やしお

ふつうの会社員の日記です。

小松左京『日本沈没(上)』

http://bookmeter.com/cmt/50347863

てっきり事後を描いた小説だと思ってたけど、むしろ事前のプロセスを描いてた。現象、科学者、為政者の動きと進展を着実に見せてくれる。田所博士を学際的で物事をトータルで考えられる人物として描いてるけど、著者の志向がそう(湯川秀樹みたいな)で、著者自身そういう人で、この小説自体もその結実になってる。大震災で人々が狂暴化するシーンあるけど、阪神大震災や、もしくは国家的な秩序が解消されるとむしろ人は友愛的な態度を示すって説があることを思うと、もし著者が今書いていれば確実にその辺キャッチして違う風に描いていただろうな。


 面白いしすごいなと心底思いながら、作者のコントロール下に収まっている小説は、そんなに興奮はしない。


 ところで、「災害で国家的な抑圧が外れるとかえって人が友愛的になる」という話は、以下。

 地震のような災害が起こると、人々はパニックに陥り、普段は隠されている凶暴性が露呈する、というのが一般的な見方ですが、そうではない、というのがソルニットの主張ですね。人々は自然状態では互いに敵対するというホッブズの政治哲学が、今も支配的ですが、それは国家的秩序を正当化するための理論にすぎない。災害後に生じるのは別のもので、国家による秩序がある間他人を恐れて暮らしていた人たちの間に、そのような秩序がなくなったとたんに、友愛的・相互扶助的な秩序が自然に生まれる、と彼女はいうのです。それは阪神大震災にはあてはまります。
 しかし、3・11の原発事故が判明した時点で、今度はそうはならないだろうと思いました。といっても、ソルニットの意見と対立するわけではありません。彼女は、サンフランシスコ地震でもニューオーリンズ洪水でも関東大震災でも虐殺が起こったが、それは国家が介入したからだと書いています。原発事故というのは、ある意味で国家の介入によるものです。そもそもあれは国家が推進し建設したものですから。また、事故の後、国家は真実を隠蔽した。真実を知られたらパニックが起こるという理由で。だから私は、この原発事故から「災害ユートピア」は出てこないだろう、と思いました。実際、福島原発の近縁に住む人々は避難しないといけないから、共同で生きることはできない。救援者も近づけない。こうして、人々は互いに切り離されてしまう。しかし、この災害からは、別の契機も生まれました。それが反原発デモですね。それは原発事故が生み出した「災害ユートピア」のようなものです。そこに唯一の望みがあると思います。

柄谷行人柄谷行人インタヴューズ2002-2013』講談社文芸文庫(pp.227-228)


日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)

日本沈没 上 (小学館文庫 こ 11-1)