やしお

ふつうの会社員の日記です。

親という呪い

 『ど根性ガエルの娘』を見ながら、親が子供にかける呪いのことを何となく考えていた。(作品の直接の感想ではなくて、触発されてあれこれ考えていただけ。)


 「親がああだったから」という恨みは、「だから自分がこうなのは仕方がない」という諦めに転化してしまう。何かを頑張ろうとか自分や環境を変えようとしても、「でも自分はこういう人間だから無理」と言い訳として機能してしまう。そのとき「親がそういう自分にしてしまったから」という理由を用意できてしまうと、それは「だからもう変えられない」と位置づけられてしまって、「自分で自分をデザイン可能だ」という認識がまるで奪われてしまう。前に進むことが不可能になってずっと自分をその位置に留まらせてしまう。あたかも呪いのように動作してしまう。
 はたから見ると「いいじゃんチャレンジしてみたら」と思えるような簡単なことでも、呪いがかかっている本人の視点ではどうしようもできない。例えば昇進の打診とか海外旅行とか、他人からは「みんなやってるし君だってできるよ」としか思えないことでも、本人は「いやあ無理だよ」となってしまう。リミッターとして働いてしまう。


 親への恨みは「あの時あんた(親)が私にこうしたから!」というはっきりエピソードとして記憶していることがある。しかしその出来事を親に言っても「あんたまだそんなこと覚えてたの?」とか「そんなことあったっけ?」と言われて子供はいつまでも救われることがない。同居していた兄弟姉妹も「そうだっけ?」とか「気にし過ぎじゃない?」と取り合ってくれなかったりする。
 それは親が他の兄弟姉妹を優遇していたからだと本人は考える。実際、例えば息子には寛容で甘やかせていたのに娘には厳しく抑圧していたといったことはよくある。ただ一方で、もし公平な他者が見ても「特に兄弟で扱いは違いませんよ」、「えっそんなことでずっと恨んでるの?」としか言いようがなかったりすることもある。
 「どうして自分はこうなんだろう」という辛さを処理するために、無理やり本人が見出した理由でしかなかったりすることもある。本人の言い分だけを元に「毒親だ!」と断罪するのは実は難しい。


 「鶏が先か卵が先か」のような話になってくる。自尊感情が傷つけられている穴埋めに親のせいにしているのか、あるいは親のせいで自尊感情が傷つけられているのか、原因と結果がどっちがどっちなのか。しかしこの因果関係は、排他的にいずれかに決定されるものではなく、両方共が成立する。それだから負のスパイラルになって落ち込んでいく。呪いとして動作してしまって抜けられなくなる。
 「あんたなんかどうせ」「お前には無理だ」「女/男のくせに」といった言辞や、溜息や無視といった態度で日常的に子供の自尊感情をそぎ落としていく親はたくさんいる。一方でたとえそうした親を持っていても、学校生活や部活や勉強やバイトだったり友人や他の大人(教師や親戚)との関係、あるいは読んだ本の影響で、自尊感情が満たされていて「恨み」にすがらずに済んでいる子供たちもたくさんいる。あるいは負のスパイラルに落ち込んでいく兄弟姉妹を反面教師にして親への対処法を学んだりするかもしれない。要因の組み合わせが膨大だから単一の因果関係に定められない。しかしそれを一つに定めずにはいられなくて呪いになる。


 どうしたら呪いを解けるのか、どうしたら呪いをかけずに済むのか。
 呪いを解くには自信を取り戻すことが必要になる。自信は過去の成功体験の積層でできている。自信は、過去を参照して「自分ならこれくらいはできる」と信じられることだ。そうして「親がああだったから自分はダメだ」を「親はああだったけど自分はできているから親は関係なかった」という実感に変えるほかない。
 小さく簡単なことから「自分でもできる」を積み重ねていく。課題は大きすぎて失敗しては余計に「自分には無理だ」に落ち込むし、小さすぎて「こんなの誰でもできて当然だ」としか思えないようではステップアップにならない。また「あなたは確かに以前よりステップアップしている」と指摘してくれる存在があれば自信に繋がりやすい。適切な大きさの課題を出してくれて、かつ成果を認めてくれる他人が必要になる。そうした他人が学校や職場でちょうど見つかるのは難しいことかもしれない。
 知的水準の高いコミュニティの方がお互いに相手を思いやる(相手の内在的な論理を把握して対応する)傾向にあって、他者へそうしたマネジメントやリーディングを施す可能性が高いのだとすると、可能なアドバイスは「勉強を頑張れ」なのだろうか。しかし「どうせ自分なんて」と思っている以上はそれも難しいかもしれない。そうして「お前こんなこともやれないのか!」と言われる職場で自尊心を傷つけながら、彼/彼女がずっと過ごし続けるのかと思うとつらい。
 呪いの構造、負のスパイラルの構造を知って、「自分がそう思い込んでいるだけかもしれない」、「呪いはバーチャルなものでしかないのかもしれない」という可能性を認知してもらえれば、せめて呪いを解く契機になり得るのかもしれない。


 では最初から呪いをかけないようにするにはどうすべきか考えてみると、たとえ子供であっても他人として尊重してほしいということになる。
 他人として尊重するというのは相手の自尊心を毀損しないということだ。10歳までは保護者として、15歳までは助言者として、それ以上は友人として付き合うというような、当人の能力(判断力や思考力)に応じて干渉の度合いをコントロールする必要があるかもしれない。十分な判断力のある相手をあたかも子供のように扱えば「お前はダメなやつだ」というメッセージになってしまう。
 少なくとも自信を壊さないようにしてほしいし、自信を育ててくれればなお素晴らしい。子供は「自分すごい」と調子に乗ってるくらいでちょうどいいのだと思っている。多少見苦しくても、抑圧して親の呪いにかかるよりずっとマシだと思っている。