やしお

ふつうの会社員の日記です。

打合せが増えていく構造

 アメリカの会社と毎週やってる電話ミーティングがある。たまたまアメリカの会社に出張したので、アメリカ側から出席して打合せの光景を眺めてて、ああ、こんな違うんだなと思った。
 打合せをしてるとしょっちゅう日本側の音沙汰がなくなる。日本側が発言する→アメリカ側が返事する→日本側がしばらく黙る(長いと5分とか)→日本側が発言する→……そんな繰り返しだ。もちろん日本側では沈黙しているわけではなく担当者たちが中で協議している。アメリカ側の人たちはかなりイライラしている。天井を見上げたり頭をかかえたりしている。もちろんしゃべるときはそれを見せないように努力している。
 そのとき俺はおかきを食べてた。この電話会議の日本側の出席者の一人が、しばらく前にこのアメリカの会社へ出張にきてジャパニーズのおかきをお土産においていった。しかしアメリカ人にはなじみのない食べ物だったからかあまり減らずに放置されていたため俺が食べている。奇妙な話だ。Aさんが日本からアメリカへおかきを持ってくる。Aさんが帰る。俺が日本からくる。俺がアメリカでおかきを食べる。おいしい! まったく奇妙な話だ……


 アメリカ側の人たちはぽんぽんと返事をするのに、どうして日本側の人たちはしばらく協議しないといけないのか。沈黙が続く、協議しているというのはつまり「この話は持ち帰って検討いたします」というやつを打合せの場でやっているということだ。
 最初に気付くのは出席しているメンバーの決定権レベルの差だ。アメリカ側はマネージャーレベルが出席している一方で、日本側は各課の担当者が出席している。アメリカ側の出席者は「この話に関しては俺が判断して決めればそう動く」という決裁権がある一方で、日本側担当者は課長ではないのではっきりした決定権がない。
 日本の担当者は課長に事後報告してOKをもらわないといけない(報告しないまでも後で状況を聞かれたら答えられないといけない)。このときにひっくり返されたり、追加で確認を命じられたりしないようにしないといけない。そのために例えば、「各課の担当者で合意をとっておく」という技術をつかう。あとで課長に報告するとき「この件は既に○課、×課の担当者にも話を通しております」と言うのだ。そうすれば「そうかそうか、滞りなくすすんでおるようじゃな。よきにはからえ」となる可能性が高まる。
 それだから新しい情報がきたときに、それに対するアクションについて、課をこえて横でつながった各担当者に相談する。相談された側も後から責められないように「これで十分だろうか」「ほかにツッコミポイントは残ってないだろうか」と洗っていく。そうやって「担当者みんなの合意」を作り上げてようやく、はい、これが私たちの意見です、と相手に伝えることができる。
 この時間が相手側会社から見ると「沈黙」になっている。


 今回たまたまアメリカのとある会社と比較して、ああそうかと思っただけで、別に日本だけでやってるときも同じだ。
 人数が多い、回数が多い、みんな非効率だと思ってるけどやめられない打合せ、それは愚かだからではなく根本的には上司-部下の関係性からきている。
 上司はマネージャーではなく調整者なのだ。仕事のマネジメントをするわけではない。部下に仕事を適切に振り、進捗を管理し、優先順位をつけ、行動を決定していくようなマネジメントをするわけではない。基本は部下・担当者たちが横でつながっていって勝手に考えて勝手に進めていく。ただ担当者間で利害の衝突が発生したとき、何か問題が起こったときに、それを調整するのが上司の役目になっている。
 もちろん上司の思想によってマネージャーになるか調整者になるか、そのバランスは変わってくるが、おおむね後者に寄っている。(ちなみに他には「自分自身が担当者になる」というプレイヤータイプもいる。)会社の中でマネージャーをしている上司を見かける機会は少ない。今まで5人の上司の下で働いてきたけれど、そのうち4人が調整者、1人がマネージャータイプだった。そしてそのマネージャータイプの1人は途中で排除されてしまった。どうもシステムに馴染まないらしい。


 例えば今回の自分の出張も、上司からは一度も「この業務のためにここへ出張してください」とはっきりした指示を受けていない。海外に出張するのにそんなことってあるんだろうかとも思うが、実際そうなのだ。状況的に必要が出てきている、いちおう担当者(自分)から上司には「こういう目的で行きます」と報告を入れている(特に返事はなかった)、出張申請のシステムで上司の許可が下りている。それでいいことになっている。上司は「指示」しない、「了承」するだけだ。
 他にも出張中に別の課の担当者から、自分の職務の範囲外のこと(たまたま出張先に自分がいるので自分がやった方が早いこと)を頼まれた。俺は「それは上司を通してくれ」と答えた。そして話を受けた上司は俺に「やるかどうかは自分で判断してね。事後報告でいいから」と言うんだ。そうそう、これが日本のガバナンスなんだよな、と思った。もちろんそんな返事が返ってくることは分かっているので、言われる前にもう進めている。
 そういう話を出張先の人にするとやはり不思議がられる。狭い範囲でしか見ていないが、出張先のアメリカの会社ではやはりボスはマネージャーであり部下に仕事を命じるし担当者が勝手に考えて動くなんてない、というあり方が基本のようだ。


 担当者が勝手に動いて進めていく。しかし担当者は最終的な決裁権を持たせてもらっていない。上司は事前に「指示」しないが事後に「了承」または「否決」する。担当者は上司が「了承」するように持っていかなくてはいけない。先回りしてツッコミポイントを想定してそれを埋めていく。そうして仕事が安全側へ、安全側へと自己増殖をはじめる。仕事が自己増殖していけば労働時間も長くなるし労働生産性も悪化していく。
 さらに担当者は横へ横へとつながっていく。このつながっていく先の担当者もまた決裁権を持っていない。だからみんなで隙のないように組み立てていく。みんなできちんと合意を取って必要なことを洗い出すために打合せをやろう、この案件に関係がある「かもしれない」人にも念のため打合せに出てもらおう。そうして人数が多い、回数が多い、みんな非効率だと思ってるけどやめられない打合せが誕生する。


 上司がマネージャーと調整者、どちらのシステムが優れているという話ではない。良し悪しがある。後者は職務の範囲や意思決定がはっきりしない、仕事が増殖する、重要性より個人の好き嫌いで案件の進み方が変わるといった欠点があるとしても、担当者が動きやすい=行動自体は早かったりするとか、安全側に振っていくので(必要以上に)クオリティの高いものが出来上がってくるとか、長所もある。いい悪いというよりシステムが違う・特徴が違うだけだ。
 今自分がいる会社文化がたまたまそうなのだとは必ずしも思わない。ある程度人数が多い組織だとどうしても日本ではそうなってしまうのだと思っている。それは日本自体が「受信者側負担システム」で成り立っているからだ。発信者が物事を伝えようと力を尽くすのではなく、受信者が発信者の「真意」をくむ。相手の希望を勝手に先回りして読んでいく。空気を読む。そんなシステムで成り立っている。
 だから責められないように安全側に振っておこうというのは何も打合せに限った話ではない。美術館や博物館での写真撮影禁止、電車内での通話禁止・マナーモード強制、ペースメーカーに悪影響がないとわかった後も継続される優先席でのケータイの電源オフ強制、などなど、安全側にふっておこうという姿勢は至る所で見られる。


 「調整者タイプの上司がいるから、組織がそうなった」とは思わない「組織がそうだから、適応した上司が調整者タイプになる」と考えている。とは言え「だからしょうがないよねー」というわけではなくて、上司が調整者タイプ側にあまりに流されると欠点の方が肥大していってしまうので、それなりにはマネジメントをして歯止めをかけた方がいいと思ってるし、部下側もこうした構造をよく客観的に見て、なんでもかんでも横のつながりで境界をあいまいにして進めると仕事が増殖する。
 打合せが多い、長いと言われる日本の会社の特徴は、やっぱり他の諸特徴(上司-部下の関係や、担当者が横でつながる構造、仕事が増殖する現象)と通底しているんじゃないかなと思った。