やしお

ふつうの会社員の日記です。

マネジメントはバランス感覚の問題かもしれない

 職場のグループリーダー(GL)になるから準備する、という話を前に書いた↓ 年明けにGLを交代して1ヶ月が経って、思うところをメモする。
会社でグループリーダーになるから準備する - やしお



バランス感覚の問題

 GLって「メンバーの進捗管理をする」「マネジメントをする」というのが仕事だと思っていた。それは間違いではないけど、実際にやってみるとそこよりもバランス感覚の問題なんだなと思った。
 進捗管理だけならメソッドを習ってやればできるかもしれない。でもそうじゃなくて、情報・時間・人手・お金といった様々な制約がある中で、どこで折り合いを付けて現実のアクションに落とし込むのかというバランス感覚が優れているのが、いいGLってことなんじゃないかという気がしてきた。そこを自分の中で訓練して精度を上げていく必要があるなと思っている。


 GLになってから、入ってくる情報の量が格段に増えた。想像はしていたけど実際に体験してみると(あ、こんな感じなんだ)って新鮮さがあった。

  • 担当者として自分が対応する話
  • GLとして自分が対応する話
  • グループのメンバーに振る話
  • さしあたり状況の推移だけ把握しておく話
  • 課長や他の部署に上げる話
  • 振られているが跳ね返すべき話
  • ただのご参考


 そんな情報がメールや打合せや口頭でわーっと入ってくる。今までは「担当者としての自分の仕事」だけが主だった。把握と仕分けに少なくない時間を毎日費やしている。
 「情報の共有」という名目で打ち合わせに出てみたら、そこに課題が埋め込まれていて、その洗い出しや整理をしたら新しい課題が出てきたみたいな、仕事が仕事を生んでくみたいなところがある。内容によっては即応性が求められる(緊急度が高い)話もあって、情報収集と整理をしていたら一日がもう経っていたりする。


 情報の仕分けは結局、アクションを決定することと一体になっている。「攻撃・防御・アイテム・逃げる」みたいな感じで「自分でやる・メンバーに振る・押し返す・静観する」みたいな判断がある。

  • 全体として効率的か
  • 内容に妥当性があるか
  • コストが現実的か

と頭を使って考えても、解答は一意に決まらない。
 例えば製品に品質問題が見つかって、在庫品をどこまで確認するかという話(よくある)ひとつ取っても、ユーザーへの害の程度、発生頻度、1台あたり確認・修正するのにかかる時間、といった状況が毎回違うし、情報は不確定だったり推定だったりする。その上で「全数やる」とか「何もしない」とか選択していく。かなり(うーん……)と悩ましい場合もあるけど、これと決めて「こう考えるのでこうします」と関係者に伝えないといけない。


 判断に抜けや漏れがあると後で問題になるけど、その検証に時間を取られ過ぎると時機を逸する。「念のため」の確認作業を増やせば安心だけど、コストがかかる。どこまでで切り上げるか、というバランス感覚を上手に保ちながら、それを自分自身で偏っていないかチェックしながら、毎日判断を下していくゲームなんだなと思った。
 そういう判断をすることは一担当者の時ももちろんあったけれど、幅と量が一気に増えた。判断のケースや体験の量が増えて、自己チェックを重ねていくことで、だんだんこのバランス感覚の妥当性や正確性が改善されていったり、切り上げるポイントに到達するまでのスピードも速くなっていくのかなと思う。


 あと「判断を下すこと」にはある程度の慣れ(というか鈍感さ)が必要だった。やっぱり最初のうちは迷いや不安もあってストレスになる。「それで大丈夫だった」という経験を積んで、「ま、これでいっか」と思って一旦忘れられるようにならないと続けられない。これにもある程度、判断の体験の絶対量が必要だ。


メンバーとの関係性

 グループが50代3人、40代2人、30代2人の計6人で、自分は年齢順だと下から2番目という構成になっている。「上司が部下に指示する」というより「一緒に考えて『じゃあそれで行きましょう』と決める」みたいな感じになっている。さっき「判断する」と書いたけど、全部自分の手でやりきるわけじゃなくて、「この人に振れる」という大きさにまでパッケージングできたところで担当者に渡す。それで渡す時に「こうした方がいいでしょうか」「どう思いますか」と相談して決めている。
 自分が担当者だった時に、細かいアクションまで指示されて、ただ作業するだけだと意欲が減退するという経験があったから、こんな感じでいいんじゃないかと思っている。年上だから気を遣って相手の主体性を尊重するやり方になっていることが結果的に良いのだと思う。


 GLがしっかりしていて指示の粒度が小さいとメンバーの主体性は奪われて意欲が減退する。逆に粒度が大き過ぎると「担当者に仕事を丸投げ」になってGLの意味がなくなる。今まで担当者としてどちらのタイプのGLの下で働いたこともある。これもまた、バランス感覚の問題になっている。
 言われた作業だけこなしていたい人もいれば、自分でコントロールして進めたい人もいるし、本人の意思だけでなく実力の程度も関係する。相手との関係性やレベルを見て常時調整し続ける必要がある。唯一の年下のメンバーは「次にGLになれそうな人」だと思っているので、少し粒度を大きめにして渡すようにしている。


 メンバー(特に前リーダー)からはどう見えてるんだろう。「頑張ってるな」と思われてるのか、「空回りしてんな」と思われてるのか、「ムカつく」と思われてるのか、それは分からないけど、そこはあまり考えないようにして、こうするのがいいと考えたことをやっていくしかない。


立場が重層化した

 今までは「担当者」だけだったのが、「グループの運営責任者」と「課全体の業務のメンバー」と立場が重なっている。「GLをやれ」と言われた時は「グループのメンバーに対するリーダー」になるのはイメージできたけれど、それだけじゃなくて、「課長をリーダーとする課業務に対するメンバー」にもなるんだってことは、あんまり考えていなかった。予算の計画から5Sみたいな話まで、課として取り組む業務や課題を、課長から指示を受けてこなすメンバーという立場にもなっている。
 課内の課題やグループの運営は、今までは「こうした方がいいんじゃないですか」と提案する立場だったのが、自分の手で課題を解決していく立場(それが疎かになっていれば批判される立場)なんだなと思うと、プレッシャーもある反面で、楽しさもある。


 課員のヘイトを高めずに協力体制を築くには結局、課題や進捗をみんなに見えるように透明化していくしかないんじゃないかなと思って、週一のグループミーティングで洗いざらい知ってることをバラしている。新製品立ち上がりの状況とか、隣のグループの状況とか、課の課題への取組みの進捗とか、「関係ないことは伝えても意味がない」という考えもあるかもしれないけど、伝えている。情報から疎外されると帰属意識が薄れて反発意識が出てくる。


サイクルが出来て落ち着いてきた

 「判断を下すこと」の前提として「現状が把握できていること」が必要なので、メンバーからの情報収集が必要になるし、逆に決めた判断をメンバーに伝えることも必要になる。一方で課長に対するメンバーとして同様に双方向の伝達が必要になる。結局なにはともあれ、コミュニケーションが大前提になっている。
 1ヶ月やってみて、1週間のサイクル・1ヶ月のサイクルが大体形になって少し楽になってきた。

  • 【月曜の朝1h弱】グループミーティング:グループ内外の状況をメンバーに共有(出張でいない人にはメールで)
  • 【週の後半】メンバー個別に10~20分くらいヒアリングして、進捗確認や案件のアクションの決定。抜けや漏れがないように案件を簡単にリスト化してメンバーとGLの2人でチェック
  • 【その都度】新規で何かあればその都度メンバーと相談
  • 【金曜】グループ内の状況をまとめて週報を課長に出す→そのまま翌週の月曜朝のグループミーティングに使う


という1週間のサイクルが習慣化してきた。(今までグループミーティングも個別の進捗ヒアも無かった。)


 最初の頃は「ああしよう、こうしよう」とプライベートの時も考えたりしていて、寝つきが悪くなったりしていた。それはプレッシャーというより「遠足の前でテンションが上がってるから眠れない」に近い感じだった。良くないなと思って心配したけど、最近は慣れてきたせいか落ち着いてきた。


気持ちの話

 以前に比べて態度が(たぶん)丸くなった気がする。
 前は仕事していて「そうじゃないだろう!」と立場が上の人に苛立ったり態度に出たりしていたけれど、そうしたことがかなり減ってきた。苛立っていたのは甘えだったんだろうと最近考えている。責任の範疇が増すと人のせいに出来る範疇も減る。「お前がちゃんとやらないからだ!」といった苛立ちの余地も減る。
 学生の時はもっと人格がハチャメチャだったことを思うと、学生から会社員になって、それからGLになって、少しずつ自尊心の欠如と甘えが無くなってきていて、それで規律と精神的な余裕ができているのかもしれない。隣の課の先輩でGLをしている人がいて尊敬してるんだけど、その人はそういう目の前の相手を責めるみたいなところがなくて凄いなと思っていて、でも昔は怖かった気がするけどなんでだろう、と不思議に思っていたのはこれかもしれない。でも係長や課長でも「お前が悪いんだ!」と打合せで他部署を批判しまくる人もいるから、人による。


 あと自尊心という話で言うと、やっぱ33歳でGLになれたっていうのは、別に世間一般からすれば全然大したことないと分かっていても、この古い大企業だとそこそこ早いし、例えば同期とかに対する虚栄心が満たされる、みたいなところも正直ある……。そんなことで態度が尊大になるのは間違っているしダサいから絶対にダメだけど、やっぱ嬉しいって気持ちがあるのは事実だ。両親が生きてたら自慢はしてたと思う。そうやって表に出さない範囲で嬉しくなるくらいは(神様に?)大目に見てもらおう。


 結局、金と名誉と地位の余裕が、精神の余裕と自制を生んで人に優しくなれるのか、と思うとちょっと身も蓋もない話だけど、実際はそんなものかもしれない。


 「こいつをGLにしてもいいか」と思ってもらえたのは、「ちゃんとしよう」と思ってやってきたからだとしても、それは結局「怒られたくない」「馬鹿だと思われたくない」という気持ちがずっと動機になってたんだなと振り返ってみて気付く。怒られず馬鹿だと思われない方法を考えて実践してきたのが第一にあって、結果的にそれが「組織の中でちゃんと働く方法」に帰結していった、みたいなことを思う。最初から別に「仕事ができる人間になるぞ!」と思ってやってた訳じゃない、ってことを忘れないでおこうと思った。
 今の立場だとそれが、「グループのメンバーが自分の仕事に集中できる環境をきちんと整えること」や「グループとして抜けや漏れがなく効率的に業務が進められていること」の実現を目指すこと、とかに繋がっている。そしてその実現にはバランス感覚が必要で、そこは引き続き自分をトレーニングしていかないといけない。囲碁なんかも、地を欲張り過ぎると奪われて負けるし、欲張らなさ過ぎるとそれも負けるし、ちょうどぴったりの手を打たないといけないけど、そういうバランス感覚は勝ったり負けたりする中で要因を考えて反省していって、だんだん醸成されてくるものなんだろうなと思っている。