やしお

ふつうの会社員の日記です。

「顕微鏡という装置」みたいな新書ほしい

 もうぼくけっこう前から思ってるんだけど、顕微鏡っていう装置自体のことを本気で書いた本があればいいなって。できれば新書とかで。中公新書とかで。
 顕微鏡の使い方の本、実験の仕方の本、顕微鏡でとった写真集みたいのはそれなりにあるんだけど、光学顕微鏡という装置そのものを語った和書がもうまるっきりないの。
 わかってる! そんな内容、実用上の需要がほぼゼロだってこと。でもそうじゃなくて、装置自体のおもしろさをきちんと語れば、ぜったい一般向けにもその魅力が伝わるはずだって信じてるんだ。


 それはどんな分野でもおんなじだけどね。
 例えばカツオ節とかありえないじゃん。本枯れ節。ツナを木材以上の堅さにするなんてオゥ、クレイジーだよ。このクレイジーな存在っていうのは、長年ちょっとずつ技術や工夫が積み重なってありえないとこに到達した姿なんだと思えば、そんな姿に至った目的や背景、具体的な技術や工夫をちょっと見てみたいなってなる人情。そこを丁寧に突いていけばテーマが顕微鏡でもけっこういい新書になると思うんだ……




 大人になって顕微鏡を覗いたときびっくりした。
 顕微鏡といえば小中学生の時に理科室で片目で覗く、外の光を鏡で反射して照明するタイプのイメージしかなくて、それは黒い円の中の小さな像を覗くっていう体験だった。でも大人になって体験した顕微鏡はそんなのじゃなかった。両目で覗くと、もう目の前に、そこに「もの」があるっていう感じの見え方。すごく像が明るくて、視野いっぱいに広がってて細かくくっきり見えてきれいで感動した。小っちゃいブラウン管のテレビしか見たことない人が映画館のスクリーン初めて見ましたみたいな。その驚きを成立させるために積み重ねられているあれこれを、きちんと語ってくれるような本があればいいなと思ってる。
 300年以上の歴史の中で、いろんな人がいろんな工夫を重ねて今こうして目の前にある装置の話。


 今の光学顕微鏡は光学、機械、電気、ファームウェアアプリケーションソフトウェア等々の技術がよってたかって成立させてる存在だけど、中でも光学(レンズ)と機械(メカ)の話が面白いと思う。
 顕微鏡にかかわりある人なら当たり前でも知らない人からすれば、へえーそんなことなってんのって思ってもらえる話がいっぱい詰まってるんじゃないかな。


 例えばメカで言えば上下動ハンドルひとつとってもすごいことしてるなと思う。
 顕微鏡だと「ピントを合わせる」っていう作業を対物レンズと標本の距離を近づけたり遠ざけたりして行うんだけど、標本をのせている台(ステージ)を上下させてその距離の調整を実現してる。(対物レンズの方が上下する顕微鏡もあるけどね。)そのステージの上下動を操作するノブが顕微鏡の横にくっついてる。それが上下動ハンドル。
 このノブ、三段構成とかになっててそれぞれに役割があるんだ。それですっごくかわいいイラストかいた↓



 一番先っぽ(微動ハンドル)と真ん中(粗動ハンドル)はどっちもステージを上下させるためのノブ。なんで二つもあるのっていう。
 ピント合わせは数ミクロンくらいの精度でステージの位置(高さ)を合わせないといけない。微動ハンドルは1回転で100ミクロン程度だから、そうした微調整にちょうどいい。
 でもステージを大きく動かしたいっていう大胆な気分のときもあるわけ。観察が終わって標本を交換する時、対物レンズと標本の距離を大きくあけたいとかね。(ピントが合ってる時の対物レンズと標本の距離は、レンズによるけど1ミリ以下しかないなんてざらなので、そのままだとレンズが邪魔で標本の交換ができない。)1回転で100ミクロンってことは、1ミリ動かしたいと思ったら10回転もさせなきゃいけない。標本交換のたびにくるくるくるくる回さなきゃいけないなんて、ちょうストレスだよ。それで、1回転で1センチ以上も動くような粗動ハンドルも用意されてる。
 さらに粗動ハンドルの根元のリング。これはトルク調整だったり再照準だったりするリング。
 人によって重たいハンドルが好みの人もいれば、軽いハンドルが好みの人もいる。その重さを変えられるのがトルク調整環っていうリング。
 それから再照準(クランプとも呼ぶ)。さっき標本の交換のときにいったんレンズとステージを大きく離す(ステージを下げる)っていう話をした。それで標本を交換してまた観察するためにステージを上げてピントの合う位置を探すわけだけど、これがとってもめんどくさい。さっきまでピントが合ってた位置を覚えててくれるといいのになあ……そんなときは再照準。ピントがあってる状態で再照準のリングをめいっぱいまで回しておくと、その位置をステージの上限位置にできるんだ。それで、ステージを下げる→標本を交換する→ステージを止まるとこまで上げる、ってやるだけでもうだいたいピントが合ってる。失われたピントを求めて調整する手間がはぶける。それで「再照準」って名前なんだ。
 上下動のハンドルは顕微鏡の左右両側についてることが多くて、たとえば左側がトルク調整環、右側が再照準っていう感じで役目が割り振られてたりする。(そういうリングがない機種、もっと言えば粗動ハンドルしかついてない機種もあるけどね。)
 あとハンドルってつるつるしてると回しづらいから、全周に滑り止めの溝がはいってる。この溝(ローレット)がどれくらいの間隔で、どれくらいの幅で、どれくらいの深さで彫られているかってところにも工夫がある。他にも操作感で言えば、急にハンドルが重くなったり軽くなったり、回しててゴリゴリする、きしむ、変な音がしたらダメで、一番上から一番下までどの位置でもスムーズに一様にそれなりの重さを支えて動かなきゃいけないわけで、そのための工夫や技術がある。
 上下動だけで大ざっぱに話をしてもこんだけあって、そうした話がもう鏡器全体、ランプハウス、コンデンサレンズ、ステージやステージハンドル、対物レンズや接眼レンズ、各種絞り等々に詰まってる。


 今のは機械の話だけど、光学の話でも「え、そんなことしてんの」って話いっぱい。
 たとえば油浸。対物レンズと標本の間に、油をつけて観察したりすることがある。
 ずっと前、平成教育予備校みてたらこんな問題でてきた。「油の中にガラスのコップを沈めたとき、外からコップはどのように見えるか」で、正解は「コップは見えなくなる」。油とガラスは屈折率がほぼ同じ→油とガラスの境目で光は曲がらない→境目がわからなくなる(見えない)、ということ。不正解だった劇団ひとり(あかねの夫)がユースケ先生に「こんな話なんの役にも立たないじゃない!」みたいなことゆってみんな笑ってたけど、やっぱり役立ててる世界もあるんだね。
 倍率の高い60倍とか100倍とかの対物レンズの一番先っぽのレンズ(先玉:さきだまと呼んでる)はすごく小さいんだけど、なんとかしてここにいっぱい光を入れたい。でも標本の上にカバーガラスがあって、空気があって、対物レンズがあるっていう構成だとカバーガラス→空気の境目で光が屈折して広がっちゃって、対物レンズに入っていかない光が出てきちゃう。そこを空気じゃなくて油にすれば、カバーガラス→油→対物レンズと光が直進するのでより多くの光を対物レンズに入れられるってすんぽうなの。
 そうすると(理屈ははぶくけど)より明るくて、より高精細な像がえられてうれしい。
 油浸で使う油にも「さらさらしてて標本を動かしたときに追従がいい油」とか「ねとねとしてて標本を動かしたときに油ぎれを起こしにくい油」とか「ある観察方法のときに都合がいいかわりにすっごく臭い油」とかいろいろあるんだ。


 そういう細かい話だけじゃなくて、もっと「そもそもどうしてそうなの」みたいな話もしてほしい。
 たとえば顕微鏡って、対物レンズでプロジェクタみたいに拡大した像を、接眼レンズで虫メガネみたいにさらに拡大して見てる、っていう装置なんだよとか。
 あと対物レンズって一本の中に何枚もレンズが入ってて多いものだと15枚以上で構成されてるんだけど、なんでそんなにレンズいるの?とかね。顕微鏡に限らずカメラのレンズもそうだけど、1枚じゃだめなの?っていう。
 ちなみに1枚でダメなのは、像が歪んだり色がにじんだりする(収差)からなんだ。レンズはカンペキに元の物体の姿を再現させた像を作ってくれるわけじゃない。そうした歪みやにじみを、種類や形の異なるレンズを何枚も組み合わせることで補正してるんだ。例えば像が膨らむような歪み方するレンズに、像がへこむ歪み方するレンズを組み合わせて像のゆがみをなくす、みたいなイメージ。でも歪みを補正したらこんどは色にじみが大きくなっちゃったとか、像が暗くなっちゃったとか、ああ、もっと対物レンズを太くできればクリアできるのにとか、そうした制約やしがらみの中で何とかバランスを取って、求めてる性能に持ってくってのが光学設計なんだ。
 一眼レフカメラのレンズだとおばけみたいに大きなものもあるけど、顕微鏡の対物レンズは「同焦点」と言ってどの対物でも同じピント位置にしないといけない、っていう制約があってむやみに長くしたり太くしたりできないっていうしがらみがあって大変。
 そうしたレンズの形状だけじゃなくて、ガラスの材料、コーティングなどなどの技術もあって、きれいで精確な像を作り出してるんだ。


 まだいっぱいしゃべることある。観察方法だっていろいろある。
 生物用の顕微鏡だと大きな目的として「透明なものを見たい」ってのがある。生きた細胞や微生物の活動を見たいなと思っても、細胞は基本的に透明だからよく見えない。染色して色をつければ見えるようになるけど、でも染めちゃうと細胞が弱ったり死んだりする。なんとかそのまま見られないものか、透明なものを見える状態にできないものか……ってことで、斜めから光を当てたら構造物のあるとこだけ光って見えるんじゃない(暗視野観察)とか、構造物は周りと屈折率が違うからそれを可視化しよう(位相差観察や微分干渉観察)とかいろんな方法があって、その原理も「よくそんなこと考えついたなあ」ってすごく面白いんだ。
 他にも対物レンズからレーザーを標本に照射・スキャンして画像を得るみたいな観察法(コンフォーカル)もあったりしてなかなか派手だよ。システム全体で数千万円とかするの。お金も派手だよ。


 それから今は生物用の顕微鏡の話をしたけど、それだけじゃない。アスベストの検査とか、電気基板や半導体のウエハーの検査、金属を見たり鉱物を見たり、部品の組み立てに使ったり。そうしたそれぞれの用途に向けた顕微鏡もある。
 たとえば電気基板なんて光を通さないのにどうやって見るのって話。薄い細胞や微生物は裏側から照明すればいいけど、分厚いものは光を通してくれない。じゃあ照明しなきゃいいじゃんっていうとそうはいかない。顕微鏡は極小範囲の光を集めて拡大して見るわけだから、そのまま照明なしで拡大しても暗すぎてよく見えない。
 下から照らせないなら上から照らせばいいでしょ、ということになるけど、さっきも言ったけど対物レンズとサンプルのすき間は数mmもなかったりするから、照明を差し入れる隙がない。じゃあどうするかっていうと、もう対物レンズを通して上から照明しようっていう発想(落射照明)。照明装置→対物レンズ→標本→対物レンズ→接眼レンズ→目、っていう光の経路。行きと帰りで光が通る道がちがうとか都合よすぎじゃなーい?ってなるけど、途中でハーフミラーやフィルターを入れることで実現してる。


 あと手作業での物の組み立てなんかによく使われる顕微鏡に、実体顕微鏡っていうのがある。これは左目と右目で像が少し違ってて、立体に見える顕微鏡。アバターだよ。はじめてぼくが実体を覗いたとき、隣にいたおじさんが紙巻きたばこをくれて「見てごらん」ってゆって見てみた時のワーォ感はまだよく覚えてる。茶色いタバコの葉っぱのぎざぎざが森みたいになってた。目の前に見たことない森ひろがってるやーん。ヤバイヤバーイって思ったね。
 実体顕微鏡は身近なものをいろいろ見てみると、え、こんな風になってたのってすごく面白いんだ。



 そんなような話を、豊かさを失わない程度にきちんと整理して語ってくれるような本が出てきてほしいなってずっと思ってる。みんなにかかわりのある話ではないから、たくさんは売れないだろうけど。
 たぶん日本に3、4百人くらいはそうした顕微鏡の話ができる人がいる気がするから、だれか出してほしい。




 せっかくならそうした本がなるべくいろんな人に読まれるといいなって、それなら新書だといいなと思ってる。
 そうした理工系の新書っていうと真っ先に講談社ブルーバックスのこと考えるけど、あれは本屋の入り口近くの新書の新刊コーナーには置かれずに、はるか奥の理工系のコーナーに置かれる運命だからだめだ。ブルーバックスのことは好きだけど、それじゃだめなんだ。
 そうじゃない新書だとどのレーベルならいいかなって考えてみる。


 講談社現代新書はすてきだよね。いつも紙数をしっかり費やして、詳しく、でも分かりやすく形にしようって気持ちがとっても出てて。岩波新書みたいに「分からないお前が悪い」みたいな態度しなくてやさしい。でも顕微鏡オンリーは扱ってくれなさそうなイメージ。みんなに関係のある分野か、実生活で関わりないことならスケールのでかい話(現代数学や物理学とか)じゃないと無理かもしんない。
 集英社新書光文社新書も、講談社現代新書より詳しさを抑えて新書の軽やかさを保ちながら、でもみんなの馴染みのうすい職業や分野のことを「へえー」って思わせてくれるレベルまではきちんと語ってくれて好きなんだ。ぼくが一番新書らしいって思うボリュームのバランスがだいたいこの辺。でもいつも、満足しながら、あともう一段深い話をききたい!って気持ちになるから、やっぱりもうちょっとガチで見せてくれるレーベルがいいな。


 そうゆうあれこれを考えると、もう中公新書しかない。これは何度だって言うけど、中公新書はド変態レーベルなんだ。
 新書のコートを羽織ってぼくらの目の前に現れたと思ったら、いきなりコートの前を開いて、中からどす黒くて立派な選書みたいなモノをぽろりしてくる、そういうタイプの変態紳士だよ。濃い緑と白の落ち着いたカバーデザインにだまされてはいけない。
 だって「電車の運転」ってタイトルの本で、架線の断面写真や建築限界がどうのみたいな話を入れてくる。今手元の「昆虫―驚異の微小脳」って本をぱっと開いたら「HIと呼ばれるロビュラプレートの大型のニューロンに着目し、その応答を調べることで局所運動検知ニューロンの応答特性を間接的に推定した」って記述があった。
 こんなの新書じゃない。きっと新潮新書なら「こいつ完全に気が狂ってる」って言うとおもう。(新潮新書は版面も本文組も頁数もテーマも「サラリーマンが通勤中にさっと読み通せる本」っていう姿勢が貫徹されてるから、対極だね。)


 この狂気の変態レーベル、中公新書ならぼくを本当に満足させてくれるような「顕微鏡という装置」の本を出してくれるんじゃないかってずっと夢見てる。