やしお

ふつうの会社員の日記です。

残業してほしくない

 残業したくないし、残業してほしくない。そのメモ。

動機

  • 24時間からもろもろ差っ引いた残り3時間ほどの余暇を削りたくない。関心事は仕事のみではない。経験上2時間以上の残業が続くと思考の向かう先が業務以外に十分に切り替わらない。
  • 7時間の睡眠を削りたくない。短期的には判断力の低下を、長期的には短命を招く。
  • 残業代は実体的には割増賃金になっていない。賞与を除外して考えると割増になっているが、含めて考えると残業をすればするほどレート(時給)が下がる。私自身の場合計算したら3分の2だった。仮にバイトで「ごめん仕事あるから残業してくれる? 時給は3割引きにするからさ」と言われたら「ふざけるな!」だけど、それが起きている。また全体で労務費が上がれば賞与で調整されることになるから、残業すればするほどタダ働きに寄せられていく。
  • 本人が心底有意義な仕事だと思えていない状態での残業は、囚人に穴を掘らせてまた埋めさせる拷問と変わらない。書類の度重なる手直しや社内を納得させるためだけのパワーポイント資料の作り込み、不必要な定例会議といった無駄に圧迫された上での残業は拷問と変わらない。
  • 日本の一人あたりGDPが先進国中26位でイタリアと同程度。イタリア人よりはるかにあくせく働いてるくせに同程度の(対外的に加算可能な)価値しか創造していない無能だと言われるのは悲しい。
  • 労働基準法は本来「1日8時間以上働かせてはいけない」という趣旨になっている。時間外労働は(労働者との合意と監督署への届け出を条件に)特別に許されているという位置付けでしかない。
  • 130年前に「8時間の労働、8時間の睡眠、8時間の休息(余暇)」というスローガンで8時間労働制が成り立っている。人間が働けるのは8時間という知見がはるかに前から存在する。
  • 会社側視点で見ても労働生産性を上げて労務費を下げることは有利。教育コストを考えると少人数を長時間使い倒す方が有利のようでも、個人の耐用年数が減ったり離脱時の穴埋めが却って不利になる。
  • 近頃は世間の価値観もなるべく無駄な残業をしないことをよしとしている。(というか国力が衰退して共働きでないと生きていけなくなったせいもあるのかも。)長く残業して頑張るのはえらくない、時間内に納めるように頑張るのがえらい、という価値観にシフトしつつある。
  • 若いうちの苦労は買ってでもしろという。しかしそれは業務の長時間化を正当化しない。だいたい1日8時間も費やさせておいて必要な知識技能を身に着けさせるのが追いつかないのだとしたら教育メソッドが悪いだけだ。


 ここまで手厚く並べ立てる準備が必要だということは、まだこの価値観がこの職場で当たり前ではないということを意味している。


方法

 動機だけでは片手落ちなので方法(方針)も立てておかないといけない。

8時間という制約を固定する

 まず8時間というのはゲームのルールだと思うところから始めないといけない。サッカーをしていて「じゃあちょっと手を使っちゃおうかな」とはならないのと全く同じように、仕事をしていて「じゃあちょっと残業して済ませようかな」とは思わないところから始める。残業をしても仕方がないと思っていると、残業ゼロを達成するために工夫するという契機が絶対にやってこない。
 実際、リーマンショックだの震災だので時短勤務を強いられたときに、それでも回ったのだ。8時間で回らないということがないという確信が前提にないと始まらない。

整理する

 2Sという製造業でよく言われる用語がある。整理整頓のことで、そのうち整理の定義は、「物の要/不要を判別して、不要物を捨てること」となっている。これは仕事にも全く当てはめられる。「(永続的に)金儲けをする」という会社の目的と照合して、いらない仕事(主に社内に対してしか価値を持たない作業)を捨てていく。まるっきり捨てるのが難しければ一部を省略して軽くする。
 社内の説明にパワーポイントを使うのをやめてテキストファイルで済ませるとか、毎週の会議を隔週にするとか、他の課との役割分担をきちんとして本当は自分がやらなくていい仕事をむやみに背負い込まないとか。

チームを組む

 業務には繁閑がある、という現実的な条件が必ず存在する。どうしても暇なときと忙しいときの差が出てしまう。しかし平均化することはできる。誰かが忙しいけど誰かが暇なら、その忙しい人の分の仕事を暇な人がやってムラをならせばいい。
 この単純な話を実現するためには、まずお互いの仕事の状況を知っている相手、自分の仕事を渡せる相手が必要になる。だからチームを組まないといけない。少なくとも2人、できれば4人くらいのチームがいい。なるべく業務の種類が近い相手の方が、渡しあうハードルが低くなる。

特殊性をなくす

 特殊性、「この人しかできない」という仕事は、業務量のムラを平均化する妨げになるから排除していく。そのためには「この人しかできない」を「誰でもできる」に転換していく必要がある。どんなに職人的な技能でも、実際には言語化して共有できない部分というのはかなり少ない。それなのに「○○さんにしかできないこと」という作業があるとすれば、本人が自分のプライドを確保するために不当に抱え込んでいるか、日々のルーティンワークに追われてマニュアル化・言語化するのを怠っているかでしかない。
 日々の仕事に追われている→他人に共有できる形に仕事を落とし込む余裕がない→他人と仕事を共有できない→仕事のムラをならせずに忙しさに沈んでいく→…… という循環に陥っている姿をよく見かける。ばっさり断ち切るというより、とりあえず仕事を渡し合える相手を見つけてチームを組んで、共有するのが大変じゃない(そこまで特殊性の高くない)仕事から共有してみる、という形で少しずつ抜け出していく。循環させながらゆっくり浮上していく。

おもてなしをやめる

 相手の意図を先回りして想像して実現してあげようとするのは、日本社会のコミュニケーション形態に基づく習慣だと思われるが、これは仕事のムダを発生させる機構になっている。ツッコミを受けないために「念のために」といって手厚く検証作業をしてみたり何かを作りこんだりして結果的にムダにする。それを「よく準備ができている」といって評価してしまうような価値観がある。しかしそのムダになって廃棄されたものは、社内の中でしか価値がなく、「金儲けをする」という根本的な目的を裏切っている。
 そういう意図を忖度して先回りすること=おもてなしをやめる。

試作品を先に見せる

 一番のムダはやり直すということなので、ダメ出しを喰らってやり直すというムダをとことん省かないといけない。そのために試作を先に決裁権者や関係者に見せる。パワーポイントの資料を作り込む前に、紙にざっと流れが分かるものを書いて上司に見せてOKをもらう。さらにそれを作る前にこういう目的や内容でやりたいと口頭で伝えてOKをもらう。何かをやる前に「こういうつもりでこういうことをやりたい」と先に言っておく。根回しとも言う。
 完成品の前にコストの低い試作品を段階的に作ってチェックを入れていけば、その時点でダメ出しを受けてもやり直しのコストは小さくて済む。



 自分がまたいつか新人の教育担当になったら残業意識の汚染を防止しようと思って、そのためのメモ。