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国王をやめて国民議会を立てたのに、わずか3年で皇帝の独裁に逆戻りした、しかも国民の圧倒的な支持でそうなった、フランスの19世紀なかばの経験をマルクスが書いたルポ。各種勢力が手を結んだり離反したり、支持を受けたり失ったりする様子を、個人の意思ではなく「その状況に陥る」という形で見せてくれる。併録の柄谷行人の論文では、これは議会制がもたらす反復的に見た目を変えて生じる事態で、日本やドイツで生じたファシズムもこのシステムから見ると説明できるし、今後発生した場合にもボナパルティズムの一形態として捉えられるという。
巻末の柄谷行人の解説というか論文だと、マルクスの「資本論」が経済システムの、「ブリュメール」が政治システムの、それぞれ強迫的な反復について分析しているという。これは出来事そのものの反復ではなく構造の反復だから、見た目も名前も変わってしまう。だから構造をよく見ないとそれが反復されたものだかどうだかわからない。
どちらもシステムには「穴」が必須になっていて、経済システム(資本主義)にとっては貨幣が、政治システム(議会制・代表制)にとっては王(皇帝、大統領)が、その「穴」にあたるという。
その他メモ。
- 最終的にボナパルトが皇帝になる前に、まず左翼の崩壊が起こっている。
- 代表するもの/代表されるものの関係性が恣意的でしかない:実際の階級から政党や政治家の言説が独立している→だから階級の側が代表するものを見捨てることができる
- 階級が階級として出てくるのは、代表するもの・言説があるからで、その場合はどうしてもお互いの関係は恣意的になる(それは言語と同じ)
- 代表するものも言説も持たない階級が分割地農民で、ボナパルトは彼らの「代表するもの」ではなく「主人」
- 30年代の日本でも貧農・小作農がクーデターによる天皇親政での農地改革、国家社会主義や領土拡大に望みを託したことと同じ。日本でも普通選挙が1925年にできてから天皇ファシズムが生まれた
- 議会・立法権力・自由主義的(討論を通しての支配)と大統領・行政権力・民主主義的(一般意思を代表する)の2重の意味を代表制は持つ
- 独裁は自由主義的じゃないけど民主主義的でないわけではない
- ファシズムはボナパルティズムの一形態で、グローバルな資本主義vs国民国家の経済、市場自由化vs国民経済の保護といった対立するものを同時に満たすように振る舞うのがボナパルティスト
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー)
- 作者: カールマルクス,Karl Marx,植村邦彦
- 出版社/メーカー: 平凡社
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