やしお

ふつうの会社員の日記です。

英語を勉強して嬉しかったって話

 英語の勉強自体は、学生の頃も会社員になってもずっとじわじわ続けてはいた。ただ今年、少し集中的に発話能力のトレーニングをして、そしたら仕事でうわーってなるくらい大きな満足感を得る体験があった。ただの個人的な話で、たぶんこの世界の中でありふれたささやかな喜びなんだけど、自分が忘れたくないから記録しておく。


それ以前の英語学習の経緯

 自分の英語のレベルは、TOEIC(L&R)だと学生の時(2007年:21歳)で715点、去年(2018年:32歳)で875点で「全く英語ができない」ってレベルではないけれど、発話能力は実用水準とはまるで言い難い程度だった。
 2015年に初めて一人で数週間の海外出張(アメリカ)があって、(えっこんなに喋れないのか)とびっくりした。思っていることが伝えられないのは本当に悲しい。自分で自分が情けなくなるような、惨めな気持ちになる。頑張ってあーうーって喋るんだけど、相手にも汲み取ってもらう大きな負担をかけるし、こっちももちろん脳がくたくたになる。それがまた精神的な負担になって、口を開くのがもう気が重くなってくる。にこにこ笑っている置物みたいになる。
 当時、職場では他に英語ができる人はいなくて、相対的に自分が「できる人」の扱いになっていた。なのにこんな程度かと思うとつらい。


 ショックだったのでまた英語学習の本やらサービスやらアプリやら色々やった。その中だと書籍の「瞬間英作文」とアプリの「スタディサプリ」が喋ることに対しては寄与していると感じている。


 そのアメリカ出張以前から「瞬間英作文」の、具体的には以下の2冊はそれなりの時間を費やしてやっていた。

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

どんどん話すための瞬間英作文トレーニング (CD BOOK)

  • 作者:森沢 洋介
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2006/10/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング

スラスラ話すための瞬間英作文シャッフルトレーニング

  • 作者:森沢洋介
  • 出版社/メーカー: ベレ出版
  • 発売日: 2007/06/14
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 定番の本だけど、基本的な構文をすぐ構築できるようにするとか、代名詞や時制や三単現のsがすっと出てくるようにする、といった点ではとても役に立っていると感じている。一方で、このトレーニングのみで不自由なく英会話ができるってことにはどうしてもならない。レベルを上げようとすると、現実的ではない・シンプルでない言い回しの例文が増えて、英会話の能力というよりパズルの能力が上がっていくような感覚になる。そうした限界や制約があるとしても、最低限クリアすべき技術なのは間違いなく、やってよかったと感じている。
 その点で「スタディサプリ」というスマホタブレット用アプリは、自然で無理のない言い回しが入っていて、かつレベルもバリエーションがあって良かった。丸暗記ではなく役者になったつもりで英文のセリフを言って録音して判定される。随分練習になったと思う。月額1000円の会費制で買い切りではない教材だった。


 それから「レアジョブ」でフィリピン人講師とSkypeでレッスンを受けたりもしたけれど、全然話せないととても辛いのでちょっとだけやって辞めてしまった。
 その他、語彙を強化しようとしたり、文法を強化しようとしたり、英語の内在的なロジックを理解しようとしたり、後はソリティアをするなどしていた。その時々で学習熱が高まったり、サボったりを繰り返していた。よくあるパターンだと思う。


発話能力の集中的な訓練

 自分の中では「だいぶマシになったかな」と思って、でも時々海外出張があると「全然ダメだあ」という気持ちになる。この繰り返しだった。何とかしたいなと思って、今年のゴールデンウィークに自分なりに学習計画を立てたけど、結局まるで達成できなかった。(ソリティアをするなど。)自分で自分を律するのは難しい。その後でまた今年7月頭に海外出張があって、訪問者の中で喋れる人にほとんどサポートをお願いするような体たらくだった。
 本当に何とかしたいと思った。あれこれ考えて、

  • 発話能力の高い会社の人、複数人に聞くといずれも「一時期集中して負荷をかけてレベルを上げた経験がある」という。そうしたトレーニングがあるタイミングで不可欠かもしれない。
  • その環境を自前で構築するのは私には難しい(実際にゴールデンウィークに自力で何とかしようとしてダメだった)。
  • もし発話能力がある程度獲得できるのなら、早く習得した方が「活用できる期間」が多くなるのでお得だ。
  • 7月と8月に9連休がそれぞれある。(会社のカレンダーがそうなっていた。)
  • 休職や退職して長期留学はしたくないし、1週間程度の短期留学は短過ぎる気がする。

といった諸々を考えて、いろんなサービスを調べて、調べ疲れて、いつも調べ疲れて結局やらないパターンじゃないかと思ってもう、えいやの気持ちで「レアジョブ本気塾」というサービスを選んだのだった。2ヶ月40万円。そういえば車や家を買ったことはないから、もしかしたら自分のこれまでの人生で一番高い買い物だったかもしれない。


 「レアジョブ本気塾」はパーソナルトレーナーがついて、学習の負荷や種類やレベルを調整したり、進捗を確認したりアドバイスしてもらえる。それから「レアジョブ」の通常サービスを無制限で受けられるし、また受けるようカリキュラムが設定されるので毎日3~6人のフィリピン人講師とお話しすることになる。
 言葉を出すのがしんどい(言葉を想起する・文を構築するのに脳の負荷が大きい)と、言いたいことがあっても諦めてしまう。とにかくアウトプットをたくさんやっていると、だんだんそのハードルが下がってくる。そうすると徐々に会話が楽になってきて情報のやり取りがスムーズになってくる。何せ相手がフィリピン人なので、フィリピン事情に詳しくなってくる。複数人と話ができるので、「あの人の話はフィリピンで一般的なのか、個人的な意見なのか?」という裏取りができる。さらにフィリピンへの関心が高まったのでフィリピンという国について解説している本を読んだ。地理と歴史と経済のバックグラウンドが大雑把に把握できると、今度は個人のレベルで実際がどうなのかをより正確に質問できるようになってくる。
 いったい、英語を勉強したいのか、フィリピンのことを知りたいのか分からなくなってきた。あれこれ知り得た情報は整理して一応↓の記事にまとめてみるなどした。
  フィリピンの事情あれこれ - やしお


 平日に2、3時間を学習に捻出するのはとても大変だった。8月と9月が想定以上に仕事が忙しくなってしまって(この5、6年で最も残業時間が多くなってしまった)、その上転居まで重なってしまったので、とにかく大変だった。(転居は諸事情から自分で時期をコントロールできなかった。)執事でもいれば家探し・家具家電の購入・業者の手配・諸々の手続き全部やってほしいなと思ったけれど、そんな人はいないので自分でやるよりしょうがない。月に10本くらい映画館で映画を見たり、ゲームもしていたけれど、そうした習慣は当たり前だけど一切停止した。
 8週間あると、最初の慣れが進む時期はどんどんできるようになってきて嬉しいんだけど、途中から「あれ? 良くなってるんだろうか」という不安な気持ちになる時期が出てくる。中だるみと言えるかもしれない。そこは「よくわからんけどトレーナーと訓練の内容は信じてやるしかない」と割り切るしかなく、実際それで大丈夫なんだけど、やっぱりその最中にいると迷いが出てくる。苦しいし。
 英語学習以外で多忙になったこともあって、苦しいとしか言い様のない時期だったけれど、(40万円!!)という心の声と、トレーナーを幻滅させたくないという気持ちで何とかかんとかこなしていった。やっぱり「他人に見られている」という意識は大きい。
 この「他人に見られている」という意味では、トレーナーだけではなく講師もそうだった。「人間・他者に向かって情報を伝達する」というのは緊張を孕んでいて、本やアプリで自習するより強度が高いと思った。


 じゃあみんなこのサービス受けるといいよ、と簡単に言えるかというと難しい。散々あれこれ自力でやろうとして、その上で「もう仕方がない」と思って選んでいるので私自身は納得しているけれど、自分で追い込めるしそれを続けられて、アウトプットの機会を自分で作れる人は入る必要がない。価格だって全然安くない。あと入って意味のあるレベルに自分がいるかどうかも重要だ。初回の無料説明会(実力チェック)で、入っても成果や満足感が得られなさそうな人は弾いてもらえる(というか一般サービスを紹介される)のかもしれない。あと週1で原宿の本気塾のオフィスに通わないといけないのでそもそも首都圏に住んでいないと無理なサービスだったりする。
 外国語をよりよく習得するには、質と量の両面で大きなインプット/アウトプットが要求される。その意味で、外国の大学に入って論文をたくさん書くような状況が一番いいのかもしれないけれど、そうした環境も簡単に作れるわけではないから、次善策としては選択肢に入り得るだろうか、くらいに思っている。


嬉しかった話

 「レアジョブ本気塾」はお金と時間をそれなりに費やすので、本人の気持ちの中では「意味があった」と思い込みたいバイアスがかかる。でも終わった時点で実際どれくらい成果があったのかがよく分からない。フィリピン人講師との30分のレッスンという形式の中では、それなりに会話が成立するようになったとは分かっていても、実際に仕事でどの程度かがよく分からなかった。
 10月に、海外の新規外注先を訪問してQA調査をする仕事が入った。今まで言語面でサポートしてくれた人が今度はいない状況だった。せっかくお金と時間をかけて頑張ったのだから、その成果が見られるぜってイケイケの気持ちと、実際大丈夫だろうか・全然ダメなままだったらどうしよって不安な気持ちで、ちょっとドキドキというかぐにゃぐにゃしていた。海外出張自体にはもう慣れていたし、行ったことのない会社へ行って知らない人と会うのも国外・国内でそれなりに数をこなして慣れてはいた。ただ久しぶりにちょっと「試されている」って感じがしてドキドキした。誰かにというより、自分が自分に試されている、という感じ。


 2日間ある調査の1日目が終わって、相手の会社の人たちとの食事会が終わってホテルに帰った時に、「うおーっ」ってなった。相手の会社から十分に情報収集ができた。同行していたメンバーの語学面でのサポートもできた。今までサポートされる側だったのに、サポートする側に自分がなっていた。直接ではないけれど、恩返しみたいだ。頑張ってきたことが「報われた」って感じがして、やっぱ、嬉しかった。
 これは英語だけの話じゃなくて、QA調査:相手の会社の品質管理体制などの調査という面でも、今まで色んな国内外の外注先を回って、事前質問リストを少しずつ洗練させてきたり、見るべきポイントを体得してきた経験や準備が報われたという面もあった。「普通はこうする」「他の会社でこういう事例があった」という引き出しがあって、今回これだけの仕事ができたんだなあ、という実感が溢れてきて、「集大成」って感覚が一気に湧いて「うおーっ」って気持ちになった。(大手メーカーの検査部門に勤務していて、外注先のQA調査はメインの仕事じゃないんだけど、時々そんな依頼や機会が発生して品証部門の人と一緒にやったりしている。)
 英語の話で言えば、今までだと「もうちょっと突っ込んで聞きたいけど、説明するのがしんどいからまあいっか」と諦めていたところが、発話能力の向上でコミュニケーションのコスト・ハードルが下がったおかげで、突っ込んで聞くことができていた。あと雑談ができるのも嬉しい。相手のこと/相手の国のことを色々聞いて驚いたり、自分のこと/自分の国のことを伝えて驚かれたりするのは楽しい。
 書いてしまうと実に簡単で月並みな話だけれど、普段生きていてああした大きな幸福感というか達成感はなかなか無いから、なんかすごい感情が来たなと思って。


 それから帰国後・出社前までに情報を整理して報告書にまとめて関係者に配信しておいたら、何人かから「すごいね」と言ってもらえた。そりゃこっちだって「これすごくなーい?」という気持ちで出してはいるけれど、実際にそう言ってもらえるのはそりゃ嬉しいに決まってる。


その他の嬉しい効果

 あと実際に自分がそれなりに勉強と訓練して少しできるようになってくると、他人(日本人)が英語で喋っているのを聞いたときに「どれくらい努力しないとあのレベルにならないか」が具体的にイメージできるのが嬉しい。外国語を喋れる人に「才能/センスがあるんですね」と褒めたり、逆に「自分には才能/センスがないので」と謙遜する場面を見かけることがある。しかしこれは、褒めているようで全然褒めていないし、謙遜しているようで謙遜になっていない。相手の努力を無化したり、あるいは自分が努力しないことの(無意識な)正当化だったりする。あるいは海外留学・赴任経験があって喋れる人に「留学・赴任したから喋れるようになったんだな」と漠然と思ったりする。これも間違いで実際、数年の留学・赴任経験があっても喋れないままの人は結構いる。本人の意思に基づく訓練なしで、才能や環境だけで大人が自動的に外国語を話せるようにはならない。才能がいるとすれば、それは漠然とした言語の才能というより、努力する能力や方法を検討する能力、あるいはそうした技術なのだと思う。
 「ああ、このレベルはちゃんと頭使ってトレーニングを重ねないと辿り着けないやつだな」と実感を伴って理解できる、相手の努力を正確に理解できるというのは、相手を正確に尊重するための前提なのだと思う。


 あとこれは英語に限った話でもないけれど、オウム返しで会話って結構成立するんだなというのは、不自由な言語の中でたくさんの人と喋る体験の中で改めて思った。単に相手の言ったキーワードや数値を自分の口で繰り返すだけでも、相手はもっと話してくれてコミュニケーションが広がる。
「子供が5人います」
「そうなんですね」
と答えて(あれ? この話題は興味ないかな?)と話し手側に不安を生むと、そこで話が終わってしまう。特に「今のはびっくりしてくれるかな?」という期待で話したことがあまり受けないと話す元気が折られて、その後の会話も弾まなくなっていく。
「子供が5人います」
「5人も!」
だと、単にオウム返ししているだけでも(ちゃんと自分の話に興味を持ってもらえている)という安心感を生んで話を続けてくれる。驚くべきところで驚いて、笑うべきところで笑う、といった正しいリアクションもさらにあればもっと相手がノッてくれる。もちろん相手が一定程度話好きな人じゃないと無理かもしれないけれど、「この人は自分との会話を楽しんでくれている」という安全な環境を提供できれば、相手が言葉をなめらかにたくさん出してくれる。その環境形成は、必ずしも言語能力の高さによらず達成できるんだ、と実感できたのは、一旦自分が不自由な言語の中でコミュニケーションを取る状況に入ったからだった。
 「情報を貰う」やり方って、ちゃんと正確に質問しないといけないと漠然と思い込んでいたけど実はそんなことなかった。何なら英語が分からなくても何となくそうやっていれば勝手に相手が色々喋ってくれたりする。案外その「ついでの話」に色んなヒントや面白い情報が含まれていたりする。あと純粋に楽しい。


 トレーニングによって以前より英語での会話が苦痛でなくなったのは確かだとしても、完全に不自由にコミュニケーションができるわけじゃない。ようやくスタートラインに立ってるくらいだ。外国語習得を考えるといつも、出川哲朗とデーブ・スペクターの二人を思い出す。
 出川哲朗はほとんど英語が話せなくても外国で知っている単語と身振り手振りで必要な情報を獲得する。相手に大きな負担を課している面はあるかもしれないが、それでもコミュニケーションを成立させる。絶対に伝える、その目的と意志があれば成立させられるのだと思い知らせてくれる。
 デーブ・スペクターは日本語母語話者ではないが、完全に遜色のないレベルで日本語を話す。彼は今でも知らない日本語を知るとタクシーなどでの移動中に手帳につけて学習を継続しているという。どのレベルに至っても語学学習に終わりはないし、終わりがないからそのレベルに到達できるのだと思い知らせてくれる。
 「まだまだの現状」に対して、出川哲朗の姿勢は「まだまだだから使わない理由にはならない」と教えてくれるし、デーブ・スペクターの姿勢は「まだまだだから諦める理由にはならない」と教えてくれる。語学に限らず、例えば漫画でもスポーツでも、「下手だからって人に見せない理由にはならない」し、「下手だからって諦めてやめる理由にもならない」という理解に連れて行ってくれる。出川スペクターを思うとちょっと元気が出てくる。


 たぶんもうしばらくすればGoogleがすごい翻訳マシーンを作って、外国語の学習に実用上の意味が失われて純粋な趣味になっていくのかもしれない。あるいは「英語ができた方がいい」っていうのは世の中の価値観を内面化させただけの思い込みに過ぎないって言われればそうかもしれない。
 それはそれとして、あんな嬉しかったって気持ちは滅多に味わえるものじゃなかったから、自分の中で保存しておこうと思って。