やしお

ふつうの会社員の日記です。

渡辺努『世界インフレの謎』

https://bookmeter.com/reviews/115499327
物価変動は人々の予想によるもので、何かの実体に紐付いたものではなく基本的には遊離したもの。ただ予想に影響を与える要素が多岐に渡る。日本で90年代後半から30年近くに渡って形成されてきた、消費側の値上げ忌避・供給側の値段据え置きのノルムについて、脱却するには「企業の値上げ→生活費上昇→労働者の賃上げ要求→企業の人件費の価格転嫁→……」というコストの転嫁のサイクルが回る必要があるが、アベノミクスは利益の還元(トリクルダウン理論)という逆回転を目指そうとしたので失敗した、との指摘が面白かった。

  • 世界的な低インフレのきっかけはリーマンショック(2008年)
  • ミクロでバラバラだがマクロで方向性があるのが通常、今回はミクロでも同期した(ステイホーム)のが前例のない状況だった
  • 今回のインフレの原因は需要の過多ではなく供給の過少
    • リーマンショックは需要ショックだったが、パンデミックは供給ショックだった
    • 中央銀行は需要に起因するインフレには対処できるが、供給サイドに対しては手段を持たない
    • 日本は急性インフレと慢性デフレが同時に進行する稀有な状態に
  • 大災害時は供給サイド(工場・物流網)へのダメージから物価上昇を見込むが、パンデミックはステイホームによる需要減少で物価下落を予想して人々が行動した
  • サービス消費はその地域・国で完結して伝搬しないのが通常だが、パンデミックでは世界的に同期して発生した
  • 政府が強力にロックダウンした場合(米国やデンマーク)でも、国民の自主性に委ねた緩い規制しかかけなかった場合(日本やスウェーデン)でも、経済被害の規模はあまり変わらなかった。介入効果:情報効果=1:3くらいの比率
  • パンデミックがもたらす恐怖心は、消費者サイドでは物価下落、労働者サイドでは物価上昇に寄与する
  • 人々のインフレ予想が物価を決める→インフレの制御はインフレ予想の制御
  • 1970年代の金・ドルの交換停止(ニクソンショック)に端を発する高インフレは、大量の失業者を犠牲にして最終的には抑制された→この失敗を教訓に中央銀行の独立性(政治的な景気浮揚要求から独立して物価安定に専念できる体制)+透明性(物価安定の取り組みを中央銀行が公表してインフレ予想に働きかけること)が確保された
  • パンデミック以前にモノ消費からコト(サービス)消費の割合増加が起きていた
    • 需要のシフトは瞬時に起こるが、供給のシフト(労働と資本の移動)はゆっくりで時間的なギャップがある
    • 供給側は時間をかけてサービスへとシフトしていたが、パンデミックを契機にサービスは需要が急減、モノは急増した
    • サービス価格はモノ価格より硬直的(賃金が主なので)→サービスは需要が低下しても価格が下がりづらく、モノは需要の拡大に伴って価格が上昇→トータルで物価が上昇(これが欧米で発生した物価上昇)
  • パンデミック以前からデグロバーリゼーション(自国・友好国への生産移転)が起きていた→コストパフォーマンスを犠牲にして安全性を確保するもの→製品価格の上昇が起きていた
  • 2022年時点では、インフレがニュース等で話題になったのとは裏腹に、日本のインフレ率は1%弱で(米国7.7%、英国7.4%、ドイツ5.5%、韓国3.9%等)、先進諸国が設定するインフレターゲット2%に満たない異様な状況にあった
  • 中央銀行はインフレには対応できてもデフレには対応できない(下げられる金利に限界がある)ため、インフレターゲットは0ではなくプラスの値が設定される
  • 日本は輸入物価インフレ率vsCPIインフレ率が連動していない=輸入品価格が上昇しても国内価格に転嫁されていない
  • 日本では90年代後半から価格据え置き慣行が続いている→慢性デフレの要因になっている(1973~95年の間はモノ価格・サービス価格・賃金の全てが上昇していた)
  • 急性インフレだけに見舞われている欧米では金融引締が対策になるが、急性インフレ+慢性デフレが同時に発生する日本で金融引締を単純に実行すると、慢性デフレをさらに悪化させる
  • 長期に渡る0%インフレが低いインフレ予想を形成し、消費側の値上げ忌避(他店への流出)・供給側の値段据え置き慣行というソーシャルノルム(社会的規範)が形成されてきた
  • アベノミクスではノルムの修復、マインドセットの変革を目指したが、物価ノルムは揺らいだが賃金ノルムは崩れなかったため失敗した。
  • 日本は実質賃金と名目賃金の双方とも伸び率が低い:実質賃金(名目賃金/物価)の低さは労働生産性の低さに起因する。実質賃金は低いが名目賃金は高い状態(賃金と物価が同程度に上昇している状態:イタリア・スペイン・ベルギー・オランダ等)をまずは目指す必要がある
  • 賃金解凍のスパイラル:企業の値上げ→生活費上昇→労働者の賃上げ要求→企業の人件費の価格転嫁→…… を起こす必要がある
  • アベノミクス・異次元緩和では、このスパイラルを逆回転させようとして失敗した。コストの転嫁(賃上げによって仕方なく値上げする)ではなく利益の還元(値上げさせれば企業は賃上げするはず、賃上げすれば消費者は買うはず=トリクルダウン理論)になっていたが、企業も消費者も進んでそうする理由がなかったので起きなかった。