やしお

ふつうの会社員の日記です。

電車のドアの前でがんばってる人

 いっぱい乗り降りする人がいるのに、電車のドアの真ん中に立って、あからさまにぶつかってくる人たちにもめげずにがんばってる人がたまにいる。
 いっぺん電車を降りて脇によければいいのにとみんな怒ってる。降りるとき便利だからっていう自分の都合を優先させてこいつぅ〜ってみんな怒ってる。


 たしかにぼくもいらっとすることはあるけれど、同時に、なんかすごい悲しみにおそわれてつらいのよ。


 学生のころ体育が苦手で、特に球技とかがだめだめだった。野球のフライとか自分なりに考えた落下地点に立ってかまえるんだけど、どういうわけか実際の落下地点ははるか後方なんだ。直前になって「あ、ここじゃない!」って気づいて、びよーんってジャンプするんだけど、空にのばしたグローブの上をボールは飛んでっちゃうんだ。
 みんなから見ると(あいつは何をしているんだ?)って感じだったと思う。
 当たり前みたいにできる人たちからすると「何でそうしないんだ」っていらいらするわけ。実際、中学生のとき授業でバスケやっててなんかのミスしたとき、やさしくて頭よくて仲もよかった友達が、ほんのかすかに舌打ちしたのを聞いちゃって心が折れたことある。


 それでドアの前でゆずらずに立ってる人もさ、
(うわっ、人きちゃった、どうしよ、あ、あわっ、あわわ〜)
とかなってるかもしんないじゃん。ぼくらは(脇によければいいじゃん)って簡単に思うけど、意外とそれが簡単じゃない人もいるのかもしんない。
 もっと言えば、ぼくらは当たり前に、全体のことを考えて自分の行動を決めていく、みたいな方針を持てるけど、そうした考え方を身につける契機を持つことができなかった人だっているわけだしね。


 それで、毎日ドスドス人に体をぶつけられながら、わけもわからず心の中でただ世界を呪っているかもしんないドアの前の人のことをおもって、ぼくは静かに涙を流すんだ。電車の中でアラサーのおっさんが静かに泣いてたら変だから、それはイメージで実際には泣いてなくて、ただ白目むいてるだけだけど、なんかつらいなーと思って。


 別にいらいらするのはだめだ、って言ってるわけじゃない。ぼくだっていらっとはするしね。その感情をどうにかしろっていうんじゃない。
 そうしたいらだちを疑いもなしに正しい感情だと思って、表明するのはどうだろう、ってこと。