やしお

ふつうの会社員の日記です。

友人に金を貸す話

 真面目で誠実な人が、支払えないような借金を重ねていく。その端緒を目の前で見て驚いた。どうしてなのかあれこれ考えていたことを、忘れないよう記録しておく。


背景1:支払いの遅延

 友人に7万円ほど貸している。半年ほど前にiPadを買いたいというので6万を貸した。これは彼の金の算段があまりに損なやり方だったために、見かねて私から申し出たものだった。それから先日一緒に旅行した際に4.5万円。これは旅行の日程と、彼の給料(手渡しの週払い)の支払日が重なって受け取れなかった分を肩代わりしたものである。すでに3.5万円が返済されて残り7万円になっている。
 iPad代は当初、毎月5千円の返済で取り決めた。相手の支払い能力を見極めたつもりで合意した額だったが、3ヶ月目でコンスタントな支払いが崩れてしまった。説明や事前の通知なく遅れて、たまにややまとまって支払われるような状態になっている。
 給料肩代わり分は、本来翌週にまとめて給料を受け取った時点でそのまま返却する約束だったが、これも2万円が支払われて残りは後回しとなっている。


背景2:更なる借金の申し込み

 先日、その彼からパソコンを買いたいから借り入れたいという申し出があって驚いた。7万の返済が残っている状態で重ねて借金するのは、私の価値体系からはあり得ない判断だったし、加えて彼が借金を重ねるタイプに見えないこともあって、驚いたのだ。
 彼はギャンブルをしない。酒も飲まない。収入はあまり多くないが派遣社員として日々誠実に働いている。真面目な人だ。
 その借金は即座に断った。私の経済的な余裕の問題ではなく、彼の与信枠の問題で断った。(本人に伝えるつもりはないが、最悪踏み倒されても構わない額を10万円と決めている。)また一人の友人としてもこれ以上自分の首を絞めるような真似はしてほしくなかった。


 以前クレジットカードでやらかしたらしいという話を本人から聞いてはいたが、これまで実感がわかなかった。しかし今まさに同じことを繰り返しかけているのを目の当たりにして、その事実だけは納得できた。しかし、真面目で誠実な人間がどのような仕組みで借金を重ねようとするのか、そこがまだよくわからなかった。彼を何とかしたくても構造を把握できなければ表面の修正に留まってしまう。
 それで彼の性質について思いつくことを挙げて、そこから考えてみようと思った。


特徴1:督促への苛立ち

 督促されると怒る。「ちゃんと払うってば」と苛立ちを露にする。これは借金を重ねる人に広く共通する特徴なのではないかと(サンプル数1なのに)思っている。
 一瞬、貸し手としては(どうして借りている方が怒るのかな)と面食らうが、これはこう考えれば容易に理解できる。
 彼にとって督促は、支払う意思を疑われたものと感じて反発している。特に支払いが迫っているとき、遅れているとき、しかし払えるあてがないとき、当人にとって気が重く、罪悪感を覚え、苦痛を感じている。その状態で督促されると、「どうして自分は苦しんでいるのに、なお責められなければいけないのか」という被害意識をほとんど自覚なしに感じてしまう。それが苛立ち・反発として表出する。


 恐らく、借金を重ねないタイプの人はそんなとき、そうした感情的な反発をあまり見せないのではないか。そんな人にとって督促は、返済の主観的な意思を問われているのではなく、返済の客観的な計画を問われているのだと感じている。それだから、払う・払えないにかかわらず、具体的で実効性のあるプランとして提示し、相手を納得させようとするのではないか。
 しかし「借金を重ねない人が督促を受ける場面」など見たことがないので、仕事において計画が崩れた時の振る舞い方を踏まえて想像しているだけだ。


特徴2:実効性への意識

 そうした「具体的で実効性のあるプラン」が提示されないという以前に、実効性を高めるという意識そのものが希薄に見える。
 督促をすると「来月2万返す」と彼なりのプランが提示される。このとき彼が嘘をついているとは私は思っていない。彼が本気でそうしようと考えていることを、私は全く疑っていない。しかし一方で私は、そこに実効性が備わっていないということを全く確信している。
 客観的な実効性に基づくものではなく、主観的な気の重さを払拭するため、支払いの意思を疑われたことへの反動の結果としての「来月2万返す」に見えてしまう。


 実効性がゼロだとは思っていない。彼なりの算段がそこにあるはずだ。しかしその算段が脆弱だと思っている。
 恐らく彼の算段は、ハッピーストーリーで組み立てられている。突発的な事態を吸収できるようなバッファはそこに盛り込まれていない。例えば散髪をする、靴が壊れて買い換える、等々を度外視するか等閑視するかして到達する「来月2万」なのだ。あるいは生活上の無理を強いて生じるような「来月2万」。
 ハッピーストーリーは多量の条件が都合よく並ぶことで初めて成立するものであって、現実には絶対に成立しない。成立しない以上、約束を破ることになる。約束を破る気重さに耐えかねて事前の説明を曖昧に放棄する。さらに気が重くなり動きが鈍っていくという悪循環が生じていく。


 彼は督促を受けて、返済への決意を新たにしたに違いない。しかし彼は恐らくわかっていない。
 人が何事かを継続できるのは、意思の持続によるものではなく、行動を促進(もしくは強制)させる仕組みによるものだ。数ヵ月にわたって意思の力だけを頼りに行動を持続することはできない。勉強にしても何にしても、実行するハードルを下げるとか、点数化してゲームのように楽しむとか、定期的に意欲を再活性化するルールを設定するとか、何かしら仕組みを構築してようやく可能なのだ。


特徴3:部分最適

 話を聞いてみれば、きちんと色々考えて行動している。筋も通っている。けれども、どれもが部分最適でしかないことが多い。俯瞰して見ると非効率であることが多い。
 今回もそうだ。趣味のゲームがある。いつもネットカフェでそれを遊んでいる。ネカフェの費用がかさんでいる。これを家でできれば安く上がる。それでPCを導入したい。つきましては購入費用を借り入れたいという話だった。なるほど。だけど借金を重ねるほどのことなのだろうか。借金を重ねることで苦しくなる今後の自分の家計や、私の心象、などなどと比べた上で、バランスが取れているという判断を下しているとは思えなかった。あるいはネカフェに行く回数を減らす、そもそも趣味を変えてしまう、といった条件の変更も考えているようには思われなかった。


 最適化した部分部分を天秤にかけて比べてみる、根本にある条件も疑い直してみる、そうした思考の技術が十分に備わっていないようだった。
 部分部分で金にルーズではないのに、メリハリがついていないために全体でルーズになってしまう。


特徴4:現実と受動的に接する

 ひょっとすると根本はこれかもしれないと思うのが、現実への接し方が受動的であるという点だ。先述の「仮定や条件を疑い直さない」という点と通底している。
 現状の収入・支出をレビューして改善案を考えていた際などに、「無理だよ」といった後ろ向きな言葉がよく聞かれるのもそうだし、あるいは目標を立てて演繹的に現実の諸条件を見直そうという方法(目標を決めてトップダウンで考える方法)を全く取らず、現実の諸条件から帰納的に目標を(過小に)導くという方法(現状を前提したボトムアップ)に終始するのもそうだ。
 貯金ができない、というのもここから来ているのではないか。


 自分で現実をアレンジすることができる、という確信がないようだ。性格や欲望も、生得的でも本能的でもなく自分でコントロールできるものなのだといった認識も含めて、それを自分がやってやれないはずがない、という確信が持てないようだ。(それはもしかすると、子供の時に周囲の大人たちから掛けられた言葉の違いなどが影を落としているのかもしれない。)
 たとえば、自分は自分の上司であってかつ部下でもある、自分に指示を出して管理して目標を達成させるのも自分で、実行して結果を出して報告するのも自分なのだ、という感覚が持てればいいのかもしれない。ひたすら現実に対して部下でいる必要はないはずだ。


これから先

 友人に金を貸す末路としてよく聞くのは、厳しく取り立てて友人関係が崩れる、もしくは、なんとなく返済がうやむやになって友人関係が維持される、というようなものだ。滞納した債務者に対する債権者の態度として、生活を破壊してでも回収する(闇金?)とか、回収を諦めるとかがあるけれど他にも、立て直しながらゆっくり回収する(信金と中小企業?)というスタンスもある。何とかそれができないだろうか。


 債権者として可能な範囲でコンスタントに返済してほしいし、友人として生活をより幸せなものにしてほしいと思っている、その仕組みづくりの手伝いをしたいと思っている、ということをこの前あらためて伝えた。それから、彼の毎月の収支の中身を具体的に確認することまではできた。とりあえず一歩目でしかないが、ここから始めていきたい。
 他人の意識を直接変えるのは不可能なので、小さく成功体験(返済できた、貯金できた、自分をコントロールできた、というような)を積み重ねていって、より楽な生き方を身につけてくれればいいなと思ってる。人はどう生きていったっていいわけだけど、あるシステム(今の世の中)に対してより有利に働くやり方というのははっきりあるわけで、それで不本意な苦しみから逃れられるならそうした方がいいとは思うし。
 別にプロでも何でもないので上手くいかないかもしれないけど、やれるだけやってみたい。


 これを書きながら急に思い出した。
 私の父親もそうだったんだ。真面目で誠実なのに、なんとなく借金を重ねてしまうタイプの人だった。母親が家計を管理していたころは借金もなく貯金もあった。しかし離婚したらダメだった。ギャンブルも酒もやらない、特に目立った無駄遣いをするわけでもないのに、金を借りて返済が滞ってしまう。結局、私が就職するまでの最後の数年は私が家計を管理してやり過ごした。
 あのころの私は経済的な余裕もなかったし、今よりもずっと愚かだったので、いったい父がどうしてそうだったのかをきちんと考えることもなかった。それは仕方がないことだが、理解できていれば、あんな風に父を責めたりせずに済んだのにと悔やんでいる。本当は父がガソリンスタンドのバイトでつらい中働いてくれたおかげで、卒業させてもらえたんだと感謝しているのにと思っても、もう当人が死んでしまったので伝える機会がない。
 その贖罪を、今しているのかもしれないという気がする。