やしお

ふつうの会社員の日記です。

差別のライブ会場

 「海老名市議がたたかれてるけどお前らホモのことキモくないの?」というはてな匿名ダイアリーの記事のブックマークで、お星を集めて「人気コメント」入りしていたコメント。

嫌な経験したので、個人的には吐くほど嫌いだし、絶対に親しくなる事はないけれど、彼らが彼らを愛する人と幸せに生きる権利を奪っていいとは絶対に思わない。一方で、彼らを敬遠する俺の権利も主張するだけのこと。

http://b.hatena.ne.jp/entry/272334364/comment/FrenetSerret

ホモに言い寄られたりするとさすがに生理的嫌悪感を感じるだろうけど、ホモ同士のコミュニティでパートナー探ししてくれる分には別にかまわない/LGBTを異常呼ばわりするのはさすがに公人としてどうかと思う

http://b.hatena.ne.jp/entry/272334364/comment/masumizaru


 試しに「黒人」で言い換えるとこんな感じだろうか。
「昔黒人に嫌な思いをさせられたことがあるから、個人的には吐くほど嫌いだし、絶対に親しくなる事はないが、黒人は黒人で自分の好きな人と幸せに生きる権利はあると思う。一方で、黒人を敬遠する俺の権利も主張するだけのこと。」
「黒人に言い寄られたらさすがに生理的嫌悪感を感じるけど、黒人同士のコミュニティでパートナー探ししてくれる分には別にかまわない/黒人を異常呼ばわりするのはさすがに公人としてどうかと思う」
 別に「黒人」でも「ブス」でも「聾者」でも「ノッポ」でもいい。言い換えることでより差別的な構造がはっきりするというのは、それだけまだLGBTが世間の中で「異常」なものと、多かれ少なかれ見なされているということだ。


 「彼らを敬遠する俺の権利」って何だろうか。アパルトヘイトみたいなことだろうか。吐くほど嫌いなので私の生活圏内に入ってこないで下さいとでも言うのだろうか。あるいは、「私はこいつらのことを吐くほど嫌いだ」と自由に公言する権利だろうか。
 「異常呼ばわりするのはさすがに公人としてどうかと思う」とは私人ならいいのだろうか。「生理的嫌悪感を感じる」のは当然だし、私人としてそれを公言するのは許されるが、公人としては時節柄ちょっとお口を慎んでおけば世間受けもいいだろう、という認識なのだろうか。
 「嫌な経験した」のは「彼ら」全体が悪いためではなく、「彼」個人か、「彼」にそうさせた環境や構造ではないのか。あるいはそもそもその「嫌な経験」は、それを「嫌」と感じる感情そのものが間違っているとは言えないのだろうか。(具体的にその「嫌な経験」が説明されていないのでわからないが。)


 「自分が現にこう感じていることは正しいし尊重されるべきだ」と頭から信じている。自分の感情が、社会制度や通念、刷り込みによって規定されているかもしれないという疑いをまるで欠いている。
 「私が差別感情を持つ」ということは全く「自然」だと保存したまま、しかし世間体とのバランスをとって、それなりに「こいつらにも権利を認めてやろう」という。それで自分は差別主義者を免れていると思っているらしいし、そんなコメントを肯定して星をつける人たちがいる。破廉恥漢とその恥ずべき追従者の連中。


 例えば黒人差別やその経過も、体験したことはなくともきっとこんな光景だったのだろうと想像できる。黒人を生理的に嫌悪するのは当然でしょ? でもそんな黒人にも権利を認めてる自分は随分進歩的だよ。ほんと、平気で差別を主張する人たちは嫌だよね。そう言って自分は差別主義者から隔絶した位置にでも立っていると信じていたのだろう。
 隠微な差別主義者たちの言辞を、今こうしてライブで見せてもらえて全くありがたいよ。