やしお

ふつうの会社員の日記です。

小説の商業出版にいたる顛末:八潮久道『生命活動として極めて正常』

 小説(短編集)が来月(2024年4月)にKADOKAWAから出版されることになった。その顛末やいろいろ思ったこと等のメモ。


※このエントリはKADOKAWAの担当編集者や広報に見解を求めて書いていない。「私のケースはこうだった、私からはこう感じた/こう見えた」を記録している。勘違いされるといけないので念のためお断り。


概要

  • カクヨム(小説投稿サイト)で年に1~2作ほど小説をアップしていた。それ以前のブログ時代からだと20年くらい書いていた。
  • カクヨム経由でKADOKAWAから単行本の刊行の打診があった。カクヨムに過去に投稿した作品5編と、書下ろし2編を加えて短編集とすることになった。
  • 著者側の実作業としては3ヶ月弱程度。
  • マチュア時は単に「作品」でしかなかったけど、今回は同時に「製品(商品)」の側面が出てきて色々新鮮だった。
  • 自分が書いたものが物理的な本になるのは、単純にうれしい。

 

短編集

  • 著者名:八潮久道(やしお ひさみち)
  • 書名:『生命活動として極めて正常』
  • 発売日:2024年4月24日

 現在は予約できる状態。


「生命活動として極めて正常」八潮久道 [文芸書] - KADOKAWA

楽天ブックス: 生命活動として極めて正常 - 八潮 久道 - 9784041147917 : 本


 7編が収録される。(カッコは初出年)

  • バズーカ・セルミラ・ジャクショ:一般人を評価するレーティングが普及した社会で、レートが急にゼロになって社会生活が奪われる人の話(2016年)
  • 生命活動として極めて正常:社員の殺害が制度として組み込まれている会社の話(2014年)
  • 踊れシンデレラ:体育会系みたいなシンデレラの話(2016年)
  • 老ホの姫:男性ばかりの老人ホームで「姫」ポジションのおじいさんが、全然なびかないおじいさんを落とそうとする話(2023年)
  • 手のかかるロボほど可愛い:リゾート地にある小さな軍事博物館で偏屈なおじいさんと案内ロボが出会う話(2021年)
  • 追放されるつもりでパーティに入ったのに班長が全然追放してくれない:パーティから追放されたいメンバーと追放させないリーダーの話(書下ろし)
  • 命はダイヤより重い:電車に飛び込む人が見えてしまう運転士の話(書下ろし)

 

 現実とは少しズレた世界で、そこに適応したりできなかったりしながら生きてる人達の様子を書いた話が多い。
 特に書下ろし2編は自分自身ではとても良いお話になったと思っている。


過去の創作活動

 20年くらい創作の文章を書いていた。
 今は年に0~2作ほどカクヨムにアップするくらいで、同人誌の出版、展示即売会への参加、新人賞の応募、出版社への持ち込み、カクヨムのイベント参加などもしておらず、「熱心な活動」とは程遠い状態だった。書籍化の打診にはびっくりした。
 カクヨムよりこの雑記ブログの方がたくさん読まれてもいて、意欲が雑記ブログの方に向きがちだったり、会社の仕事もあったりで、あまり書けていなかった。やめたくないしやめる気もないのに、やめていってしまう現象を食い止めたい、という気持ちを以前ここでも書いたりしていた↓
  本気でハマっていた何かを、「やめてない」という気持ちでやめていく - やしお


 以下はカクヨムで比較的読まれた作品。(カッコ内は公開日)

 

 直接的には「カクヨム出身」でも、大元は「はてなダイアリー出身」だった。

  • 2004年(18歳):はてなダイアリーを始めた。当初は雑記と創作を混ぜこぜに書いていた。
  • 2009年(23歳):旧来のOjohmbonXを創作、やしお(ここ)を雑記として分離した。
    • 04~09年の間が一番、創作をいろいろ書いていた時期だった。この頃は小説もよく読んでいた。
  • 2016年(30歳):創作をはてなブログカクヨムに移した。
    • はてなも携わっていたらしいのと、ジャンル専用のサイトの方が書く側/読む側双方にとって利便性が高いかと思って。

 

 はてなダイアリー・ブログで書いていた頃は、はてなブックマークがだいたい3~5程度、たまに20くらいつくのが励みになっていた。特にほぼ毎回読んでくれていた人が数人いて、その人達がいなかったら続けていたかどうかもわからない。本当にありがたい。


企画

 KADOKAWAの内部では、一般文芸(純文学やラノベではなくエンタメ)をカクヨム発で数を出そうという方針があるようだった。以下の記事で編集者側がカクヨムからどう作品・作者を収集して出版に繋げているのかが語られている。
  「文芸」で書籍化を目指すには 「オファーの瞬間」特別座談会 | カドブン
 

  • 人に見えるところに作品を置いていた
  • ある程度まとまった数の作品があった
  • 比較的話題になった/レビューがついた作品があった
  • 出版社側の方針と合致した

といった状況が重なった結果で、出版に至ったのは偶然でしかない。再現性が低く、「ファンがたくさんついている」「新人賞を受賞する」などの方が確実だろう。


 KADOKAWAの決算資料を見ていたら、中計で出版セグメントは「メディアミックスの基盤となる原作IPの創出を拡大」が掲げられていて、数値目標として「28/3期7000点超」とされていた。(メインは一般文芸よりコミックやライトノベルだと思うが)そうした数値目標も「一般文芸も数を出していきたい」方針や、自分に声がかかったきっかけに繋がっていたりするのかもしれない。
 なお、企業ではなく消費者が制作するコンテンツはUGC(User Generated Content)と呼ばれる。KADOKAWAの小説のUGCプラットフォームとしてはカクヨムの他に魔法のiらんどがあり、その2つから年間で200作品超の企画が誕生しているという。そのうちの一つということになる。


打診

 カクヨムから「登録メールアドレスの確認」といったメールが来た。連絡したいことがあり、登録されているメールが生きているかの確認、といった内容だった。何か怒られるのかと思って数日心当たりをあれこれ思い浮かべたりしていた。KADOKAWA編集者からのコンタクトだった。
 編集者との最初の打合せで、出版の提案と意思の確認があり、そこからスタートしていった。びっくりなんですけど。


スケジュール

 著者自身の実作業は3ヶ月弱くらいだった。カクヨムの既存作+書下ろし2編の短編集で、既存作の見直し、書下ろし執筆、著者校正が、著者としての主な作業となった。

  • 書下ろし1編目:1ヶ月ほど
  • 既存作の見直しと修正:1編目執筆を途中で中断して1週間ほど
  • 書下ろし2編目:3週間弱
  • 著者校正(初校):1週間
  • 既存作1編の大幅な修正:10日
  • 2回目の校正(再校):5日
  • 3回目の校正(念校):2日

 

 この間に書名、収録順、装丁、契約などの相談も進めていった。
 スケジュールはところどころ、タスクの前後を入れ替えたり、大きな修正が急に入ったりはあっても、設定した日程に対しておおよそ前倒しでこなせたのはよかった。ほっとした。
 

作業環境・負荷

 書下ろしは自宅だけでなく、通勤時間や映画の待ち時間などでも書いていた。もともとブログ記事やカクヨムの創作をそうしていた。
 外ではBlackBerryのKEYoneを使っている。「両手で持って親指で打てるQWERTY配列の物理キー」が出先で長文を書くには楽で、ザウルスSL-C1000BlackBerry Bold 9900→KEYoneと乗り換えている。なくならないでほしい。


 作業負荷による生活への大きな影響はなかった。

  • 睡眠時間:変わらず。7時間くらい
  • 会社の仕事:変わらず
  • 家事:やや減(妻と二人暮らしで、洗濯はもともと別々、食品の買い出しはいつも二人で行ってて変化ないが、掃除や料理の比率が妻の方が多くなってしまった)
  • 読書:激減。書下ろし2作目完了後に戻った(読書時間でもあった通勤や映画待ちを作業に全振りしたため)
  • 映画鑑賞:やや減
  • ブログ更新:激減(もともと創作を書いている間はブログ記事を書かないので、その点は以前と変わらない)
  • だらだらネット(Twitter(X)やYouTube)を見る時間:減った

 

 ダラダラして(ああ、やろうと思ってたことあったのに数時間溶かしてしまった……)と自分にがっかりするあの罪悪感がなくなったのは、かえって精神衛生には良かった。


書下ろし

 以前より「こういう話を書きたい」というメモをたくさん残していた。「1~2編の書下ろし」と提案のあった打合せの中で、メモの中から4、5個候補を挙げ、比較的書く準備が少なそうなもの2つを選んで書いた。


 過去に自分がどの程度のスピードで作品を書いているのか、定量的に評価したことがなく不安だった。一方で日程ありきでつまらないものが出来上がるのなら本末転倒だろう。
 結果的には750字/日程度のペースで、2ヶ月(実作業としては約6週間)で2編を書き終えた。文章を書く時間より、考えたり調べたりする時間の方が長い。(企画によって打診から刊行までのスケジュールはまちまちのようなので、必ずしもこのペース以上が必要というわけでもない。)
 「こういうものをこういう書き方するとこれくらいの速度」がある程度分かったのも安心した。締切りが設定されているとありがたい。
 書いている間は、週2で進捗を担当編集に報告し続けていた。そうしろとは全く言われていなかったけど、その方がお互い安心かと思ってそうした。
 書き終わった後不安になって妻に見てもらった。「面白くなくてもいいから、不愉快な点がないか見てほしい」とお願いして、「ちゃんと面白かった」と言ってもらえてほっとした。


 時間的な制約はあっても、納得の行く水準まで集中して取り組んで完遂するのは、健全な仕事の満足感が得られるなと思って、懐かしい気持ちになった。
(ここ最近の勤め先の業務が、降っては湧いてその締切に忙殺されて、気付いたら月が、年が終わって「何やってたかわからん」みたいになるのと引き比べて、そういう仕事の取り組み方ができた時もあったなあ、と感慨深かった。)


既存の作品

 収録作の選定は編集者から提案してもらった。10年近く前に書いたものも含まれていて最初は若干抵抗もあったけれど、「今読んでも違和感ない」と編集者から言われ、改めて読み返して収録に同意した。
 アップ後は過去の作品をほぼ読み返さないので、今回ものすごく久々に読み返した。書下ろしと比べて「昔からやってること変わらないな」と思うところと「今だったらこんな風には書かないな」と思うところの両方があってちょっと面白かった。


 実在の人物や団体に関して、現実にしていないことを作中で勝手にさせるのはNGという制約があり、そうした点は修正した。
 収録作のひとつが、実在のものをたくさん入れてそのズレで遊ぶのが主眼のような作品だったため、ベースの設定から変更が必要となった。「この作品の楽しさ」を改めて再定義して全体を書き直した。「最初から別の作品にした方が良かっただろうか」「変更前より面白さが減じてないか」という不安と、「かなり良くなった」というポジティブな気持ちの両者が、書き直しの作業中に同居していた。


校正・校閲

 ゲラ(作品が印刷された紙)が送られて、物理的なものを手にすると(嘘じゃないんだ)という感覚になった。編集者一人だけを窓口としてずっと進めていたので、手の込んだ詐欺だったらどうしようとちょっと想像していた。



 ゲラには、校正者や編集者からの指摘や疑問点が鉛筆書きで記入される。赤ペンで著者が修正指示やコメントを書き加えていく。校正記号も何も知らなかったので、同梱してもらったガイドブックを参照しながら進めた。
 作業を始めてすぐに(あ、これ結構時間かかる、やばい間に合わないかも)と恐怖を覚えた。結果的に初校は期限より少し前に返送できたが、ちょうど年末年始の休暇と重なり、出かける用事もなかったので良かった。以下のような点で大変だと感じた。

  • 当然だが「本1冊分」を一通り一語ずつ読み直すだけの時間がかかる。
  • 指摘に対して改めて調べたり考えたりを丁寧にやるとかなり時間を消費する。
  • 「折り曲げ不可のB4サイズの紙」は結構大きく、汚したり折り曲げたりもできないので、外での作業は困難。自宅でも机に広げたり準備が必要で「隙間時間で少しずつ進める」のは難しい。
  • 「他人に読める字を書くスピード」がタイピングよりかなり遅い。

 

 例えば「確認印を押印した」という文に「確認印を押した」と修正提案が入る。(これは二重表現か?)と考え、別の箇所で「藍綬褒章を受章」という文が許容されているのでそれと同じだろう、「馬に乗馬」「頭が頭痛」と違い単純な二重表現ではないのではないか、加えてその箇所は「杓子定規に手続きに則って処理する」雰囲気を出したくもあり、「ママ」(修正せずそのまま)とした。
 あるいは「同じ趣味を持つ男女」に対して「同好の士」という言葉を使用した箇所で「『士』は男性を指すがOKか(念のため)」との指摘が入り、しかし「運転士」「建築士」「同士」も男女無関係に使用され、新聞記事でも「同好の士」を女性に使用している例も見つけて、これも「ママ」にした。
 上記は「ママ」にした例だが、確かに指摘通りだと考えて直した箇所も多い。
 そんな風に一点ずつ「何が適切なんだろう?」と考えて改めてあれこれ調べると時間をすごく消費する。一方でそのおかげで、自分が言葉や漢字の標準的な(≠正しい)用法をずっと勘違いしていたものもたくさんあって勉強になった。あと指摘はされていない箇所でも、ついでに気付いたことも結構あって、ありがたい。


 事実関係の確認も丁寧にしてもらって参考資料も色々添付してもらっていた。
 意味が通りにくい箇所の指摘もありがたい。書いている当人は、すでに内容を理解して何度も読み返しているので、「初見の状態」で読み返すのが難しくなってくる。そこを他者がカバーしてくれてとても嬉しい。
 あと差別表現として指摘を受けた点も修正していて、そこで色々考えたこともこのエントリに書こうとしたらあまりに長くなったので、別のエントリに改めて整理したいなと思っている。(また進行中にトランスジェンダーに関する翻訳本がKADOKAWAから刊行中止になった事例があり、それに関してあれこれ考えていたことも書いていたけど、それも長くなったので併せて書きたい。)
 初校・再校・念校とそれぞれ校正者・編集者・著者がチェックしても、漏れてそのまま印刷されるミスもあるのだろうと思うと怖いわ。


 自分は新卒でメーカーに就職して、最初の配属が品質保証部門だった。リリース前の新製品の信頼性試験を実施する。色んな視点から指摘を加えて、設計部門や技術部門にコメントや対策を求めていく。設計者や技術者にとっては「もうそこは検討した上でそうしてるのに説明するの面倒だ」「そんなこと一々指摘するなよ」と感じる内容もあっただろうし、実際ちょっと苛立ってるなと感じることもあった。
 著者側が校正者・編集者からのコメントに対して「そこはもうわかっててやってるのに」と思っても、それをきちんと説明して双方で確認して記録に残すのは、製品品質の担保には必要なことだろう。
 今までは自分一人で書いて見直してアップするだけだったのが、第三者デバッグ(校正)や品証試験(校閲)をやってもらえるのは幸せなことだと思った。校正・校閲のプロセスが著者側として一番「プロダクトとしてリリースする」実感のある工程だった。


編集者

 担当編集者はレスも早く、感想もくれる。著者の意向を尊重してくれて、非常にありがたかった。
 自分が会社で働いていると、社内を調整して、上や横からやいのやいの言われ、情報を取ってきて、取りまとめて、カウンターパートの窓口になって……と自分でやらないといけない。自分でやることで内情・実情を理解できる面白さはあるが、大変だ。それを全部やってもらった上で、整理された状態で自分の手許に来て、自分の作業にだけ集中できるのは、なんて快適なんだろう……という気持ちになった。


 全ての作品を「ここが面白かった」と具体的に伝えてもらえる。(本当に面白いのかな……ヨイショやお世辞じゃないかしら……)と邪推しそうになって、ふと子供の頃の避難訓練を思い出した。
 小中学校の避難訓練で毎年、消防署の人が来て最後に講評する。毎回「すごくよくできてる」とべた褒めだったから、ずっと(おべっかで言ってるんだ)と思っていた。高専に入って1年目の避難訓練で、みんなお喋りしながらダラダラ歩いていた。消防署の人は講評で結構本気で怒っていた。「そんなんじゃ死にますよ」くらい言ってた気がする。その時(小中のときのあれ、お世辞じゃなかったんだ!)と思った。
 褒められたら変に疑わずに、素直に受け止めた方がいいのだと思い直している。


著者の意向の尊重

 著者の意向を最大限尊重しようとしているとも随所で感じた。
 最初の面談でも「商業出版の意思があるか」をかなり丁寧・慎重に確認された。曖昧に進めて著者やその勤め先とトラブルになると危ない。


 「良い作品にしたい」と「著者との対立や誤解が生じるリスクを低減したい」の両者があるのだろう。
 著者側も何かあればSNS等でダイレクトに世に訴えられる、正業を持ち収入を出版に依存していない、という状況だと出版社側にとって「出版させない」が人質にならない。
 一方で著者側も世間に訴えると、エビデンスと説明能力の殴り合いになってしまう。客観的に(自分が自分に感情移入せず)やり切る技術と耐久力が必要となる。それに耐えられないと心が摩滅して破滅的な結末に陥り得る。コスト(時間・労力・金銭)も必要になる。そうしたダメージやコストを鑑みると、著者側もそう簡単に世間に訴えないとしても、抑止力となってパワーバランスは取れるのかもしれない。
 このリスクや抑止力への意識が浸透していないために傲岸さが出てしまう出版社や編集者も中にはいて(SNSとかで炎上したりするのを見かける)、過渡期なのだろうか。


タイトル

 自分自身では表題作として「老ホの姫」がいいかと思っていた。お話としてキャッチーで、比較的新しく書かれた作品で、最もボリュームが大きく、書名は散文的でなく短い方が好き、などの理由からそう考えていた。
 検討段階では、収録作タイトルに加えて新規タイトル案を2つ挙げ、それぞれ書名としての利点/欠点をマトリクスにまとめて担当編集に渡した。社内で他の編集者にも見てもらい、「生命活動として極めて正常」が良いとの意見で、納得できたのでそれにした。
 10年前、カクヨムのサービス開始前に書いた話が、いまになって本のタイトルになるのも不思議な感じ。


 装丁・帯・書名は、最初に顧客の目に入る要素で、手に取ってもらえるかどうかに大きく寄与するポイントとなる。出版社としても著者の意向のみで決めるのは難しい要素なのかと思う。著者のネームバリューだけで売れるならともかく、無名の著者ならなおさらだ。
 これらのポイントは、著者として意見や意向はあれば伝えて、最終的には出版社側の選択に任せようと考えていた。(担当編集からはタイトルは著者が最終的に決定していただくとは伝えられていたが。)しかし商品より作品としての意識が強い著者にとっては、出版社側と意見に相違があると苦しいところかもしれない。本当に自分の好きに作りたければ(商品としての側面を極力抑制させたいのなら)同人誌でやるべきなのだろう。
 個人的には、自分で考えるのとは異なる価値判断を見られて面白かったと感じている。


 ちなみに書名(著作物の題号)は、著作権法では「著作者の意思に反して改変されない」と著作者人格権の同一性保持権の中で保護される。
※20条1項「著作者は、その著作物及びその題号の同一性を保持する権利を有し、その意に反してこれらの変更、切除その他の改変を受けないものとする。」
 仮に「私は『老ホの姫』を題号とした。それを出版社が『生命活動として極めて正常』に変えるのは著作者人格権の侵害だ」とツッパリ得るのだろうか、みたいなことをちょっと思った。

  • 題号自体は著作物として一般に認められないという判例がある。
    • ※そのためタイトルのパクリないしオマージュは著作権法には抵触しない。(消費者に誤認させて売ろうとした場合は景表法で引っかかり得る。)
  • 著作権は創作時点で自動的に発生するとされる。
  • 題号は著作物(創作物)とは認められない→「創作時点で自動的に発生」にはならなそう。
  • 著作物が発行・発売されたタイミングで生じると考えられるなら、題号もそのタイミングで生じると考えるのかも。
  • 実際に刊行される前のタイミングでは、タイトルの変更を著作者人格権の侵害とは主張できない、となるのだろうか。

 みたいなことを考えていた。なんか生活笑百科みたい。でもルールは端っこを考えてみるのが面白いから。


ペンネーム

 創作ではずっと「OjohmbonX(オジョンボンX)」というユーザー名を使っていた。はてなダイアリーはてなブログカクヨムや、Twitter(X)や読書メーターもそのユーザー名だった。17歳くらいの時に適当につけてそのまま20年以上使っている。(リブリーアイランドというブラウザゲームでユーザー名に使ったのが最初かもしれない。)
 「オジョンボンさん」と面と向かって呼ばれるのはちょっと恥ずかしい。(ヒヨってんじゃねーぞ)という心の声も聞こえたものの、普通の人名らしい「八潮久道」という筆名にした。本名の漢字を別の読みにしたもので、この雑記ブログのユーザー名「やしお」としては15年くらい使っていた。
 もし編集者から難色を示されたらどうしようと不安だったが、すんなり了承されてほっとした。OjohmbonXは雅号。


収録順

 担当編集者に検討・提案してもらった。各短編の内容や長短からこの順番が一番良いのではないかと、理由も明示して提示していただき、納得感が高く異論もなかった。
 おおむね執筆時期が古→新の順で並んでいて、作品の長さとしては「長・短・短・長・短・短・長」となっていて読みやすいんじゃないかと思う。


分量、価格

 「手に取ってもらいやすい分量の短編集」として最初の時点で目安となる全体の枚数を教えてもらい、そこに合うように調整していった。
 紙の価格が上がっていることもあり、書籍自体の価格も全体的に上がっているという。確かに今回の本も、自分の中にある「この厚さの一般文芸の四六判、並製本」で想像する価格よりも高かった。自分の価格感がインフレに対してアップデートされていない。


 製本の関係で、1ページ単位では増減できない。基本は16ページ単位となる。大きな紙に裏表あわせて16ページ分が印刷され、その紙を折って一つの単位になる(折丁という)。
 当初入れようとしていた既存作品を外したり、「あと1ページ減らせばこの16ページの単位内に収まる、それにはこの作品で6行減らす必要がある、この段落で○文字減ればここで1行減って……」と調整したりといった作業が発生した。ちょうど「簡潔・コンパクトな書き方にしたい」と考えていた作品が一編あり、この制約のお陰でそこをよりやれたので良かった。
 この作業はかなり「作品ではなくプロダクト」の側面を感じて(一人で書いてネットにアップしている時には生じない作業なので)面白かった。


装丁

 装丁はbookwall社、
  bookwall (株式会社ブックウォール) 書籍の装幀、エディトリアルデザインを中心に活動するデザインオフィス
装画はコラージュ作家のneni氏
  Home | neni
に担当いただいた。
 既存の作品(イラストや写真)ではなく、書き下ろしてもらって、何か信じられない気持ち。もちろん「私のために」ではなく「この作品/商品のために」だと分かっていても、(えっ私がこんなドレスをいただいて舞踏会に……!)みたいな気持ち。


契約

 「著作権のうち出版権を出版社に設定する」という契約になる。
 「契約書のひな型を先に見せてほしい」と依頼したらすぐに出してもらえた。日本書籍出版協会(書協、出版業界団体の一つ)が出版契約書のひな型+解説を公開していたので、それを一通り読んだ上で、出版社の提示した契約と比較して差異や気になる点を確認していく作業をした。


  https://www.jbpa.or.jp/pdf/publication/hinagata1kaisetsu.pdf


 基本的にはほぼ同様の内容だった。いくつかカウンター(修正要望)と質問を出した。


 印税率を、例えば物理書籍は初版を若干低くする代わりに重版をやや高くしてもらうとか、電子書籍は在庫リスクがない分やや上げてもらうとかの相談もしようかと当初ちょっと考えた。契約は、お互いが自己の利益をある程度主張し合いながらすり合わせて落し所を見出していく作業をした上で結ぶのが健全だろうとも思う。
 ただ、売れている本で稼いだ分を、売れるかどうか不確実な実績のない著者の新刊を出すのに充当されている、今回自分に書籍化の声がかかって実現されたのもその一環だと考えると、そこを主張するのもあべこべな気もして(あと想像していた率より高かったこともあって)やめた。
KADOKAWAの場合だとむしろ映像事業・コンテンツ事業が出版事業を支えている構図があったりするんだろうかとふと思って、決算資料を見てみたけど別にそういうわけではなさそうだった。


 著作権法では、「出版社は著者から原稿を受け取ったら6ヶ月以内に出版しろ」と規定されている。書協の契約書ひな型にもこの条項はあり、解説では「契約により6ヶ月以外に変更も可能」とされる。
※81条1項「複製権等保有者からその著作物を複製するために必要な原稿その他の原品若しくはこれに相当する物の引渡し又はその著作物に係る電磁的記録の提供を受けた日から六月以内に当該著作物について出版行為を行う義務」
 じゃあはちゃめちゃな原稿を渡して、この条項を盾に出版を迫ることも可能なのだろうか。(そんなことして出版社とあえて対立する意味はないが……)『編集者・ライターのための必修基礎知識』(雷鳥社)という本ではその点について、印刷所に引き渡せるレベルの原稿になってから契約を結ぶという方法で出版業界では長らく対処している、とされていて、へーと思った。でも口約束でも(メールとか証拠が残っていればなおさら)契約と見なされるのだとすると、それで回避できているのかしら、ともちょっと思った。


勤務先

 同僚等には明かしていないけれど、就業規則には「会社の許可を得ずに副業はダメ」の項目があったので、人事部門に相談したら、所定のフォーマットに記入して終わりだった。
 フォーマットの内容が、どこか別の会社に雇われる(給与所得)ケースを前提にしたもので、フリーランス(事業所得や雑所得)を考慮した内容にはなっていなくて、だんだんそういう事例が増えてくればまた変わっていくのかもしれない。


営業・宣伝

 最初に書籍化の提案を受けて真っ先に思ったのは(えっ売れないのでは……)だった。カクヨムSNSで固定ファンが多い、芸能人やインフルエンサーである、新人賞を受賞したといった「実績」もない。
 奥付のプロフィール欄も何を書くかには苦労されたかと思う。


 筋論としては「営業や宣伝は出版社の仕事、著者は作品だけ書けばいい」と割り切れるかもしれない。しかし現実には書店もどんどん閉店し「店頭で見かけて何気なく買ってくれる」機会も減少する中で、「売れた方がうれしい」という利害を共有している以上は、著者自身もやれる範囲で本の認知度を高める行動をした方がいいとは思った。
 このエントリ自体もその一環になっている。もともとこのブログの目的の「なんか思ったことやあったことを記録に残す」意図がメインだけど、少しでも本のことを知ってもらう人を増やしたいという意図もあって、予約開始のタイミングで公開している。


 宣伝だと、『SFが読みたい!2024年版』(早川書房)のKADOKAWAの新刊紹介コーナーで一言触れてもらった。

八潮久道『生命活動として極めて正常』は、何人も考えつかない「ifの社会」をネット小説の異端児がウィットたっぷりに綴る、抱腹必至のユーモア作品集です。

 「SFだったのか」「ネット小説の異端児だったのか」と驚いた。このまま「ネット小説の異端児」を二つ名として使っていこうかしら。


 また帯のコメントを大森望氏にいただいた。最初に聞いた時に浮かんだ言葉は「過分」だった。びっくり。現時点でどんな帯コメントなのかは知らなくて、どきどきしてる。


 それから、カクヨムの8周年イベントに声をかけていただいた。(カクヨムはリリース日が2月29日でうるう年がアニバーサリーらしい。)
 お題をもとにユーザーが短期間で作品を執筆していく「KAC」という毎年の企画がある。ちょうど近いタイミングでカクヨム発で著書が刊行された春海水亭氏と私が、「KACスペシャルアンバサダー」としてお題の設定等で参加することとなった。春海水亭氏との対談もセッティングいただいてその記事も公開された。↓
  【春海水亭×八潮久道】KACスペシャルアンバサダー対談〜名短編の秘訣を探る〜 - カクヨムからのお知らせ
 春海水亭氏は『致死率十割怪談』が3月26日に刊行予定で、対談にあたって先行して作品を読んだ。
  「致死率十割怪談」春海水亭 [文芸書] - KADOKAWA
 ホラー中心の短編集で、バトル要素のある作品や、二人の掛け合いで進む作品、ホラーのエッセンスを抽出したような作品、ホラーではないが人が縛りを受けるような話等々、バラエティに富んでいて楽しい。フックの強い表現が多くてつい笑ってしまう。あとがきさえおかしなことになっていて、一種の「誠実さ」を感じた。


 ただ、宣伝・PRによって認知度を高める手を尽くすにしても、その入口を潜ったらもう、その製品自体の満足度しかない。結局は作品そのものの魅力がなければどうしようもない。利害関係のない第三者が「これいい」と褒めてくれることに勝る宣伝効果はない。そこがアンバランスだと「ごり押し」と感じて嫌われることになってしまう。


次作?

 国内で1日平均200点も新刊が出版される中で、重版になる書籍はほんの一部だという。「初版の消化率が悪かった/損益分岐点に達しなかった」という「実績」ができてしまうと、その著者の企画が通る難易度が上がってしまうのが現実だろう。
 その意味で、売れてくれると機会の幅が広がって嬉しいという気持ちはある。


 とは言え、20年も勝手に書いてネットにアップしていただけなんだから、本になるかどうかは本当は関係ないんだという気もする。以前から「これは絶対おもしろいと自分では信じてる」と思って中断しながら書いている少し長めの話があるので、それをちゃんと完成させたい。
 お世話になった編集者に渡してダメなら、別のところに持ち込んでダメなら、どこかの賞に応募してダメなら、ネットに上げたり同人誌にすればいいだけなのだから、辞めずに書きたいなと改めて思うだけ。




 こうして声をかけてもらって本を出してもらえるのは望外の喜び。普通の会社員として暮らしていて、30代も後半、40歳近くにもなってこうしたイベントがふいに生じるんだから、生きてると面白いなって。




 ↓は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

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