やしお

ふつうの会社員の日記です。

台湾をうらやむことの無神経さ

 オードリー・タンさんが大臣に起用されたり、新型コロナ対策が効果的だったり、そんな報道や記事をたくさん見かけて、台湾が合理的に判断できることを羨ましく思ったりする。でもこの「羨ましい」には、実は無神経さ・傲慢さが潜んでいるのではないか、とちょっと疑っている。


 台湾やシンガポールイスラエルといった国々は、日本と比較してももっとリアルに「自国の存続」への危機感を持続させているのだろう。台湾は台湾海峡を隔てて大陸中国と常に向かい合い、その相手は「一つの中国」を掲げ国家としての存在を否定している。シンガポールは戦後にマレーシアと一旦は連邦を形成するも、真水など重要なインフラをマレーシアに握られたままその後に独立している(現在は協調関係を維持している)。イスラエルは、第1次大戦後のイギリスによる三枚舌外交(その一環のバルフォア宣言)に基づいて建国後、周囲のアラブ諸国と4度の中東戦争を経て自国を維持している。
 そうした国々は、自国を存続させるには強力な政治的統一が必要になってくるし、非合理的な決定を下す余裕がない。


 しばらく前に、NHKの「BS世界のドキュメンタリー」で、フランス制作の「台湾 デジタル世代が目指す未来」が放送されていた。その中で、1971年に台湾が国連を脱退した経緯や、最近の香港情勢にも触れつつ、台湾の置かれた難しい立場を描いていた。あるいは以前、蔡英文総統がNHKのインタビューの中で、徹底して中国を刺激しない、口実を与えないように振舞うことが死活的に重要だと語っていたのも思い出した。
 新疆ウイグル自治区や香港が中国共産党政府によって現実にその人権や自治を奪われたりもしている。南シナ海への圧力も高まっている。あるいは中国以外でも、ロシアによってウクライナの領土だったクリミア半島が併合されて既に6年が経つが、返還される気配もない。
 そうした諸々を考えれば、「できる」と判断すれば実効支配に及ぶ、そして実効支配されるとそれが時間をかけて既成事実化されて固定化していく、というのは空理空論というより現実的な脅威だと理解される。


 外側から見れば中国の動きは「バランスを崩そうとしている」「軋轢を生んでいる」と非難されたとしても、中国側から見れば、歴史全体の中で中国が域内の覇権国家でなかった時期の方が少なく、アヘン戦争南京条約以降の状況の方が例外的なのだ、むしろ失われた地位を回復しているだけだ、という見え方になってくる。
 そして現実に、経済力・軍事力で少なくとも域内では覇権国家の地位を既に取り戻し、世界的にもアメリカに拮抗しようとしている。内側から見るとサクセスストーリーになっている。


 例えば他国から不法に支配されても、クーデターが起きて民主制が蹂躙されても、あるいは住民の人権が侵害されても、もしその国・地域の状況が他の多くの国々にとってさして実害がなければ、非難はしてくれても真剣には解決してくれない。
 台湾が半導体分野で世界的なプレゼンスを確立しているのも、いざという時に他の国々にとって台湾の体制を維持する必要性を持たせるため、という側面もあるかもしれない。あるいは民主主義、ジェンダー平等、先進的なITなどを国として実現させていくのも、西側諸国の重要な一員であると差別化を図る必要性に迫られている、という側面もあるかもしれない。(なお台湾はジェンダー平等でアジアトップ、世界6位相当。)総統が頻繁に日本語でツイートしてくれるのも、西側諸国の一大国であり隣国の日本の国内世論を自国有利に形成しておく重要性を認識している、という側面もあるかもしれない。
 もちろん、経済的利益のために半導体のプレゼンスを確保している、国民の開明的な価値観が反映されて民主化ジェンダー平等・ITなどが進んでいる、親日家だから政治家が日本語でツイートしてくれる、といった側面が否定されるわけではない。ただそれらがそうある背景、ひとつのインセンティブとして、そうした危機感があるのかもしれない、と想像している。


 先月、日本政府が自民党国防部会へ、「尖閣諸島へ接近・上陸を試みた中国海警局の船に対して、海上保安庁は危害射撃を行える」という見解を示したというニュースが流れ、軍事・海保クラスタが「それは国際法違反だ」と指摘する、という話があった。
  国際法を無視する日本政府と与党に主に軍事&海保クラスタが唖然とした日 - Togetter
 これは、外国公船・軍艦を「重大凶悪犯」に該当すると見做して警察権力である海保が先制射撃を行うことは、国際海洋法条約と照らして違法であり主権の侵害と解される、その場合、中国側が個別的自衛権を発動すれば中国側に正当性が発生する、また日本は武力行為の事態認定もしていないため日米安保条約の適用外になってしまう、といった指摘だった。自国領土への上陸は、一般犯罪を取り締まる警察権の対象ではなく、侵略・武力行為であり自衛権で対処するのが筋だという。
 こうした指摘に対して、自民党の国会議員が「煽りすぎだ」と否定したり、また別の議員は「もっと強い対応が必要だ」と語ったりしていた。
 行政府や国会議員(ロー・メイカー)が国際法に無頓着に、単純に「向こうが圧力を強めるならこっちも強く対抗すればいい」という認識でいられるというのは、余裕の裏返しかもしれない。もっとギリギリで向かい合っている国家にとっては、こうした無頓着さは命取りになり得て、強く抑制するような力が働く。


 他国の脅威を過大に捉え、被害者意識をつのらせて「我々は虐げられている、だからやり返さなければいけないんだ」と考えれば国粋主義者となってより破滅的な結果を迎えてしまう。一方でそうした脅威を一切顧みずあたかも「存在しない」ように無視し続けても取り返しがつかなくなっていく。現実的な条件や制約を見つめて、大きく急激な変化が起こらないようにバランスを取るよう努める、いざという時に軟着陸できる体制を整えておくというのが本義としての「保守派」なのだろう。


 「スマホSNSに投稿できるから問題ない」という理由で78歳のIT担当相が誕生する日本と違い、若くプロフェッショナルな人材がIT担当大臣に就けられている。高齢男性ばかりが政府与党の枢要なポジションに就き、男女平等も世界で121位の日本と違い、国のトップも女性で、ジェンダー平等も世界トップクラスを実現できている。半導体産業で世界のプレゼンスを低下させた日本と違い、台湾TSMCファウンドリとして世界1位で、鴻海はSHARPを再生させた。新型コロナ対策では東京都だけで年明けに新規感染者数2500人に達した日本と違い、20年4月5日以降は7日間平均で10人以下をずっと維持している。
 そうした事実を並べて、見習うべき点があると感じたり、尊敬することが間違っているわけじゃない。ただ手離しで「羨ましい」と肯定することは、一種のポジショントークになってるんじゃないかと疑っている。「すごいですね」「羨ましいですね」と褒めるつもりで言っても、「そりゃ地政学上・安全保障上、恵まれていていいですね、雑にやる余裕があって」という話になってしまうんだろうか。


 例えば、女子児童の方が男子より大人びていたとして、それを単純に褒めたり羨ましがったりすることは、ジェンダーロールの圧力の働きでそうならざるを得なかった、といった背景を無視することで成り立っていたりする。あるいは男性ばかりの職場で活躍する女性を「男よりロジカルで優秀だ」と褒めたり羨ましがったりすることは、その社会でサバイブするためにそうあらざるを得なかった、といった背景を無視した上での羨望だったりする。
 似たような構造があるのではないかと疑っている。


 ここ1年ほど、特に新型コロナ対策のこともあって、台湾のすごさをたくさんテレビなりネットなりで見かけて、「すごいな」「うらやましいな」という気持ちになった。でも、それを日本に住む自分が無邪気に言うのは、そこに無知からくる無神経さや傲慢さが潜んでいるのかもしれない。「すごい」と思うにしても、相手の立場や背景をなるべく理解した上で正確にそう思うことが、「敬意」というものじゃないかと最近ふと考えた。