政権が市民生活を苦しめる方向に進めながらむしろ支持を受けていくように見える、そうした不思議な光景がどうやって生じるんだろうみたいな気になる。
- 苦しい時は「良くなってほしい」より「これ以上悪くならないでほしい」という気持ちの方が強く働く。
- 変化は「良くなる可能性」と「悪くなる可能性」の両方を含む。
- 「悪くなる可能性」が含まれるため苦しい時は変化を選択できない。現状維持が悪化をもたらす確度が高くても、不安感から変化を選択できない。
仮にそんな理屈が働いているなら、ある程度持続した政権にとって、それをさらに維持するには、
- 苦しい人たちは苦しい状態に留めておく
- 苦しくない人たちは不満を溜めないよう優遇する
とするのが有効となって、企業優遇・労働者冷遇は合理的な戦略になっているのかもしれない。
変化を受け入れるには経済的・精神的なある程度の余裕が必要になる。
突然「アパートの設備が古くなったので引っ越してください」と言われてもお金がなければ引っ越せない。徐々に不便になると知っていても「引っ越せと言われませんように」と祈るような気持ちで住み続けるしかない。
引っ越させないためには、かえって住民を困窮させておく方が都合がいい。そんな光景なんだろうか。
それは政権そのものが自覚的にそうしているというより、「安価な労働力が経済伸長に必要不可欠だ」と信じて悪気もないままそうしているのだからより強い。(周辺は分かっていてそうさせていたとしても。)