やしお

ふつうの会社員の日記です。

小悪事を自己申告して後ろめたさを解消するムーブ

 「著者や編集者に『図書館で/古本で』読みましたと感想をわざわざ言ってしまう人」の話がまたTwitter(X)とかで話題になった。「あなたへは一銭も払わないが、あなたのコンテンツは消費させてもらいました」と言うことになってしまう。
 「変なマナーを作るな」「払えない人を排除するな」「商売の話と創作活動の話を分けて考えろ」等の意見も見られたが、現実的にはそれで金銭を得ている人に向かって(子供でなく大人が)普通はまあわざわざ言わないんじゃない、とは思う。


 この「わざわざ」の意図について、「嫌がらせで言ってる」、「本との出会い方を大切にしてるからだ」、「特に何も考えてない(雑談の一種)」等の色んな説が出た。個人的には「相手に『わざわざ』言って後ろめたさを解消するムーブ」の一種もあるのかなと思ってる。
 昔20代のときに職場で「OA推進担当(パソコンとかOA機器の管理する人)」をやっていて、同僚のおじさんから、何かの申請をちゃんとせずに使ってるんだけどいいか、みたいなことを聞かれて、「私に言われたら『ダメです』って言うしかないので、聞かなかったことにしておきます」と返したのをふと思い出した。(細かく覚えてないけど、実質的にはリスクが大きいわけではないけど、みたいな話だった気がする。)
 この「なんで私に言うんじゃ、黙ってやれや」と困惑させられる感じが、わざわざ図書館/古本でと言うやつにちょっと似てるなと思って。


 人間は弱いので、悪事を悪事として自覚しながらやるのは難しい。
 鈴木大介の『老人喰い』で、振り込め詐欺集団が、当事者たちは「老人が若者を搾取してる、だからその老人から金を奪うのは正しい」と正当化する論理を本気で信じてやってるという話があった。
 それから鈴木伸元の『性犯罪者の頭の中』では、「被害者はそれを望んでいる・喜んでいる」と加害者が思い込む認知の歪みが指摘されているのも思い出した。
 ネット上の中傷事件でも、加害者がむしろ「自分は被害者だ」とか「正しいことをしてる」と本気で思ってたりする。


 別に犯罪とかではなくても、微妙に「後ろめたいことしてる」自覚があると、ちょっとだけ心理的な負担になる。それを解消させたくなる。
 解消するには、認知を歪ませるか、「相手」に許可を得る。
 認知で正当化するなら、「市民だから図書館を利用する権利が自分にはある」とか「商品はリユースで還流する方が環境にいい(消費社会がおかしい)」とか「エリートの編集者や作家の方が自分より稼いでる」とか。
 図書館や古書店の利用は何ら犯罪行為ではない(法のレイヤーで罰せられるものではない)が、商業レイヤーで言えば「クリエイター・メーカー側に直接には金払ってない」のは事実で、特に「感想を言う」というまさにクリエイター・メーカー側に接触する瞬間は、その後ろめたさが強く出てきてしまう。その場面で「図書館で/古本で読んだ」と言って、その点を相手がスルーしてくれれば、黙認してもらったような感じになる。普通「馬鹿野郎! 金出して新品で買え!!」と面と向かって言ってくる人はいないだろう、という甘えというか安心感もこの行為を後押しする。そして「いや、私は白状しました、相手にも共有しました」の形にして安心する。
 本人が「自分は後ろめたさを解消したくてこう言ってるんだな」と自覚してやってるわけではない。自覚していればそもそもやる必要がなくなる。(自覚してやってれば嫌がらせ説になる。)


 宮崎学が『法と掟と』の中で以下のように書いていた。

多くの犯罪が、社会から切れないままに、日常的な秩序意識の延長線上で行われている。覚悟のない犯罪があまりに多すぎる。犯罪者としての自覚が不足しているのである。犯罪に走るんだったら、もっとしっかりした犯罪者意識をもて、と声を大にしていいたい。犯罪者に確固たる犯罪者意識がある社会こそ、健全な社会なのである。

 アウトローになるなら、ローを相対化しないといけないはずなのに、法や規範(常識)の中に曖昧にいる前提で考えてしまうのは倒錯している、という指摘だった。
 「図書館で/古本で」の話もレイヤーが複数あって、

  • 法のレイヤー → 特に問題ない
  • 商売のレイヤー → 直接はお金払っていない(後ろめたい)
  • コンテンツ消費のレイヤー → 感想を言いたい(これも心理的不安定さの解消の一種であり得る)

というのをまず認識して、「今はコンテンツ消費のレイヤーだけを対象にしてる、商売のレイヤーはおいておく」ときちんと相対化できれば、別に「金は払ってないけど、それはそれとして」と自分の中で解決させて、相手に余計なことを言って負わせなくて済む。
 今回の話で、「図書館も古書店も法的に問題ないんだからいいだろ」みたいな言い方も見かけた。法のレイヤーでOKだから全的にOKという言い分で、物事が普通多数の層が重なっているのを無視して、「一つがOKだから全部OK」「一つがNGだから全部NG」というのは、詭弁か無理解だろう。


 こういうこと書くと、まるで全ケースについて「後ろめたさ解消」に該当してると言ってる、と曲解されそうだけど、別にそれ以外の、嫌がらせ説でも、出会い方表明説でも、ただの雑談説も、それぞれ該当するケースや複数該当するケースもあれば、どれかが別に正解である必要もないし、一意に決定される必要もない(そもそも言ってる本人がたぶん自覚してないし)。
 ただこの話を見た時に、そうそう、「なんで相手に小悪事をわざわざ申告するんだよ」って話、職場でも日常でも結構あるんだよね、と思っただけ。




↓は投げ銭代わりの設置。お礼しか書いてない。

この続きはcodocで購入