やしお

ふつうの会社員の日記です。

仕事を抱え込む人を自分が作っていたのかもしれない

 職場のグループリーダーが仕事を抱え込んでしまう人で、課の中でも突出して残業時間が長い。3年半前に今の職場に異動してから、その人の負荷を減らしたいと思ってあれこれしてきたつもりだったけど、あまり改善されるには至らなかった。


 3年半前の時点では、グループは存在していてもメンバーの誰が何をしているのかも分からない状態だったし仕事がメンバー間で共有されることもなかった。あまりグループという組織体が課内に存在する意義がなかった。異動してしばらく経ってから進捗報告の定例を週1で1時間以内で開いてもらうようお願いして、今も継続している。ある程度は機能したし少なくとも誰が何をしているのかがわかるようにはなったものの、「メンバー間の負荷を平準化する」という本来の目的が完全に果たされてはいない。
 実は大きな仕事よりも、細かい仕事(職場の整理整頓(5S)活動だとか、資産の廃棄とか、計測器の校正とか)の積み重ねによって無視できない時間が削られていたりする。むしろそうした「誰がやってもいい」仕事こそ定例の場でシェアして割り振った方がいいのだけれど、リーダーは「細かい話はいいや」と黙って抱えてやってしまう。
 メンバーの負荷を可視化してきちんとグループリーダーが割振りできる環境を整えたつもりだったけれど、ただリーダーが「自分が指示や管理はしないけれど、とにかく状況だけは知りたい」という情報収集に時間が費やされるだけになってしまっている。それでも「誰が何をしているか分からない」という最も危険な状態を解消する役には立っているから、まあいいかと思って最近は自分も諦めている。


 自分が楽なのはあの人に仕事を押し付けているからだとはなりたくないし、全員でゼロ残業・有給休暇取得率100%を目指したいと思っている。それを実現するにはきちんと仕事を捨てる作業が必要になる。「念のためやった方が安心かも?」と思うことはいくらでもあるけれど、それをみんなで捨てていく。明らかに会社の(長期的な)金儲けに繋がりがないことならやらないし、組織の役割分担の中で自分がやるべきでないならやらない。社内向けの説明資料の作成に時間を浪費しないし、別の部署が着手しているかもしれないことを確かめずに勝手に自分で始めて作業を無駄にしない。「念のため」でしかない仕事をやり過ぎない。一塁手が外野フライを追いかけて結局その走りを無駄にするようなことはしない。小さな会社なら一人が全部をカバーしないと回らないかもしれないけれど、大企業なのだから役割分担を正確に働かせた上で必要なカバーをしていく。そうして仕事を割り切っていってムリ・ムダ・ムラを少しずつ無くしていくしかない。
 しかし捨てるべき仕事をグループリーダーは拾ってしまう。そうして仕事を抱え込んでしまう。以前はリーダーの人がやろうとしている仕事を「こっちでやりましょうか」と引き取ったりもしていたけれど、引き取っても引き取っても仕事を拾ってきてその人の残業時間が減っていかないなら、もう仕方がないと諦めている。もちろんその人のおかげで助かっていることも本当にたくさんあるけれど、グループ全体として無駄なく動けている状態にはほど遠い。また抱え過ぎて処理能力をオーバーしてしまい、結局完遂できずにおろそかなままになってしまったり、あるいは中途半端なタイミングで誰かに引き継がざるを得なくなってしまってもいる。


 そのリーダーの仕事を抱える体質について、「責任感が強い」と一般には言うのかもしれない。「部下に押し付けずに率先してやっている姿勢だ」とも言えるのかもしれない。しかしむしろ「不安感」と呼ぶ方が適切だという気もする。「自分だけ楽していると思われたくない」「人に『やらせている』と思われたくない」「自分はリーダーだから把握していないとダメだ」という気持ちから仕事を抱え込んでしまう。(メンバーの能力が不足しているためにリーダーがやらざるを得ずに抱えてしまうというパターンもあるかもしれないが、少なくとも今の自分のグループのメンバーを見る限りはそういう状態ではないだろうと思う。)
 きちんとメンバーの仕事を把握できる環境を作って、また実際に仕事のシェアができる状況を体験してもらえれば、もしかしたら少しずつマネジメントしてくれるようになるかもしれないと思っていたけれどそうではなかった。もしあの不安感が根にあるのだとすれば、実のところそこが解消されなければ抱え込む体質は解消されない。


 リーダーがメンバーに仕事を振る際に「自分が楽をしようとして人にやらせている」と周りに思われないためには、「この状況下ではこの人がこの仕事をやることがベストなのだ」と正確に周囲にも納得してもらう必要がある。もし(自分自身を含めた)メンバーを納得させる説明や判断が自分にはできないかもしれない、という自信のなさや諦め、不安感を持っている場合、たとえ割り振れる人員を持っていたとしても、振るのが怖くて自分の手でやろうとしてしまう、仕事を抱え込んでしまう。
 この不安感が解消されない限り仕事を抱え込む体質が改善されないとするなら、「自分のマネジメントの判断は正しい」という自信が必要になる。そして自信は、成功した経験の積み重ねによって「自分は大丈夫らしい」と信じられることで形成されていく。


 グループリーダーに取ってきた態度を考えてみると、何か仕事を割り振られた際や、その人が何か新しい仕事に手を付けていることを知った際に、やるべきでないと思えば「それは捨てるべき仕事です」とはっきり伝えてきた。別の部署がやるべきことだったり、優先順位の付け方が不適切だったりすると考えられる場合には、その理由も含めてそう伝えてきた。一方で確かに自分やその人がやるべき仕事だと思ったら、その時は素直にそれを認めていたし引き受けてきた。それがフェアなやり方だし、無駄を失くすために必要なことだと考えていた。
 しかしそれは同時に、グループリーダーが持つあの不安感をむしろ強固にしていく方向に作用していたのかもしれない。自分が正しいと思って出した指示がたびたび否定されてしまえば、「自分は正しく判断できている」という自信は奪われてしまう。「あいつに仕事を振っても拒否されるかも」と思えば仕事を振りたくなくなるのは当然だ。他人に指示する心理的なハードルが上がって、自分の手でもうやってしまう方が心理的に楽ならそうしてしまう。
 こうして、実のところ僕が、仕事を抱え込む人を作っていたのかもしれないと少し疑っている。「仕事を抱える人を作った」は言い過ぎかもしれないけれど、仕事を抱えるタイプの人がその習慣から脱する機会を、ゆっくり少しずつ奪っていた、とは言えるのかもしれない。自分自身がそういう機能を果たしていたのかもしれない。


 単にそのグループリーダーの人にマネジメントの適性がなかっただけだとか、あるいはそのリーダーを据え置いたままにしている課長の人員配置が不適切だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。実際グループやグループリーダーなんて会社の正式な職責でも何でもなく職場で勝手に設定している役割でしかないのだから、1年や2年で状況を見ながら変えて適性を見ていけばいいことだとも思う。変に固定化すると「替えるのはその人が無能だからだ」というように本人や周囲から見えてしまって変えづらくなる。
 とは言え現状の条件から下側から何か上手くできないかな、と考えてやってみるしかない。そして工夫してきたことが実は裏目に出ていたのかもしれない、と3年ちょっとが経ってふと思ったので、忘れないうちに記録しておこうと思った。


 結局のところ「機会は提供する、しかし活かすかどうかは本人次第」という姿勢で行くしかないとも思っている。今回の話で言えば「グループのマネジメントをしようと思えばできる情報(メンバーの進捗共有)は提供する、しかしそれを活かすかどうかはリーダー次第」というのが一メンバーとしてできることのせいぜいでしかないのかもしれない。自分の手で直接他者を変えることができると考えるのはおこがましいし、単純に事実ではない以上は仕方がない。
 それに、50代半ばの人がもうずっと「仕事を抱える自分」に自尊心をもし見出しているのだとすれば、そこを今さら無理やり剥がそうとするのはむしろ、残酷なことなのかもしれない、と最近は思い始めている。それで最近はもう、仕事を抱えていくのを黙って見ている方へと態度が変わりつつある。