やしお

ふつうの会社員の日記です。

生きている中でのささやかで大きなきっかけ

 はたから見れば本当にたいしたことないけど、自分にとっては案外大きな出来事だったなってことが、思い返すと結構ある。


 3年前に、自分(入社7年目)とよその部署の後輩3人(みんな2年目)の4人で一緒の研修を受けたことがあった。部屋に4人きりでいて「じゃあここで今日は終わりにしよう」だか「じゃあ帰りのタクシーを呼ぼう」だか何か仕切らなきゃいけない場面で、何となく誰も言い出さずにいたら、明らかに他の3人が「お前が仕切れよ」の雰囲気で僕を見ていて、なんかびっくりした。
 誰がリーダーだって決まってるわけではないし同じ課の人でもないから、この4人は同列で、指示する/される関係には筋論としてないとしか思ってなかったから、自分が指示すべきだなんて考えがすっぽり抜けていた。でもこの4人だと相対的には自分がそういう役割なんだ、とその時(というかちょっと後で)はっきり気付いて、むしろ今までそういう風に自分が考えたことがなかったことにびっくりした。


 こういうのも、学生の頃から部活やサークルで先輩・後輩関係を体験していれば違ったのかもしれないけど、それまではっきり後輩という関係の相手を持ったことがなかったから「自分が先輩なんだから指示して当然」という感覚が全くなかった。
 たとえ明示的に役割が決まっていなくても、相対的に決まるならその役を引き受ければいい、自分で決定権を持っていいし、そうしないとむしろ周囲の不満が溜まっていく、ということをはっきり知ったきっかけがその出来事だった。明示的に仕切るべき人が決まっている(リーダーや担当者、会議の主催者が決まっている)場合には、例えば先輩・後輩関係みたいなものでそれを侵害するのはいけないけど、そういうのが何もなければ相対的な序列とかで暗黙のうちに決まってくるし、その役を果たした方が(誰もいないなら自分が引き受けてあげよう、くらいの気持ちでやった方が)かえって上手くいく。
 それ以降「じゃあこうしよう」って自分が決定権をそうした場面でぱっと持つことに苦痛(心苦しさ)を感じなくなったし、全体をスムーズに進められるようになった。


 このことを何となく思い返していたのは、この前、課長が出席してる打合せで、最終的にどうするかを決定しなきゃいけないって話なのに、でも課長は仕切りもしないし決めもせずに何となく一参加者と同じような立ち位置にいる、みたいな場面があった。それで、(あ、ひょっとして自分が仕切るってことが苦痛なタイプなんじゃないかな)と思った。仕切ることが、相手を押さえつける、相手の自主性を奪うような感覚があって嫌なのかもしれない。そうした感覚は以前の自分が持っていたものと同じなので、わかるような気がした。
 でも現実には、結局誰かが仕切って最終的に決定しないと物事は何も進まないし会議はいつまでも終わらない。それだから、相対的にそういう役目にいることがわかるなら、もう自分がコントロール権を取っていかないとみんなが不幸になる。ということを知らずに課長にまでなってしまったのは、かわいそうなことだろうし、周りも本人もストレスフルだろうなと思ったのだった。その意味で、自分はあれぐらいの時期に気付くきっかけがあったのは有難いことだったのかもしれない。




 また全然別の話だけど、8,9年前に母親と何かで口論になったことがあった。その時母親が「もうこの年になって子供から怒られたりしたくない」と言って、かなりびっくりしたのだった。自分の方は、丁寧に説明すれば理解してくれる相手だと思っていたし、お互いが理解に達すればいいと思ってそれまで言葉を重ねてきたのに、それをいきなりシャットアウトされたことにびっくりしたのだった。
 これもちょっと経ってから、別に相手は相互理解に達したいと思っているとは限らない、それより感情的に慰撫されることの方を望んでいたりする、という当たり前のことを自分がわかってなかったことに気付いたのだった。むしろそれまで、母親のことを話してわかってもらえる相手だと自分が信じ込んで疑ってもいなかったことに気付いてびっくりした。
 それ以降、母親に対してはほとんどカスタマーサティスファクションみたいな、顧客満足みたいな観点で接するようになって、それで上手くいった。例え肉親であろうと、自分と別の思考を持っているという意味では他人なんだから、相手の感情を満足させるようにやらなきゃダメだし、そこに甘えることはできないと思うようになった。


 母親の話で言うと、高校受験の前に「勉強に集中できないから静かにしてほしい」みたいな文句を言ったらめちゃくちゃ怒って、「ここはあんただけの家じゃないんだし、文句を言うくらいなら高校なんて行かなくていいし、家から出ていけ」みたいなことまで言われて、その時に(あ、そうか別に親が自分を養ってくれるとか便宜を図ってくれるのは何も当たり前のことじゃないんだ)と目からウロコが落ちたのだった。


 こういう形で母親の方から子離れ・親離れを強制的に進めてくれたのはとてもありがたいことだったなと思う。ただたぶん本人は意識してやっていたというより、母親は15歳で家庭が貧しくて高校進学せずに住み込みで美容院で働いていて、そうした自分と比べて「15歳にもなって、しかも男のくせに、何を親に甘えてるんだ」という気持ちがあったんだろうと思う。高専に入った1年生の夏くらいから「バイトしろバイトしろ」と要求されたりしたのもたぶんそう。
 生まれた時点では当然なにもかも便宜を図ってもらわないと生きられないので「それが当たり前」だと思うけど、だんだん大きくなってどっかのタイミングで「当たり前じゃないんだ」とはっきり認識しないとおかしくなるんだけど、そういうきっかけを(結果的に)作ってくれたことはありがたいことだと感謝してる。




 中学生のときに漫画の「ヒカルの碁」を読んでいて、サブキャラのイスミさんのエピソードでもそうした体験があった。イスミさんは実力はあるんだけどここ一番でプレッシャーに弱くて囲碁のプロ試験に合格できなくて、スランプに陥って中国に武者修行に行った。でも中国に行ってもなかなか治らなかった。そしたら中国棋院のお兄さんから「自分では『そういう性格だからしょうがない』と思ってるみたいだがそうじゃない。性格だって自分でコントロールできるし、それをやるんだ」と叱咤激励された。
 これも読んだ後しばらく経ってから、びっくりした。それまで性格って先天的なものだと思い込んでいたから、「自分で修正できる」という発想がそのころの僕にはなかった。そういう風に考えることもできるのか、「生まれつきだ」って証拠も確かにないし、そう思い込んでるだけかもしれない、とびっくりした。


 性格だって変えられるかもしれない、自分で自分をコントロールできる範囲は思ってるよりずっと広いかもしれない、と考えた方がずっと楽に生きられる。「自分はこうだからしょうがない」だとあまりに制約が大きすぎる。
 そうした思い込みが「あ、そうか」と外れたことは、自分の人生の中では結構大きなことだったような気がしてる。




 こういうなんとなくふと思ったことを思い出すまま書いて定着しておくのが、はてな「ダイアリー」の名前にふさわしい記事なのかもしれないと思って、そういうのもたまには書きたい。