http://book.akahoshitakuya.com/cmt/30763396
「ホモってもう文化だし」なんかの一文で著者を馬鹿にするのは、これを著者でなく「私」が語っているというテクスト的現実を無視した誤謬だよ。文化の言い草で済ませることが現実的に正しいかどうかが問題じゃない。言葉の選択は世界認識そのものだから、それと語られる「私」の思考内容との整合が問題なんだ。あと解説で斎藤環は他者性があると言うけど逆で、完全にないからこそ最後みんな消えて「言葉しかない」場面で終わる。性・風俗描写の特異さより何より、それら一人称小説の帰結がちゃんと実現されてるとこが、読んでてうれしい小説なんだ。
ほんとの他者性っていうのは、ドストエフスキーの小説でひたすら会話が引き伸ばされるような、「根本的に相手はわかってくれないし相手はわからない」みたいなところが発露するような瞬間にしかないだろう、って考えてるので、この小説では「私」視点で一方的に他人が語られるだけ=モノローグなので他者性は別にない。「相手はわかってくれないし相手はわからない」みたいな認識は描かれたてるけど、認識がただ書かれるだけじゃだめで、それがどうしようもなく齟齬をきたしてこないと他者性そのものとまでは言えない気がする……
あと一人称一元視点で書くということは、専らある人物の視点で書くということである以上、地の文でも会話文でも、言葉の選択のレベルでその人物の世界認識が実現されてないといけない。たとえそれが現実的にはおかしくても構わないし、むしろ通俗的な正しさに沿ってしまわないように気をつけないといけない。仮構外の現実との整合性が問題ではなく、仮構内で現実的であるかが問題なんだ……
といったことを10ヶ月くらい前に考えていたので、この本がちょうどそういった「一人称一元視点を選択したら、やるべきこと」がきちんとやられていたので、読んでてああ、そうそう、こうなんだよな、と思った。
- 作者: 金原ひとみ
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2007/05/18
- メディア: 文庫
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