行為を与えた側はもちろん、感謝されて当然で文句を言われる筋合いはないと思っている。それなのに、文句を浴びせられれば行為を与えた側は「二度と助けてやるか!」という思いを抱いて当然だ。そんな思いを相手に抱かせてお互い得することなんて一点もない。
 だから、行為を受けた側はかなり意識的に感謝すべき点を把握して、その感謝を伝えないとバランスが取れない。行為を与えた側と受けた側の、この意識の非対称な構造を忘れたらだめだ。
 ちゃんと帰ったら、それを忘れずに言おうと思ってる。




 会話は瞬発力が必要になる。言ってしまった一言はもう取り返しがつかない。それをリカバーするにははるかに多くの言葉が必要になってしまう。
 会話の瞬発力を鍛えるトレーニングが必要になる。それには結局、失敗した自分の発言、失敗と思える他人の発言を毎度毎度分析して、じゃあどうするのが最適解なんだろうかと検討して、「もしいつか、また同じ場面が出てきたときにこう言おう」と一旦しまっておく。それでそのタイミングが来たときに、取り出す。(うまく取り出せなくて再検討したりする。)その繰り返しで少しずつ、自分の思考そのものも変わりながら、当たり前のように口から出るようにしていく。
 そんな地道な作業を細かく積み重ねていくことでしか、会話の瞬発力は構築されていかない。


 どれだけ頭の中で考えたり感謝したりしていても表現が伴わなければ意味がない。他人からは自分の言動しか見えないという物理的な制約がある以上しょうがない。
 後出しで「予定は平気?」と聞かれてイラッとしたつい先日の体験を思い出しながら、この地道なトレーニングを重ねないとダメだということを考えてた。