やしお

ふつうの会社員の日記です。

文章を書いてお金を貰う体験

 SUUMOタウンに寄稿した記事が公開された↓
ただの住宅地「新川崎」に住んでいたら、勝手に7年が経った - SUUMOタウン


 自分が住んでいる川崎市新川崎がどんなところで、どんな気持ちで住んでいるのか、といった話を書いた。誰かの参考になればいいなと思う一方で、「本当にこれでちゃんと誰かの参考になるのだろうか」という不安もちょっとある。


 お金をもらって文章を書くという体験は初めてだった。はてなダイアリーから始めてブログは15年弱続けているけれど、ずっと書くのも自分、編集も校正も校閲も自分という環境で、他者のチェックを受けて何かを書くのも初めてだった。


 申し出があったのが12月上旬だった。はてなの編集部門からふいにメールが届いた。実は過去にも「書きませんか」というオファーがはてな以外から数回あったけれど、断っていた。ただ今回は、自分の住む町のことを書くという話で「それなら書けることがありそう」と思えたのと、媒体も自分のブログではないということで受けた。
 その時点でこの「やしお」は読者数が13人で、直近の数ヶ月内で特に「バズった」記事もない中で、よく声をかけてもらえたなあと不思議な気がした。誰かが見てくれて、何か評価してくれたというのは、単純にありがたいことだし、うれしかった。


 はてなが編集部門を抱えて、顧客とはてなブログの作者を仲介して記事提供をしている、というのもそれまで知らなかった。じゃんじゃん新サービスを実験的にリリースするインターネットいけいけちょいダサ会社、という10年以上前の認識で止まっていた。


スケジュール

 12月下旬にはてなの東京オフィスで下打合せをした。それ以外はずっとメールベースでのやり取りだった。クライアント側(SUUMOタウン側)との直接のやり取りはない。
 表参道駅からブランドショップの奇天烈な建築物が並ぶ道を抜けて、根津美術館のとなりのビルの中にはてなのオフィスはあった。都内だけど静かで上品な感じがした。会議室は窓が大きくて、畳敷の掘りごたつになっていて、ちょっと居酒屋の個室みたいと思った。窓の外はとなりの美術館の庭を見下ろしておしゃれだった。
 自分の勤めている会社は古いメーカーで、もともと工場だった建物が、どんどん製造現場をなくしてオフィスになっていったようなところだから、職場には窓がない。窓っていいわねと思った。
 お茶はいただけた。あとノベルティグッズも貰った。うれしい。


 事前にたたき台になるかなと思って、記事内容になりそうなトピックをリストアップしたものを送っていたので(特に要求されたわけではなかったが)、打合せではお互いにそのリストを見ながら大雑把に「こんな内容で」というのを相談していった。少し雑談に近い雰囲気だった。
 とにかく手戻り(作った後の大きな修正)はお互いにとって苦しみなので、最初にレギュレーションをしっかり合意しておきたかった。でも基本的にはなくて、文字数も目安で明確な制限が設けられているわけではなく、とにかく「その人の普段のブログの雰囲気で書いてほしい」ということだった。実際その後、細かい修正点はあったものの、大きな手戻りはなく公開に至っている。


 12月下旬に打合せ、その後に「実際に書く内容を箇条書きしたもの」を提出してクライアント(SUUMOタウン側)のチェックを受けてそのままOKになり、年始に岐阜に帰った際の新幹線の往復で書き上がったので1月初旬に初稿を提出し、そこから多少の修正を経て2/21に記事公開、という流れだった。
 実際には余裕のある期限(納期)が設定されていたけれど、書く内容も構成も決まってしまえば後は手を動かすだけの作業なのですぐに終わった。写真は基本的に著者本人が撮ったものを使うとのことで、近所をウロウロして撮影した。


編集・校正

 ツイッターの白ハゲ漫画で、フリーライターや漫画家・イラストレーターが編集者の理不尽な要求に虐げられる話を時々見かけるけど、そういうことはなかった。
 原稿を書くより前に、内容についてはてながクライアントと合意を取ってくれているため、大掛かりな手戻りは発生していない。(それでも理不尽なクライアントなら、それすらひっくり返して平気な顔をするのかもしれない。)
 編集者による修正点も意図が理解できる内容で、ただ「著者としてはこういう意図なのでこの修正点はさらにこの形に変えたい」というこちらからのカウンターもすんなり受け入れてもらえた。
 理不尽な目に合えば白ハゲ漫画や匿名ダイアリーで告発されて炎上して耳目を集めるけれど、「普通に仕事してる」って話はあえて誰も語らないから見えづらい。今回クライアント(SUUMOタウン)も編集(はてな)も理不尽な要求はなく仕事としてとても真っ当だった、ということはちゃんと言っておこうと思って。


 修正も、小見出しが入ったり、読点が入ったり、言い回しの伝わりにくいところが直されたり、細かなものだった。それも「著者の方で修正して下さい」ではなく「こう修正してみましたがどう思いますか?」という形での提示だった。例えば「自分だったらここに読点は入れないな」と思ったりもするけれど、それはクライアント・編集側で違和感がなければそれでいい。
 たぶん「自分の作品」だと思って見てしまうと修正に対して「こんなの僕の文章じゃないやい!」って気持ちになるのかもしれないけれど、「プロダクト」だと思って見れば気にならないんだなと感じた。昔、映画監督の黒沢清がエッセイの中で「早い・安い・そこそこで撮っている」と語っていて(それで傑作を撮るのだけど)、ものすごく細部にこだわり抜いて細かく指示を出して全部自分でコントロールしたいタイプの監督もいれば、役者・照明・カメラマン等々にある程度お任せするタイプの監督もいて、そんな違いなのかな、みたいなことを思った。
 これは「こだわらない」という意味ではなくて、「餅は餅屋を信じてお任せする」という意味だ。いつも自分はブログを「自分の思ったことを整理するために書いている、ただ他の人にも共有できればいいだろうから(それがインターネットの良さだし)共有しておく」というつもりで書いているので、「みんなにとって読みやすいかどうか」にそれほど配慮していない。ただ今回は、編集が間に入って「なるべく人に読んでもらいやすい・読みやすいものを出す」という目的が設定されているのだし、その点に関しては編集の方が「餅屋」なのだからそれに従う、ということだった。それで実際、初稿から読みやすさの点で改善されていると思う。


報酬

 原稿料の相場観なんて自分にはないから、どんなもんなんだろうかと思ってネットで調べてみたら、たぶん普通の(良心的な)金額のようだった。特にプロのライターとして実績があるわけでもない素人に払う金額としては、きっと十分なものだ。
 ただ、時間給に換算してしまうと、本業の会社員の方がはるかに高くなってしまう。打合せをしたり、たたき台を作ったり、原稿を書いたり、写真を撮ったりするのにかかった時間で割ってしまうと、どうしてもそうなってしまう。買い叩かれているわけではなく、良心的な原稿料を貰ってもこれなのだから、「フリーライターになる」というのは、金銭的にはとても大変なんだろうなと改めて思った。


 この前、鈴木智彦『ヤクザと原発』(文春文庫)を読んでいてそんなことを思った。
 著者はもともと暴力団関係が専門のライターで、原発の建設から作業員の手配まで(福島の事故以前から)暴力団が関わっている実態があって、その関係で事故後の福島原発の取材も始めてついに作業員として潜入取材するまでに至る。それで、ヤクザの取材と原発の取材のはざまで苦しむことになる。

実際、私の経済状態はギリギリで、いつ破産してもおかしくなかった。普段の暴力団記事を放置、というか、落としてばかりで、原発にかかりっきりの上、まだほとんど原発の記事を書けていない。収入は、古い付き合いの実話誌になんとか記事をぶち込んで得たごくわずかの原稿料だけだった。睡眠不足にもかかわらず、金のことばかり気になり、夜になっても寝付けなかった。

(pp.101-102)

 手帳を見返すと、当時の行動はアクロバットだった。客観的にみて、キャパを超えた日程であり、冷静な取材ができたとは言いにくい。その後、沖縄に1週間ほど取材の後、翌日に福島入りし、7月4日まで福島(県内のいわき市郡山市南相馬市福島市など)―東京間を5度往復している。5日は原稿執筆の間に家族と食事を済ませ、7日には暴力団取材のため、新幹線で関西に出かけた。帰京したのはいわき入りの前日である9日で、この日の夜は広域暴力団2次団体総長と都内で食事をした。

(pp.163-164)



 能力も人脈も実績もあるプロのライターであっても、どんどん取材してどんどん記事を入稿し続けないと、「金のことばかり気になり、夜になっても寝付けな」いという。フリーであるというのは、大変なことだ。


 今回は「箱買いした野菜やかたまりで買った肉を使って、1杯のカレーだけを作った」みたいな話だけど、プロのフリーライターなら「大量の材料を仕入れながら、材料を振り分けてカレーや肉じゃがや色んな料理を作り続ける」みたいな回転でなければ成り立たないんだろうと思う。本業で十分な収入があるから、趣味でカレー作りをしていられる。
 最終的に単行本になることが確実で、十分な部数が見込める作家でもない限り、「情報収集」と「原稿の執筆」を完全にパラレルでこなせないとフリーライターにはなれない。そのためにはしっかりした「情報源」がいるわけで、過去の経験や人脈がある程度なければ難しい。
 そう考えると十分な情報源や専門性を持たない人がいきなりプロブロガーになるなんてことは厳しいし、乏しい情報を無理やり膨らませようとして世の中のためにならないことをただ書き散らすだけの虚業のようになっていく。
 元々プロブロガーやプロのライターになりたいとは思っていないけれど、改めて難しい話なのだろうなと感じた。


契約

 著作権のうち、財産権は全て譲渡、人格権は行使しないことを約束する、というのが契約の内容だった。会社で特許を取ったりした場合でも、会社に譲渡して報酬を受け取るみたいなのは普通なので、財産権は全部譲渡というのはあんまり違和感がなかったけれど、人格権の不行使のことはよく知らなかった。調べてみると一般的な条項のようだった。
 著作者人格権が行使されてしまうと、修正や公開のたびに逐一著作者の許諾を得ないといけなくなってしまうので、映像素材やイラストの納品などの契約では一般的に盛り込まれるという。今回の話には少しそぐわない気もするけれど、この契約は今回に限った話ではなくて、はてな社との業務全般でも使われるので、一般的に入れられているのかもしれない。
 自動的に付与され、かつ譲渡が無効になっている人格権を、契約によって無化できるのか、というのはとても不思議な話で、実際「不行使条項は無効である」という説もあるようだった。


 その他、秘密保持の契約とか色々あって、初めてだしと思って全部読んだけど、たぶん一般的な内容だったんじゃないかと思う。




 納期、対応、報酬、契約、どれをとっても特に違和感がなかった。「はてなの編集の仕事は違和感がない」ということをちゃんと言っておいた方がいいかと思って。あとやっぱ、初めての経験だったから、思ったことは忘れないうちに記録しておいた方がいいかなと思って。