やしお

ふつうの会社員の日記です。

おかしな意思決定を許す余裕

 新型コロナやオリンピックで、行政側の合理的とは思えない対応を見せられるとしんどくなるこの感覚、昔会社でも味わっていた時期があったなとふと思い出して、懐かしくなった。新卒で入社した十数年前、事業部門のトップや部長が変な人でしんどかった。


 事業部長が年始に社員みんな集めて、目標や状況などの共有ではなく、お正月に読んだ新聞記事の話を延々としてた時は、この数百人を拘束する人件費を思って途方も無い気持ちになった。「私は世界情勢に目配せできる人間なんだ」とアピールしているようだった。
 そういう集まりで誰かがよそ見をしていたか隣の人と話していたか何かで、事業部長が怒り出したこともあった。「舐められている」というセンサーが敏感で耐えられないようだった。「尊敬を勝ち得るように振る舞う」ではなく「相手を威嚇する」という態度決定にがっかりしたのを覚えている。プライドの基礎工事が脆弱な人だったのかもしれない。
 その後の事業部長は、「世の中がこういう動きになっていて、自社はこのポジションを目指しているから、今期はこれらを進めていく、みんなにはここを頑張ってくれ」という話を説明会で伝えていて、(普通はそうだよね)と安心した。


 部長の方は、事業部長よりも直接関わる機会が多くて、特に一時期兼任で直に課長だった時はしんどかった。前提を並べて自然に考えれば当然こうなる、という理屈を分かってくれない。全体で見ると不合理な結論だけど、小さい範囲で見る限りで「そうなる」という結論にこだわってしまう。それでも「私は分かっている」という態度を崩さない人だった。
 一つ前の課長がものすごくロジカルな人だったので(その代わりパワハラというかロジックで人を追い詰める作法もものすごくて別の意味でしんどかった)落差が大きかった。両極端だったから部長と課長の仲は険悪だったと聞く(しかも同期だったらしい)。
 今の部課長は、ちゃんと前提をインプットすれば納得のいく結論を出してくれて安心して仕事ができる。自分の認識が違うと思えばすぐに訂正するし、相手が納得のいくように説明してくれる。それが普通だと思う。


 その事業部長や部長は学歴(というか出身大学・学閥)は立派だった。今の部長たちよりもその点では優れていたのかもしれない。
 それなりに世界的なブランド認知度もある大きな会社で、その意思決定をする人達がこんなん、というのはがっかりした。「やっぱすげえ」と思わせてくれ、という気持ちにはなった。その意味では、曲がりなりにも先進国だったと思っていたのに、この規律のない行動や意思決定が国政? というがっかり感に似てるなと思って。


 会社でその二人に限らず、よその課の課長とかでも(いやもっといい人いるじゃん)と思えるような人事もよく見かけた。今はほとんどそういうこともなくなった。
 そうした雑な人事が許されるだけの余裕があったということかもしれない。時代のはざまで特需があって業績絶好調な時期が続いた後かなり落ち込んで、早期退職も募って人も減らして、人事制度も年功序列制を緩めたり、といった経過がこの10年ほどであって、まともになった。


 「雑にやる余裕がなくなって合理的になった」というメカニズムがあるなら、日本の方は「失われた30年」と言われるくらい余裕はない状態が継続しているので、国政だってとっくに普通になっても良さそうな気がする。私企業に比べて国家は「消滅するかも」の切迫感が希薄だからだろうか。明治維新や敗戦後の統治くらいの外圧があれば組み換えが進むのだろうか。


 現政権に限らず、前政権も「(国民は)喉元過ぎれば熱さ忘れる」「正直に答えなければスルーできる」の態度決定は基本的に同じだった。現・前政権の規律のなさが、政権交代・野党転落の恐怖感が薄いことに起因するとして、それは「野党に政権担当能力がない」というイメージが2009~12年の民主党政権時代に形成されてしまい、「これ以上混乱してほしくない、悪くても最悪よりはマシ」という忌避感・空気感が、政権の消極的擁護を下支えしているのかもしれない。
 『民主党政権 失敗の検証』(中公新書)を読むと、その混乱の大きな原因として、「政府入りしなかった与党議員(大量に当選した新人議員を含む)の処遇や仕事の定義が上手くできておらず、不満を抱いた与党議員が政府に対立した」ことが挙げられている。政権運営というのは、自党のハンドリングとセットになっているが、それが上手くできなかった。55年体制が長く維持され一度野党に転落した後もずっと自民党が政権党であり続けたことで、政権獲得後の党運営のノウハウが蓄積されていなかったためだという。55年体制の維持が高度経済成長期を背景にしていたのだとすると、「余裕があった時」がずっと尾を引き続けてる結果、みたいな見方もできたりするんだろうか。


 不合理な意思決定を見せられると、しんどい気持ちになったり、怒りが湧いてきたりする。「納得していないことをやる」のは人間にとってかなりしんどいし、そのストレスを何とかするために怒りに転化させたりもする。上はああだけど、せめて下々の我々はしっかりやっていこう、と仕方なくそうするしかないが、とてもつらい。そのささやかな努力が上の不始末で台無しにされると、もっとつらい。
 会社については「納得できない」という苦しさからは解放されたけれど、国政はいつになるんだろうか。政治的に安定しないのもつらいけど、規律のたがの外れた政治的安定が嬉しいかと言われるとそうじゃないので、やっぱり政権交代圧力を高めていくしかないのかも。


 というようなことを、「見ると嫌な気持ちになるこの感じ、少し前の会社の時と似てる」とふと思って、こういう空気感みたいなものは、書き残しておかないと後から分からなくなってしまうので、メモしておこうと思って。