やしお

ふつうの会社員の日記です。

一瞬、擬似的な先輩になる体験

 よその会社(取引先)の若手社員にちょっと慕われる、みたいな出来事があって、何となく忘れたくないので書き残す。


 大手メーカーに勤めていて、製造委託している会社(外注先)にたまに行く。そこの技術系の20代後半の若手社員Aさんと休憩時間にたまたま2人きりになった。
「今〇〇の業務を担当されているのはAさんだけなんですか?」
と話しかけたら、彼の仕事の大変なところ、苦労しているところをたくさん語ってくれた。「大変」というのは業務負荷だったり、技術的な課題だったり、色々だった。自分も何となく「そういう大変さがあるんですね」「それは〇〇みたいな状況だったんですか」「それだとこういうアプローチの仕方もあるかもしれませんね」みたいに話を掘り下げて聞いていた。休憩時間が終わって他の人も戻ってきたけどしばらくお話していた。


 Aさんの部署には40代後半くらいの上司がいて、Aさんともう1人20代後半の社員の3人で回していた。その上司が半年ほど体調不良で戦線離脱していて、若い2人に全部ふりかかってきている状況になっていた。小さな会社でさらに上の上司は役員なので、ほとんど現場の対応に直接入る感じではなくなっている。その2人も業務のジャンルが違っていて、仕事によってはAさん1人に全部負担がかかっている。
 という状況なのはもともと知っていて、それはとてもしんどいことだろうなと思って、話しかけたのだった。


 翌日も外注先で作業していたら、近くで
「A君いつもツンツンしてるのに昨日(私)さんにいっぱい喋ってて止まんないみたいだった」
「何それかわいい」
「かわいい」
と話しているのが聞こえてきた。確かにそれは「かわいい」と言い得るかもしれない、と思った。自分にだけ話してくれた、という特別感がちょっと嬉しかった。


 ただ一方で、自分に色々話してくれたというのは、他にそうした話し相手がいなかったからだと考えると、単に業務負荷の増大だけではなくて、そこもしんどさに拍車をかけていたんだろうなと思った。ちょうど自分(30代半ば)くらいの、日常的に状況がシェアできて「君はよくやっている」「その判断は正しい」「こういうやり方もある」と言ってくれるような人がそばにいれば良いけれど、なかなか都合よくいるとは限らない。
 規模の小さな会社(人の少ない組織)だと、自分で手を出せる範囲が広かったり、任せてもらえる範囲が広かったり、そこをチャンスに決定権を握っていける余地が大きかったりする。それと裏腹に、自力で何とかしないといけない、ロールモデルになる人や庇護してくれる人が見付けづらい、自分が後輩や若手を育てる機会が得られない、といった困り事もあったりする。


 自分自身を振り返ると、新卒で入社・配属されて、職場で40代前半の人に指導員としてついてもらった。指導期間後もその人の下で働いた。仕事のこともたくさん相談したし、よく話を聞いてくれる人だった。「依存していた」とも言い得るかもしれない。
 20代も半ばくらいになると、自力でできる範囲も広がって、でもその人の庇護の下で働く状況に変わりなく、やや意欲が減退した。(この「能力が拡大しても決裁権の範囲は維持され、その齟齬で苛立つ」というのは、第二次性徴での反抗期と同じ構造だなと今思った。)ちょうどその頃に新卒新人の指導員になる機会をもらって、『一人前』とは何で、どうすれば最も早く無理なく『一人前』になってもらえるんだろうかと色々考えてやっていたら意欲が戻った。その新人以外にも後輩が周囲に増えたこともあり、「先輩に庇護されて指導されながらやる立場」から「後輩に対して主導的に振る舞う立場」への移行ができた。
 30代前半から係長クラスのポジションを任せてもらって、後輩に限らず年上の社員も含めた業務や人員の管理もできるようになってきた。この立場で2年半が経って、リスクへの目配りだったり、別の選択肢の見つけ方だったり、自分(グループ)の範囲を超えて何かしら価値(ありがたみ)を他へ提供することだったりが、当初よりできるようになってきたと感じている。


 ちょうどいい年齢で、モデル(反面教師を含む)を見ながら学習して、立場の移行ができていったんだと改めて振り返って思う。それは「自分が頑張ったから」というより、組織の規模が大きく機会提供の頻度が高かったという要因の方が大きい。(もちろん機会が周りにあっても活かすすべを持たずにそのままという人もいるし、専門的な職域の中で技能を伸ばしていきたい人だっているので、必ずしもみんながみんなそうなるわけでもない。)
 そういえば昔(30年弱くらい前まで)大蔵省では20代のキャリア官僚が地方の税務署長として派遣される、という慣習があったのを何となく思い出した。(ノンキャリアの税務職員であれば署長になれるのはほんの一握りで、なれても50代以降だという。)あとMBAを取得するビジネススクール(経営大学院)では、大量のケーススタディを基に両極端の結論とそのロジックを戦わせながら意思決定の訓練を積んでいくという。その上でプロの経営者・管理職として各社を渡って経験を積んでキャリアアップしていく。そうした方法で判断能力や技能をかなり早い段階で集中して身につけさせるケースが、その延長線上の先の方にあるのかもしれない。
 それに比べれば自分の機会の獲得と成長は随分のんびりしたものだと言えそうだけど、自分にとっては結果的に良いペースだったかもしれない。


 外注先の若手の彼の場合、「ああこうすりゃいいんだな」とか「こうしちゃまずいのね」とか人のフリを見て学習する機会が少なくて、手探りでやっていかないといけないんだとすると、かなり大変だと思った。
 究極的には、組織の大小にかかわらず「やれる人はやれる」と属人的なものなのかもしれないけれど、大きな組織だと人を再生産していくだけの教育機会の提供がしやすく属人化の傾向を下げることができても、小さな組織では難しいという差はありそうだ。資本関係のない、よその会社なので直接どうこうは難しいけれど、今後一緒に改善活動をやるといった機会もあるので、そういった場面では何かしらサポートできればいいなと思った。