やしお

ふつうの会社員の日記です。

おもてなしで仕事が遅い

 日本の労働生産性が低いとか、長い時間働いてるくせに一人当たりGDPが先進国中20位でイタリアと同じくらいとかいう話を聞くたびに、おもてなしのせいなんじゃないかと大雑把に思ってる。相手の気持ちを先回りして勝手に読んで、何も要求されてないうちから勝手に行動してしまう習性。そしてそんな習性を相手が持ってることを当然だと思う空気感。そういうおもてなし気質のせいなんじゃないかと思ってる。


 社内で発表するだけの資料を見た目もきれいにきっちり作りこんでくる。しかも出来上がった後で上司のチェックを受けるという。そのくせ上司のダメ出しが多いと愚痴を言う姿を見てしまうと(ああ……)という気持ちになる。着手する前に「こういう流れでやるから」と上司に口頭や、紙の落書きやテキストファイルで見せて、ダメ出しを先取りしておけば手戻りもなくて済むのにそうする習慣がない。上司の側もそうするように仕向ければいい。「物を売って金を稼ぐ」という目的と無関係なところで無駄に時間をかける。社内の聴衆(特に上司の上の上司)への過剰な配慮を勝手に先回りしてやる。社内に向けてのおもてなしだ。
 何事にかけても念入りにツッコミへの準備を積み上げてしまう。10も20も用意しておいてたった1つだけ、はい、そう仰るかと思ってこちらにご用意しておきました、とうやうやしく引き渡して、残りは全部無駄にする。何なら用意していた全部が使われずに無駄になる。そういうおもてなしだ。それができる人間が優秀で、それをしない人間は無能だという空気。


 そういう世界に生きている。そういうコミュニケーション構造で成立した社会に生きている。発信者が受信者に説明を尽くすのではなく、受信者が発信者の意図を汲んであげることでコミュニケーションを成立させるタイプの国だ。「空気を読めない」という非難、「真意が伝わらなかった」という言い訳が典型だ。受信者が努力して理解するのが当然だという価値観そのものだ。通勤電車で相手の腕だの脚だのをぐいぐい無言で押しながら、相手が察してくれないと苛立ちを募らせるおっさん。たった一言「もう少し詰めてほしい」と言いさえしない。「トイレットペーパーがないんだけど」と言う、「買ってきてほしい」と言いもせずに、それで怒り出す。メルカリの無断入札禁止といった珍妙なユーザー独自文化を築いて無視されると怒り出すというのも同じようなものだ。


 同僚が残っているからという理由で残業をする。誰も何も直接要求しないまま他者の「気持ち」に配慮する。そうしてパソコンのフォルダを開いたり閉じたりして時間を浪費する。
 指示の発信者である上司が発信せずに、受信者である部下が意図を汲んで仕事を始める。そんな部署ばかりで成立しているから横同士でつながっていく。「担当者の世界」ができあがる。ところが何かを決める段になると形式上は決裁権が担当者にはないから決められない。一旦上司に仰ぐことになる。一方で上司も「担当者の世界」を無視できないから一旦担当者に案件を下ろさざるを得ない。ちゃんと担当者間で根回しをしろという。そうして時間を浪費する。


 この社会では先回りして察する能力、受信者としての能力をお互いに要求し合う。発信者としての能力はおいてけぼりのままだ。それどころか発信者の能力が高いと、言わなくても通じることをわざわざ言うからといって「野暮だ」「うっとうしい」「空気が読めない」などと非難する始末だ。
 洗練も過ぎると息苦しくなる。他人に配慮することに疲れ、他人が配慮してくれないと苛立っては疲れる。もうフィギュアスケートで4回転飛ばないと土俵に立てない、そんな状況に似た技術の洗練に到達している。子供の頃から学校でも家庭でもひたすら配慮する技術を仕込まれ続けて、自分でもわけがわからないうちに4回転を飛び続けて疲れきっている。こうした構造を自覚しさえすればそれだけでも、手を緩めるという方法が視界に入ってくる。他人に配慮を求めて当然だ、という思い込みを捨てるだけでもずいぶん気が楽になるだろう。


 受信者負担で成立した小世界は案外あっけなく崩れることがある。発信者負担を強固に前提した人間を放り込めばいい。その人は勝手に意図を汲んではくれない。言外のほのめかしなど無視してくる。しっかり「こうしてほしい」と伝えないとそうしてくれない。受信者負担の世界で生きてきた人間たちも、自ら発信せずにはいられなくなる。
 発信者負担システムと受信者負担システムがぶつかると、基本的には後者が不利だ。受信者負担システムの側は「あいつらばかり要求してくる」だの「こっちの意図を汲んでくれない」だの文句を垂れながら疲弊していく。当たり前だ。一方的に「おもてなし」し続ければつらいに決まっている。生き残るためには発信者負担システムへ姿を変えざるを得ない。これは個人対個人だけでなく会社対会社でも同じだ。鎖国なんてできないし、目ざとくわずかな隙間にも入り込み続ける資本主義を防げない以上、発信者負担システムの国の人たちに押されて日本も変えられていく途上なんだと思ってる。恐らく言語構造も同時に変わっていく。
 ちなみに日本の中でも大阪の人間は発信者負担的なコミュニケーション形式に近いんじゃないかと疑っている。それで職場で野蛮な人間だと嫌われる。どんどん入れて洗練を破壊した方がいい。