お金を貸した友人と絶縁するに至ってしまった。困っていて大変だなと思って貸したのに、最終的に「冷たい」「鬼」と罵られて、こんなの耐えられないと思ってもう返さなくていい、今までありがとうと言って絶縁してしまった。大人になってからこういう形で友人を失ったのは、なんていうか、ずっと大切にしていこうと思っていたのにとか、自分のコントロールする力が結局足りないんだろうかとか、色々考えてつらい。
一旦整理して過去に押し込めてしまうために記録しておく。
経緯
去年の12月に8万円貸してほしいというので貸した。過去にも彼にはお金を貸して、でもまともに返済できないままになったことがあったから、「二度と貸さない」と言い渡していた。ただ今回は自分の都合というより家庭の事情で、彼の母親が借りるという。息子経由で息子の友人から借りるってどうなの、とは思うけれど「それがかなりおかしなことだとは分かっているが、お願いできる相手がいないのでかなり悩んだけど検討してもらえないか」といった事情が長文のメールで書かれていて、気の毒に思ったから貸すことにした。お母さんの年金が隔月振り込みなのでそのタイミングでの返済ということだった。
1回目(2月20日)の返済日がきても振り込まれなかった。1週間後に督促したら振り込まれた。「督促させないでほしい、自分できちんと返済日を管理してそっちから報告してほしい」と伝えた。
2回目(4月20日)の返済日がきても振り込まれなかった。3日後に催促したら「明日母に確認する」との回答だった。その翌日になっても返事がなかったから、どうなったか再度聞くと「返済が遅れる」という。家が漏水していて4、5万円かかったから、4、6月の返済を8、10月に延期させてほしい、自分もそのことを今知った、という。(こう書くと嘘っぽく見えるが、この人は言い訳はしても変な嘘をつくタイプではないから、これは事実そうだったのだと思う。)
どうして「催促させないでほしい、期日前に自分でちゃんと確認してほしい」と前々から言っていたのに何もしなかったのか、どうしてまるで自分も被害者のように振る舞うのか、と思った。何の努力もせずあたかも他人事のように言うのはおかしいじゃないかという気持ちになった。それで「だめです」と一言LINEを返した。
この時点では、相談を持ちかけられれば最終的には
- 今後は半月前と一週間前に予定通り返済できるか状況確認して報告すること
- 今後はどんな理由でも二度と僕に借金を申し込まないこと
- (彼がお母さんの肩代わりして)月4~5千円くらいずつは返済すること
くらいが落としどころかと考えていた。
肩代わり返済は本当はどっちでもいいけど、でもタバコやめるとかカフェ行くのやめるとかやりくりが不可能な話でもないのだし、せめて主体的に返済してほしいなとは思っていた。
ケータイ代や電気代の支払いや、ノートパソコン(最近マインクラフトをやるためにローンで買ったらしい)の返済はきちんとしているのに、僕への返済は催促されてからようやく確認して、しかも平気で「無理」って言うのは結局、「どうせ許されるだろう」という甘えに他ならない。お金がどうこうというより、ちゃんと友人を尊重してほしい、という気持ちだった。
しかし既読のまま返事がなく丸一日が経った。「どうするの?」と送った。それも既読無視された。頼むときは長文なのに、返すときは既読スルーなのか、と思った。よくある話だ。さらに丸一日が経ったから今度は「無視?」と送ったら、その翌日に返事がきた。
「追い詰めるんですか?」
という。とても腹が立った。どうして被害者面するんだろう。どうしてこっちが悪者みたいに言われないといけないのか。
被害者ぶるのはやめてほしい、すぐに「相談させてほしい」と言うわけでもなく3日間も放置した挙げ句そんなこと言うのはおかしい、実際はあなたのお母さんが借りたのでも僕から借りた主体はあなただから責任を持ってほしい、といったことを返信した。
彼は「申し訳ございません」と一言返事をしただけで、そのままだんまりだった。
「で、どうするの?」と送ったら、定期代とか水道の修理代金とかずらずらとお金がない理由が列挙されて「自分が家を出てホームレスでもしますか?」「自分が家からいなくなれば生活保護が受けられるから」と言う。
こんなの、何の解決策でもない。自分だって現実的でないと分かっている極端なことを言って、相手を悪者のポジションに追い込もうとするのはずるいし不誠実だと思った。「それならしょうがないね」「大変だね」と慰めて欲しいだけじゃないか。怒りなのかやりきれなさなのかよく分からない感情がぐるぐるした。
「あなたが正解だと思うんならそうすればいいんじゃないですか?」
と返した。こんな解が、正解なわけない。僕だってそんな誰も幸福にならないようなアクションなんて望んでいない。
そのまま既読スルーされた。彼はその後もマインクラフトの進捗をTwitterにアップしていて、ホームレスにはなっていないようだった。
もとの期日から1ヶ月が経った。彼からは返済の相談も何の連絡もないままだった。Twitterでは「仕事をかなり入れて頑張っている」と言っていたから、ひょっとしたら「これが誠意だ」って自分の給料から幾らか出すつもりなんだろうかと思って待ってみたけれど、そういうことはなかった。
「1ヶ月待っても何の具体的な案も相談もなく放置したままだ。過去の未払いの分も含めて改めて請求する」
と送った。ちなみに未返済の借金は19万円になっている(利息なしで)。
「返済を延期させてくれと言っているのにそれは相談だと見なしてくれない」「そんな冷たい人だと思わなかったです」「これまで援助してくれたことには感謝しますが、やはり鬼。」「年収もいい大手企業のエリートなんだから良い弁護士なり司法書士なりにお願いできるでしょう。」と書かれて、最後に「金巻き上げられて、良かったですね。金巻き上げられて、良かったですね。金巻き上げられて、良かったですね。金巻き上げられて、良かったですね。」と延々とコピペが続いていた。
そんなメッセージを見て腹が立つというより、ショックを受ける、という言い方が実感に近いかもしれない。誰かにいきなり面罵されたり悪意を浴びせられると、その瞬間は怒りが沸くというよりショックを受けて何も考えられなくなるけれど、それに近い状態だった。ああ、そんな風に思っているのか、と思った。
「冷たい? 私が? 信じられない。はたから見たらどう考えたってあなたが加害者で私が被害者じゃないですか。」
と返すと
「事情も説明したのにそれを相談と見なさないのはそっちの自己解釈」「返せない事情も話したのに返せって、それは冷たいと言わないのか」
という返事だった。
「なんで電話の一本もしないの? 「それじゃダメだ」と言われたらなんで「相談させてくれ」って言えないの? ずっと「自分は被害者だ」って態度だし」
と返すと
「電話する余裕無いほど働いてますから。あなたと違って時給制なんでね」「働かなきゃ家支えられないんだよ!!!わかるか!!!」
と激しい口調の返信だった。
僕だって学生の頃は家計が苦しくて貯めたバイト代から数十万実家に入れてたって話昔したじゃん。とか、「電話する余裕ない」って、マインクラフトの進捗報告をブログにアップする暇はあるのに? 1ヶ月も時間あったのに? とか、全然エリートでも何でもないただのサラリーマンだけど、僕だって何の苦労も努力もなしに働いてるわけないじゃん。とか、ぐるぐる考えたけど、もう無理だ、という気持ちに急になった。
「大変だな」と思って無条件にお金を貸してあげたのに、なんでこんなこと言われなきゃいけないの。
これまでに貸したお金はもう返してくれなくていい、あなたが仕事を頑張っているのは知っているし、あなたが悪人だとも思っていない、最後こんな形になったのは残念だけど、今までありがとう。
と送った。その返事は来ていない。トークルームも削除してしまったので既読になったのかもわからない。
この過程でこっちは一度も相手を罵倒していないのは、自分にとって一種の慰めかと思った。「それはおかしい」「そんな言い方はひどい」と非難はしたが、罵倒は一度もしていない。死んで閻魔さまの前に立っても、「私はその時彼を罵らなかった」とは言える。そんな虚しい慰めはせめてあるのかもしれない。
知り合って6年で、旅行に行ったり映画を見たり食事をしたりすれば全部こっちが出していて(すぐに金が無いからと言って一切のアクティビティができなくなるし最初は都度貸してたけどキリがなくなって自然とこうなってしまった)、別にお金の話だけじゃなくて、お互い私生活のことでも仕事のことでも率直に話をしたりしてきたし、大晦日と正月に家でだらだら過ごしたこともあったし、ずいぶん共有した時間がある。この数年で一番よく会っていたのはこの人だった。そうした具体的な記憶や感情の蓄積があるのに、それがまるで全部なかったみたいに、最後の最後のここだけで「鬼」だの「冷たい」だの一方的に罵られないといけないのか、と思うとひどい虚脱感を覚えた。
そう言われて、無条件に許す、なかったことにして曖昧に付き合い続けることは、自分には耐えられないと思った。この年齢になってこういう形で友人と絶縁するのはとてもつらい。もともと社交的というわけでもないし、交遊関係が広いわけでもないから、ちゃんと今いる友達を大切にして生きていこうと思っていたのに、こうなってしまった。実感では親が急死した時の次くらいにしんどい。けど、もうどうしようもなかった。
反省
そもそも金を知人に貸すべきじゃない。貸すくらいなら最初からいっそあげた方がいい。それはもう分かってる。分かっていても、具体的な事情を話されて頼まれて、そして自分に貸す余裕がある状態で、それを断るのはとても難しい。
以前にも友人が借金することについてあれこれ考えたことを書いた。
友人に金を貸す話 - やしお
友人に金貸しちゃダメってこと 2 - やしお
借金する人、させる人 - やしお
何回書いてるんだ、って感じ。その都度苦しんでいて、苦しみから免れるあり方を検討していた。
- 貯金と借金返済は「こつこつお金を『使わない』」という点で同じなので「貯金ができない」は「返済ができない」とイコールに近い
- 「友人に借金を頼む人」はお金にバッファがない人、つまり「貯金がない人」
- 従って「友人に借金を頼む人は返済ができない人」となる
- 最初に貸した時点で返せない未来が自動的に導かれてしまう
そんな構造なんじゃないか、と4年前に考えていて、その認識は今も変わらない。ただこれは大きなお金を借りる場合(計画的な投融資)ではなく、数万程度の額をたびたび借りるような話に該当する。
それが分かっていても断るのが難しい。
相手がどういう性格で、どういう状況で、本当に困ってるなって分かっていて、それで頼まれて貸さずにいるというのが難しい。今回も「お母さんの年金から払うっていうからちゃんと返してくれるだろう」と思ってしまった。
そして貸してしまって、相手が返済できなくなる。「貯金できない人=返済できない人」であるように、お金や時間や欲望をきちんとコントロールできないから、こちらから見れば何の努力もしていないように見えてしまう。なんで僕から借りた金を返さないくせにそんなことにお金使ってんの、となってしまう。
電気代を踏み倒せば電気を止められるし、通信費を払わなければネットが使えなくなる。ローンの返済が滞れば法的に請求されてしまうし、カードの返済がダメだと与信に傷がつく。そうしたペナルティのある支払いは一生懸命やるのに、友人への返済は何の努力もせず簡単に「ごめん無理」と言う。軽んじているように見えてしまう。
そうなるともう、「お金を返してほしい」というより「気持ちを返してほしい」という状況になってしまう。(当然お金もちゃんと返してほしいけど……)
貸した側にとっては、金銭面での損得より、感情面での損得勘定が働いてしまう。しかし借りた側はそこを理解していないため、単に金銭の損得の話だと考える。ここに認識の齟齬が生じて実際、僕が「なんで相談の一つもしないんだ」と彼を責めて、彼が「金巻き上げられて、良かったですね。」と僕をなじるのは、この齟齬に由来する。
一番最初に、この感情の損得勘定を飲み込んで、「いきなり無条件で2ヶ月延期では受け入れられないから、どう返済するか相談しましょう」と穏やかに言えれば良かったのかもしれない。(でもそう伝えても「だから返せないって言ってるじゃないか!」って逆上する光景も自然に浮かんでくる……)
でもそれができなかった。「僕のことを軽んじるのはやめろ」「ちゃんと重要視しろ」という気持ちを抑えることが難しかった。「お前が俺を大切に扱わないなら、俺もお前を大切に扱わない」という報復になってしまう。それがいい結果を生むわけがないと分かっていても、この不平等を損得勘定が目ざとく見つけ出してしまうと無視できなくなる。
この損得勘定を抑えるには、もう徹底的に相手に期待しないようになるしかないのかもしれない。軽んじられて腹が立つというのも、「この人が自分を軽んぜずに扱ってくれて当然だ」という期待が前提されている。
でも、「私はあなたを大切に扱うから、あなたも私を大切に扱ってくれ」という関係を最初から期待しないならそれはもう、友人と呼べるのか? という気もしてくる。無料で無制限のカウンセラーにはなれない。
あるいは結婚のように家計を完全に同一化すれば「相手からの借金」という概念が消えるんだろうか。しかしどの道、お金の使い方で今度は諍いになるのは目に見えている。
赤の他人から見れば「友人に借金して返せない人と付き合うのはやめたら?」という話かもしれない。
でも6年間一番高い頻度で会っている友人だったというのもそれなりの理由がある。一緒にいてリラックスできるとか、話しやすいとか、笑いのツボが近いとか、嘘をついたりはしない人だとか、色々あったのだった。でもその心地よさって実は見下す相手がそばに欲しかったのだろうか。
仕事でいいことがあったりしたら話したりしていた。旅行や食事の費用を全部出していたのも、単に収入差を反映させただけで当たり前のことなんだと恩着せがましくしないようにしてきたつもりだったけど、負い目を感じさせていたかもしれない。そうした諸々も心の底では自分が優越感を覚えたかったからなのか、という側面もゼロじゃなかったのかもしれない。ただそこは自分でもよく分からない。ただ相手にはそう映っていた可能性は十分にあるだろうと思っている。
被害者意識と自信のなさ
彼は始終「自分はこんなに大変なのに何で追い詰めるようなことを言うんだ」という態度を取っていた。この被害者意識は、自信のなさとリンクしているのだと思う。
根本的なところで自分が自分の人生をコントロールできると信じられるかどうかが、この受動的な態度・被害者意識の有無に大きく影響してくる。自分の手で解決できると信じられなければ、課題もトラブルもあたかも自然災害か何かのような、どうしようもないことが降りかかってくるように見える。たとえそれが自分の手で引き寄せてしまった事態だったとしても、まるでなすすべのないもらい事故のように本人には思えてしまう。
欲望や感情に対するスタンスにも差が出てくる。コントロールできると根本的に信じられていれば、欲望や感情はあるメカニズムがあって自分に生じているから、そのメカニズムを把握して条件に手を加えれば流れをある程度変えられるかもしれない、と考える。(現実的にコントロール可能かどうかはともかく、コントロールできる可能性があるかもしれない、と考える。)
一方でコントロールできると信じられない人にとっては、自分の欲望や感情も、自然災害のようなもの、「自分がそう思うのは仕方がないこと」として諦めてしまう。
それもお金の使い方が上手くいかない一要因になり得る。自分の欲望を一旦疑ってみる、本当にそれが自分にとって必要なことなのか、優先順位を見直せないか、検討し直すという習慣によってお金の使い途をコントロールすることができる。しかしそもそも欲望や感情が勝手に発生して自分ではどうしようもできないものだと感じている人にはその習慣は持ちようがない。
それで他者からは「優先順位がおかしくないか」と見えるようなお金の使い方をしてしまうんじゃないか。
本当は自分の手でどうにかできることを、あたかも所与の条件であるかのように見なしてしまう。
そんな風に見ると、彼の一貫した被害者的・受動的な態度も理解できるような気がする。
彼は努力しているという。そしてそれは嘘ではない。実際に真面目に働いて頑張っている。以前そうした真面目な態度などが認められて、仕事で昇進の打診があったという。しかし気後れして断ってしまう。自分には無理だという。当時僕は彼に「無理ってことないと思うけど」と言った。実際、その職場での経験年数は相対的に上がっていたし、何度か表彰を受けたというようなことも聞いていたから、できないわけがないだろうと思った。それにそもそも無理だと思う人に打診はしないだろう。でも断ってしまう。
指示された仕事をこなす自信はあるけれど、自分から課題解決する自信が持てないというのも、根っこのところであの被害者意識とつながっているんじゃないかと思う。
経済的な厳しさと未来を考えられない状態
家計が厳しくて余裕がないと精神的な余裕もなくなる。僕自身も学生だった最後の頃に体験して実感として知っている。家計がギリギリだとほんの少しのイレギュラーに対応できない。常に漠然とした焦りや怖さで精神のリソースが食われているような感じになる。他者(特に家族)に厳しい態度を取ってギスギスしていく。
彼が今そうした状態なら、広い視点で見ればその選択はしないだろうと思うような暴言をするのもわかる。「せめて電話一本でも相談してくれ」と言ったら「こっちは電話する暇もなく働いてるんだ!」と返されて、(1ヶ月もあったのに?)(マインクラフトやる時間はあるのに?)と思うけれど、これは物理的な時間があるかないかという話ではなく、この状況に向き合って相手と交渉するような精神的な余裕がない、自分に解決できる自信がない、という意味だろう。その中で「きちんと対応しろ」と言われれば「追い詰めるんですか?」と反発したことも理解できる。
そういう状態だったのだと理解できるのならなおさら、返済期日を守らなかった時にいきなり「だめだ」と否定した自分の対応の仕方は間違っていたということになる。わかっていて、でも、それができなかった。相手が折れるはずだ、というある種の「期待」を相手に抱いてしまっていた。相手を屈服させてイーブンにしたい、というような意識があった。
経済的に厳しい状態だと未来のことを考える余裕がなくなる。貯金などのバッファがないから「損して得取れ」という戦略が全く成り立たない。損した時点で即死してしまうからだ。そしてそれはお金の話だけでなく思考や精神の面でも同様だろうと思う。
さっきの、自分の手で課題を解決できる(未来をコントロールできる)と信じられないことが、被害者意識やお金のなさに繋がっていってしまう、という話がある一方で、お金がないことで未来を考えられなくなる、というのがここでの話になっている。未来を考えられないからお金をすぐに使ってしまうし、お金がなくなるとさらに未来に対して余裕がなくなる、といった負の相互作用があったりするのかもしれない。
そうした負のスパイラルに陥っている人から見れば、「冷たい」「鬼」ということになる。
誰かに慰めて欲しいわけでも、赤の他人にジャッジされたいわけでもない。ただ自分の中で一旦整理したいだけで、そういう他人の考えを見られるのがインターネットのいいところだという古い信仰に従って公開している。2004年からはてなダイアリーやってるからそういう古い信仰がある。たぶん世の中全体で見ればありふれた話で、似た体験をした人なら「ああそうそう、そんな感じ」って思えるけれど、無縁でいられた人には感覚的に分からない話だから、誰かが具体例を記録に残しておいた方がいいだろう、みたいな感じ。
たぶん数年経っても「あんな風にならなければなあ」とか「どうしてるのかなあ」とか思うに決まっているけど、正直どうしようもない。ああ言われて、それを全く無かったことにするのは今の自分には難しい。「今まで楽しかったことは消えないし、それはプラスになってるから良かったね」と思って過去に押し込めることしかできない。
今の時点で教訓とか改善案とか、そういうことはちょっと考えられない。