やしお

ふつうの会社員の日記です。

村山満明・大倉得史『尼崎事件 支配・服従の心理分析』

http://bookmeter.com/cmt/56540735

とても恐ろしい本で、ここに展開された内容を丁寧に理解して、身の周りの出来事の構造と正確にリンクして把握して、正常から異常までのグラデーションをクリアーに描けるようになれば、もう隠微な形で他人をコントロールする技術が得られてしまう。例えば自分が言ってやらせるんじゃなくて、相手に言わせてやらせることで、自分が決めたって感じさせて責任を持たせてやり遂げさせるって話も、普通に職場で使えば本人の意欲を引き出してハッピーだけど、相手の決定権をとことん奪いながらやれば他人をコントロールすることになっちゃうし紙一重だよ。


 尼崎事件で、弁護人から依頼を受けた心理学者チームが分析した結果をまとめて公表している、という本で、一般向けというより司法関係者や心理学関係者に向けた本なので、レポートっぽいし繰り返しも多くて冗長だし、本文組もみっちりしてるし版型も大きいので読みづらいんだけど、それでもかなり貴重な本だと思うよ。
 ふつうの人だった岡島泰夫(仮名)(今回の弁護の対象者)が、どういった経緯で角田美代子に取り込まれていって、最終的に殺人や死体遺棄の実行犯になっていったかってプロセスを一つずつ見ていって、ミルグラムの実験、スタンフォード監獄実験といった心理学の著名な実験や、強制収容所や刑務所のあり方、DVの事例といった実例から得られている知見も丁寧に紹介していって、さらにその知見から改めて尼崎事件というか岡島の内的な状態を構築する、という構成になってる。
 この本が面白いのは、「この人が特殊だから巻き込まれたんだよ」じゃなくて、「ふつうの人でも状況が整えば問答無用で巻き込まれて逃げられないよ」って話になってるところ。外から見てると「逃げればいいじゃん」って見えていても、こうやって内在的な論理を見てみると(あ、これは逃げられないな)と思う。
 他人が家族を崩壊させたり、家族同士でセックスさせられたり、殺し合いさせられたり、っていうのが極端な事例だとしても、ここでつぶさに観察されてるメカニズムそれ自体は、日常から連続してる。たとえば一般家庭でも、たとえ暴力はふるっていなかったとしても「どうしてわからないの!」、「自分で考えなさい!」って子供に怒って、子供が自分で一生懸命考えたのを伝えたら「そうじゃない!」、「考え直せ!」、「どうしてわからないんだ!」ってまた突き返す、ってのを繰り返したりすれば、だんだん心理的に支配していくことになってしまう。例えばそういうことを無意識のうちにやって、従順になっていくのを「いい子になってきてる」って勘違いしちゃってることだってあるかもしれない。あるいは生理的欲求(食事・排泄・睡眠)のコントロール権を奪うことで相手の主体性をかなりの部分奪える、って話だって、当事者はそのことに無自覚なまま、介護だったりある種の職場だったりでやってたりするかもしれない。
 ここでは「角田家」っていう独自の世界に一般人だった岡島がずるずる組み込まれていく過程が描かれているけど、この社会一般のルールとはずれた集団内のルールに染めていくって話にしたって、ふつうの会社でも学校でもどんな組織でも多かれ少なかれ起こることだし、むしろ自分が属している組織に適応できてないってのは逆に病気になっちゃう。社会一般のルール(倫理観)と極端にズレていたり、相反するようなルールが適用されるっていう点が違うけど、そういう意味でも実は結構「ふつうの世界」とも地続きになってる。


尼崎事件 支配・服従の心理分析

尼崎事件 支配・服従の心理分析