やしお

ふつうの会社員の日記です。

未来に対するダンピング

 小泉環境相がステーキを食べて炎上した話とか、ウナギが絶滅しそうだけどガンガン食ってるとかの話のことを考えて、ああこれってある種のダンピングなのかもしれない、と思った。
 肉1kgあたりで見ると、牛肉は消費する穀物量・水分量が鶏肉や豚肉に比べてはるかに大きいので環境負荷が高いって話は今回の小泉環境相の騒動で解説を見るまで知らなかった。意識したことがなかったというのが正しいかもしれない。ウナギの話だって、「絶滅しそうだ」とか「完全養殖は達成されていなくてシラスウナギは取ってこないといけない」とかも、知らない人は結構いるだろうと思う。
 残業代未払いにすることでサービスを安く提供しているとか、下請けいじめで製品原価を抑えているとか、発展途上国の子供を労働させてるとか、そういうやり方で安くすると、一瞬、消費者は安くて嬉しいかもしれないけれど、最終的には社会が破壊されてしまうので許されていない。「将来的に飢える人がいる」とか「未来の人がウナギを食べられない世界になる」とかも似たような話かもしれない。
 そう考えると、ヴィーガンになるとか飛行機に乗らないとかいったアクションは、児童労働をさせてる企業の不買運動が起こるのと同じようなものかという気もする。


 ダンピングは、採算を度外視して安く売ることで消費者を囲い込んで、その価格競争についていけない資本の小さな競争相手を殺すやり方のことをいう。最初は消費者も安い商品やサービスが手に入って嬉しいけど、最終的には競争が働かない市場になって消費者が損する世界になるから禁止される。
 「現在」が環境負荷の分を上乗せせずに安く物を消費することができるのは、環境的な「資本」が大きくてまだ余裕があるからで、一方でその「資本」が相対的に小さくなる「未来」はその余裕がないから死んでしまう。こういう、時間軸上での不当廉売をやってるのが今なのかもしれない、とちょっと思った。


 牛肉にしろウナギにしろ、実は「本当の値段」はもっと高いのかもしれない。環境負荷、未来に対するコストも含めた価格設定だと簡単には買えなくなりそうだ。そうすれば「年に一回だけ特別に食べるもの」みたいになって適正な消費量になってよかったねって話になるのかもしれないけれど、牛肉やウナギは「贅沢品だから我慢しようぜ」と言えそうだけど、じゃあ例えばプラスチックだってそうじゃんって話になったらどうなるんだろう。プラスチックは未来へのコストも含めた「本当の値段」だと実はすごく高いよってことになったらもう、今の生活を維持することが難しくなりそうだ。牛肉やウナギは「他にもっと安い代わりのもの」があるから「贅沢品」と考えることもできて「じゃあ我慢すればいい」という話ができても、プラスチックみたいに現状「他にもっと安い代わりのもの」がないものだと、だいぶ話が厳しくなってくる。
 環境活動家のグレタ・トゥーンベリさんがつい先日の国連でのスピーチで「あなた方は『ほぼ存在しない技術』(technologies that barely exist)で若い世代が何とかしてくれることをあてにしている」と言って、各国の指導的な地位にある世代の人々を非難したけれど、実際「プラなしの暮らしは無理」だけど「環境負荷を上乗せした価格にする」って話になったら、「無理を承知で我慢する」か「今はない新たな技術で何とかする」以外にない。「ない技術をあてにしている時間はないから我慢する」って話になれば、例えば「ハワイ旅行4泊5日の最安値プランは500万円」「お総菜のプラ容器は1個800円」みたいな世界になって、「一生のうち海外旅行に一度も行けないのが普通」「お総菜を買うなら容器を家から持っていく」みたいな感じになるのかしら。100年前の生活や価値観に戻る。人間は良くも悪くも慣れてしまう生き物だからまる1世代くらいそれで過ごせば適応するんだろうか。


 みたいなことを、ぼんやり想像していた。想像していたってだけで、何らのアクションも起こしていないけれど……
 ただ「未来に対するダンピング」をやっているのが現在なんだ、と考えると、飛行機乗らない、ヴィーガンになるって行動が、意識高い系みたいに揶揄するような話っていうより、「不当な企業に対する不買運動」を企業じゃなくて「現在」に対してやってるんだな、みたいな見え方になって、受け止め方がちょっと変わるんじゃないかと思っただけ。補助線の引き方ひとつで同じ図形でも別の意味が見いだせるみたいな。